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きょうの沖縄タイムス一面のコラム「大弦小弦」に集団自決の重要証人氏について、事情を知っている読者なら仰天する記事が載っている。
大量殺戮をした人物が、「殺戮」は軍の命令と責任転嫁しているのを「歴史の歪曲を許さなかった殉教者」のように賛美しているのだ。
間違った前提で行われる議論は、すべて空虚である。
金城氏の責任転嫁を、正しいという前提で書き綴るこのコラムは、空虚を通り越して、バカの落書きに等しい。
このように実情を知らないバカが「歴史の実相」を書き続ける限り、沖縄の戦後史は歪められ、虚偽が教科書に記載される恐れさえある。
それとも、この記者、全てを知っていながらバカの素振りをしているのか・・・よくわからん。
バカの落書きを抜粋しよう。
[大弦小弦]沖縄戦の実相を伝えた金城重明さんの証言
沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」を生き延びた金城重明さんは18歳でキリスト教の洗礼を受けた。信仰的な成長によって戦争体験の苦悩を内面に取り込み、自己形成の要素に転化できると考えたという
▼生まれ育った渡嘉敷島で米軍が上陸した翌日の1945年3月28日、兄と2人で母、弟、妹の3人を手にかけた。手榴弾(しゅりゅうだん)で死にきれずに混乱する壕の中で手に持った石を振り下ろした
▼生き残ることへの恐怖と焦燥を植え付けられていた。正常な感覚を取り戻した時、冷めた目であの惨状を見つめなけらばならず、生きる望みを喪失したと書き残している
▼終戦は苦悩の始まりでしかなかった。それから77年間、体験の重みを負い、聖書の教えに支えられながら93歳で天に召された。「先生の沖縄戦がようやく終わりました」。追悼の言葉に戦争の罪深さを改めて感じる
▼歴史の歪曲(わいきょく)を許さず、法廷や講演に何度も立った。用意した原稿を淡々と読み上げる姿が印象に残る。恐ろしさや悲惨さだけではなく、皇民化教育、軍国主義といった本質や背景に目を向けてほしかったと感じる
▼語られない体験が多い中、金城さんの証言で、私たちは強制集団死の実相を知ることができる。あふれる感情をせき止め、逆に身を削るように絞り出した言葉の一つ一つはこれからも生き続ける。(福元大輔)
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金城氏は兄の重栄氏と二人で両親を含む家族や他人迄殺害した渡嘉敷島集団自決の生き残りである。そして「殺害」は軍の命令である、と責任転嫁し続けた。
だが、金城氏が「牧師」という肩書で、初めて沖縄タイムス紙面に登場した時は、記者の軍命はあったか否かの厳しい質問に対し、「わからない」と答えている。その後「大江岩波訴訟」で被告側の証人になると手のひら返しで「軍の命令」と主張しつつづけた。
結局、 大江岩波裁判では岩波大江訴訟で被告側勝訴したが、大江健三郎と岩波書店に対する名誉棄損の「損害賠償請求の免責」という平凡な民事訴訟の勝訴に過ぎない。
肝心の「軍命の有無」については、一審、二審を通じて被告大江側が「両隊長が軍命を出した」と立証することはできなかった。 その意味では原告梅澤さんら両隊長の汚名は雪(そそ)がれたことになる。
>歴史の歪曲を許さず、法廷や講演に何度も立った
「大量殺戮」の自己弁護と責任転嫁のために、法廷や講演に何度も立った、が正しい。
>金城さんの証言で、私たちは強制集団死の実相を知ることが出来る
歴史の歪曲をしたのは沖縄タイムス編著『鉄の暴風』であり、そこで「大量殺戮」を軍命に責任転嫁したのが金城重明氏である。