タカ長のタカの渡り観察

タカが好き、山が好き、花が好き、心はいつも旅もよう。日々移ろいゆく心もようを綴るナチュラリストのつぶやきです。

暗黙の了解

2014年03月22日 | 山歩きから
昨日は変わりやすい天気で、裏山歩きも大変でした。本当なら山の上でノスリの渡りを見たかったのですが、、、、

今日は天気も回復しましたがヤボ用があったり、、、、、、明日はまた親の墓参りくらいはしないといけないので、ノスリを見に行くチャンスはなさそうです。

   

それはそれとして、今日の話題です。

今日もまた山での遭難死が報じられていました。このところこの種のニュースが多すぎます、と思えたり、、、、

外野席からとはいえ、人さまの歩き方が多少は見えるつもりのタカ長の思いとすれば、でもまぁこのくらいで済んでいるのだから、遭難事故は案外起きないのかなぁ、、、、、と思えたり、、、、、。



山歩きとかかわり始めてまもなく60年になろうとしているタカ長の独断と偏見で、一刀両断に切り捨てるような言い方をすれば、、、

いまの登山者は登りたい山=登れる山と考えて山に行っているのでは、と言うのがタカ長の指摘です。

この意味、少ない言葉で説明できないところがありますが、要は入り口から間違えている登山者が多すぎると感じているのです。

    山を歩けば事故が起こるのは当たり前

    雪山に行けば雪崩があるのが当たり前

そのような認識も持てないで、事故が起これば「まさかこんなところで、、、」とテレビカメラの前でも平気で言える人は山に行かないほうが良いのでは

と言うのがタカ長の独断と偏見です。この独断、ある面では勝手すぎますが、、、、、

   

山を歩けば、そこがどんなに低い山でも事故は起こります。遭難事故が起きない山なんてどこにもないのです。

でも、おそらくほとんどの人は、特に低山と言われる山を歩いている人は、山の遭難事故なんてよその世界のことだと言う感覚で歩いておられるような気がしてならないのです。

          

多くの人がそのような軽い気持ちで山に登り始めたのは、車時代を迎えて、山へのアクセスが良くなったことと関係しているような気もします。そのように考えるのもタカ長の独断ですが、、、、、

タカ長が山歩きを始めた頃には、登山者の間にある種の「暗黙の了解」が確かにありました。

登山経験のないものが、いきなりそれらしい山に連れて行ってくれ、と言えない雰囲気が確かにありました。

また、そのような初心者を連れて行ってはいけない、と言う思いを先輩たちは持っていました。

タカ長の登山の原点は広島県の山ですが、その広島県の最高峰は1346mしかありません。その最高峰を盟主とする「芸北山群」と言われる山には、いきなり連れて行ってもらえませんでした。連れて行ってくれといえない雰囲気が、単位山岳団体をこえて、山を歩く人全体にありました。

          

いまはそのような「暗黙の了解」みたいなものは感じられません。

行きたいと思えば行ける、そのような感覚で山に行かれますが、、、、、いきなり山らしい山に行く人は何かが身についていないはずです。

そのことに気づかないで歩いている人に事故の危険がしのび寄る、と言うのがタカ長の思いですが、これって独断に過ぎるのでしょうか?