狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ひろゆき「岸田が増税する理由!」【岸田首相】防衛増税で暴走!!高市早苗氏は抗議辞職!?岸田首相が高市氏・西村氏を外し萩生田氏訪台のタイミングで増税発表!!独裁

2022-12-13 13:08:23 | 政治

 

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ひろゆき「岸田が増税する理由!」

 

岸田総理が防衛増税の方針を乱暴に決めてしまったことを高市早苗氏が暴露してしまう【サンデイブレイク283】

#岸田やめろ #高市早苗 #防衛増税

【岸田首相】防衛増税で暴走!!高市早苗氏は抗議辞職!?岸田首相が高市氏・西村氏を外し萩生田氏訪台のタイミングで増税発表!!独裁

 



高市早苗経済安保担当大臣が、岸田文雄が表明した防衛増税に反対表明!

https://twitter.com/takaichi_sanae/status/1601498722722271232
20221211高市早苗が防衛増税に反対!93%世論反発!自民党からも反対の大合唱!今年度税収は予想比3兆円超
高市早苗
@takaichi_sanae
普段は出席の声がかかる一昨日の政府与党連絡会議には、私も西村経済産業大臣も呼ばれませんでした。
国家安全保障戦略には経済安全保障や宇宙など私の坦務分野も入るのに。
その席で、総理から突然の増税発言。
反論の場も無いのかと、驚きました。

午後5:47 · 2022年12月10日



https://twitter.com/takaichi_sanae/status/1601499073411833856
20221211高市早苗が防衛増税に反対!93%世論反発!自民党からも反対の大合唱!今年度税収は予想比3兆円超
高市早苗
@takaichi_sanae
企業が賃上げや投資をしたら、お金が回り、結果的に税収も増えます。
再来年以降の防衛費財源なら、景況を見ながらじっくり考える時間はあります。
賃上げマインドを冷やす発言を、このタイミングで発信された総理の真意が理解出来ません。

午後5:48 · 2022年12月10日




西村康稔経済産業大臣も既に、岸田の防衛増税に反対表明している!
20221210防衛費財源は増税!岸田と鈴木は馬鹿!自民党から反対続出・法人税ではなく国債や外為特会埋蔵金を





防衛増税に93%が反発「『防衛納税制度』をつくれば?」 夕刊フジ緊急アンケート 岸田首相は不足する約1兆円の財源について検討する意向
防衛費増額をめぐり、夕刊フジは財源を「増税」で賄うことの是非について緊急アンケートを行った。
29%が「絶対反対」、64・4%が「まず税収増や防衛国債の発行などを検討すべきだ」と回答した。
岸田文雄首相は2027年度以降、不足する約1兆円の財源について増税を検討する意向を示しているが、93・4%が反発する結果となった。
自民党内でも反対意見が噴出しており、今後の展開が注目される。

https://www.zakzak.co.jp/article/20221210-WFZRD44YYZOJRHHENDGVCN2NAI/
防衛増税に93%が反発「『防衛納税制度』をつくれば?」 夕刊フジ緊急アンケート 岸田首相は不足する約1兆円の財源について検討する意向
2022.12/10 15:00
防衛増税に93%が反発「『防衛納税制度』をつくれば?」 夕刊フジ緊急アンケート 岸田首相は不足する約1兆円の財源について検討する意向

防衛費増額をめぐり、夕刊フジは財源を「増税」で賄うことの是非について緊急アンケートを行った。29%が「絶対反対」、64・4%が「まず税収増や防衛国債の発行などを検討すべきだ」と回答した。岸田文雄首相は2027年度以降、不足する約1兆円の財源について増税を検討する意向を示しているが、93・4%が反発する結果となった。自民党内でも反対意見が噴出しており、今後の展開が注目される。

アンケートは9日午後から10日朝にかけて、夕刊フジ編集局ツイッターで実施した。2046票の回答があった。投票結果は別表の通り。

増税反対では、痛烈な意見が相次いだ。

「増税しか思いつかない能力の低い#財務省#霞ヶ関官僚#政治家の給与から財源を確保すればいい」「増税のために防衛費を人質に取るな」

政府に知恵や工夫を求める声も寄せられた。

「政府や行政が身を削れ」「巨大なムダ、不必要な政策を洗い出しそのカネを防衛費に充てるべき」「税収増へ景気回復の努力を怠るな」「防衛国債に後ろ向きなのはなぜ?」「財務省が嫌がる『ふるさと納税』のように『防衛納税制度』をつくれば」

増税を容認する意見もあった。

「国防最優先だから増税してでも増強してほしい」「増税反対の動きを中国ロシアが見て『日本国民は国防の覚悟も気概もない』とみられるのもマズくないですか?」

松野博一官房長官は9日の記者会見で、増税批判の声について「国民の皆さまのご理解が得られるよう、丁寧に説明していくことが重要」と述べた。






20221211高市早苗が防衛増税に反対!93%世論反発!自民党からも反対の大合唱!今年度税収は予想比3兆円超

自民党内からも、岸田の防衛増税に反対の大合唱!

杉田水脈、三原じゅん子、和田政宗らが、増税に反対表明!

自民党の世耕弘成参院幹事長、萩生田光一政調会長、西田昌司も反対!

自民の閣僚経験者は「岸田政権の終わりの始まりかもしれないね」とつぶやいた!

自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出
■動画
自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出|TBS NEWS DIG
https://www.youtube.com/watch?v=wA35kGSUvvY


https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/226490?display=1
自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出
TBSテレビ
2022年12月9日(金) 18:21
自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出
■動画

きょう、自民党で行われた会合では、怒号が飛び交う展開となりました。その理由は、きのう岸田総理が表明した、いわゆる「防衛増税」です。

きょう、自民党で行われた会合。

自民党 柴山昌彦衆院議員
「かなり議論はヒートアップしてますね。怒号が飛んでいます」

きっかけは防衛費の財源をめぐる、総理のきのうの発言です。

岸田総理
「約1兆円強については国民の税制で、ご協力をお願いしなければならない」

これに党内から批判が噴出したのです。

自民党 西田昌司政調会長代理
「財源的には国債でいいんです。全く問題ないわけ」

自民党 柴山昌彦衆院議員
「増税ありきで無理やり決めていこうというふうにしか思えない」

「増税ありき」と批判されるのは理由があります。政府は防衛費を来年度から段階的に増加させ、2027年度には今より4兆円程度増やす考えです。

財源には歳出改革や剰余金の活用などを優先的にあて、それでも不足する1兆円強を増税で賄うとしています。

しかし、歳出改革の中身については…。

鈴木俊一財務大臣
「具体的な内容の検討を今行っている最中でありますので、年末に向けて、さらに詰めていきたい」

自民党 牧原秀樹衆院議員
「きょう、わずか数ページの資料と言えないような資料が出てきて、それを増税でやるんだみたいな議論をするのは拙速であると」

一方で…。

自民党 稲田朋美衆院議員
「薄く広くですね、国民がこの防衛ということを考える意味においても、増税という選択肢、それを避けて通るべきではないと思ってます」

参加者の一部からは、総理の発言を支持する声もあがったということです。





「防衛に力は入れてほしいけど増税は…」世耕



https://twitter.com/saytaca/status/1601367620095442945
𝖘𝖆𝖞𝖙𝖆𝖈𝖆(さいたか)
@saytaca
「防衛に力は入れてほしいけど増税は…」

世耕参院幹事長:「所得税や消費税じゃないから国民負担にならないという考え方は間違っている。これは、当然、賃上げに跳ね返ってくる。景気全体に影響して来る。これは国民への影響は不可避だということを念頭に置く必要があると思っています」

■動画
午前9:06 · 2022年12月10日





自民党・西田昌司参院議員:「防衛費の財源的には国債でいいんです。全く問題ないわけ。経済あっての財政。順番を間違えてはいけない。まさに経済を回す」



https://twitter.com/saytaca/status/1601368072304365568
𝖘𝖆𝖞𝖙𝖆𝖈𝖆(さいたか)
@saytaca
自民党・西田昌司参院議員:「防衛費の財源的には国債でいいんです。全く問題ないわけ。経済あっての財政。順番を間違えてはいけない。まさに経済を回す」
■動画
午前9:07 · 2022年12月10日




https://twitter.com/miharajunco/status/1601359666751340544
三原じゅん子 @miharajunco
三原じゅん子
@miharajunco
防衛費43兆の中身の議論や国民への説明もなく、いきなり「増税」には私は反対。

自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出 | TBS NEWS DIG (1ページ)
――――――――――
自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/226490
自民党会合で“怒号”飛び交う 岸田総理が表明「防衛費で増税」めぐり批判噴出 | TBS NEWS DIG
きょう、自民党で行われた会合では、怒号が飛び交う展開となりました。その理由は、きのう岸田総理が表明した、いわゆる「防衛増税」です。きょう、自民党で行われた会合。自民党 柴山昌彦衆院議員「かなり議論は…
――――――――――
午前8:34 · 2022年12月10日





私は「財源がないので国民の生命は守れません。」というのはおかしいと考えます。その為に国債があると思っていますし、税で負担というのであれば、経済成長で税収を上げることを考えるべきです。増税はあり得ません

https://ameblo.jp/miosugita-blog/entry-12778617601.html
防衛費の財源について
2022-12-10 08:57:18

先日の清和研の総会。
若手議員から防衛費の財源について意見が噴出。
「先日の国防部会でも、財源の議論はできなかった。その中で増税ありきの報道が出ており、看過できない」「安倍晋三元総理は国債でとおっしゃっていた。我々はその意志を継いでいかなければならない」「今年の参議院選挙の公約においても『防衛費をGDP2 %』は言っているが『増税』は言っていない。公約違反だ」

この意見を踏まえ、萩生田政調会長は防衛費の財源を議論する場を設定するとお約束してくださいました。

そして昨日、防衛費の財源を議論する政調全体会議がセットされ、2時間に渡り、熱い議論が展開されました。
このニュースに詳しく書かれています。
――――――――――
私は「財源がないので国民の生命は守れません。」というのはおかしいと考えます。その為に国債があると思っていますし、税で負担というのであれば、経済成長で税収を上げることを考えるべきです。増税はあり得ません
https://www.sankei.com/article/20221209-RXTRNQ4SBZKSHEHEMZX5WDDWLI/?outputType=amp
「火事場泥棒だ」 自民、1兆円超増税で紛糾 防衛費増額
自民党は9日の政調全体会議で、防衛力の抜本的な強化に向けた防衛費増額の財源について議論した。岸田文雄首相は令和9年度以降は1兆円強を増税で賄い、与党税制調査会…
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私は「財源がないので国民の生命は守れません。」というのはおかしいと考えます。その為に国債があると思っていますし、税で負担というのであれば、経済成長で税収を上げることを考えるべきです。増税はあり得ません。



https://twitter.com/miosugita/status/1601365731589128192
私は「財源がないので国民の生命は守れません。」というのはおかしいと考えます。その為に国債があると思っていますし、税で負担というのであれば、経済成長で税収を上げることを考えるべきです。増税はあり得ません
杉田 水脈
@miosugita
私は「財源がないので国民の生命は守れません。」というのはおかしいと考えます。その為に国債があると思っていますし、税で負担というのであれば、経済成長で税収を上げることを考えるべきです。増税はあり得ません。
(ブログより)
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私は「財源がないので国民の生命は守れません。」というのはおかしいと考えます。その為に国債があると思っていますし、税で負担というのであれば、経済成長で税収を上げることを考えるべきです。増税はあり得ません
https://ameblo.jp/miosugita-blog/entry-12778617601.html
miosugita-blog:防衛費の財源について
先日の清和研の総会。若手議員から防衛費の財源について意見が噴出。「先日の国防部会でも、財源の議論はできなかった。その中で増税ありきの報道が出ており、看過できな…
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午前8:58 · 2022年12月10日





https://twitter.com/wadamasamune/status/1601054229426159617
和田 政宗 @wadamasamune
和田 政宗
@wadamasamune
防衛費増額は、増税なくとも実現できます。

何が財源として可能か、『Hanadaプラス』に寄稿しました。

本日より党内議論が本格的に始まります。

増税のない防衛費増額とするためにしっかり頑張ります!

――――――――――
和田 政宗 @wadamasamune
https://hanada-plus.jp/articles/1177
防衛費増額、増税しなくても財源は確保できる!|和田政宗 | Hanadaプラス
12月7日、「防衛費増額の財源 一部は増税で 与党幹部が合意」(TBS)との速報が流れたが、安倍元総理が提唱していた「防衛国債」の発行の話はどこに行ってしまったのか。そもそも防衛費の増額がなぜ必要なのか。自民党の和田政宗議員が緊急提言!
――――――――――
午後0:20 · 2022年12月9日



https://twitter.com/wadamasamune/status/1601372863142862848
和田 政宗 @wadamasamune
和田 政宗
@wadamasamune
昨日の政務調査会全体会議で、防衛費増額の財源を議論。

松本政調副会長が記者団に語った通り、増税反対が多数。

私は、安倍晋三元総理がおっしゃった「防衛予算は次の世代に祖国を残していく予算」を引用し、防衛国債の活用等を強く提起。

財源は、増税無くとも確保できる

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「火事場泥棒だ」 自民、1兆円超増税で紛糾 防衛費増額
https://www.sankei.com/article/20221209-RXTRNQ4SBZKSHEHEMZX5WDDWLI/
「火事場泥棒だ」 自民、1兆円超増税で紛糾 防衛費増額
自民党は9日の政調全体会議で、防衛力の抜本的な強化に向けた防衛費増額の財源について議論した。岸田文雄首相は令和9年度以降は1兆円強を増税で賄い、与党税制調査会…
――――――――――
午前9:26 · 2022年12月10日






そもそも、2022年度の一般会計税収は、「68兆3500億円余り」となり、過去最高額となる見通しとなっている!(関連記事

当初、日本政府は、2022年度税収を65兆2350億円と想定していたが、2022年11月になって新たに3.1兆円上振れすると見込みとなったのだ!

https://jp.reuters.com/article/japan-tax-revenue-idJPKBN2RU0BD
22年度税収が過去最高68兆円超に、2次補正で3.1兆円増額=政府筋
2022年11月4日2:28 午後、ロイター
山口貴也
22年度税収が過去最高68兆円超に、2次補正で3.1兆円増額=政府筋
 11月4日、2022年度の一般会計税収が68兆3500億円余りと、過去最高だった21年度実績を上回る見通しであることが4日、分かった。写真は都内で2016年8月撮影(2022年 ロイター/Kim Kyung-Hoon)

[東京 4日 ロイター] - 2022年度の一般会計税収が68兆3500億円余りと、過去最高だった21年度実績を上回る見通しであることが4日、分かった。複数の政府関係者が明らかにした。政府が近く閣議決定する22年度2次補正予算案で、昨年末の見積りを増額修正する。

主要税目のうち所得、法人税収などが堅調に推移していることを反映する。当初は22年度税収を65兆2350億円と想定していた。新たに3.1兆円上振れすると見込み、政府が先月28日に決定した総合経済対策の財源に充てる。

国の税収はコロナ禍でも伸び続け、20年度にそれまで最大だった18年度の60兆3563億円を抜き、一般会計税収が60兆8216億円となった。21年度は67兆0378億円と、再び過去最高を更新していた。想定通りに推移すれば3年連続で過去最高を更新することになる。

2次補正では、税収の上振れ分に加えて税外収入なども歳入に計上する。足りない分は新規国債を22兆8500億円余り追加発行することで補う。歳出総額は28.9兆で、世界的な景気減速に備えて創設する「ウクライナ情勢経済緊急対応予備費」には1兆円を計上する。

補正予算案は8日の概算閣議決定を想定する。20カ国・地域(G20)首脳会議などに出席する岸田文雄首相の帰国後に国会に提出し、年内の早期成立を目指す。




このように、消費税率や所得税率や法人税率などを引き上げず、金利も超低金利政策を継続して円安トレンドを維持していれば、確実に大きな自然増収が実現していく!

馬鹿丸出しの岸田文雄や鈴木俊一らが言っている増税の前提も5年後のことだから、馬鹿が黙って引っ込んでいれば自然増収だけでも全て解決してくるのだ!

本来なら、自然増収にプラスして、増発余力たっぷりの国債をもっと増発し、無用の長物と化している外為特会の埋蔵金も経済対策や社会保障費増額や防衛費増額などに活用するべきだが、岸田文雄や鈴木俊一では頭が悪過ぎて理解も説明もできそうにない!

だから、岸田文雄は首相を辞任し、高市早苗に替われ!


2022年度・過去最高税収68兆3,500億!でも増税です…

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コメント (2)

高須克弥院長「誰もいないので座りこみしてあげたぜ」 辺野古の抗議現場から

2022-12-13 12:59:27 | マスコミ批判

 

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高須克弥院長「誰もいないので座りこみしてあげたぜ」 辺野古の抗議現場からSNSに投稿

配信

沖縄タイムス

eeu*****1時間前
非表示・報告
高須先生ありがとうございます
以前より座り込みの状況少し気になっていました
確かに過去に米軍人関係で忌まわしい事件があった事は事実であります、それらに関しては米軍関係者の方々には深く反省していただきたい
それに、戦闘機の墜落による不安・騒音などの問題は内地の我らの想像を超えるご苦労があると思います
しかし、近年の座り込みの画像を見るとどうも現地の人々ではないような人たち(現地の訛りがない)が見られます(それは現地の人が都会に出て戻ってきたと言われれば仕方ないですが)
ただ自分の主義主張の為に現地の人のふりをするのは...と思います
もちろん現地の人々が抗議をされるのは当然の権利だと思います


返信
16

779

206
leg*****
leg*****11分前
非表示・報告
今回は、行動を起こしている人がどんな人かという問題もありそうだけど、
政治を変えたい、増税をやめさせたい、格差を減らしてほしい、
少子化を解決したい、教育を安く受けれるようにしたい。
そういった事を考える人が団結して訴える事自体が
頭がおかしいんじゃないのと揶揄されがちで、声を出しづらい雰囲気が
今の日本なんだなって感じた。今の日本人は基本的に無関心で
流れに身を任せる国民性なんだろうけど、ある程度は政治参加しないと
日本自体が沈没してしまうのではないかと不安になります。


返信
0

6

25
vip*****
vip*****55分前
非表示・報告
沖縄に来た方は那覇空港での到着や出発の際にわかると思いますが、高確率で航空自衛隊の戦闘機がスクランブルしてますよ。一部訓練もあると思いますが、一般航空機を停めてまで発進するということは領空侵犯されての緊急発進と考えることが普通です。
このことに知事は全く触れていません。
年間で400回近く領空侵犯されてます。1日1回以上です。米軍基地と領空侵犯。マスコミもどちらが国際的に違法なのか考えるべきです。


返信
0

433

24
yua*****
yua*****2時間前
非表示・報告
そもそも、デニーが知事の権限外の事案を県民を騙して基地反対で当選しちゃってるのが根本の問題。県民ももっと勉強して欲しい。
前翁長知事だって、自民時代は基地推進派で当選の為だけに反対に回ったし。
これも、法律、条約を理解できない県民に責任がある。


返信
7

1200

137
sta*****
sta*****1時間前
非表示・報告
ひろゆきから指摘されたのに是正をしないからまたやられるんだよ。
これでも是正をしなければ、3人目、4人目が登場しても不思議ではない

どうして座り込みを手抜きするのだろうか。説得力を持たせたいなら24時間座り込みをすべきだったのに。周囲の人間からしてみれば、手を抜いているようにしか見えない。やるからには最後までやるべき。


返信
5

435

60
nini****
nini****28分前
非表示・報告
高須先生もひろゆきも「野次馬の親玉」みたいなものだからな
野次馬が世の中の大多数で、そういう当事者じゃない人たちにどうやって訴えるかってのが、有るべき活動だろう

野次馬を叩いて批判して遠ざけては活動のための活動でしかなくなる
このあたりは反対派も考えた方が良い、辺野古容認派の私でも理念自体は理解できるところが有るのだから


返信
0

19

113
返信読んでません
返信読んでません42分前
非表示・報告
まぁ・・・現地の人に聞いても抗議してるのはほとんど現地の人じゃないそうでしょね・・・働き口としても取引先としても切り離せなくなってるのはみんなわかってる。逆に切り離したら困る人は多いでしょう。

それとは別に、毎日座り込みしてたら24時間じゃなくても毎日っていうのは分かる気がする。

週5日しか働いてないのに「毎日働いてる」って言うし。本人たちが24時間座り込みって言ってるなら別だけど、結局はただの揚げ足取りよ。

なぜ毎日座り込みしてると聞いて24時間やってると思うのか?
年中無休と聞いて24時間やってると思うのか?

よく考えたらそう思ってしまう方がおかしいかも。


返信
2

26

180
zrf*****
zrf*****4分前
非表示・報告
とかく左翼は自分達に対する批判は受けつけない、普通の人なら座りこみも、そういう気持ちでやってる意味で、事実でないと言われればそうかもしれないくらいで済ますんですよね。オール沖縄も選挙勝ったり負けたりなんやからオール違うやん言われても適当にいなす。自分達は絶対正しいと思い込みが激しいから、最後は紛争もやむを得ないという理屈。


返信
0

5

1
お金を稼ぐことは悪なのか?
お金を稼ぐことは悪なのか?1時間前
非表示・報告
これって反対派にとってピンチではなくて逆に追い風なんだよね
今まで注目を浴びてこなかった事が注目されるようになったわけで、チャンスなんだよね
反対派が意見を周知させる絶好のチャンスなんだが、まぁそこまで頭が回らないか...
さっさと辺野古へ移設させたほうが安全なのに環境がーとか人の命の優先順位が低いんだよな


返信
7

150

46
tf1*****
tf1*****1時間前
非表示・報告
勉強不足だったらごめんなさい。
私の沖縄の友人に聞いたところ、やはり米軍基地反対する人は少数と言ってました。
敷地内に入る事ができ、アメリカンなハンバーガーが食べられるとか、騒音についてもそこまで気にしてないという人が結構います。
反対派は声を上げるけども、何とも思ってない人は何もしないという風潮な気がします。

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コメント

新(8)貶められた旧日本兵,エピローグ、上原正稔、「パンドラ訴訟」で勝訴確定

2022-12-13 12:06:44 | ★原稿

 

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貶められた旧日本兵-「援護法」に隠された沖縄戦の真実 (8)
エピローグ

  近年、沖縄戦関連で3つの裁判が行われ、そのうち1つは係争中である
 既に最高裁判決が出た「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」(大江・岩波訴訟)と「沖縄靖国合祀取消訴訟」、それに福岡高裁那覇支部で係争中の「パンドラの箱連載掲載拒否訴訟」(以後、「パンドラ訴訟」)である。

 三つの訴訟はそれぞれ原告と被告、そして表面上の訴因は違っているが、実質の争点が沖縄戦をめぐる認識であり、さらに論点を絞ると「沖縄戦と援護法の関係」になるという共通項を持つ。
 「大江・岩波集団自決訴訟」は最高裁判断で原告側が敗訴した。一方、最大の争点である「軍命」については法廷で立証することができず、事実上、梅澤、赤松両氏の名誉回復は確定している。
 

2012年6月15日、「沖縄靖国合祀訴訟」で原告側である遺族の敗訴が確定した。この裁判は沖縄戦などで亡くなった戦没者の遺族5人が「家族を靖国神社に無断でまつられ、肉親を自由に追悼する権利を侵害された」と主張して、靖国神社のほか、神社に戦没者の名前を提供した国に、合祀の取り消しと慰謝料の支払いを求めたもの。
 

この裁判の原告は合祀の観点で言えば夫々立場が異なっている。軍属でない母親や幼い弟が合祀されている原告2人の場合は、原告側証人の石原昌家・沖縄国際大学名誉教授が主張する「国の歴史捏造」による“合祀不適格者”に相当する。

 一方、この裁判のリーダーである金城実氏の父親は兵隊として招集され戦死しているので、本来靖国に祀られるべき“適格者”である。金城氏は父親の戦死を「犬死」と罵る。父親の戦死を「犬死だ」と罵って原告団の先頭に立つのであれば、援護金を返納してから訴訟に踏み切るのが筋だ。

 「パンドラ訴訟」は、琉球新報夕刊に2007年5月から掲載中の連載「パンドラの箱を開ける時」が急きょ中断したことに対して筆者の上原正稔氏が損害賠償を求めているもの。未掲載の部分は、米軍兵士の手記に基づき、慶良間諸島における集団自決の真相を解明するもので、両隊長の名誉回復に向けてのメッセージでもあった。


 沖縄戦史の捏造は援護法のカラクリにより生み出された悲劇であり、その一番の被害者が「軍命で住民を自決させた極悪人」という汚名を着せられた梅澤、赤松両隊長ということになる

 上原氏は2011年1月、提訴時の記者会見の席で、梅澤、赤松両隊長に沖縄県民を代表して謝罪。「存在しない軍命令」で援護金を受給した沖縄人の複雑な心境を代弁した。

 しかし、沖縄のメディアはまるで申し合わせたように提訴の事実を黙殺し続けている。沖縄県民でさえ、この裁判のことを知る者はほとんどいないのが現状だ。

 援護法のカラクリにより多くの日本の将兵が援護金申請の際に利用された。中でも梅澤裕、赤松嘉次の両隊長は、「慶良間列島の住民に集団自決を命じた」と濡れ衣を着せられ、沖縄戦で沖縄住民を虐殺した「極悪人」として糾弾されている。両隊長の汚名返上こそが歪められた沖縄戦史を是正する第一歩ではなかろうか。
 上原氏は提訴に際し次のように述べている。
 

 <最終稿(181回目)で、赤松さんと梅澤さんは集団自決を命じておらず、それは援護法の適用外の住民が援護金を貰うために嘘の報告を出し、そのために赤松さんと梅澤さんをスケープゴートにしたのだ、という旨の原稿を出したら、新報はその最終稿をボツにするという前代未聞の暴挙に出た
 

パンドラ訴訟は7月29日、高裁判決が下される。(※パンドラ訴訟は上原氏の勝訴が確定した⇒【おまけ】参照)
(完)

 

写真 「パンドラ訴訟」の原告、上原正稔氏

                

愈々「貶められた旧日本兵」シリーズの最終回である。

これまで断片的に取り上げてきた上原正稔氏が琉球新報を提訴した「パンドラの箱訴訟」について総合的にまとめてみよう。

月刊誌「WILL」ttp://ueharashonen.web.fc2.com/pdf/04_koutoubenron_fuzoku14_kou.pdf

2011年2月24日(火)、「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第五回公判が那覇地裁で行われた。(最終的に、上原さんの勝訴が確定している)

この訴訟はドキュメンタリ作家上原正稔氏が、琉球新報の「言論封殺」を訴えるという前代未聞の裁判であるにも関わらず、これを知る県民はほとんどいない。

沖縄の2大紙、琉球新報と沖縄タイムスが、自分たちにとって「不都合な真実」は、決して報道することはないからである。

■上原氏怒りの記者会見■
2012年1月31日。県庁記者会見室でドキュメンタリー作家上原正稔氏が記者会見を行った。

 その日の午前中に、上原氏は琉球新報に対する損害賠償訴訟を那覇地裁に起こし、それを受けての会見であった。代理人の徳永信一弁護士が訴訟の概略を説明した後、マイクに向かった上原氏は、開口一番沖縄戦時に慶良間島で戦隊長を務めた赤松嘉次、梅沢裕両氏に対して「大変なご迷惑を掛けた。ごめんなさい。許してください。そして同時にありがとうと言いたい」と侘びの言葉を述べ、両隊長による「集団自決の命令がなかったことは火を見るより明らかだ」、「真実を伝えるのがマスコミの使命だ」と訴えた。
さらに、会場の記者団に向かい「琉球新報の記者は来ているか」と問いかけた。 若手の記者が「はい、来ています」と挙手で答えると、上原氏はその記者に向かって「君たち新聞記者は、都合の悪いことは報道しないが、この裁判で君の会社が訴えられたのだよ!」と一喝し、「これを明日の記事にしなかったら新聞社の恥だよ」と釘を刺した。気の毒にも、まだ若い新報の記者は、上原氏の気迫に押されたのか「ハイ」のひと言だけで返す言葉はなかった。上原氏は、2009年5月、『うらそえ文藝』(第14号)で、異論を封殺する琉球新報を激しく糾弾したが、琉球新報はこれに反論どころか、一切これを報道せず黙殺で通したことを琉球新報の記者に皮肉ったわけだ。

■『うらそえ文藝』での告発■
沖縄の文芸誌『うらそえ文藝』で上原氏は、県文化協会会長の星雅彦氏との対談で自分が琉球新報から受けたあからさまな言論封殺について詳しく話していた。 少し長くなるが上原氏が琉球新報を訴えた経緯を知る上で参考になるので、関連部分を抜粋引用する。

≪星: そうですね。現在でもある意味では(言論は)統制されているわけですからね。

 上原: もう完全に右も左も統制です。僕は琉球新報の前泊記者たちに「パンドラの箱…」の掲載をストップさせられた。怒鳴りつけてやった。「君らは表現の自由を知ってるか」ってね。しかし動じる様子もなかった。連載は二〇〇七年四月から四ケ月も中断した。

 星: 社の方針に反するということだろうね。それはまたその人たちも統制の枠の中にいるってことだが、意識してないかもしれない。

 上原: 彼らはまず沖縄の知識人、自分たちは文化人だと思い込んでいるんですよ。それで自分たちの発言や行動はすべて正しいと思っているわけです。

 星: 正しいかどうかは何十年か何百年か経たないと分からない。

 上原: いつも彼等は正しいと思ってる。だから、僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。これは新報の編集方針に反するからといってね。僕は二回にわたって四人組の記者から吊し上げられ、連載を申止させられた。一番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。彼等も統制のオリの中にいるわけですよ。≫(2009年5月、『うらそえ文藝』(第14号)

 

原告上原氏の挑発が効いたのか、被告の琉球新報は記者会見の翌日2月1日の紙面で、ベタ記事ながら次のように報じた。

「連載掲載拒否」本紙を提訴
表現の自由を侵害されたなどとして、那覇市のドキュメソタリー作家、上原正稔さん(68)が1月31日、琉球新報社を相手に慰謝料など約1千万円の損害賠償を求める訴訟を那覇地裁に起こした。
2007年5月から琉球新報タ刊で連載された「パンドラの箱を開く時」をめぐり、琉球新報社から途中の原稿の掲載を拒否され、表現の自由侵害などで精神的苦痛を被ったと主張している。
琉球新報社は「連載を一方的に止めた事実はない。従って『表現の自由の侵害』には当たらないと認識している」としている。(琉球新報2011年2月1日)

徳永弁護士によると、裁判の要点はこうだ。 
上原氏が琉球新報に長期連載中の沖縄戦記「パンドラの箱を開く時」の、慶良間の集団自決問題の真相に触れる部分が、「社の方針に相違する」との理由で掲載日の直前になって突然中断に追い込まれ、大幅な原稿の改変を余儀なくされた。 

4カ月後に執筆を再開したが、最終章の原稿の掲載を拒否され、未完のまま終了した。徳永信一氏は「琉球新報が、原稿の受け取りを拒否し連載を打ち切ったのは、契約違反である。事実に基づく真相の探求を封じたことは個入の表現の場を一方的に奪ったものであり、公正で不偏不党な報道という社是に背反し編集権を逸脱する」と述べた。

裁判の名目は民事訴訟では良くある「損害賠償の請求」だが、裁判の根底に大きな争点が隠れていることは被告の琉球新報が一番承知しているはずだ。

その争点は日頃言論の自由を標榜する新聞社としては最も恥ずべき行為とされる「言論封殺」を琉球新報自らが行った事に対する訴訟ということだ

そして琉球新報による「言論封殺」の裏には、沖縄戦で長年論議されてきた「集団自決における軍命の有無」が最大の争点として潜んでいるであることを、原告、被告の両陣営が強く意識していることは言うまでもない。 

沖縄戦記を研究テーマにするドキュメンタリー作家上原氏と琉球新報の間に起きた裁判沙汰を振り返ってみる。 

両者の間に一体何があったのか。

■2007年、沖縄のメディアは集団発狂した■

ここで時間を5年前の2007年に巻き戻してみる。この訴訟の本質を見極めるためには、上原氏の原稿に何が書かれていたかという点と、もう一つ重要な点は、その原稿が掲載拒否された2007年5月の沖縄の社会的時代背景である

平成19年(2007年)3月、文科省が高校の歴史教科書の検定意見で、沖縄慶良間諸島でおきた集団自決に関し「軍の命令によるもの」という従来の記述を削除するよう求めた。

 地元2紙は連日、「集団自決」に関する特集を組み検定意見を撤回することを求めるキャンペーンを大々的に張った。

 そしてその年は、9月20日に行われた左翼勢力主催の「高校歴史教科書検定意見撤回を要請する県民大会(11万人集会)」へと狂気のように雪崩れ込んで行った年である。

各市民団体、労働団体が抗議声明が連日の紙面を飾る騒然とした状況の中、筆者はドキュメンタリー作家の上原正捻氏が琉球新報の夕刊に連載していた沖縄戦記「パンドラの箱を開ける時」を深い興味を持って愛読していた。

 
というのは実証的戦記を得意とする上原氏が当時話題沸騰であった集団自決の「軍命論争」に関し、どのように記述するかが関心の的だったからだ。

 上原氏とは面識はなかったが、従来の沖縄戦の研究者のように、戦争の持つ影の部分のみを捉えて無理やりイデオロギー問題にすり替える手法をとらず、沖縄戦の真実の物語を追及している異色の沖縄戦研究者として関心を持っていた。

上原氏が始めた1フィート運動を取り上げた沖縄テレビ制作『むかし むかし この島で』は、第14回FNSドキャメンタリー大賞ノミネート作品となり、沖縄テレビのサイトでは、上原氏の沖縄戦の記録発掘に対する姿勢がどのようなものかを垣間見ることができた。

 これも上原氏の「パンドラの箱を開ける時」に興味を持った一因であった。   http://www.fujitv.co.jp/b hp/fnsaward/14th/05-330.html

当時私と同じように上原氏の「パンドラの箱を開ける時」の連載に注目している人物がいた。

当時、産経新聞那覇支局長をしていた小山氏のことだ。 私は氏小山氏のブログを愛読していおり、6月16日のブログに第2話「慶良間で何がおきたか」が20日の夕刊から始まり、慶良間の集団自決がテーマになることが書かれていた。

 そこには上原氏は、「圧力に屈することなく執筆する」と話していたと記されていた。 私が長年関心を持っていた集団自決の軍命論争の核心が愈々上原氏の筆により語られる、と期待に胸が膨らんだのを記憶している。 

■パンドラの箱は閉じられた■


待ちに待った5月20日、琉球新報夕刊の紙面を隅から隅まで探したが「パンドラの箱を開ける時」は、何処にも掲載されていなかった。

 通常、何らかの理由で連載記事が予定日に掲載されない場合、執筆者か掲載紙の方から、休載の理由について断りがあるもの。

ところが、この予期せぬ休載については、上原氏はおろか琉球新報側からも一切何の説明もなかった。

突然の休載に愛読者として一抹の不安が胸をよぎった。言論封殺ではないかという不安だ。

 漫画家の小林よしのり氏が、沖縄の新聞のことを「異論を許さぬ全体主義」だと皮肉っていたことが現実のものとなって目の前に現れた、と考えた。

 筆者は、琉球新報に電話を入れて掲載中止の理由を問い質した。

 だが、最初に対応した琉球新報の記者は、連載記事が掲載中止になっている事実さえ知らない様子だった。

 「自分の新聞のことも見ていないのか」と難詰されれ対応に出た記者は、連載特集がが掲載されていないことを確認した。

その後、電話は編集部に回されたが、その時「上原さん、原稿が間に合わなかったのかな」という記者の独り言が聞こえた。

 上原氏の記事の突然の中止は記者にも知らされずに急遽「言論封殺」が行われたものと直感した。

 その後電話に出た編集部の担当記者も動揺を隠せない様子で「調整中です」を連発するばかりで、納得できる応答は出来なかった。

 その時のやりとりを、当時から書いていた政治ブログ「狼魔人日記」に「沖縄のマスコミは大政翼賛会か」というタイトルで書き、読者の支持を受けた。

翌日のブログには「琉球新報は報道機関としてのプライドをかなぐり捨て、連載中の記事を『削除』するという禁じ手を使ったことになる。自分の意見と異なるという非常に分かりやすい理由で」と書き、「沖縄の言論空間は、いよいよ異様な様相を呈してきたようだ。サヨクの方々が常用する『戦前のような言論弾圧』がメディア主導で今正に沖縄で行われている。」と続けた。

この琉球新報による唐突ともいえる「休載」に対し、私のブログ「狼魔人日記」の読者の反響は、予想以上に大きなものだった。

「琉球新報に抗議します」というタイトルで「琉球新報の言論封殺が今日で4日目です」「・・・今日で7日目です」と定期的にエントリーして琉球新報への抗議の意を表した。

■画龍点睛を欠く連載の再開■


それから四カ月が経過した10月16日、「パンドラの箱を開ける時」が突然再開された。

10月19日付のブログで書いたことを引用する。

《10月16日。 二回目の「教科書検定意見撤回要請団」が上京し、沖縄中を巻き込んだ「集団自決」に関する大フィーバーも一段落が着いた。地元2紙の紙面にも一時のような「新証言者登場」といった刺激的な記事も殆ど見なくなった。その静寂の合間をつくように、その日(16日)の琉球新報夕刊に、4カ月の長期にわたって中止されていた「沖縄戦の記録」がソッと再開されたまるで一目をはばかるように。 何の予告もなく。(略)新報側の突然の連載中止であるにも関わらず、新聞社側からは連載中止の知らせも、4カ月後の突然の再開の知らせも読者に対しては一言の説明もなかった。今後、琉球新報は「説明責任」で他人を責めることは出来ない。 結局、4カ月前に電話で問い合わせた答えの通りの長い「調整中」を、筆者の上原さんの「長い夏休み」としてゴリ押ししたのだろう。げに恐ろしきは新聞社の「調整」。これを別の名で言うと「言論封殺」と呼ぶ。長い「調整」の結果、内容も「調整」されている模様。

事前の予告では次は「慶良間で何が起こったか」を明らかにするとしており、集団自決の真実を白日の下にさらすとのことだったが、再開した第2話のタイトルは「軍政府チームは何をしたか」と変更されているではないか。「集団自決」が起きた1945年3月下旬の慶良間を飛び越えて、4月以降の沖縄本島の米軍上陸、投降住民の管理の模様を記しており、「慶良間で何が起こったか」については触れていない。》(「狼魔人日記」 2007年10月19日

■琉球新報の言論封殺■
不自然な連載中止と同じく不自然な連載再開だった。 

琉球新報が上原氏に対して言論封殺を行ったという疑念は確信に変わった。 

筆者が一読者として感じたことは琉球新報の読者の誰もが感じたことだと考えた。

琉球新報が言論封殺した上原氏の記事「慶良間で何が起きたか」には、一体、琉球新報を動揺させるどんな内容が書かれていたのか。

 地元を代表する新聞が、「集団自決」に関する連載記事を突然中止したことに対しては当然、いろんな憶測が飛び交った。

 「新聞を中心に展開されている教科書検定運動に水をかけることになる内容になるため」だ、とか編集担当者の態度に変化があり、今回の事態になった」とも言われた。

 偏向記事で知られる沖縄紙ではあるが、連載中止という非常手段に打ってでるのはよっぽどのことがあったに違いない。

 後にわかったことだが、琉球新報に封殺された原稿には、上原氏が慶良間島の実地検証で得た「軍命はなかった」という論考が赤裸々に綴られていた。

■月刊誌『WILL』が琉球新報の告発記事掲載■
上原氏の連載が中止された日の朝刊、文化面のトップに林博史関東学院大学教授の「沖縄戦」特集の第一回目が掲載されていた。

 林教授といえば日本軍は残虐非道だと糾弾するサヨク学者で、「集団自決訴訟」でも被告側の証拠を収集したことで知られている。私は当時の沖縄メディアの異様な有り様を同時進行でブログに書き続けた。

それが偶然雑誌社の目に留まり「沖縄紙の言論封殺」について原稿を依頼され、月刊誌『W ill』に「これが沖縄の言論封殺だ」というタイトルで掲載された。 

本文と重複する部分も有るが、有力月刊誌が沖縄メディアの異常性を告発したという意味で注目されるので関連部分を抜粋引用する。

≪・・・平成19年6月19日は、琉球新報の長期特集記事(火曜から土曜の夕刊に掲載)の第二話「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」の掲載予定日であった。 第一話「みんないなくなった 伊江島戦」が前日で終了、19日からは第二話「慶良間で何が起きたか」が始まる予定であった。 筆者上原正稔氏は掲載日の前、知人に「集団自決」に関するもので、圧力に屈することなく執筆する」と語っていたという。
「集団自決」というテーマは地元二紙を中心に沖縄メディアが“民意”を煽っている最もホットなテーマのはずだった。 言うまでもなく慶良間とは「集団自決」に関する「軍命令の有無」が問題になっている座間味島と渡嘉敷島を含む、慶良間諸島のことを指す。 
だが、その特集記事は、読者に何の断りもなく、突然、中止になった。執筆者あるいは新聞社側の「お知らせ」や「弁明」等は一行も掲載されていなかった。≫(『WILL』2008年8月増刊号)

■竜頭蛇尾の最終回■
上原氏の「長い夏休み」が終わり休載中の記事が再開されたとき、私は琉球新報の言論封殺を直感的に感じながらも、執筆者の上原氏に対して一種の失望感を感じたことを記憶している。

 ひと言で言えば「上原正稔よ、お前もか!」という心境だった。

その年2007年は新聞に登場する識者と言われる人達の「集団自決」についての論評は一斉に横並びで、例外なく「軍命があった」の大合唱だった。すくなくとも私の知る限り、「軍命」を否定する識者の論文は見たことがなかった

 そんな風潮の中で「右も左も関係ない、反戦平和も関係ない」と「豪語」していた上原までもが、琉球新報の言論封殺に唯々諾々と従ったと考えたからだ。 

一読者であり上原氏とは面識のなかった私は、後に知ることになるが、上原さんと琉球新報との掲載拒否について繰り広げられた壮絶なバトルを知るよしもなかった。

 従って肝心な部分で何の断りもなく四ヶ月も休載しておきながら白々しく「長期休暇」としか言い訳の出来ない上原氏に、やはり「全体主義の島」では実証的戦記を得意とする上原氏ですら新聞の論調には迎合せざるを得ないのか、と落胆したのだ。
それでも、肝心の「慶良間で何が起きたか」を欠落したままでは画竜点睛を欠くと考え、最終回までには慶良間の記述に戻るだろうと失望しながらも淡い期待を抱きつつ、2008年の連載記事の最終回を迎えることになった。


「第13話 最終章そして人生は続く」と題する最終回は、「慶良間で何が起きたか」についての記述をフラッシュバックするどころか、本題とは外れる上原氏が始めた1フィート運動の経緯について紙面の大半を使っていた。


これでは「パンドラの箱を開ける時」というタイトルからしたら、まさに竜頭蛇尾の最終回であた。

 長期連載戦記「パンドラの箱が開くとき」は、皮肉にも箱のふたを閉じたまま最終回を迎えることになったのだ。

■読者を敵に回した琉球新報■
「慶良間で何が起きたか」の記述を欠落したまま終わるのでは、期待して最後まで読み続けた読者を裏切ったことになる。 読者は琉球新報によって「知る権利」を奪われたことになるのだ。


その後、上原氏が琉球新報の言論封殺に対し提訴することを知った一読者としての偽らざる心境は、こうだ。

「パンドラの箱掲載拒否訴訟」は、上原と琉球新報の間の損害賠償の訴訟ではなく、琉球新報が自己のイデオロギーのため読者の「知る権利」を封殺したことに対する上原氏の糾弾の訴訟と。


つまりこの訴訟は、実質的には琉球新報が全読者を敵に回した「言論封殺」訴訟ということが出来る。

【おまけ】

つづく

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沖縄タイムスが黙殺する、渡嘉敷島玉井村長の手記、

2022-12-13 12:02:49 | ★改定版集団自決

 

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玉井村長の手記、沖縄タイムスが報じない2008-09-14

 

渡嘉敷島・死線を越えた人たちの再会ー「集団自決」問題で騒いでいるのは関係ない人たち。

 沖縄戦の集団自決問題でクローズアップされた渡嘉敷島。

昭和45年(1970年)、日本軍の責任者であった赤松元大尉は渡嘉敷村から慰霊祭のスケジュールを受け取り、招待の打診を受けた。そして赤松元大尉は出席の意向を伝え、3月26日に那覇に到着した。そこで赤松元大尉は大ブーイングを浴る。

「赤松帰れ!」

「人殺し帰れ!」

 そして赤松元大尉は村の人々とともにその場を後にした。つまり、赤松元大尉を非難しているのは当時の軍人、島民ではなく、全く別の人たち、つまり反日サヨクの組合員たちだった

赤松元大尉は残念ながら那覇で足止めを食い、渡嘉敷島にわたることができなかった。赤松隊に所属していた生き残り将兵十三人と遺族が渡嘉敷島に渡り、慰霊祭に出席する。

 同行した皆本元少尉の話。「島の方がたは大変残念がっていましたね。『赤松さんにぜひ来てほしかった』という声を何度も聞いております。のちに関西で行われた会合では、当時の玉井村長さんがわざわざ来てくれました」

慰霊祭の様子を琉球新報と沖縄タイムスが次のように書いている。



琉球新報(三月二十九日付)
「この日の渡嘉敷村は平日と変わらない静かなたたずまい。赤松元大尉が来島できなかったことや、その部下が初めて来島したことにも反応は少なく、報道陣が詰めかけたのが、異様にさえ感じているような冷静さ。赤松元大尉が本島まで来ていることを知らされても『肉親を失ったことは忘れられないが、いまさら古傷にふれても仕方がない』と言った言葉が返ってくるだけ。本島で繰り広げられた『赤松帰れ!』の騒ぎはウソのような『悲劇の島』二十五回忌の慰霊祭-」

沖縄タイムス(三月三十日付)
「五十年配の人たちは男女の別なく、生き残り将兵等と手を取り合った。炊事班に借り出され、赤松隊で働いていたという夫人などは、顔を覚えていた何人かをつかまえ、当時はお世話になりました、と涙を流さんばかりだった」

 慰霊祭のあとの「第三戦隊戦友会村民懇親会」では村のご夫人や娘さんが島の踊りを披露して歓迎し、出席した皆本元少尉は一緒に踊った。

手元の本にそのときの写真が一枚載っている。「集団自決は強制だった」という人たちは、この写真を見て何というのだろう。「死ね」と言った人たちを歓迎するわけないだろう

島に渡れなかった赤松元大尉はモーターボートを借りて、渡嘉敷島沖まできて、島へ向けて手旗信号で何かを合図している。おそらく元部下が島にいて元隊長の意を汲むことになっていたのだろう。あの日あの時あの場所にいた死線を越えた人たち同士にしかわからない感情が手旗信号で伝わったと想像する。

平成19年(2007年)、沖縄で集団自決軍命令の教科書記述削除に抗議する、いわゆる11万人集会(実際は2万人弱)に参加した渡嘉敷村の人はゼロである。

                  ◆

「沖縄タイムス史観」でいえば、渡嘉敷島の戦隊長は「鬼の赤松」であり、当時駐屯していた軍人は「住民を死に追いやった島の仇である」ということになるだろうが、実際は報道とは異なり、島の遺族会と旧軍人との交流は戦後ずっと続いている。

大江健三郎氏が創り上げた「島の慰霊祭に参加の為那覇空港に降りた赤松元隊長を“島の人々”が追い返した」といった神話が、島の人々にとっては、不本意な出来事であり、「故赤松隊長には気の毒なことだった」という気持ちが本音であった。

沖縄タイムスが決して報じることない、赤松氏が追い返された当時の玉井渡嘉敷村長の手記を入手したので全文引用する。

地元在住の重要証言者であるにも関わらず沖縄タイムスが一度も取材もしなかった知念元少尉と遺族会との交流も記されている。(取材もされずに知念少尉の「発言」は『鉄の暴風』には捏造されて記載されている)

沖縄タイムス史観に従えば赤松隊長の副官であった知念元少尉は遺族会の憎むべき仇のはずだが・・・。

取材されない重要証人 副官知念少尉の証言

マスコミ演出の或る「情景」★本土風の名前

 

沖縄に住んでいてもタイムス等の新聞報道に汚染されると、渡嘉敷村民が赤松隊長にどのような心情を抱いていたかについては、ミスリードされ結果として誤解されてしまう。

玉井村長が抱いていた赤松隊長に抱いていた心情を、沖縄タイムスは決して記事にすることはないだろうし、下記の玉井村長の手記を記事として報道することも決してない。

                    ◇

終戦50周年祈念「いそとせ」沖縄県遺族連合会 平成7年12月30日発行 に寄稿された玉井元渡嘉敷村長の随想

遺族会発足当時を想ふ     渡嘉敷村遺族会長 玉井 喜八


 戦後50年の節目を迎えることになった。想えば半世紀の長い年月であるが何故かそんなに時が流れた感がしない。戦災で焼失破壊された自然や物的なものは年と共に逐次その姿を取り戻し復元されつつあるが、ただ一つ取り戻すことのできない尊い人の命がある。私達は常に心の奥に犠牲になった肉親や同胞を弔い慰める気持ちがあるため時の流れを感じないかも知れない。
 昭和22年復員して帰って見ると島は過去の姿はなく、生き残った村民は自失呆然で自給自足もままならぬ状況であった。
 焼け残った住宅の補修や仮設住宅の設置に追われ乍らも何かしら足が地につかずの感がしてならない、村を復興するには先ず何より、村民に心の安らぎを与える途を講ずる必要を痛感し戦没者の慰霊供養を最優先すべきであることを決し、慰霊碑の建立をすることになった。
 建立場所を西山の集団自決現場近くに設定したが、現地はその当時、機動力が使用できる場所でなく、すべて人力で搬送しなければならない状況にあり、いろいろ検討の結果これを実現するには肉親を失った方々が組織をつくり、率先して村当局と協力し、全村民への奉仕を呼びかけるため、はじめて遺族会が結成された。
 学童をはじめ全村民の協力を得ていよいよ建立を始めたが、現場に辿り着く道らしい道がなく、天に昇るような険しいけもの道を海岸から砂や砂利を擔ぎ頭に乗せ、各自体力に応じて搬送したことは孤立した島で共に死線を越えた人々の固い絆があってこそ実現できたと思ふのである。
 遺族会発足当時は主として戦没者の援護法適用について、県当局や遺族連合会との連携をはかることが主な活動であった。
 幸いにして、国は島における戦闘状況に特殊事情があったとして理解を示し、戦没者全員が戦闘協力者として法の適用が認められたことは唯一の慰めであった。
 西山の山頂に建てられた慰霊塔(白玉之塔)には軍人、軍属、防衛隊、一般住民を含め430余柱が合祀され、毎年3月28日、集団自決の日を村の慰霊の日として行事が行われてきたが、昭和34年予期しないことにこの地一帯がホークミサイル基地として接収された為に塔への出入りが自由にできない状況となり移設を余儀なくされた。
 移設場所を港の北側、部落を一眺する丘に選定し、移設費用全額米軍負担として、昭和35年に移設を完了し現在に至っている。
 
渡嘉敷島の戦闘状況とりわけ自決命令云々については、これまで文献等に記述されたが、島に残った人々は各自異なった体験を語っており、当時の混乱した状況が偲ばれるみみである。
 おもふに戦争の残した傷跡は簡単に償えるものではないが、個人が心の安らぎを得る機会は与えるべきであるとして、当時の隊長が慰霊供養のため島を訪問したいとの希望があり、遺族会に諮ったところ、当時の国策遂行のためになされた戦争行為であり、個人の意に副ふようにとのことで受入れをすることで一致した。ところが意外に村民以外の民主団体に来島を阻止され、他の隊員は島に渡ったが隊長は目的を果たすことができなかった。
 後で聞いた話では別の船をチャーターして渡嘉敷港の軍桟橋で弔花を届けて引返したとのことである。本人は既に故人となり、今にして思えばその当時、故人の望みをかなえてやれなかった事に心残りもあるが、時の社会状況からして止むを得ないことであった。
 昭和53年の33回忌は隊員との合同で行われた。慰霊祭に隊長夫人が参加し、村民や遺族と親しく語り合ったことが何よりの慰めになったことと思われる。
 3戦隊戦友会は、本村に駐留した復員者で組織された会で、村や遺族会と緊密な連携がなされ村民との融和がはかられている。学校の記念事業等に積極的に協力すると共に戦跡碑の設置塔を実施し、村との信頼関係を確立している。
 昨年(平成6年3月28日)数え年による50回忌の慰霊行事を実施した。村民や遺族の他本土から戦友会員100余名参加して盛大に行われたその状況が、NHKのニュースで全国に放映されたことは最も印象に残ることである。
 50年の歳月は、戦争の傷跡を埋め尽くし、島の何処を眺めても戦争と直接つながるものは見ることができない。部落を見下ろす丘に戦没者の芳名を刻した白玉之塔が建っているのみである。
 戦時中谷間の避難小屋で生まれた戦争を知らない子が、現在村の指導者として活躍している姿を見るとき、時の流れと世代が変わった実感が湧いてくる。
遺族会も高齢化と共に会員が減少し運営もきびしい状況にあるが、何としても維持存続し戦争の悲惨を後世に語り継がねばならない。慰霊の塔の維持管理、慰霊事業はすべて村主導で行われているので、遺族会としても村の平和行政の推進に積極的に協力して行きたい。
 昨年、戦友会員や隊員の遺族が大挙して島を訪れ50回忌の慰霊祭が行われた。その際に会を代表して皆本義博会長から永代供養基金として一金三百万円が村遺族会へ送られた、想えば当時紅顔の少年たちも既に70の坂を越しており会員は減少するのみである。この基金の果実により戦友会として今後の供花費用に充て永久に弔って行きたいといふ心づかいである。村遺族会としてもその厚意を有り難く受け、戦争の犠牲を無にしないよう、またこれを契機に会の再建をして行く決意を新たにしている。
 かっては玉砕場(集団自決跡地)又は基地(ホークミサイル基地)と呼ばれた西山の頂上は、沖縄の本土復帰を記念して設立された「国立沖縄生年の家」があり、戦争を知らない全国から集ふ青少年が自然を満喫しながら研修に励んでいる姿を見るとき、平和の尊さをしみじみ感ずるのである。

注 1.西山は北山のこと。
  2.玉井喜八…1921年10月生まれ1953年12月17日33歳で渡嘉敷村長就任。以後32年間1985年12月まで村長の職にあった。2000年8月79歳で没
  3.「国立沖縄生年の家」…現在の「国立沖縄青少年交流の家」
  4.句点、読点は適宜補った。

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集団自決、「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇

2022-12-13 11:13:03 | ★改定版集団自決
 

 

沖縄戦の再検証のため過去ブログ「もうやめなさい!」 パニックに瀕した長老たちの悲劇2008-07-14 

を一部編集して再掲します。

               ★

集団自決を決めたのは、長老たちの咄嗟の判断だった。

昭和61年沖縄で開催された「海邦国体」は、全国1巡目の最後の国体であった。

その翌年の昭和62年、2巡目のトップとして「京都国体」開催された。

前年の沖縄国体の熱がまだ覚めやらぬ沖縄の老人会グループが郷土の選手団の応援に京都国体を訪れた。

その中の一人に座間味島の戦争体験者の長老がいた。

長老は、戦時中座間味島に駐屯していた旧軍人を訪ね、懐かしい昔話に花を咲かせた。

そのときの長老の談話が聞き取りされている。

「昭和19年の11月3日か12月8日のこと、(日付がどちらかは不明確)那覇市の護国神社で決起大会があり、そこで在郷軍人(沖縄出身の武勲者)たちが主となって、県民鼓舞の大演説をぶち上げた。 中でも印象に残ったのが直前まで那覇市長を勤めていた當間重剛氏は演壇で日本刀を振りかざし、『米軍が来たら、戦国時代の落城と同じ、女子供は自決させるべし』と演説をし、『決議』となり、それを参加していた座間味村三役がそれを帰島後、村民に伝えた」

座間味島に駐屯していた軍人たちはこの民間主導の決起大会には参加しておらず、この事実も戦後40数年を経ってから京都国体に応援に来ていた島の長老から初めて聞かされた事実だったのだ。

 ちなみに抜刀して大演説した當間重剛氏とは戦後、米軍民政府に琉球政府の主席に任命された人物だ。

確認のため昭和19年の11月3日前後と、12月8日前後の「沖縄新報」を調べてみたら、11月3日前後の新聞自体が県立図書館などには保存されていなかたが、12月8日付けの新聞は保存されていた。

米軍が座間味、渡嘉敷両島に殺到して猛攻撃を開始する約二ヶ月前の「沖縄新報」(昭和19年12月8日)に次のような記事がある。

けふ大詔奉戴日

軍民一如  叡慮に応え奉らん

一人十殺の闘魂

布かう滅敵待機の陣

戦時の新聞なので見出しと記事がやたらと勇ましいのは何処の新聞も同じだが、沖縄新報の見出しによると、特に昭和19年の大詔奉戴日は10月10日の那覇大空襲の後だけに、県庁、県食料営団、県農業会などの各団体が主催して沖縄各地で関連行事が行われた様子が報じられている。

ちなみに大詔奉戴日とは日米開戦の日に日本各地の行政機関を中心に行われた開戦記念日のことをいう。

真珠湾攻撃の翌月の1942年1月8日から、戦争の目的完遂を国民に浸透させるために、毎月8日が記念日とされた。

そして、同記事では「鬼畜米英」についても各界の体験者の談話を交えて、次のような大見出しを使っている。

米獣を衝く  暴戻と物量の敵を撃て

お題目で獣性偽装

野望達成で手段選ばぬ

昔も今も新聞が国民を扇動するのは同じこと。新聞が舞い上がって県民を鼓舞しているのが分かる記事だが、慶良間島からも県庁で行われた「大詔奉戴日」式典には島のリーダーたちが参加している。

村長を始め村のリーダーたちはこの雰囲気に煽られて、島に帰った後数ヶ月で目前に迫った米軍上陸にパニックを起こし判断を誤ったのではないのか。

島のリーダーたちにとって、「鬼畜米英」の話は単なる新聞記事の見出しだけではない。その数ヶ月まえの7月ににサイパン陥落の際、鬼畜米兵から逃れた多くの日本人が、崖から身を投げた「集団自決」があり、その大部分は慶良間出身の沖縄県人であったという。

                  ◇

「集団自決は軍の居た所にのみ発生した」という「軍命あり派」の主張は軍人がいなかった読谷村チビチリガマの集団自決やその他の例で否定されている。

集団自決実行の分岐点は避難時のグループリーダーの判断の如何だった。

自決実行の間一髪、子供の泣き声で我に返ったリーダーの一瞬の判断で集団自決を免れたグループ。

その目撃談を紹介しよう。

座間味国民学校上級生(今の中学2年生)の宮里米子氏の体験談である

忠魂碑の前に集まった宮里米子氏の家族は敵の砲弾を受けて逃げ惑う。

<『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊より引用

轟く艦砲の恐怖と寒さに震えながら、米子の家族は避難所を探して近くの山を目指して歩いていきました。 丘の斜面を登っている途中、砲弾のうなり声の合間から、ひそひそと人の声がもれてくるのに気がつきました。話がよく聞き取れないので、敵か見方かはっきり分かりません。おそるおそる声の方に近づいていきました。そして気づかれないように、雑木の間からのぞいてみました。すると、月明かりの下でひとつの家族が寄り添っているのが目に止まりました。年寄りと子供たちのようでした。うつむいた人たちの髪に雲間からもれてくる月が淡くさしています。 そしてすぐ側に銃を持った一人の兵隊が立っていました。米子は「どうするんだろう」と、息を殺して見ていました。長い沈黙をやぶったのは、群れの中の男性の悲壮な声でした。

「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

するとその日本兵はおもむろに家族の方に銃を構えました。腰には弾丸を詰めたベルトが重そうに巻かれています。銃身が月影に鈍く光ります。引き金に指をかけた時、一人の子が緊張に耐えられなくなったのか、突然わめき出しました。その瞬間、兵隊の指が引き金から離れました。泣き出した子どもは抱きしめている母親の両腕から抜け出ようと、もがきます。 母親も泣き声でさとしながら必死になって止めています。突然、この親子の姿を見ていたおばぁさんらしい人が、銃を向けていた兵を止めました。

「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

兵隊は間をおいて、銃を降ろしました。そして、その家族から目を背けるように、こちらを向きました。兵隊の姿をしていたのは、何と村役場の職員一人でした。>(『潮だまりの魚たち』クリエイティブ21刊、P149、150)

生きるか死ぬかの緊迫の瞬間。この家族の生死を分けた分岐点は「軍命令の有無」ではなく、その家族のリーダーの判断だった。

そのリーダーの判断に従った村役場職員は、銃の引き金から指を離した。

ところがこの哀れな村役場職員、別の壕で自決して果ててしまう

<息も絶え絶えに着いたところは産業組合の壕でした。 そこは村の三役などの避難所で、書類や食料なども保管されています。村で一番大きな防空壕でした。そこにはちょうど誰もいません。ほっとした疲れがどっと押し寄せてきて、米子の家族はいつの間にか深い眠りに落ちていきました。「新神里の家族は出てください。新神里の家族は出てください。ここは役場の家族が入ります。出てください」  何度もそう繰り返されて目が覚めました。 その声の主を見ると、先程、銃を構えていたあの役場の男の人でした。 当時の役場の職員といったら、とても怖い存在だったので、米子たちは何も言わずに、素直に従うしかありませんでした。(略)米子たちが出た後、役場職員の家族を中心に大勢の人たちが、その壕の「集団自決」をしたのです。生き残った者は一人もいませんでした。>(p151、152)

村役場の職員は軍人より怖い人が多かったという証言があるが、助役が腰には弾薬帯を巻いて三八銃を持ち歩いていたという証言と役場には常に2~3丁の三八銃があったという証言から、座間味島の助役が、渡嘉敷島の金城兄弟のような役割りで銃で自決の「手助け」をして回ったことも推測できる。

>「トー、ナマヤシガ(さー!今だよ)」

>「ナー、シムサ、シムサ(もう止めなさい、止めなさい)」

いずれもグループリーダーのとっさの判断である。

「軍命の有無」なんて彼らにとってはどうでもよかったのだ。

繰り返し述べよう。

野生の動物でも人間でも、グループのリーダーはパニックに瀕すると往々にして判断を過つ。

 

ここにもパニックで判断を誤った長老(リーダー)の悲しい話がある。

子供を殺し自分は生き残った長老と伯父。

金城重明氏は特殊な例ではなかったのだ。

慶良間島の集団自決には他にも数多くの「金城重明」がいたのだ。

ただ、彼らは「軍の命令」と責任転嫁することなく自分で贖罪の十字架を背負って生きた。

ここが、金城重明氏と他の「金城氏」との大きな違いである。

 整備中隊の壕 -3- (沖縄タイムス8月23日朝刊総合3面)
「父さんも来るんでしょ」
(40)子どものために伯父「自決」

 四月一日朝、座間味村阿護の浦に米軍の船団が近づいて来るのが見えた。「大変だ。速く逃げよう」。壕入り口に出ていた宮村文子(81)は、奥でひざを抱え一塊に座っている人々に呼び掛けた。
 伯父は「私は逃げない。やーん、死にぃー?(あんたも死ぬね)」。「いーいん、わんねぇ死なん(嫌だ、私は死なないよ)」。親にも家族にも会えずに、死ぬわけにはいかない。文子は即座に断った。

 一方の伯父は家族を失っていた。自らが手にかけた妻や二人の子の遺体は壕入り口に毛布を掛けて横たえられていた。伯父はポケットを探り、黒砂糖を取り出した。「これを食べて、お母さんに会いなさい。会ってから死ぬんだよ」と、文子に渡した。

 伯父は文子に「子どものためにも、自分はどうしても死ななければいけない」と話した。幼い息子に手をかけようとした時、「お父さんも来るんでしょ」と問い掛けられたのだという。伯父は「絶対に行くから」と安心させていた。伯父は子どもたちの遺体の場所を示し「僕が死んだら、そばに寝かせて」と言った。

 伯父はいつの間にか、壕の天井の丸太に掛けたひもを、自分の首に巻きつけていたようだった。文子を挟んで隣に座っていた老人にひもの先を押し付け、「おじー、へーくな、ひっぱてぃ、ひっぱてぃ(おじいさん、早くこの綱を引っ張ってください)」と懇願した。

 伯父が本当に死のうとしていることに文子は驚いた。「やるな、やるな」。老人を押し留めようと強くつねった。しかし返事をしなかった。

 暗闇の中、急に隣にいた伯父の体がパーッと上がっていく気配がした。「うっ、うっ、うっけけけけけ…」。うめき声が壕内に響いた。二、三分して声が途切れると、ひもが緩められたようで、伯父はドサリと地面にたたきつけられた。「なんで、そんなことするか」。文子が怒ると、ひもを引いた老人は「わんにん、なーふりむんなってぃよ、わきんわからんどぅやんどー(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

 文子らは壕を出て、ユヒナの浜へ急いだ。老人を急かすと、「わんねぇーふりむんなとぉくとぅ、あっちんしーうさんろー(頭がおかしくなって歩くこともできない)」。老人は苦しげにうめいた。=敬称略(編集委員・謝花直美

                      ◇

(私はもう頭がおかしくなっている。訳も分からないんだよ)」と、泣き続けた。老人も伯父同様に、妻や子どもたち、親族たちを手にかけていたのだった。

パニックで判断を誤り妻子や親族に手をかけ、なお且つ死に切れなかった人たち(別の「金城氏」)の心中は平和な時代に生きる我々の思慮の到底及ばない世界である。

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ひろゆき効果爆発!!高須克弥院長 辺野古基地で「誰もいないので座りこみしてあげた」

2022-12-13 04:23:39 | マスコミ批判
2022年12月13日(火)
高須克弥氏公式ツイッター(@Katsuyatakasu)から

高須克弥氏公式ツイッター(@Katsuyatakasu)から

 
 
 

【画像】高須クリニックの高須克弥先生、沖縄座り込み参加へwww

2022年12月12日 高須クリニックが話題になっています。それに関する情報、感想、画像などをまとめました

 

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