狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「援護法の解釈」厚生省に引き継がれた「特別のご高配」

2022-12-31 12:58:35 | ●●沖縄の黒歴史
 
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大弦小弦

[大弦小弦]「島守の塔」を見る

2022年8月15日 07:21

 公人を評価する軸は、業績か人柄か。公開中の映画「島守の塔」は、そんな問いを生む。沖縄戦に協力した島田叡知事と荒井退造警察部長の苦渋を描く

 ▼北部疎開という棄民政策を進め、学徒を戦場に送った2人の内務官僚は人格者だった。同様に、日本軍の牛島満司令官も「温厚篤実」と評された。では、牛島を「いい人」とたたえる映画は成立するか。人柄は責任を洗い流さない

 ▼映画化は荒井の地元栃木県の下野新聞社と、島田の地元兵庫県の神戸新聞社が呼びかけた。2人は郷土で「偉人」とも呼ばれる

 ▼製作委員会には沖縄タイムス社と琉球新報社も参加した。作品は沖縄の人々が身をもって知った「軍隊は住民を守らない」事実も伝えるが、全体の基調は「戦場に咲いたヒューマニズム」。結果、日本の加害、沖縄の被害という構図はぼやけた

 ▼監督は「沖縄戦を知るきっかけに」と話す。学ぶ目的を、考えてみる。お年寄りが、身を削るように体験を語ってくれた理由を。それは次の戦争を止めるためではなかったか。止めるためには、惨劇が起きた原因の解明が欠かせない

 ▼劇中、うそだらけの新聞発行を終えた記者が言う。「次に新聞を作る時は、戦争の事を、何が起きたかを、本当の事を、報道したい」。負の系譜の末端に連なる者として、責任のありかを問い続ける。阿部岳

 

GHQの東京裁判史観にからめとられた沖縄タイムスは、『鉄の暴風』が説く「残虐非道なに日本軍」というイデオロギーを脱皮できず、現在でも日本軍極悪説を主張し続けている。

中国の工作員と噂の高い阿部岳記者は、『鉄の暴風』の初版の「まえがき」に記載された「人道的な米軍」を今でも信じているのだろうか。

以下過去ブログの再掲です。

改訂版・沖縄戦、厚生省に引き継がれた「特別のご高配」(援護法の解釈)2019-08-23

沖縄の学童疎開船・対馬丸が米軍の魚雷を受け撃沈。8月22日で75周年になる。

今日23日の沖タイは一面トップを含む合計三面を使って大発狂である。

■一面トップ

対馬丸 鎮魂の祈り

撃沈75周年 慰霊祭に550人

■第二社会面トップ

幼い兄に平和誓う

島袋さん、自ら遺影を掲示

■社会面トップ

75年 癒えぬ悲しみ

「戦いは絶対許せない」

対馬丸慰霊祭 生存者ら継承誓う

沖縄戦対馬丸撃沈の記憶の継承という建前に異論はない。

だが、沖縄メディアが沖縄戦を語るとき、他県には見られない特徴がある。

あたかも沖縄戦は日本軍と沖縄住民の戦いだったかのような論調で「残虐非道な日本軍」を執拗に告発するのだ。

対馬丸を撃沈したのは米軍の潜水艦であり、日本軍ではない。

明らかに米軍による民間人虐殺だ。 沖縄タイムス編著『鉄の暴風』が説く「人道的米軍」とは対極のジェノサイドだ。

しかし、沖縄2紙が「対馬丸」を報じるときは加害者はあたかも日本軍であるかのような印象報道をする。

曰く「食糧難の当時、口減らしのため学童を強制疎開させた、そのため多くの犠牲者が出た」という印象操作だ。

「石油の一滴は血の一滴」と言われた石油不足の戦時中、戦火を避けるための疎開を悪意に満ちた歪曲報道で県民を煽るのが沖縄2紙の常道だ。

その一方で敵の米軍は、沖縄住民を解放するため沖縄戦に臨んだという印象報道。

沖縄国際大学名誉教授 石原昌家氏t

 沖縄の地上戦突入前、学童疎開は老幼婦女子の避難というより、(1)戦闘の邪魔にならないようにする(2)食料確保のための口減らし(3)明確に示されていないが次の戦闘員確保-という軍事的な戦略として行われた。背景に1937年、日中戦争の本格化の中で改正された軍機保護法がある

 

■援護法と歴史捏造

沖縄戦の真実を追究するといつも行く手に立ちふさがる大きな壁に行き当たる。

「援護法」のことだ。

本来軍人・軍属にしか適用できない同法を当時の厚生省が「拡大解釈」で無理やり沖縄の民間人に適用した。

その善意が逆に「残虐非道な日本軍」と言う神話を捏造した。 軍の命令による民間人の戦争被害は準軍属扱いで同法の適用可としたのだ。 「壕を追い出した」のも日本軍の命令であり、「食糧強奪」も日本軍の命令と政府は「指導」した。

その結果沖縄だけは民間人も援護法の適用を受けるという恩恵に浴した。 

「沖縄県民かく戦えり」で知られる大田海軍司令官が、「県民に対し後世特別のご高配を」と結んだ長い電文は沖縄県民の奮闘をを知る故に、沖縄に対する深い敬愛や同情もあってのことと思われる。

沖縄戦史が歪曲・捏造された原因が「援護法」の「拡大解釈」にあることは、少しでも援護法と沖縄戦の関係を知るものにとってはよく知られた事実である。

「援護法と歴史捏造」について触れた過去記事から選んで引用する。

           ★

「援護法」と「特段の配慮」のカラクリ

2008-06-06

 63年前の昭和20年6月6日。

大田実海軍少将は、沖縄県南部の海軍濠から長文の電文を海軍省に送った。

そして、その最後を次のように結んだ。

「太田中将 電文」の画像検索結果

<沖縄県民斯く戦えり。

県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを。>

打電を終え、大田実海軍少将はその一週間後、現場で自決する。

享年54歳。

なお現場の大田司令官が打電した相手の多田武雄海軍次官は終戦の8年後、62歳で没している。

沖縄戦の現場で県民と共に戦い、県民の蒙った惨状を見かねて戦後の県民の行く末までも心配して打電後自決した大田実少将。

この大田少将に対する県民の態度は冷たい。 

これも地元メディアの影響か。

戦後、日本軍批判の先鋒を担いだ『鉄の暴風』(沖縄タイムス刊)と言う言葉の原型は大田少将の「沖縄島は形状が変わるほど砲撃され草木の一本に至るまで焦土と化した」と言う電文に伺い見れる。

「鉄の暴風」で沖縄島の地形を変える程の焦土作戦を行こない無差別に住民を殺戮したのは米軍であることは間違いのない事実。

ところが何故か、戦後この言葉は日本軍人を糾弾するキーワードと化す。

県民は「鉄の暴風」の艦砲射撃で県民を爆撃した下手人の米兵の顔を直接見ていない。

米軍は沖縄住民を日本人から分断する占領方針から、沖縄住民には「優しく」対応するように努めていた。

沖縄住民は、やっと命が助かりほっとした時に、年寄りや子供に手を差し伸べる優しい米兵の顔だけしか見ていない。

艦砲射撃という「鉄の暴風」を吹き荒れさせ、住民を無差別殺戮し、学童輸送船を撃沈させた米兵のもう一つの酷薄な顔を見ていないのだ。

一方、沖縄県民を守れず、食料補給もままならず、痩せこけて、圧倒的物量の米軍の前に醜態を晒した敗残兵としての日本兵の顔を沖縄住民は現場で見ていた。

そしていつしか「鉄の暴風」を実行した米軍ではなく、そういう状況に沖縄住民を陥れた日本軍こそ敵、と言う理屈に一気に飛躍する。

食べ物をくれた米軍は解放軍。

「鉄の暴風」を防止できなかった日本軍は敵軍、という理不尽な論理だ。

その結果が、復帰後続く「物呉ゆしどぅ我御主」、「命どぅ宝」の伝説である。

県民と共に戦い、県民の行く末を案じつつ現場に散った大田司令官と海軍将兵の霊に、

合掌。

参考⇒県民かく戦えり! 大田実少将の遺言

                  *

「沖縄戦 援護法 集団自決」の画像検索結果

 

■厚生省に引き継がれた「特別のご高配」

大田少将の電文の遺言ともいえる「県民に対し、後世特別の御高配を賜らんことを」は、厚生省に引き継がれ、

「沖縄の特殊事情」或いは、「沖縄に特段の配慮を」

と形を変えて戦後の沖縄のいろんな場面に登場する。

意味は全く違うが、最近でもこんな例もある。

「沖縄に特段の配慮」 唯一県名挙げる 国民保護方針(2005.3.27)

                      ◇

■「特段の配慮」による「援護法」の民間適用■

大田少将の遺言は、厚生省の本来軍人対象の「援護法」を沖縄住民へ適用するという形で姿をあらわす。

日本政府は「1952年(昭和27年)6月、米軍占領下の沖縄に政府出先機関である南方連絡事務所を設置する。 今でいえば沖縄開発庁の先駆けのようのものである。

そして教職員組合と遺族会の強力な後押しによって、琉球政府でも翌53年4月に援護課を設け、援護法と恩給法に基づく復員処理事務に着手することになる。 

54年には琉球政府職員照屋昇雄さんが援護課に異動配属となっている。

慶良間島の「集団自決」に関しても、村役場の総務課が地元の窓口となり、総務課長の宮村幸延氏が「援護法」の住民への適用のため奔走する。

「援護法」は講和条約発効直後の1952年7月に制定されたが、沖縄には1年遅れて適用が制定された。

■「軍命」の持つ意味の変化■

「集団自決」は、1952年(昭和27年)前後から、その持つ意味に変化が起き始める。

「集団自決」が軍命令であるという記述は1950年(昭和25年)に発刊された『鉄の暴風』に見られるが、

それまでの「軍命」は、「援護法」のための口裏あわせというより、親族や縁者を手にかけた生存者が、遺族の糾弾や贖罪意識を逃れる為、「軍命でやむを得なかった」という言い訳のための「軍命」だった。

つまり生き残った者が、死んだ相手や世間に対して言い訳するための「軍命」であった。

少なくとも、当時の座間味村助役の山城安次郎氏が、「渡嘉敷島の赤松の暴状」を訴えて沖縄タイムス大田記者の取材を受けた昭和25年前後には、

「集団自決」の「軍命」は援護法のためというより、むしろ死者へ対する贖罪意識のために必要だった。

ところが、琉球政府援護課や村役場の担当課が、厚生省援護課と交渉していく過程で「集団自決」の「軍命」は別の意味を持つようになる。

元来「援護法」は「復員処理」の目的があり、対象者は戦地での戦死者か外地からの引揚げ者で、しかも対象は軍人・軍属と限られていた。

そこで琉球政府援護課と村役場が、地上戦が行われ戦場となった沖縄に「特別の配慮」をするようにとの運動を展開する。

だがこれには問題が生じてきた。

たとえば、本土の場合、東京空襲や広島、長崎の原爆で死亡した一般市民の場合は援護法の対象にもならず、沖縄の一般住民に「特別の配慮」をした場合の齟齬が問題になったのだ。

日本政府は「政令」を連発するという非常手段でこれを乗り切った。

政令とは、行政府の命令のひとつで内閣が制定する成文法のことで、行政機関が制定する成文法である命令の中では優劣関係で最も高い位置づけになる。

日本政府は復員事務を処理する必要から、沖縄本島を中心とする南西諸島は政令で「戦地」と認定した。

元々軍人・軍属を対象にした「援護法」を沖縄の民間人に適用させるために政令を連発したが、それでも足りない場合は「援護法」の拡大解釈を行った。

一例を挙げると、地理に不案内な軍に道案内をした場合でも、結果的にその住民が戦死しておれば、「軍命」とされ「準軍属」扱いで遺族は年金の対象になった。

軍の命令というお墨付きが付けば「集団自決」は勿論のこと、他にも「食料供出」や「漁労勤務」という名目でも「準軍属」扱いとなった。

かくして、1983年には軍の命令が理解されるとは思われない0歳児から6歳までの幼児も「準軍属」扱いとされるようになる。

 ■宮村幸延総務課長の奔走■

座間味島の助役で、事実上「集団自決」を命令したとされる宮里盛秀氏の弟で、戦後村の総務課長として「援護法」の適用に奔走した宮村幸延氏は、この0歳児以下の適用に功績があったとして村で表彰されている。

ちなみに宮村氏は梅澤元隊長に「侘び状」を書いていながら「酔わされて書いた」として前言を翻した人物である。

また、昨年の法廷尋問のわずか一ヶ月前に証言して、宮城晴美氏の考えを変えた宮平春子氏は宮里盛秀、宮村幸延両氏の妹である。

「集団自決」に「軍命があった」ということは「事実の如何」を問わず、戦後の村にとっては、どうしても押し通せねばならぬ真実を超越した、必要欠くべからざる「証言」であった。

宮平春子氏の証言「動画」
⇒ 『日本軍の強制による集団自決 はあった!』証言2.3.4

 

■本土と沖縄の齟齬■

本土の場合、東京空襲や広島、長崎の原爆で死亡した一般市民の場合は援護法の対象にもならなかった。

一方、沖縄の一般住民は「特別の配慮」で援護法の対象になった。

静岡県浜松市在住の上原宏日本戦災遺族会理事長は、本土における一般戦災者に補償がない点を、

沖縄タイムスの取材に答えて次のように語っている。

[戦闘参加者とは誰か](18) 
日本戦災遺族会 
一般戦災者に補償なし 
被害の規模が実現阻む

太平洋戦争で、日本の各都市が空襲に襲われ、一般被災者約五十万人が犠牲になったとされる。その補償を求めて、一九六六年に「全国戦災死没者遺族会連合会」が結成された。七七年には「日本戦災遺族会」と名称を変更、事務局を東京都千代田区に置き、現在全国二十地域に約二千人の会員がいる。 
 理事長の上原宏さん(84)=静岡県浜松市=は、浜松市戦災遺族会の会長を務める。 
 浜松市は、多数の軍需工場や軍施設が集中していたため、米軍の空襲が反復して行われ、約三千五百人もの死者が出た。上原さんは、この空襲で女学校二年生だった妹を自宅の防空壕で亡くしている。「空襲は、非戦闘員を狙った消滅作戦だった」と憤る。 
 一般被災者の場合、戦時中は「戦時災害保護法」で、住宅焼失は三百五十円、負傷は治療全額補償がなされていた。ところが、戦後、一般被災者への補償はなされていない。日本の戦災補償は、軍人軍属を補償した援護法が軸になってきたからだ。 
 援護法は、国との雇用関係が前提。しかし、法運用の中で、対象の「軍人軍属」の枠は次第に拡大されてきた。五八年に沖縄戦の「戦闘参加者」、全国でも五九年「学徒動員」、六三年「内地勤務軍属」、六九年「防空監視隊員」など。 
 そうした流れから、上原さんは「最後に残ったのが一般戦災者だ」と強調する。「現状は、けがの状態から、障害福祉年金などを受けている。しかし、それはけが人としての補償である。戦争による同じ『死』でも、差があるのは納得いかない」 
 また、上原さんは「私は一般被災者は約八十万人とみている。空襲時の戦死だけでなく、その後に戦病死、戦傷死が続いたからだ」と指摘する。この一般被災者の被害の多さが、補償が実現しない要因でもある。 
 連合会の前身「全国戦災死没者遺族会連合会」の時代、戦災各都市での慰霊行事への国費支出、弔慰金支給を国会と自民党に要望した。しかし一般被災者への弔慰金支給は実現していない。 
 連合会が七七年に社団法人化した時に、一般戦災者の戦災実態の調査研究、慰霊行事や慰霊碑の管理などを主に掲げ、補償要求は掲げることはなかった。 
 届かない補償要求。上原さんらが、力を入れているのは、戦争体験の継承だ。自らも、満州(中国東北部)、フィリピンの従軍、マニラへ向かう途中撃沈され、仲間を失った体験を「語り部」として小学生に話してきた。「遺族は高齢化し、消えていく。私たちの体験を伝えるために、会員それぞれが語り部活動をやっている」 
 一方で、「浜松空襲で亡くなった妹のことはつらくて話せない」という。遺族が向かい合う悲しみは戦後六十年たっても、何も変わらない。「遺族は本当は、補償をしてほしい。戦後六十年の節目に、扶助と慰霊を同時にしてほしいんです」と訴える。(社会部・謝花直美)(2005年3月26日 沖縄タイムス)

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★続・沖縄戦での米兵の蛮行、『鉄の暴風』と米軍の呪縛続・

2022-12-31 09:11:15 | 資料保管庫

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続・『鉄の暴風』と米軍の呪縛2008-08-28

米民政府の職員で新聞記者としては素人同然だった太田良博氏が、沖縄タイムスに呼ばれて『鉄の暴風』の執筆を始めた。

『鉄の暴風』と米軍の呪縛


 では、素人同然の太田記者に『鉄の暴風』に執筆という重責を委ねた沖縄タイムス社が、交通も通信もままならぬ当時の沖縄で、現在の新聞社のような機動力をもって短期間で「体験者」を集めることが出来たのか。
  当時の沖縄では、交通・通信等の手段を独占していた米軍の強力な支援なくして、沖縄タイムスが情報源を確保することは考えられないことである。

 昭和24年当時は民間人が沖縄全島を自由に通行することが許可されてからまだ2年しか経っておらず(昭和22年 3月22日許可)、何よりも、住民の足となる日本製トラックが輸入されるようになるのが、その年(昭和24年)の12月17日からである。

 住民の交通事情をを考えても、その当時米軍の支援なくしての『鉄の暴風』の取材、そして執筆は不可能である。

 太田氏が取材を始めた昭和24年頃の沖縄タイムスは、国道58号から泊高橋を首里城に向かって伸びる「又吉通り」の崇元寺の向かい辺りにあった。

 その頃の那覇の状況といえば、勿論又吉通りは舗装はされておらず、通行する車両といえば米軍車両がホコリを撒き散らして通るくらいで、沖縄タイムス社向かいの崇元寺の裏手から首里方面に向かう高台には、まだ米軍の戦車の残骸が放置されているような有様であった。

 太田記者はドキュメンタリー作品の基本である取材に関しては、何の苦労もすることもなく、米軍筋を通してでかき集められた「情報提供者」達を取材し、想像で味付けして書きまくればよかったのだ。

 「取材」は沖縄タイムスの創刊にも関わった座安盛徳氏(後に琉球放送社長)が、米軍とのコネを利用して、国際通りの国映館の近くの旅館に「情報提供者」を集め、太田氏はそれをまとめて取材したと述べている。
  三ヶ月という短期間の取材で『鉄の暴風』を書くことができたという太田氏の話も納得できる話である。

 余談だが座安氏が「情報提供者」を集めたといわれる旅館は、当時国映館近くの浮島通りにあった「浮島ホテル」ではないかと想像される。 
 その後同ホテルは廃業したが、通りにその名前を残すほど当時としては大きなホテルで、米軍の協力で座安氏が「情報提供者」を全島から集められるほど大きな「旅館」は、当時では同ホテルを除いては考えにくい。国映館は今はないが、太田記者が取材した昭和24年にも未だ開業しておらず、後に世界館として開業し、国映館と名を変えた洋画専門館である。

 
 このように太田記者の経験、取材手段そして沖縄タイムス創立の経緯や、当時の米軍の沖縄統治の施策を考えると『鉄の暴風』は、米軍が沖縄を永久占領下に置くために、日本軍の「悪逆非道」を沖縄人に広報するため、戦記の形を借りたプロパガンダ本だということが出来る。 当時の沖縄は慶良間上陸と同時に発布された「ニミッツ布告」の強力な呪縛の下にあり、『鉄の暴風』の初版本には米軍のヒューマニズムを賛美する「前書き」があったり(現在は削除)、脱稿した原稿は英語に翻訳され、米軍当局やGHQのマッカーサーにも提出され検閲を仰いでいた。
  『鉄の暴風』を書いた太田記者の取材源は、「社」が集め、「社」(沖縄タイムス)のバックには米軍の強大な機動力と情報網があった。

 ちなみに民間人の足として「沖縄バス」と「協同バス」が運行を開始するのは翌年、『鉄の暴風』が発刊された昭和25年 の4月1日 からである。

 『鉄の暴風』の出版意図を探る意味で、昭和25年8月に朝日新聞より発刊された初版本の「前書き」の一部を引用しておく。

なお、この動乱を通じ、われわれ沖縄人として、おそらく終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と民族を超えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられ、更正第一歩踏み出すことができたことを特記しておきたい

 米軍のプロパガンダとして発刊されたと考えれば、『鉄の暴風』が終始「米軍は人道的」で「日本軍は残虐」だという論調で貫かれていることも理解できる。

 実際、沖縄戦において米軍は人道的であったのか。

 彼らの「非人道的行為」は勝者の特権として報道される事はなく、すくなくとも敗者の目に触れることはない。

 ところが、アメリカ人ヘレン・ミアーズが書いた『アメリカの鏡・日本』は、米軍の沖縄戦での残虐行為に触れている。

 その一方、米軍に攻撃された沖縄人によって書かれた『鉄の暴風』が米軍の人道性を褒め称えている事実に、この本の欺瞞性がことさら目立ってくる。

沖縄戦で米軍兵士が犯した残虐行為をアメリカ人ヘレン・ミアーズが同書の中で次のように記述している。

戦争は非人間的状況である。自分の命を守るために戦っているものに対して、文明人らしく振る舞え、とは誰もいえない。ほとんどのアメリカ人が沖縄の戦闘をニュース映画で見ていると思うが、あそこでは、火炎放射器で武装し、おびえきった若い米兵が、日本兵のあとに続いて洞窟から飛び出してくる住民を火だるまにしていた。あの若い米兵たちは残忍だったのか? もちろん、そうではない。自分で選んだわけでもない非人間的状況に投げ込まれ、そこから生きて出られるかどうかわからない中で、おびえきっている人間なのである。戦闘状態における個々の「残虐行為」を語るのは、問題の本質を見失わせ、戦争の根本原因を見えなくするという意味で悪である。結局それが残虐行為を避けがたいものにしているのだ。≫(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」

『鉄の暴風』が発刊される二年前、昭和23年に『アメリカの鏡・日本』は出版された。

著者のヘレン・ミアーズは日本や支那での滞在経験のある東洋学の研究者。

昭和21年、GHQに設置された労働局諮問委員会のメンバーとして来日し、労働基本法の策定に参加。アメリカに帰国した後、同書を書き上げた。

だが、占領下の日本では、GHQにより同書の日本語の翻訳出版が禁止され、占領が終了した1953(昭和28)年になって、ようやく出版されることとなった。

沖縄人を攻撃したアメリカ人が書いた本がアメリカ軍に発禁され、

攻撃された沖縄人が書いた『鉄の暴風』がアメリカ軍の推薦を受ける。

これは歴史の皮肉である。

 

【ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」の内容】

日本軍による真珠湾攻撃以来、我々アメリカ人は、日本人は近代以前から好戦的民族なのだと信じこまされた。しかし、前近代までの日本の歴史を振り返ると、同時代のどの欧米諸国と比較しても平和主義的な国家であったといえる。開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、国際社会において欧米先進国の行動に倣い、「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだった。

以後の好戦的、侵略的とも見える日本の行動は、我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された鏡といえるものであり、東京裁判などで日本の軍事行動を裁けるほど、アメリカを始め連合国は潔白でも公正でもない。また日本が、大戦中に掲げた大東亜共栄圏構想は「法的擬制」(本書中にしばしば登場する言葉で、「見せかけ」、「建て前」と類義)であるが、アメリカのモンロー主義同様、そのような法的擬制は「西洋の原則」として広く認められていた。さらに戦前・戦中においては、国際政治問題は「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが問題とされていたのであり、戦後になって韓国併合や満州事変も含め、道義的責任を追及する事は偽善である。

実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、自国の「合法性」を主張する言葉でのみ日本を非難し続けるのは不毛であるとする。

 

 


 では、素人同然の太田記者に『鉄の暴風』に執筆という重責を委ねた沖縄タイムス社が、交通も通信もままならぬ当時の沖縄で、現在の新聞社のような機動力をもって短期間で「体験者」を集めることが出来たのか。
  当時の沖縄では、交通・通信等の手段を独占していた米軍の強大な力なくして、沖縄タイムスが情報源を確保することは考えられないことである。

 昭和24年当時は民間人が沖縄全島を自由に通行することが許可されてからまだ2年しか経っておらず(昭和22年 3月22日許可)、何よりも、住民の足となる日本製トラックが輸入されるようになるのが、その年(昭和24年)の12月17日からである。

 住民の交通事情をを考えても、その当時米軍の支援なくしての『鉄の暴風』の取材、そして執筆は不可能である。

 太田氏が取材を始めた昭和24年頃の沖縄タイムスは、国道58号から泊高橋を首里城に向かって伸びる「又吉通り」の崇元寺の向かい辺りにあった。

 その頃の那覇の状況といえば、勿論又吉通りは舗装はされておらず、通行する車両といえば米軍車両がホコリを撒き散らして通るくらいで、沖縄タイムス社向かいの崇元寺の裏手から首里方面に向かう高台には、まだ米軍の戦車の残骸が放置されているような有様であった。

 太田記者はドキュメンタリー作品の基本である取材に関しては、何の苦労もすることもなく、米軍筋を通してでかき集められた「情報提供者」達を取材し、想像で味付けして書きまくればよかったのだ。

 「取材」は沖縄タイムスの創刊にも関わった座安盛徳氏(後に琉球放送社長)が、米軍とのコネを利用して、国際通りの国映館の近くの旅館に「情報提供者」を集め、太田氏はそれをまとめて取材したと述べている。
  三ヶ月という短期間の取材で『鉄の暴風』を書くことができたという太田氏の話も納得できる話である。

 余談だが座安氏が「情報提供者」を集めたといわれる旅館は、当時国映館近くの浮島通りにあった「浮島ホテル」ではないかと想像される。 
 その後同ホテルは廃業したが、通りにその名前を残すほど当時としては大きなホテルで、米軍の協力で座安氏が「情報提供者」を全島から集められるほど大きな「旅館」は、当時では同ホテルを除いては考えにくい。国映館は今はないが、太田記者が取材した昭和24年にも未だ開業しておらず、後に世界館として開業し、国映館と名を変えた洋画専門館である。

 
 このように太田記者の経験、取材手段そして沖縄タイムス創立の経緯や、当時の米軍の沖縄統治の施策を考えると『鉄の暴風』は、米軍が沖縄を永久占領下に置くために、日本軍の「悪逆非道」を沖縄人に広報するため、戦記の形を借りたプロパガンダ本だということが出来る。 当時の沖縄は慶良間上陸と同時に発布された「ニミッツ布告」の強力な呪縛の下にあり、『鉄の暴風』の初版本には米軍のヒューマニズムを賛美する「前書き」があったり(現在は削除)、脱稿した原稿は英語に翻訳され、米軍当局やGHQのマッカーサーにも提出され検閲を仰いでいた。
  『鉄の暴風』を書いた太田記者の取材源は、「社」が集め、「社」(沖縄タイムス)のバックには米軍の強大な機動力と情報網があった。

 ちなみに民間人の足として「沖縄バス」と「協同バス」が運行を開始するのは翌年、『鉄の暴風』が発刊された昭和25年 の4月1日 からである。

 『鉄の暴風』の出版意図を探る意味で、昭和25年8月に朝日新聞より発刊された初版本の「前書き」の一部を引用しておく。

なお、この動乱を通じ、われわれ沖縄人として、おそらく終生忘れることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。国境と民族を超えた彼らの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられ、更正第一歩踏み出すことができたことを特記しておきたい

 米軍のプロパガンダとして発刊されたと考えれば、『鉄の暴風』が終始「米軍は人道的」で「日本軍は残虐」だという論調で貫かれていることも理解できる。

 実際、沖縄戦において米軍は人道的であったのか。

 彼らの「非人道的行為」は勝者の特権として報道される事はなく、すくなくとも敗者の目に触れることはない。

 ところが、アメリカ人ヘレン・ミアーズが書いた『アメリカの鏡・日本』は、米軍の沖縄戦での残虐行為に触れている。

 その一方、米軍に攻撃された沖縄人によって書かれた『鉄の暴風』が米軍の人道性を褒め称えている事実に、この本の欺瞞性がことさら目立ってくる。

沖縄戦で米軍兵士が犯した残虐行為をアメリカ人ヘレン・ミアーズが同書の中で次のように記述している。

≪戦争は非人間的状況である。自分の命を守るために戦っているものに対して、文明人らしく振る舞え、とは誰もいえない。ほとんどのアメリカ人が沖縄の戦闘をニュース映画で見ていると思うが、あそこでは、火炎放射器で武装し、おびえきった若い米兵が、日本兵のあとに続いて洞窟から飛び出してくる住民を火だるまにしていた。あの若い米兵たちは残忍だったのか? もちろん、そうではない。自分で選んだわけでもない非人間的状況に投げ込まれ、そこから生きて出られるかどうかわからない中で、おびえきっている人間なのである。戦闘状態における個々の「残虐行為」を語るのは、問題の本質を見失わせ、戦争の根本原因を見えなくするという意味で悪である。結局それが残虐行為を避けがたいものにしているのだ。≫(ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」)

『鉄の暴風』が発刊される二年前、昭和23年に『アメリカの鏡・日本』は出版された。

著者のヘレン・ミアーズは日本や支那での滞在経験のある東洋学の研究者。

昭和21年、GHQに設置された労働局諮問委員会のメンバーとして来日し、労働基本法の策定に参加。アメリカに帰国した後、同書を書き上げた。

だが、占領下の日本では、GHQにより同書の日本語の翻訳出版が禁止され、占領が終了した1953(昭和28)年になって、ようやく出版されることとなった。

沖縄人を攻撃したアメリカ人が書いた本がアメリカ軍に発禁され、

攻撃された沖縄人が書いた『鉄の暴風』がアメリカ軍の推薦を受ける。

これは歴史の皮肉である。

【ヘレン・ミアーズ著「アメリカの鏡・日本」の内容】

日本軍による真珠湾攻撃以来、我々アメリカ人は、日本人は近代以前から好戦的民族なのだと信じこまされた。しかし、前近代までの日本の歴史を振り返ると、同時代のどの欧米諸国と比較しても平和主義的な国家であったといえる。開国後、近代化を成し遂げる過程で日本は、国際社会において欧米先進国の行動に倣い、「西洋の原則」を忠実に守るよう「教育」されてきたのであり、その結果、帝国主義国家に変貌するのは当然の成り行きだった。

以後の好戦的、侵略的とも見える日本の行動は、我々欧米諸国自身の行動、姿が映し出された鏡といえるものであり、東京裁判などで日本の軍事行動を裁けるほど、アメリカを始め連合国は潔白でも公正でもない。また日本が、大戦中に掲げた大東亜共栄圏構想は「法的擬制」(本書中にしばしば登場する言葉で、「見せかけ」、「建て前」と類義)であるが、アメリカのモンロー主義同様、そのような法的擬制は「西洋の原則」として広く認められていた。さらに戦前・戦中においては、国際政治問題は「道義的」かどうかではなく「合法的」かどうかが問題とされていたのであり、戦後になって韓国併合満州事変も含め、道義的責任を追及する事は偽善である。

実際に戦前・戦中の段階で、日本の政策に対して人道的懸念を公式表明した国は皆無であり、自国の「合法性」を主張する言葉でのみ日本を非難し続けるのは不毛であるとする。

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コメント (4)

ひろゆきの言う通りかもしれません。沖縄で世論誘導するマスコミの偏向報道。止めるには●●しかありません【ホリエモン,辺野古埋め立て『承認撤回』 最高裁判決に市民らが抗議 “敗訴”の判決による今後の影響は

2022-12-31 00:34:18 | 外交・安全保障
 

 

辺野古埋め立て『承認撤回』 最高裁判決に市民らが抗議 “敗訴”の判決による今後の影響は

 

【大問題】ひろゆきの言う通りかもしれません。沖縄で世論誘導するマスコミの偏向報道。止めるには●●しかありません【ホリエモン,堀江

 

2022年12月29日

 

ホリエモン、自身の餃子店をディスられ怒り爆発『味を研究したと思えない“普通の餃子”』に「なんなの、お前?」

1 名前:muffin ★2022/12/29(木) 16:33:22.18ID:922diTdW9
画像12022年12月29日 16:06

堀江貴文氏(50)が29日までに自身のYouTubeチャンネルを更新。ユーチューバー・ヒカル(31)とタッグを組んだ東京・渋谷の餃子店「近未来餃子H」への“ディスリ”コメントに怒りをぶつける場面があった。

堀江氏は今年6月、ヒカルのYouTubeチャンネルにゲスト出演した際、20年に訪問した餃子店で、マスク着用を巡り定員と口論になり“炎上”した件を振り返った。「俺は本当に餃子が好きでさ。それで探して行ったら、めちゃ塩対応されてさ。超寂しいのよ」と語ると、ヒカルが「餃子やりましょうよ!マスク付けちゃいけない餃子屋ってどうですか?」と提案。この動画から約半年たち、餃子店をオープンした。

堀江氏は「そしたらね、なんかよく知らないヤツがディスリコメントを書いててさ。なんなの、お前って思ってさ」と眉をひそめる。「“餃子の皮と具の味を研究したとは思えない。“普通の餃子だった”とか言ってて。いや、だから普通にうまい餃子を作ってるのであってね。“こだわりの北海道産の小麦粉を使いました”とか、そんなのどうでもいいんだよ!」と、怒りをにじませていた。


https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2022/12/29/kiji/20221229s00041000316000c.html
96: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:50:01.73 ID:VfHYFTda0
>>1
野菜無しの餃子か 肉団子みたいだな

202: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:09:23.54 ID:x7SWf2hL0
>>1
すぐにむきになる小さな人間だから
からかわれてるだけでしょ

2: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:34:06.90 ID:HhFNd+U10
まあ野菜食って落ち着け

6: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:35:32.47 ID:CU0uad9K0
マスクしないで押し掛けよう

10: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:35:56.49 ID:8cHJj2JF0
>>6
そういうコンセプトの店だろ

30: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:39:33.47 ID:Q/t0EX980
野菜入りなら美味しそう

35: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:39:44.94 ID:rcY0Dnd90
怒りっぽいなら野菜を食べるのがいいかも

何事もバランスだし

4: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:35:00.02 ID:iA7zVuYB0
(本当は怒っていません)

37: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:39:48.89 ID:WN+UnK/P0
金持ち気取ってるのにいつも貧乏人と争ってるのが草

40: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:40:19.67 ID:ta6NqO9O0
ホリエモンも承認欲求のかたまりか

42: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:40:35.14 ID:8SzMptfh0
分かってるよ堀江
ここで切れて餃子店流行らせたいんだろ?
よく分かるよ堀江

70: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:45:59.33 ID:iObotKQ/0
プロレスかと思うほど過去の自分の発言が効いてるな
この界隈話題づくりならなんでもするからなあ

214: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:10:59.41 ID:gQP7Wbmh0
餃子界の因果応報

210: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:09:56.95 ID:eSlOl/S90
♪ブーメラン ブーメラン ブーメラン ブーメラン

87: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:49:04.19 ID:p8YfIUSi0
意味が解らん
自分で普通の餃子作ってるって言ってんだから
怒るとこでもディスられでも無いじゃん

コンセプト通りだなで良いじゃん
ホントコイツ頭沸いてるわ

99: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:50:08.30 ID:M9oZIo7s0
普通の味目指したというなら
評価者のレビューは正しいんじゃね?

110: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:51:20.50 ID:S4W/bvbS0
>>99
じゃあキレる必用ないなw

160: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:00:28.56 ID:cgeTeqbG0
餃子みたいな食べ物で肉汁したたるようなのが好きなら素直に小籠包あたり食っといたらいいよ

182: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:04:41.84 ID:ik4e8uKi0
普通の餃子か
じゃあ王将でいいや

185: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:05:13.16 ID:Zzi7L8b10
餃子の王将以上なんか、それ以下なのかが重要
餃子の王将でええやんてなる

126: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:53:46.07 ID:c2gWJVew0
変な店の名前
なに近未来餃子Hって

25: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:38:36.47 ID:IpmHXr6D0
自分は他人の餃子屋をファンネルに叩かせたくせに自分の餃子屋をディスられるのは許さないのか
なんだこいつ

26: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:39:09.74 ID:zJbvMN960
絶賛以外認めないなら向いてないよ

27: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:39:10.68 ID:cgeTeqbG0
ワンコインの和牛餃子
これで大ヒット間違いなしでっせ

63: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:44:53.89 ID:DBohTzQ90
普通に美味しい餃子の店をわざわざホリエとヒカルで出す理由とは

76: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:47:42.57 ID:BVjrfxyy0
普通の店専門店ぽく開いたって事か

77: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:48:00.80 ID:HaK40Fc30
客が感想を言ってはいけない飯屋って画期的やな。

81: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:48:32.29 ID:N9u0A8j40
飲食店なら食レポされて当然だろ

103: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:50:37.28 ID:CcBm9hDH0
ジジイはどうでもいいことですぐヒスるよな
炎上商法やろ

113: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:51:54.88 ID:IwIjOe6q0
怒り芸にシフト中なのか?

114: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:51:59.99 ID:5Bd6Q7QE0
どうしてもパッケージプロデュースで成功したいのだろうな
もうそれ無理だからと誰か教えてやれよ、あと名前出した時点でマイナスだよと

213: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 17:10:12.32 ID:CyI5H3Ws0
別にブチ切れとかじゃなくてホリエモンは普通に面白い話をしてるだけじゃんこれ

118: 名無しさん@恐縮です 2022/12/29(木) 16:52:45.85 ID:siw+9jax0
イーロンマスクは宇宙に行く

ホリエモンは餃子を焼く

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元スレ: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1672299202/
 
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