具体策なき「専守防衛」を説く左派紙、
絶対固持論で横並び
仏教では「抑止」を「おくし」と読み、「仏が衆生が犯しそうな悪をあらかじめ抑える」教えをいう(『世界宗教用語大事典』)。仏様も「悪をあらかじめ抑える」ことを認めておられるわけだ。だから抑止力として反撃能力(敵基地攻撃能力)を保有しても一向に差し支えない。公明党がそう判断したのか知らないが、自民、公明両党は先週、反撃能力の保有を認めることで合意した。
これはロシアのウクライナ軍事侵略から得た教訓でもある。「普段から戦闘力、特に攻撃力を強化しなければ、自国は守れない」(外交評論家、宮家邦彦氏)、「攻撃されたら反撃すると宣言し、相手に攻撃を思いとどまらせる程度の相当の規模の反撃力を保持すること」(東大名誉教授、北岡伸一氏)。この教訓を生かすなら反撃能力保有は当然の帰結だ。
だが、朝日と毎日、東京の左派紙はイチャモンを付けている。「専守防衛の空洞化は許せぬ」(朝日2日付)「専守防衛の形骸化を招く」(毎日3日付)「専守防衛の形骸化憂う」(東京3日付、いずれも社説)。見事な横並びの「専守防衛」絶対固持論である。
「決め手」撤回を歓迎
それほどまでに専守防衛にこだわるなら、専守防衛における「防衛」の具体策について一言ぐらいあってもよさそうなものである。例えば今秋、北朝鮮のミサイル発射が連続した際、全国瞬時警報システム(Jアラート)に不備が生じた。これを左派紙は政府の不作為となじり、「改善」を唱えたが、肝心の「逃げて身を守る」方策には無言だった。
専守防衛の例としてカタツムリやカメの生態が挙げられることがある。危険が生じた時、固い殻の中に身を隠して自らの安全を守るさまが専守防衛というわけだが、それになぞらえるならJアラートだけでなく「殻」(シェルター)が必要だと主張すべきだが、まったく触れなかった。
また専守防衛の“決め手”として飛来したミサイルを撃ち落とすミサイル防衛網の新型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」(SM3ブロック2A搭載)配備計画があった。これを北と西に2基配置すれば、全国を24時間365日防護でき、「弾道ミサイル攻撃を断念させる抑止力が大きく向上し、攻撃の危険性が大幅に減少。弾道ミサイル攻撃を受けても、国民の生命及び財産を守り抜くことができる」(防衛省)とされた。
左派紙が専守防衛を金科玉条とするなら、もろ手を挙げて賛成すべきだが、そうはしなかった。政府は2020年6月にブースター(推進装置)の落下制御が困難などとして計画を撤回すると、左派紙はこれを“歓迎”した。
中国は極超音速滑空ミサイルを配備し、北朝鮮はミサイルを多方向から一斉発射する能力を持つようになり、ミサイル迎撃は一層困難になっている。核ミサイルなら何万人もの国民の命が失われる。撃ち落とせないなら、打ち上げ時に潰(つぶ)す策を講じねばならない。そこから反撃能力の保有が必要になり今回、その道を開こうとしている。それにもかかわらず、朝日を筆頭に左派紙は猛反対しているのだ。
抽象論に逃げる朝日
ならばどうするのか。朝日は11月24日付に「『国を守る』を考える 『国民第一』に総合力を磨け」と題する特大社説(通常2本のところを1本)を掲げ、「防衛力だけでなく、経済力、外交力、情報力、科学技術力、自国の価値観や文化によって相手を味方につけるソフトパワー……。それぞれの特質を踏まえた、調和のとれた総合力の涵養(かんよう)をめざすべきだ」と説いた。防衛力の中身について言葉を濁し、「国民第一」という抽象論に逃げているのだ。
専守防衛を空洞化させるなと言いつつ、専守防衛すら空洞化させる。これは専守防衛という名の丸裸論、形を変えた非武装論である。戦後いったい何度こんな観念的非武装論を聞かされてきたことか。仏の顔も三度までという。朝日の詭弁(きべん)的「専守防衛」論にとどめを刺す時だ。
(増 記代司)