狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

★読者の皆さまへ★

2022-07-30 19:26:10 | 歴史

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読者の皆様へ

昨年来、沖縄タイムス編著『鉄の暴風』による歪められた沖縄戦の歴史を是正すべく、「慶良間島集団自決」を中心に長年当ブログで書き綴ってきた記事をまとめて出版する予定でした。 ところが思わぬ難問が続出して出版の足を引っ張りました。 

まず昨年末から今年の初めにかけて、思わぬ腰痛を患い寝たきり状態を余儀なくされました。 そのため、ブログを休載したり、今まで経験したことのないコロナ禍、ウクライナ戦争で思考が乱れ、加えて安倍元首相の暗殺というショッキングな事件で右往左往し、脱稿が遅れてしまいました。

最後のそして最大の難関が出版費用の問題です。

出版不況の折、すでに忘れ去られた感のある「沖縄集団自決」という地味な問題の出版に興味を示す出版社が無いという現実です。

 

■出版費用の献金のご協力願い

しかしながら、沖縄タイムスが、梅澤、赤松両隊長の名誉を傷つけ、同時に旧日本軍を「残虐非道」と決めつける反日史観に対し、万難を排し已むに已まれぬ思いで立ち向かう決意です。

出版の目的の詳細は下記引用の「前書き」(※)に、説明してあります。

皆様の献金ご協力を伏してお願い申し上げます。

献金額の多寡は問いませんが、一口1000円以上にして頂けると幸いです。

まことに勝手なお願いですが、宜しくお願いいたします。

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江崎 孝

お振込先

  • 金融機関:ゆうちょ銀行
  • 名義:江崎 孝
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※「前書き」に続き、週一回の割りで本文の一部を抜粋、紹介して、皆様のご理解に供したいと思います。

沖縄集団自決「軍命」の大嘘!

『歪められた神話の墓標』

『鉄の暴風』の著者は「見てきたような嘘をつく講談師」だった!
 
 
 
前書き
➀「軍命と援護法のカラクリ」
➁大江岩波裁判の本質
③43年ぶりに県史発刊
■日本兵と米兵を故意に入れ替える悪質な歴史捏造
安仁屋教授の歴史捏造■
④県発行の「援護金支給の裏手引き書」
 
【前書き】
 
集団自決論争に屋上屋を架す理由
 
今年は沖縄の祖国復帰50周年の節目の年である。
沖縄戦の体験者は次々と鬼籍に入り、活字として残された記録が検証されることなく真実として流布されていく。
 昭和という戦争の時代は、遠い昔話であり、沖縄戦以前に生まれた「戦前世代」の県内人口が今年末までに、沖縄県内総人口の1割を切ると予想される。
 
本書執筆中、7月24日付沖縄タイムスは「金城重明さん死去 93歳 元キリスト教短大学長 平和活動に尽力」との見出しで集団自決の重要証人の死去で一面を飾った。さらに7月27日付沖縄タイムスは次のようなコラムを書き、金城氏を追悼した。
 
▼歴史の歪曲(わいきょく)を許さず、法廷や講演に何度も立った。用意した原稿を淡々と読み上げる姿が印象に残る。恐ろしさや悲惨さだけではなく、皇民化教育、軍国主義といった本質や背景に目を向けてほしかったと感じる

▼語られない体験が多い中、金城さんの証言で、私たちは強制集団死の実相を知ることができる。あふれる感情をせき止め、逆に身を削るように絞り出した言葉の一つ一つはこれからも生き続ける。(福元大輔)》

歴史の歪曲をした張本人の沖縄タイムスの記事は、今でも嘘が多い。金城重明氏のいう集団自決の実相とは、自分が犯した大量殺戮に対する自己弁護と責任転嫁に過ぎなかった。

 

 大東亜戦争末期、慶良間諸島で「軍命」によって起きたとされる集団自決は、確たる証拠も信憑性も無いまま語り継がれ、長きに渡り神話となっていた。ところが、多くの研究者による史実究明により、「軍命」という根も葉もない伝聞は霧散し、隠されていた悲惨な事実が公の場で露にされる事となった。1950年に発行された沖縄タイムスの『鉄の暴風』は沖縄戦のバイブルとされ、同書を出典として数え切れない引用や孫引き本が出版され続けてきた。また、旧日本軍の残虐行為を告発する戦記本もその内容を検証した形跡はなく、これに信憑性を持たせる為に度々引用されて来たのが『鉄の暴風』である。同書に記された「軍命による集団自決」は、大嘘であり著者が”見てきたように”に書いた講談の類だった。ところが、元軍人らによる大江岩波集団自決訴訟は敗訴が確定し、残念ながら集団自決問題は国民・県民の記憶から遠ざかりつつある。

さて、すでに決着済みと思われている沖縄戦「集団自決問題」に今さら屋上屋を架し、本書を世に問う理由は何か。  

その訳を述べよう。

確かに沖縄の集団自決問題は「大江岩波訴訟」で被告の大江健三郎・岩波書店が勝訴し、その結果すでに決着済みと思われている。
この現実を見たら、多くの国民や沖縄県民は、沖縄タイムス編著『鉄の暴風』が主張する通り「軍命論」で集団自決論争は結着したと考えても不思議ではない。
 
だが、事実は違う。
 
岩波大江訴訟で確定したのは、大江健三郎と岩波書店に対する名誉棄損の「損害賠償請求の免責」という平凡な民事訴訟の勝訴に過ぎない。肝心の「軍命の有無」については、一審、二審を通じて被告大江側が「両隊長が軍命を出した」と立証することはできなかった。  
その意味では原告梅澤さんや赤松さんら両隊長の汚名は雪(そそ)がれたことになる。しかし沖縄タイムス等反日勢力は問題をすり替え、あたかも両隊長の「軍命」が確定したかのように、次の目標として「軍命の教科書記載」を目論み、あくまでも日本の名誉を貶める魂胆だ
 
 
本書執筆中、ほとんどの県民が集団自決問題を忘れた頃の2022年7月10日付沖縄タイムスは、こんな記事を掲載している。
 
「軍命」記述を議論 9・29実現させる会 教科書巡り、2022年7月10日

 沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」を巡り、歴史教科書への「軍強制」記述の復活を求める「9・29県民大会決議を実現させる会」(仲西春雅会長)の定例会合が4日、那覇市の教育福祉会館であった。3月の検定で国語の教科書に「日本軍の強制」の明記がされたことについて意見を交換。社会科の教科書で記述の復活がないことから、今後も活動を継続していく意見が相次いだ。》

2007年春、文科省は歴史教科書から「集団自決は軍の命令で起きた」などの文言を削除するよう検定意見を出した。これに対し沖縄県内外のサヨク活動家たちが反発して同年9月29日「教科書検定意見の撤回を求める県民大会」が開かれ、政府に抗議の拳を突き上げた。特に沖縄メディアが連日大々的に扇動記事を書いて、県民を反日運動に誤誘導した。(実際は、1万数千人の動員数を11万人余と大巾水増しした報道でのちに「11万人大幅水増し集会」と言われた)

「軍命」が教科書に記述されたとしたら、国が歴史として認めたことになる。だが歴史は裁判が決めるものでも無ければ、沖縄タイムス等の新聞が決めるものでもない。ましてや、サヨク活動家たちの「県民大会」で決めるものではない。

本書を世に問う第一の目的は、沖縄タイムス編著の『鉄の暴風』が歪曲した沖縄戦歴史を正し、「残酷非道な日本軍」を固執する沖縄タイム史観の教科書記述を阻止することである。最高裁による確定後、歴史の是正を巡る状況はさらに新たな展開があった。 『鉄の暴風』が主張する「軍命論」を粉砕する決定的証拠が出てきたのだ。 仮にこの証拠が大江岩波訴訟の前に登場していたら、裁判の判決も逆だった可能性すらある。沖縄戦遺族会のご協力により、集団自決の「軍命論」を葬り去る定的証拠を入手することが出来たのだ。

これまで「軍命論争」には、「手りゅう弾説」~大江健三郎の「タテの構造説」など数多くの証拠、証言が論じられた。その中で「援護法による軍命説」は、法廷では一つの推論に過ぎず決定的ではないと言われ、証拠として採用されなかった。
ところが「援護法と軍命のカラクリ」を一番熟知する沖縄戦遺族会から決定的証拠を提供していただき、この証拠を事前に入手していた「軍命派」の研究者達が、「軍命を捏造した」と白状し、さらに証拠の捏造に「恥を感じる」とまで言い切っている。これ以上の決着はないだろう。この一件こそが本書を世に問う最大の目的である。
 
しかし、歴史の解釈は立場によって意見が分かれる、という反論もあるだろう。
例えば、大東亜戦争で日米のどちらに正義があるか、という問い対しては日米で意見が異なる。交戦国にとって正義の解釈が異なるからだ。
 
筆者のような無名の一個人が、新聞社や大学教授らの歴史解釈を真っ向から否定することは、一般国民の支持を得るどころか蟷螂の斧の誹りを受けるだけである。
 
だが、本書の目的は歴史の解釈ではない。 
歴史の嘘の是正である。
 
日米戦争で「沖縄が米国の領土になった」という説は、歴史の解釈ではなく、紛れもない歴史の嘘である。 保守対リベラルというイデオロギーの問題ではない。本書を世に問う最大の目的は沖縄の集団自決を巡るウソの是正である。
 
次に本書を出版するもう一つの目的を述べておこう。
 
本書執筆中のNHK報道によると、ウクライナでは西部の町で巡航ミサイルにより子どもを含多くの民間人が死亡するなど、ロシア軍の攻撃によるジェノサイドが増えているという。翻って沖縄の集団自決は、ジェノサイドではなかったのか。 集団自決は、米軍による民間人虐殺(ジェノサイド)の最中起きた事件であり、逆に言えば米軍のジェノサイドが無ければ集団自決は起きなかった悲劇である。沖縄ではほとんど知られていない「米軍によるジェノサイド」の事実を世に知らしめたい。沖縄戦を論じる場合、1944年の「10・10那覇空襲」については、ほとんど語られことはなく、翌年の3月10日東京大空襲、さらに8月の広島、長崎への原爆投下という民間人大虐殺(ジェノサイド)へと繋がっていく。

1945年3月末、慶良間列島を、海が黒く見える程膨大な量の軍艦で取り囲んだ米軍は、無抵抗で逃げまどう民間人を容赦なく雨あられと艦砲射撃で攻撃した。まさに米軍の艦砲射撃は『鉄の暴風』と呼ばれるジェノサイドであった。米軍による無差別攻撃のパニックの最中起きたのが、悲惨な「集団自決」ということになる。

戦争にもルールがある。

戦時国際法には、ハーグ陸戦法規などがあり、戦争とは軍人同士の戦闘を意味し、軍人が民間人を攻撃するのは虐殺であり、戦争ではない。ハーグ条約違反である。

米軍が1944年10月10日に那覇市を空爆したことは、紛れもなくハーグ陸戦条約等でいう「民間人への攻撃禁止」に相当する。

これ等の例は、誤爆による民間人虐殺ではない。米軍による確信犯的ジェノサイドだ。これ等はすべて戦時国際法違反の民間人の大量虐殺である。

沖縄タイムス編著『鉄の暴風』は、「10・10那覇空襲」を含む米軍の民間人大量虐殺の事実を知りながら、敵の米軍は「人道的米兵」と記述し、一方で味方の日本軍には「残虐非道な日本兵」などと主張、現在も堂々と書店で販売されている。 沖縄戦後史を歪める『鉄の暴風』の呪縛から沖縄県民を解き放ち、梅澤、赤松両隊長の名誉を回復する。同時に日本国民の名誉を回復するための已むに已まれぬ大和魂、これも本書を世に問う目的である。

本書に収録の記事のほとんどは、約20年間ブログ『狼魔人日記』で書き綴った記事を編集したものである。だが、何事にも終りがある。
『狼魔人日記』の継続に終りが来た時、収録されて記事は広いネット空間に放り出される。 そして、そのほとんどが人の眼に触れる機会もないだろう。
古来、歴史とは文字に書かれ事物・事象が歴史として刻まれるという。 その伝で言えば、ネット上の記録など歴史としては一顧だにされないだろう。
ネット上の記録を紙に書いた記録にする。これが本書出版のもう一つの目的である。
 
おわり
 
【追記】

本書執筆中、安倍晋三元首相が参院選の街頭演説中に銃撃され、非業の死を遂げました。心からご冥福をお祈りいたします。一方、安倍首相の死を喜ぶかのような朝日新聞は、安倍氏の死を冷やかした川柳を掲載した。沖縄タイムスの親分と言える朝日新聞は『鉄の暴風』の初版発刊元であり、『鉄の暴風』による歴史の歪曲を後押しをしてきた。そこで、『鉄の暴風』の歴史歪曲を連想する一句を「朝日川柳」から引用する。

「ああ怖い歴史はこうして作られる」(朝日川柳)

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コメント (3)

反日学者に咬み付く杉田水脈議員「反日研究」投稿は何が問題か 「証拠示さないならねつ造だ」

2022-07-30 07:46:26 | 政治

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反日学者に咬み付く杉田水脈議員「反日研究」投稿は何が問題か。

先ず杉田議員の勇気ある発言に賛意を表す。

杉田議員はツイッターに「学問の自由は尊重します。が、ねつ造はダメです。慰安婦問題は女性の人権問題ではありません」「国益に反する研究は自費でお願いいたします。学問の自由は大事ですが、我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない」などと投稿していた。

 法政大前総長の田中優子「とても大きな問題。強制連行がなかったから、本人の意思によると言いたいのだろう。とすれば、あらゆる売春は自らするものであり、女性の人権問題ではないと言っているに等しい。遊郭のある時代から今に至るまで女性たちがなぜ売春するのか。ほとんどの場合、回避しようがない状況だ・・・」

 

自分の意思に反して売春せざるを得ない女性が存在するのは、事実だとしても、安易に金をえるため、やより贅沢をするため売春をする女性が多いのも事実。

自分の趣味と実益のため売春する女性もいると聞く。

田中優子法政大前総長が反日か否かと問われれば、反日どころか日本が嫌日でしょう。

田中女史は、慰安婦問題をジェンダー問題にすり替えた時点で、日本が嫌いな大江健三郎と同じレベルの売国奴。

杉田水脈議員「反日研究」投稿は何が問題か 「証拠示さないならねつ造だ」

京都新聞

 -裁判から見てきたものは他にどんなことがありますか

 「社会できちんと議論すべきこととして『国益』『反日』というテーマが浮かび上がった。杉田議員は『国益に資する研究に科研費を使うべき』との立場で意見表明したが、その場合の『国益』とは何か。学問の自由が表現の自由とは別に憲法23条で保障されている理由は、時の政府の考えに左右される学問ではイノベーションを起こせず、かえって日本や世界の利益にならないからだ。日本学術会議の会員任命拒否問題でも明らかになったが、説明しない、根拠を示さない政治家が非常に多い。総理大臣すらそうだった。ものを考える力がないのではないかと思ってしまうぐらい、政治の現場が力を失っている」

 -政治と学術の関係はどうあるべきでしょうか  

「学問は紀元前からあり、これからもずっと続いていく。一方、政治はその時その時の政権があるだけで、変化するのが当たり前。政権の考え方の中に学問を閉じ込めようとしたら、自由闊達なエネルギーや議論がなくなり、政治に利用されるだけになる。そういった事例は歴史上いくらでも起こっている。何が正しくて何が間違っているのかを政権の中で考えるのは良いが、学問の世界に押し付けるのは世界にとっても日本にとっても発展を阻害することになる」

≪裁判の概要≫

 原告は牟田和恵大阪大名誉教授や岡野八代同志社大教授ら4人。2014~17年度に科研費を受けて行った、ジェンダー平等の実現に向けた共同研究に関し、杉田議員がツイッターやインターネットテレビで「ねつ造」「研究費を流用している」などと繰り返し発言し、社会的評価を低下させたと主張。京都地裁は、杉田議員の発言は社会的評価を低下させるものではなく、名誉毀損(きそん)ではないとして、教授らの請求を棄却した。杉田議員はツイッターに「学問の自由は尊重します。が、ねつ造はダメです。慰安婦問題は女性の人権問題ではありません」「国益に反する研究は自費でお願いいたします。学問の自由は大事ですが、我々の税金を反日活動に使われることに納得いかない」などと投稿していた。

               ★

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    「家族に売られる」と「強制連行」は、どちらも「本人の意思とは関係なく」ではあるが、内容が全く違う。 大半が前者だと思うので、もしも後者であるなら、それを客観的に提示すれば良い。 但し、提示すべきなのは、あくまで当事者についての証拠だからね。 「みんなされていた」と言うなら、その「みんな」が誰で、そこに当事者が含まれていたのかが重要。

     
  •  
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    強制連行なき慰安婦問題≠女性問題……この点だけを少し考えてみたい。慰安婦は親に売られたケースもあるそうなので、そう言う意味では女性問題と言えるかもしれない。しかし、それが日本が国として現在責任を負うべき問題だと言う議論のステージまで進むとそれはどうなんだろう、と思う。当時の人権意識、法規範は現代とは相当異なる。その時代の法律に照らして違反していたのかどうかを問うのが本来ではないでしょうか?  もし、「強制連行なき慰安婦問題も女性問題であり、日本は国として責任を負うべきだ」と言う論理が成り立つならば、韓国は現代のキーセンに責任を負ってますか?  まして日本は日韓請求権協定によって既に補償し、両国とも戦中の諸問題で請求しないことになっている。それ以上何の責任を日本国に問いますか?  この手の知識人さんたちはどうも一面的な感じがするね。

     
  •  
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    国益についてだが・・・ 政府が予算をつける以上、その根拠となる国益は政府が決めることになるのは当然だと思います。 その政府とは、民主主義によって選ばれた政府です。 本当に民意が反映されているか、それは難しい問題ではあるが、今の政治システムにおいてはこれが最善とされているように思います。 この記事では、憲法によって保障されている学問の自由と表現の自由を根拠に国益を考え、『国益に資する研究に科研費を使うべき』という考えを批判しています。 しかし政府からの予算とは関係なく、学問の自由と表現の自由はありますので、この批判は「好き放題に研究したいから政府は金出せや!」と言っているに過ぎないと思います。 好きな研究や学問をしたいなら、自分でお金の都合をつけていくらでもできます。 その自由が日本にはありますので。

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    慰安婦問題は人権問題の範疇では無く政治問題だと言える。ある特定の政治勢力の政治的欲求の達成のために敢えて世論の注目を浴びやすい人権問題として扱っているに過ぎない。しかし、この問題の本質は人権問題ではなく政治問題だから各勢力の背景となる政治的な主張も伴う訳であり、本質的には主張が噛み合うことは無く、解決しない問題なのである。だから被害者からの要望も政治団体の政治的欲求と相反するものならば無視されることすらある。

  •  
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    性産業に従事する人の多くが、自らの自由意思で従事している訳ではないという。それが脅迫や強要によるものであれば、脅迫罪や強要罪で取り締まるべき。また、経済的困窮により仕方なく働いているという場合については、これは、自由意思で従事していると言わざるを得ないと思う。そもそも、基本的には、誰もが収入を得て生活を維持せざるを得ない中で、就きたい職業に就いて収入を得ている人がいる一方で、就きたくない職業に就いて、嫌々ながらも収入を得て生活をしている人もいる。後者が全て自由意思ではないのだから問題だという話にはならないのでは?

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    >法政大前総長の田中優子さんに聞いた。 この事が、間違いだ。 メディアは報道の自由を標榜しながら、巷間語られる「報道しない自由」を確り発揮している。 田中優子氏に反論する女性論客は必ずいる。双方の見解を掲載すべきだ。 また学術会議も制度疲労で、学問の自由を奪ったものでもない、学者という身分は保証されている。結局就活で不採用の状況は同じです。早いうちに、学術会議は民営化すべきです、そこで賢い学者先生が本当に知恵を絞って問題解決にあたればよい。

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    慰安婦、徴用工、この問題は変に謝罪を求めるから揉める。 なぜ謝罪を求めるのか? それは謝罪をして貰いたいからではなく、政治的問題として自分達の立場を良くしたい人がいるからです。 当事者の立場で見て、原告側は「当時の人から謝って貰うならともかく、当時、子供か産まれてもきていない人に心の無い謝罪を受けるなら、その分、金をくれ」ってなるし、被告側は「なんで自分達が謝らないといけないの」となる。 全て金と言う数字で解決すべきだと思う。 謝罪などと言う実態の無い物を使うのはやめにして欲しい。 もっと合理的に考えて欲しい。

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    学問の自由が表現の自由とは別に憲法23条で保障されている理由は、時の政府の考えに左右される学問ではイノベーションを起こせず、かえって日本や世界の利益にならないからだ。 であるならば、北大の奈良林教授が申請した、防衛省の安全保障技術研究推進制度に採択された研究の取り下げを強要した『日本学術会議の杉田』とやらに、同じ所属の学長として訓戒を与えたのでしょうか? また、中央大の吉見義明のような、本人の意思によるものでないものは、強制であるという詭弁ではなく、女性の人権問題とするならば、どのような解決策があるのか是非とも知りたいものです。

  •  
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    京都地裁の判決文の詳細がなく、水田氏の「人権問題」「証拠」「捏造」が何に対してなのかが不明瞭。 田中氏の反論もすれ違いを感じる。  原告団の研究内容が戦時の慰安婦と関係ないのに慰安婦問題は捏造と言っているのか、慰安婦は実在したけれど強制ではないから人権問題ではないと言っているのか、記事内容だけではよく分からない。  田中氏の主張は「強制・任意にかかわらず女性が女性であるだけで男の慰み者・性の捌け口になっていること自体が人権問題」ともとれる。  一方水田氏の主張は「女性が女性という商品を任意に売っているのだから人権問題ではない」ととれる。 極解すれば「その女性の任意の行動を規制することのほうが人権問題」ともとれるが両者の言い分を直接真意まで聞かないと私は判決できない。

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    何故、日本の慰安婦問題研究者やジャーナリストは、韓国や東南アジアに出かけて行って“体験談”を集めて回るのに、当時、慰安婦の過半数を占めていた日本人に、同様の大規模な聞き取り調査等を行わないのか。 この質問に明確な答えを示せなければ、それは、慰安婦問題の真相を知りたいから研究しているのではなく、日本を貶めるための材料を探し回っていると思われても仕方がない。 日本国内には、数多くの元慰安婦が居たはずで、匿名ならば色々聞き取りに応じてくれただろうし、何より、わざわざ外国に行かなくてもよく、同じ日本語で質問して答えてもらえるというメリットも大きい。 更に、日本人元慰安婦からは、慰安婦の募集や移送、軍医による性病検査、慰安所での待遇や、同僚として働いていた朝鮮や他の国出身の慰安婦の情報を聞き取れるかもしれない。 にも関わらず、それを十分にやっていないという点に、一定の意図を感じる。

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コメント (2)

北朝鮮に憬れ日本を憎む売国奴、大江健三郎、

2022-07-30 06:30:09 | 資料保管庫
 
大江岩波集団自決訴訟で、梅澤元隊長らの名誉を棄損を巡る損害賠償を免責された売国奴・大江健三郎とはこんな男。
 
売国奴列伝
大江健三郎

 

北朝鮮はバカどもにかつてどのように語られたか

大江健三郎
二十歳の日本人「厳粛な綱渡り」( 文藝春秋刊・昭和四十年 )

 北朝鮮に帰国した青年が金日成首相と握手している写真があった。
ぼくらは、いわゆる共産圏の青年対策の宣伝性にたいして小姑的な敏感さをもつが、それにしてもあの写真は感動的であり、ぼくはそこに希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年をはっきり見た。
逆に、日本よりも徹底的に弱い条件で米軍駐留をよぎなくされている南朝鮮の青年が熱情をこめてこの北朝鮮送還阻止のデモをおこなっている写真もあった。
ぼくはこの青年たちの内部における希望の屈折のしめっぽさについてまた深い感慨をいだかずにはいられない。
北朝鮮の青年の未来と希望の純一さを、もっともうたがい、もっとも嘲笑するものらが、南朝鮮の希望にみちた青年たちだろう、ということはぼくに苦渋の味をあじあわせる。

日本の青年にとって現実は、南朝鮮の青年のそれのようには、うしろ向きに閉ざされていない。しかし日本の青年にとって未来は、北朝鮮の青年のそれのようにまっすぐ前向きに方向づけられているのでない。

「わがテレビ体験」( 「群像」昭和36年3月 )

結婚式をあげて深夜に戻ってきた、そしてテレビ装置をなにげなく気にとめた、スウィッチをいれる、画像があらわれる。
そして三十分後、ぼくは新婦をほうっておいて、感動のあまりに涙を流していた。
それは東山千栄子氏の主演する北鮮送還のものがたりだった、ある日ふいに老いた美しい朝鮮の婦人が白い朝鮮服にみをかためてしまう、そして息子の家族に自分だけ朝鮮にかえることを申し出る…。このときぼくは、ああ、なんと酷い話だ、と思ったり、自分には帰るべき朝鮮がない、なぜなら日本人だから、というようなとりとめないことを考えるうちに感情の平衡をうしなったのであった。

「あいまいな日本の私」( ノーベル賞記念講演(ストックホルム) )

 広島、長崎の、人類がこうむった最初の核攻撃の死者たち、放射能障害を背負う生存者と二世たちが--それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいますが-ー、われわれのモラルを問いかけているのでもありました。

■ 北朝鮮の惨状を大江氏はどう考えているのか? ■

 残念ながら、「北朝鮮の青年の未来と希望の純一さ」は、「南朝鮮」の青年達が疑い、嘲笑したように、今日の破局の中に失われてしまった。大江健三郎がこれだけ思い入れをした「老いた美しい朝鮮の婦人」や、「希望にみちて自分およぴ自分の民族の未来にかかわった生きかたを始めようとしている青年」達は、今や住む家も洪水に流され、食べ物も自由も希望もなく、ただ餓死を待っているであろう

 そうした北朝鮮の惨状について、大江健三郎はどう考えているのだろうか。大江健三郎が昔の自分の文章を覚えているなら、自らの不明を恥じて、読者にお詫びをするとともに、自分の見通しがなぜ間違ったのか、思想的にきちんとした反省をしなければならない。それをしないこの人は言論人としての資格はない。将来も、また同じような過ちを繰り返すのみである。

 また上記の熱のこもった文章が、単なる共産主義かぶれの若気の至りではなく、北朝鮮の人々への真実の思い入れだとしたら、自ら率先して、北朝鮮救援活動を始めるか、ノーベル賞の賞金を北朝鮮救済の資金として提供する位の事はあっても良いのではないか。大江健三郎は、昨年は米国プリンストン大学で静かな研究生活を送ったようだが、現在は別の意味で「帰るべき朝鮮がない」のだろうか。要はつねに人事なのだろうか。

■ 「帰るべき朝鮮がない」大江健三郎 ■

 新婚初夜に新妻を放り出して金日成に発情していた大江健三郎。
 現在の北朝鮮の飢餓地獄しか知らない若い人々には、「自分には帰るべき朝鮮がない」と嘆く大江健三郎の感慨は、想像を絶しているだろう。しかし共産主義を理想とする人々の間では、北朝鮮がさかんに「地上の楽園」として宣伝されていた時期があったのである。
 現在でもアメリカやフランスに憧れている人はいますが、大江健三郎のように日本人であることを後悔する人はいないと思います。

■ あいまいなのは? ■

ノーベル賞と言えばオリンピックで金メダルを取ったようなものかもしれない。戦後ノーベル文学賞を二人の日本人作家が受賞している。
その一人、川端康成はストクホルムの授賞式で「美しい日本の自然ののなかで感性を育まれた自分」といった主旨のことを発言して世界の賞賛を浴びた。
もう一人、大江健三郎は「あいまいな国、日本、その日本人として恥ずかしい」といった主旨の受賞あいさつをして式典に参加した人たちに戸惑いを感じさせた。
二人が世界に発したメッセージはなんと対照的であったことか。国際社会で自分の属する国を愛さないと告白することは、それだけで軽蔑されることを大江健三郎は知らなかったイナカモノだったと解釈することもできる。

 大江健三郎がストックホルムで行ったノーベル賞記念講演の「あいまいな日本の私」には前記のような一節がある。
 「 核攻撃の犠牲者たる日本人が、なにか特別のモラルを持たなければいけないそうだ。投下した者のモラルは問わないわけである 」とは、谷沢永一氏の評である。
これが国際常識であって、大江健三郎のもってまわった言い方と、その非常識な内容とでは、聴講者は何を言っているのか、分からなかったであろう。内容は単に50年前の東京裁判史観とマルクス主義史観であり、その後の歴史学の進歩などは、まったく省みられていない。

 大江健三郎の思想は、1950年代の冷戦時代から一向に深化していない。それがそのまま化石のように残されているのは、本人のIntellectual Dishonesty と、それを覆い隠すもってまわったあいまいな文体の故である。この講演は「あいまいな日本の私」よりも「日本のあいまいな私」と題すべきものであった。

( 産経抄より )
★「反核平和」人の態度 ★

 国際原子力機関(IAEA)は北の核計画凍結を決議し、日米韓も共同声明を出したが、どうにも理解に苦しむことがある。
■ほかならぬ日本でこれまで盛んに反核運動を推進してきた人たちがいた。彼らが一向に声を発しない。昨年の夏、広島と長崎で開かれた原水爆禁止大会は、相変わらず二つに分裂したままだった。原水協(共産党系)と原水禁(旧総評系)とだが、そのいずれも北朝鮮の核に対してウンでもスンでもない。
■ワシントン古森義久記者のリポートによると、昨年十月十七日、秋葉忠利・広島市長がアメリカン大学で「広がる核の脅威」と題するスピーチをした。しかし市長はもっぱら米国の核政策だけを非難し、中露の核兵器はもちろん、北朝鮮の核には何も触れなかったそうだ。
■反核運動をあおってきたはずの進歩的文化人諸氏も、北朝鮮には鳴りをひそめでいる。ノーベル賞作家・大江健三郎氏もそのお一人だ。これは谷沢永一氏のご指摘だが、平成七年元日の朝日新聞上で大江氏は加藤周一氏と対談し次のように語っていた。
■「戦後五十年の出発点の、日本人がなめた苦い経験を思想化しようとすれば、日本が取り組むべき中心の課題は核軍縮だと思います。そのための国際的な委員会を作れば、広島、長崎の被爆体験に立って有効な発言ができるはずです」。
■いまこそ北朝鮮に対して「有効な発言」をする時ではないか。
理想主義は昔から国家を滅ぼしてきた。国が滅びても「平和」がある、とでもいうのか?!
「戦後民主主義者」と称する売国奴たち。隣国がすべて武装して日本に脅威を与える今になっても、まだ「防衛」を「悪」と決めつけ、「ボーダーレス」を唱え、日本人の「アイデンティティー」を抹消しようとする。



反日日本人の発言を垂れ流すNHK
~安保討論に自衛隊を侮辱した
     大江健三郎 を出演させたNHK~

12月18日から20日までの3日間連続で、NHKは「 シリーズ安全保障 」というスペシャル番組を放送した。18日は「 徹底検証・日本の備え。テロとミサイルの脅威をどう防ぐのか 」などを、19日には「 変わる自衛隊・現場からの報告 」などでしたが、この2日間で放送された内容はまずまずでした。しかし、最後の20日に放送された「 討論・日本の進路を問う 」として、元内閣総理大臣中曽根康弘、元駐米大使栗山尚一、元副総理後藤田正晴、ノーベル賞作家大江健三郎の4人で安全保問題を討論するというのですから、NHKはどうかしていると思いました。

特に反日日本人で悪魔の思想を持つ大江健三郎を出演させたとはNHKは人選を明らかに誤っています。難解な文章を書く大江健三郎がノーベル賞を受賞したことは、これは特に批判することではなく、日本国民として喜ぶべきことであるが、セットで授与される文化勲章は辞退したというのだからどう考えても正常ではなく、NHKがそれを知らないはずはない。外国からの賞には、恭しく受賞をするが、日本のものとなると拒否するというのだから話しにならない。大江は祖国日本を愛していないばかりか、外国に行ってまで「 日本の悪口 」を言いふらす売国奴なのですが、こんな大江に日本の安全保障問題を語ってもらうとは「 NHKよ。何を考えているのか 」と大きな声を出したくなる。

番組での大江の発言は当然にイラクへの自衛隊の派遣に反対していますが「 派遣しない方が日本の将来のため、また子供達も誇りを持って生きていくことが出来る 」「 自衛隊ではなく状況が安定したら文民を送った方が良い 」「 憲法9条があるのに自衛隊をすでに外国に送っている。憲法改正を言う人はなぜ急ぐのか。20年、30年先を考えるとアジア諸国との平和的な関係が出来ると思う。憲法の規範に現実を押し戻すことが将来の(日本の)仕事です 」「 冷戦が終わり、仮想敵国がなくなっているのに北海道に大きな地上軍をおいている。自衛隊は災害救助をする別組織に変えるべきだ 」「 憲法の前文に『 平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼してわれらの安全と生存を保持しようと決意した 』とありますが、これからはインターネットの時代ですから、国もあるでしょうが国民が横につながることが強くなり、諸国民の公正と信義に信頼する国に、またその信頼に応える日本人になって欲しい 」などですが、もう完全のとんでしまっています

中曽根氏が大江の発言を「 空想的平和主義 」と言って批判していましたが、当然でしょう。恐るべき悪魔のテロ国家北朝鮮の脅威が迫るなか、そんな国の信頼に応えていこうというのですから話になりません。
大江は「 ぼくは、防衛大学生をぼくらの世代の若い日本人の弱み、一つの恥辱だと思っている。そして、ぼくは、防衛大学の志願者がすっかりなくなる方向へ働きかけたいと考えている 」と昭和33年に毎日新聞のコラム「 女優と防衛大生 」で述べたことはあまりにも有名ですが、こんな同胞である日本人を貶める発言をする大江健三郎はノーベル賞作家として知られているより、戦後の日本をダメにした進歩的文化人の大江健三郎と言った方が知られているでしょう。

どんな立派な小説を書こうが親の悪口を言いふらすように自分の国と国民に罵声を浴びせる者は愚か者であり馬鹿にされます。自分の生まれた国を誇りにしない人間を誰が信用してくれるのでしょうか。それにしてもNHKは、自衛隊のイラク派遣が決定した後に安全保障の関する番組を放送するのは時期としては良いかもしれないが、私はイラクに派遣される自衛隊員には胸を張って堂々と行ってもらいと思っていますので、過去に自衛隊員を侮辱した大江健三郎をなぜ出演させ、再び自衛隊を貶めるような発言を許したのか。こんな反日日本人の発言を垂れ流すから受信料を払いたくないという人が増えるのではないでしょうか。税金が投入されている国営放送局に日本を愛しておらず自分の国の国民である自衛隊員に敬意を払わない反日日本人を出演させたNHKの真意とは何であろうか。

 

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