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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

米軍が県民大会に横槍 大会運営に影響

2007-09-29 05:38:30 | 教科書

 

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狂気は個人にあっては稀なことである。

しかし集団・民族・時代にあっては常態である

一人は個、二人は対、三人以上になると集団性を帯びる

集団は時に人を変えてしまう

 

辿り着く先が間違いだと皆知っている。

だが、誰もそれを止められない。

動き出した大きなうねりに身を任せ

考えることなく突き進むのは容易だ。

まるで断崖に向かって突進するヌーの群れのように。

小さな悪意と人間なら誰しもが持つ自己保身、

そしてささやかな名誉欲やプライド、

それがこの「政治運動」を先へ先へと進めて行く。

そこでは理性的な説得など何の役にも立たない。

「運動」に疑問を持つ少数の意見、

又議論・検証を求める地味な活動は、

単純でわかりやすい結論を求める人々の声や、

利口ぶった学者やマスコミの前に押しつぶされてしまう。

                    *

時が熱狂と偏見とをやわらげた暁には また理性が虚偽からその仮面を剥ぎ取った暁には

その時こそ正義の女神はその秤を平衡に保ちながら 過去の賞罰の多くに

そのところを変えることを要求するであろう

 

よく言われることだが「鉄の暴風」という言葉から受ける沖縄戦の印象は「米軍対日本軍」の戦いではなく「沖縄対日本軍」のそれである。

そして米軍は日本の沖縄を解放に来た解放軍だという印象だ。

沖縄タイムスが極端な偏向を通り越して、敵意剥き出しの反日報道をするのには訳がある。

その理由を深く掘り下げると沖縄タイムスの出生の秘密にたどり着く。

次の文章はある出版物の前文の一部を抜粋したものである。

「なお、この動乱を通じて、われわれ沖縄人として、おそらく終生わすれることができないことは、米軍の高いヒューマニズムであった。 国境と民族を超えたかれらの人類愛によって、生き残りの沖縄人は、生命を保護され、あらゆる支援を与えられて、更正第一歩を踏み出すことができたことを、特記しておきたい」 

米軍に揉み手をしたようなこのおべんちゃら文が『鉄の暴風』の初版の前文だと知ると驚く人も多いだろう。

勿論、沖縄タイムス出生の秘密を暗示するこの前文はその後の重版では削除されている。

『鉄の暴風』は主として沖縄タイムス記者伊佐良博氏(後に太田に改姓)によって書かれたが、同書のもう一人の著者、牧港篤三氏によれば、初版は2万部出版され「米軍に提出されるため英訳され、占領軍司令部でも話題になった」と記している。(沖縄タイムス平成14年6月12日付け)

そう、沖縄タイムスは戦後沖縄占領米軍のプロパガンダ紙として出発したのだ。

ここで言うプロパガンダ紙というのは比喩的な意味ではなく米軍情報部の下に作られた広報紙という意味である。

                     *

沖縄戦における日本軍の残虐性を述べるとき,その対極として米軍のヒューマニズムが語られる。

「毒おむすび」の日本軍に対して米軍は食料や「チョコレート」を住民に配ったという分かりやすい構図だ。

最近の「集団自決」に関する「教科書検定」問題でも常に悪役は日本軍であり善玉はアメリカ軍だ。

その意味では「日本軍の残虐非道な行動」を糾弾する「県民大会」なら米軍はこぞってこれに賛同するものと想像した。

事実沖縄在住の米人で「県民大会」に賛同する報道が新聞を賑わした。

それよりも沖縄の新聞で「県民大会」に横槍を入れるような言動をおおっぴらにする団体の記事などお目にかかったこともなかった。

ところが、驚いたことに沖縄最大の組織が大会直前になって横槍を入れてきた。

それが米軍だと知って二度びっくりした。

ひょっとして狂乱した「県民大会」を「政治集会」として冷静に判断できる組織は、沖縄では米軍だけなのか。

米軍が市民広場閉鎖 県民大会参加者輸送に影響

米軍の使用不許可を受けて閉鎖を知らせる張り紙が掲示された宜野湾市民広場のゲート=28日午前10時20分ごろ、宜野湾市役所向かい

 【宜野湾】宜野湾市野嵩の普天間飛行場施設内で米軍が無料開放している市民広場(第4ゲート)を、米軍が29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」のために使用することを不許可とし、市に通知していたことが28日、分かった。普天間基地司令官名で「日本国内の重要かつ慎重を期する問題について、中立の立場を維持する」ことなどを理由に、不許可とするとの回答があった。同広場は普天間基地包囲など米軍基地反対運動の際に使用不許可になったことはあるが、そのほかの使用申請に対する不許可は異例。市は28日、再度使用許可を申し入れる。
 市民広場は宜野湾市役所向かいにあり、約200台の駐車場とグラウンドなどがある。通常は午前5時から午後11時まで開放されている。
県民大会では市役所駐車場から会場までシャトルバスを出す予定にしており、市は参加者の駐車スペース確保のため、大会実行委員会の要請を受けて普天間基地司令官に市民広場の使用を要請していた。
 米軍側から21日付で市に回答があり、「
日本国内の重要かつ慎重を期する問題について、中立の立場を維持する」「論争となっている日本国内の政策については、支持あるいは不支持と受け取られることを避ける」などを理由に挙げて、不許可としている。
 市民広場は2004年と05年の普天間基地包囲の際にゲートを閉じて使用不可としたが、通常は使用制限をせず、イベントなどにも利用されている。市は「大会参加者の駐車スペースを確保するためにも再度、使用を申し入れる」としている。

(琉球新報 9/28 16:02)

                    ◆

宜野湾駐車場閉鎖 不許可「おかしい」

 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」で、米軍が普段、無料開放している米軍普天間飛行場の施設での駐車場使用を不許可としたことについて「超党派による大会」実施を進める県民大会実行委員会や、参加者からは「真実を伝える大会であり反県民の姿勢だ」「もともとはわれわれの土地だ」と「政治的な大会」を不許可理由とする米軍に対し、批判の声が相次いだ。

(9/28 16:21)全文 >>> 

 

「日本国内の重要かつ慎重を期する問題について、中立の立場を維持する」「論争となっている日本国内の政策については、支持あるいは不支持と受け取られることを避ける」

ごく当たり前の意見でコメントの必要はないだろう。 

>「政治的な大会」を不許可理由とする米軍に対し、批判の声が相次いだ。

大会は「政治的な大会」だとそのの本質を冷静に見抜いているのは米軍の方だ。

会場までの無料送迎バスの駐車場を封鎖したからといって「県民大会」は挙行されるだろう。

しかし、これまで沖縄には「県民大会」の名を騙った「政治集会」に反対する組織が沖縄に在るということを周知させただけでも米軍の措置には大きな意義がある。

米軍だけではない。

沖縄には「県民大会」を冷ややかな目で見ている物言わぬ多くの県民がいることを忘れてはいけない。

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沖縄タイムスVS元文科相

2007-09-28 14:35:04 | 教科書

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辿り着く先が間違いだと皆知っている。

だが、誰もそれを止められない。

動き出した大きな流れに身を任せ考えることなく突き進むだけ。

まるで断崖に向かって疾走するヌーの群れのように。

小さな悪意と人間なら誰しもが持つ自己保身、そしてささやかな名誉欲やプライドが、この「政治運動」を先へ先へと進めて行く原動力になる。

そこでは理性的な説得など何も役に立たない。

「運動」に疑問を持つ少数の意見又議論・検証を求める地味な運動は、単純でわかりやすい結論を求める人々の声や、利口ぶった学者やマスコミの前に押しつぶされてしまう。

                    *

沖縄タイムス 2007年9月27日(木) 朝刊 2面  
 
殉国死でなく犠牲者だ/中山元文科相に聞く

政治家では撤回不可能
 沖縄戦「集団自決(強制集団死)」への日本軍の強制を削除した高校歴史教科書の検定問題は、与党の自民党内にも文部科学省の対応を疑問視する声が上がる。自民党の「教育再生に関する特命委員会」の委員長を務め、同委で沖縄の教科書問題を取り上げた中山成彬元文部科学相に聞いた。(聞き手=東京支社・吉田央)
 ―委員会で沖縄の教科書検定問題を取り上げた理由は。

 「沖縄戦や南京大虐殺、従軍慰安婦問題を話し合うために私が二回、主宰して開いた。特に沖縄については私は何度も足を運んでいる場所で、このまま放っておけない思いがあった。沖縄戦をよく知っている仲村正治、嘉数知賢の両衆院議員らに声を掛け、文科省に検定の経緯を説明させた」

 ―「集団自決」に関する検定後の記述をどう受け止めるか。

 「日本の検定制度は中国や韓国など外に弱く、沖縄など内に強い。私は委員会で文科省の担当官に『沖縄県民という国内の人への思いやりがないじゃないか』と相当、怒った。なぜ今どき記述を直すのかと聞くと、向こうは『(大阪で)裁判中だから』という説明だった。裁判が終結していないときに、なぜ書き直すのか。沖縄の心情が分からないのかという憤りがあった」

 「自民党でも若い人が増えているし、そういう人たちに教えるためにも開きたかった。会合には四十人ほどの国会議員が参加していたが、沖縄の議員の戦争体験を聞いて涙ぐんでいた人もいた。参加者全員が同じ気持ちだったはずだ」

 ―あなたと同様に南京や慰安婦の教科書記述を追及している自由主義史観研究会は、「集団自決」を自発的な美しい殉国死と位置付けている。

 「確かに私は彼らと付き合いがあるし、南京や慰安婦問題で戦後、米国に一方的に刷り込まれた自虐史観を排除するべきだと思っている。人口二十万人の南京で、三十万人の虐殺なんてあるわけがない。しかし、それ(集団自決)は全く違う。何が美しいか。(自決した県民は)犠牲者だ。そこは間違っちゃいかん

 ―県民が求める検定の撤回は可能か。

 「検定に文句は言うが、われわれ(政治家)では直せない。日本の検定制度はそういうものだ。執筆者と検定官が、小さな島で追い詰められて逃げ回った沖縄県民の気持ちをよく理解し、執筆に当たり、検定に当たることが必要だ

 ―検定制度を見直す必要性は。

 「検定がないと誰でも教科書を作れてしまう。ある程度、調査する人(教科書調査官)がいないとえらいことになる。日本は国定教科書ではない」

 ―福田内閣の発足で政府の対応は変わるか。

 「変わらないのではないか。今の政権は参院選の結果を受け、歴史や国家より、政治とカネ、年金、格差是正など内向きの政治を志している

                                              ◇

 

沖縄タイムスは新任の渡海文科省に二日も続けて「集団自決」にからむ教科書検定問題で質問し、何か言質を取ろうとしたが、必ずしも意図する言質をとることが出来なかった。

前任の伊吹大臣からは「教科書検定撤回」を拒否されているので、二年前の元文科大臣を引っ張り出して言質取りを計ったが、「県民感情」は理解しながらも検定意見書撤回に関しては明確に拒否された。

■沖縄タイムスVS中山元文科相⇒バトル1■

沖縄の左翼学者やメディアの論調とは立場を異にする中山元大臣が沖縄タイムスのインタビューに応じたのには訳があった。

今年の6月、沖縄タイムスは中山元文科相から言質を取っていたのだ。

その経緯は國民新聞の次の引用記事に詳しい。

≪ 沖縄タイムスが誤報か
中山元文科相の「軍命」容認発言

沖 縄 戦「集団自決

自民党の教育再生に関する特命委員会(委員長・中山成彬元文科相)が六月十二日、党本部で開かれ、文科省が昨年度教科用図書の検定結果を説明した。沖縄県選出の仲村正治、嘉数知賢両議員は沖縄戦「集団自決」への日本軍関与を高校歴史教科書から削除したことを批判した。

沖縄タイムス六月十三日付によると、中山委員長は記者会見で

「沖縄の二人からの身につまされる話があった。教科書は(中国など)外に弱くて内に強く、私に言わせればおかしい。沖縄戦での軍命による殺し合いを否定するなんておかしい」

と同調したと報じた。中山事務所では

「そんな話し方はしていない」

として沖縄タイムスに抗議することを検討中だが、沖縄タイムスはテープに残っているという。
≫(國民新聞 平成19年6月25日)

 

■沖縄タイムスVS中山元文科相⇒バトル2■

沖縄タイムスは中山元文科相からどんな言質を引き出したか。

①「検定に文句は言うが、われわれ(政治家)では直せない。日本の検定制度はそういうものだ。・・・」

検定がないと誰でも教科書を作れてしまう。ある程度、調査する人(教科書調査官)がいないとえらいことになる。日本は国定教科書ではない」

③「福田内閣の発足で政府の対応は変わるか」と問われ、
変わらないのではないか。今の政権は参院選の結果を受け、歴史や国家より、政治とカネ、年金、格差是正など内向きの政治を志している

中山元文科大臣は、今回は沖縄タイムスに言質を取られないように「県民感情」には充分配慮しながらも、事実は事実として淡々とコメントしたようだ。

これを藪蛇という。

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最後の切り札「県民感情への配慮」とは

2007-09-27 06:34:48 | 教科書

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縄タイムス 2007年9月26日(水) 朝刊 1面  
 
渡海文科相 柔軟姿勢/「県民感情考え慎重に」

 【東京】高校教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の強制を示す記述が削除された問題で、福田内閣で初入閣した渡海紀三朗文部科学大臣は二十五日の会見で、沖縄側が検定意見の撤回を求めている問題について「県民感情を考えたときに、より慎重に取り扱っていかなければいけない」と柔軟に対応する考えを示唆した。
 渡海文科相は、同検定が歴史的事実を理解する専門家が参加し、内容を検討しているとの認識を示し、「政府がとやかく言うべきではないと正直思っている」とも発言。その上で「しかしながら、中身の問題については沖縄の中で非常に大きい。率直に私自身の実感だ。もう少し具体的事実がどうなのか精査した上で取り組みたい」と述べた。
 
                       ◇

沖縄タイムスも琉球新報も、文科大臣が変れば、教科書の記述が変えられるとでも思っているのだろうか。

日本は中国や北朝鮮のような一党独裁の国ではない。

政治家の一存で歴史教科書が書き換えられるはずがない。

新報も社会面トップに新文科大臣の写真入で次のような大見出し。

渡海文科相 会見で柔軟姿勢

「県民感情」へ配慮

実行委 撤回に望み  「声無視できないでは」

前任の伊吹文科大臣は「教科書検定意見」の経緯・事情を良く承知していた。

経緯・事情を知っていたからこそ「検定意見」の撤回を否定した。⇒文科相 撤回に否定的/「集団自決」修正

新任のしかも経緯を知らない文科大臣なら、教科書問題を聞かれて、記者会見で次のように答えても何ら不思議はない。

新任大臣としてはごく真っ当なコメントだと思われる。

≪政府がとやかく言うべきではないと正直思っている≫

≪しかしながら、中身の問題については沖縄の中で非常に大きい。率直に私自身の実感だ。もう少し具体的事実がどうなのか精査した上で取り組みたい≫

「具体的事実の精査」を怠って、政治運動のみに専念してきたのがマスコミを中心にした左翼勢力の方ではないのか。

今からでも遅くはないから新大臣の下で専門家の議論・検証を開始して欲しいものだが、むしろ困るのは沖縄マスコミのほうだろう。

 

■最後の切り札「県民感情」■

だが、左翼勢力は新大臣の次の一言を針小棒大に取り上げる。

県民感情を考えたときに、より慎重に取り扱っていかなければいけない」

そう、ここでも「県民感情」という魔法の言葉が登場する。

当日記では再三、左翼勢力は「“理”で行き詰ると“情”を持ち出してくる」と批判してきた。

時と場合によっては情の訴える力を無視するわけではないが、教科書の記述という極めて学術的な問題に“情”を刺しはさんで歴史を改ざんするべきではない。

「県民感情」という言葉は黒を白にも変え、歴史の事実をも書き換える魔法の言葉ではないはずだ。

そこで、一夜明けた(8日)閣議終了後に何とか言質をとろうとしつこく同じ質問をぶつけたら次のようなコメントを得た。

渡海文科相 県民大会見極め対応  (9/26 16:03)

「県民大会」実行委員長の「毒おむすび」の仲里県議会議長は「教科書の書き換えは政治運動で変えよ」と沖縄テレビのインタビューで語っていた。

渡海文科相は「県民大会を見極めて対応」というが、教科書の記述は「県民大会」等の政治運動で書き換えるべきものではない。

新大臣は前任者の伊吹大臣の次の言葉を噛み締めて欲しい。

≪「私が修正できるとか、こうあるべきだと言った途端にとんでもないパンドラの箱を開いた汚名を着る」と述べ、意見撤回に否定的な見解を示した。安倍内閣改造後の会見で答えた。
 伊吹文科相は、県民の気持ちには理解を示した上で、「(撤回すれば)今度は日中、日韓、その他の問題で、ある意見を持った人たちが『こうしろ』と言ったら、大臣の権限でできるという国であってはならない」≫(
沖縄タイムス 2007年8月28日)


 

■教科書記述に「県民感情」は歴史を見誤る■

以下は「県民感情」に関するエントリーの再掲です。

集団自決は県民感情で 噴飯モノの「県決議」と「現地調査」

記者の余録
「県民感情への配慮」とは  (6/24 10:05)
 最近どうも引っ掛かる言葉がある。「県民感情に配慮する」という、政府との関係でよく耳にするフレーズだ。
 高校歴史教科書検定で沖縄戦の「集団自決」について、日本軍関与の有無を断定的に記述しないよう検定意見が付された。
 1982年の検定意見でいったんは消された「住民虐殺」の記述が、後に復活したことがある。これについて文部科学省は13日、県関係者に「当時は県民感情に配慮した」と説明した。何となくありがたく感じる。つい「じゃあ今回も」と同じ基準を求めそうになる。実際、抗議行動や撤回要請の中でそんなやりとりが出ることもある。
 だがよく考えてみる。「配慮」なのだろうか。
 沖縄県民であれば必ず、近親に戦死者あるいは体験者がいる。戦争の傷跡がいまだ色濃く残る地で、人々が今回の検定に憤り、撤回を求めるのはまっとうな主張だと思う。求めているのは「配慮」ではなく、「事実」の記述にほかならない。(略)
 (与那嶺路代、東京報道部) (琉球新報 /24 10:05)

                     ◇

1982年の検定意見でいったんは消された「住民虐殺」の記述が、後に復活したことがある。

高嶋欣也琉球大学教授が、「教科書検定意見書は撤回できる」と自信満々に叫ぶ根拠はこの先例による。

高嶋教授といえば、国立大学教授という肩書きながら、歴史の事実検証にはそっぽを向き、専ら「市民運動」を煽動することをその職務と勘違いしている市民運動男。

沖縄戦について語るとき、必ずついてくる枕詞がある。

「日本唯一の地上戦を経験した・・・」

「戦後も75%の米軍基地が集中する・・・」

そして、この「県民感情を配慮して・・・」。

これらの枕詞無しに沖縄戦の議論が始まると定番の恨み節が乱れ飛んでくる。

「本土防衛の捨石にされた・・・」

「県民感情を踏みにじる・・・」

そして「県民をバカにしている」と来る。

もうそろそ、沖縄戦を感情論を抜きにして冷静に論議・検証する場があってもおかしくないはずだ。

それは専門家・歴史化の仕事だと思うが、沖縄の専門家は歴史家というより市民運動が本業としか思えない。

>これについて文部科学省は13日、県関係者に「当時は県民感情に配慮した」と説明した。

そう、1982年といえば四分の一世紀前のこと。

当時は文部省も事実の検証と言うより、本土復帰後間もない沖縄の「県民感情」に押し流されたというのが本音だったのだろう。

しかし、もう既に戦後62年。

「県民感情抜き」で冷静に歴史の検証をしなければならぬ時期に来ている。

さもなくば、必ず将来に大きな禍根を残すことになる。


>つい「じゃあ今回も」と同じ基準を求めそうになる。実際、抗議行動や撤回要請の中でそんなやりとりが出ることもある。

語るに落ちたとはこのことだろう。

抗議行動や撤回要請をした運動家の本音はそんなところだったのでしょう。

<事実はどうでも、県民感情を配慮して撤回して欲しい>、これが本音。

62年前の文部省に代わって、今度は沖縄の運動家達が“感情”に訴えている。

 

全会一致で「撤回要請」を議決したという県議団の先生方も、議決した後になって現地聞き取り調査に行った。

この事実だけでも彼等が歴史を検証によらず“感情”で決めていることが分る。

また、その聞き取り調査事態も、

「もう決まったことだから、早く片付けよう」

と先に結論ありきの発言をする議員もいたという。

まことに噴飯モノの「県議会決議」であり「現地調査」であった。

                  ◆

大臣の一存で歴史教科書が変るようでは、共産党の一党独裁で教科書を自由に変える中国と何ら変らない。

教科書の記述は大臣が決めるものではなく、国、文化省の担当部門が然るべき手順で決めるものである。

民主主義国家であるわが国では大臣が変っても担当部署は粛々と次の意見を述べている。

「審議会委員任命は適切」 撤回要請に文科省  (9/26 10:40)

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「勝ち組、負け組」と「集団自決」の類似性

2007-09-25 05:51:25 | 教科書

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「勝ち組、負け組」というと、「格差社会」を連想する人が多いだろう。

六本木の高層ビルに居を構え、一夜にして巨万の金を動かす若者集団がいる一方、その日のねぐらを求めてネットカフェを渡り歩く若者集団が存在するのは事実だ。

だが、ここで言う「勝ち組、負け組」は日本の格差社会の問題ではなく、遠く離れたブラジルでの60数年前の「事件」のことである。

ブラジルというと日本人は何を連想するか。

サッカー、サンバ、最近では格闘技でブラジル柔術があるが、日本人が明治期に初めて本格的移民をした国がブラジルだということを知る人は少ない。

そして終戦後ブラジルの日系社会で起きた忌まわしい「勝ち組、負け組」のことを知る日本人が果たして何人いるか。

1945年8月15日。

天皇陛下の玉音放送はブラジルにも短波放送で伝わったが、その放送をほとんどの日系人が聞くことは出来なかった。

また、例え聞いた人の中でも、玉音放送が敗戦を告げる放送だと信じるものも少なく,日本のように「解説」してくれる人もいなかった。

それどころか逆に不確実な風評が飛び交い「日本が勝った」というデマは一夜のうちに日系人社会を駆け巡っていった。

英語のわかる一部日本人の中で、アメリカの放送も聞き、日本の戦況を良く理解する人もいたが、大多数の日系移民は「不都合な真実」を聴く耳は持たなかったようだ。

日本ではマッカーサーが日本占領開始した頃、ブラジルの各地の開拓地では、「日本が勝った、日本が勝った、」と戦勝記念日の祝賀会を開催するところまで現れた。

一方、状況判断の出切る良識派は「日本は負けたんだ」と主張し、日系社会は「勝ち組、負け組」に別れて不毛な争いを続けついには殺人事件にまで至ったという。
 
■「集団自決」と「勝ち組、負け組」の共通性■

9月9日に沖縄の宜野湾市で行われた講演会「沖縄戦『集団自決』の真実を探る」で、講演に先立って亀川正東琉球大学名誉教授の挨拶があったがその冒頭でブラジル日系人社会の「勝ち組、負け組」の話をされた。

「集団自決」と「勝ち組、負け組」とは何の関係が有るのかと思ったが、さすが日本エッセイスト協会員でもある亀川教授、現在の沖縄社会のマスコミによる「情報閉塞状態」が、当時のブラジル日系社会の「情報閉塞状態」と酷似しているとを見事に指摘してくれた。

しかも、驚くことに「勝ち組」の中でもっとも熱狂的で「不都合な情報」に耳を塞いで、勝ち組にあらずば「非国民」と騒ぎ立て、殺人まで犯したのは日系人の中でも沖縄出身者社会だったという。

現在の沖縄の新聞を見ているとブラジルの「勝ち組、負け組」を例に出して現在の沖縄の情報閉塞状態を批判した亀川教授の慧眼に改めて感心した。

亀川教授は、沖縄県民の民度の低さを嘆き「沖縄県民として恥ずかしい」とも述べた。
 
■情報閉塞が起きる理由■

勝ち組の中でも沖縄出身者は特に熱狂度が激しく、敗戦を認める「負け組」幹部らに非国民としてテロ行為を働き、数十人を暗殺し、百人余りの負傷者を出したという。

この事件はブラジルの日本移民社会においては現在でもタブーであり、半世紀以上もの間、日系社会では封印されてきた。

今では二世、三世の間でさえ知るものは少ないという。

では何故このような情報の閉塞状態が起きたのか。

その原因は主に日本語による情報入手の困難性にあった。

60数年前の、しかも日本から遠く離れたブラジルの地で、ポルトガル語が分からず日本語しか話せない日本人移民は、新聞にも雑誌にも見放された状態で戦時中をすごした。

つまり当時の日本人移民は日本語は読み書きができても移民先では一種の文盲状態にあった。

それだけではない。

自分で判断することを避け、自分の主張(日本が勝った)にそぐわない意見(日本は負けた)には耳を閉ざした。

つまりブラジルの「勝ち組」は自ら情報の門戸を閉ざしていたのだ。
 
■自ら情報の門戸を閉ざす沖縄メディア■

連日沖縄の新聞を賑わす「証言」は全て一方のグループの主張に偏った証言で、反対意見の「証言」はまるでデマの如く扱い、まともに紙面に載ることは無い。

ブラジルでは戦後かなり経過しても「戦勝○年記念祝勝日」と称して戦勝を祝っていたというから、現在のブラジル日系社会がこの話を封印したくなる気も理解できる。

現在の沖縄の狂乱振りが「県民大会」の狂乱に留まらず、教科書の書き換えにまでエスカレートしたとしたらら、沖縄県民の子孫は後の世に、これを「県民の恥」として歴史から抹消、封印せざるを得なくなるだろう。 ブラジル日系社会の忌まわしい「歴史」のように。

沖縄移民が60数年前にブラジルで犯した大愚を、情報社会と言われる21世紀で再び犯してはいけない。

【追記】

狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては常態である

一人は個、二人は対、三人以上になると集団性を帯びる

集団は時に人を変えてしまう

 (「毒吐きてっく」より孫引き)

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2007-09-24 13:40:04 | 教科書

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沖縄タイムス 2007年9月24日(月) 朝刊 21面  
 
県内首長、文科省を批判/専門家加え再審議を

 高校教科書から沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の強制を示す記述が削除された問題で、文部科学省の教科書審議会に沖縄戦の専門家がおらず、同省の検定意見原案が議論もなく通ったことに、県内四十一市町村の首長は「記述に手を加えるならば専門家の意見を聞くべきだ」と同省を厳しく批判していることが二十四日、本紙のアンケート調査で明らかになった。また、目抜き通りでの大会告知、バス手配など大会の準備も各自治体で進んでいる。
 アンケートは二十一日までに回答を得た。日本軍の強制の記述削除について文科省は「学術的な検討を得た審議会の決定」と説明している。

 金城豊明豊見城市長は「もともとあった記述に手を加えるならば専門家の意見を聞くことが、学術的にも公正・中立ではないか」と指摘。城間俊安南風原町長は「文科省が審議過程を正当化する姿勢は疑問」とした上で、両首長ともに「集団自決」の日本軍の強制を否定する「文科省の意図を感じる」と訴えた。(略)

                                                 ◇

>「もともとあった記述に手を加えるならば専門家の意見を聞くことが、学術的にも公正・中立ではないか」

今頃になって何を寝言を、といいたい。

当日記はマスコミが「民意」を扇動し始めた6月に、市町村長のアンケートなどで政治家を煽る前に、専門家の検証が先決だと主張してきた。


「集団自決」 専門家に議論させない地元新聞

市民運動より学者らによる実証的な研究を!

「民意」を狂乱するまで扇動しておいて、今頃専門家の議論とは順序が後先ではないのか。

県民が熱狂した状況下で「冷静な議論」ができるかどうかはさて置いて、

たとえ時期を逸したとはいえ、このような意見が出てきたことを、物事を冷静に考える人が出てきたと考えるのは当日記がちょっと甘いのだろうか。

                      *

異常に盛り上がる政治集会「県民大会」の開催日まで残すとこあと5日。

ネタが無くとも無理やり記事にしてしまうのがプロパガンダ紙の宿命。

今朝の琉球新報は、「青春!県民大会」といった中高生サークルの「記念写真」に太っ腹にも紙面を提供している。

今までの「新聞記念写真」は家族の4人だったが(「孫に真実伝えたい」 与論・喜山町議、家族で参加へ

中学生グループは5人で撮影ОKのようだ。(歴史の重さ実感 具志川中生徒「集団自決」を学習

で、高校生グループは、7名くらいで記念撮影。(事実学ばせて 真和志高インターメディア部、参加訴え )

あなたの家族、グループも今なら新聞に「記念写真」を掲載できますよ。

今の所、家族なら4人以上、グループなら5人以上ならОKのようだが。

勿論、「歴史わい曲に怒りで震え、県民大会動員に協力したい」と言う大義名分で拳を突き上げるのは条件だが、

「記念写真」が新聞に掲載されるならばお安いものだ。

しかし、毎日の新聞の扇動記事に判断力も麻痺し勝ちだが、ライブハウスで「集団自決」のフィルムをで上映する異常さに気がつくものが今の沖縄に何人いるだろうか。(検定県民大会向け「集団自決」上映会 22日那覇  )

それにして、もオリンピックじゃあるまいし、「灯火リレー」までやるとは、はしゃぎ過ぎでは無いのかね。(平和の灯リレー、走って世代つなぐ 糸満―県民大会会場

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「洗脳」! 「集団自決」で特別授業 南風原高

2007-09-23 06:25:50 | 教科書

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 一般に「洗脳」というと、ある人間を特定の主義・思想を持つように仕向ける事、またはその方法を指す。

朝鮮戦争時の捕虜米兵に対して共産主義を信じることをせまった行為を中国共産党が洗脳と呼んでいたのを訳してbrainwashingと名付けられた。当時米兵が次々と共産主義者であることを宣言し、関係者に衝撃を与えた。

中国共産党及び軍の洗脳は、1.外部隔離、2.尋問、3.処罰・暴力、4.巧妙な賞罰、5.徹底教化、6.罪の意識を植え付ける行為、7.自己批判などがあり、薬物使用の例もあるとしている。

映画や小説の世界でも取り上げられで朝鮮戦争にて共産主義者に洗脳された米兵が殺人を犯す映画を公開するなど、広く衝撃を与えた。

他にも日本人捕虜がソ連軍・中国軍から、インドシナ戦争ではフランス人捕虜が、ベトナム戦争では米兵捕虜が洗脳を受けたとされる。

それ故、当該地域で従軍した兵士の残虐行為の証言は必ずしも本当にあったとは限らず、適切な考察と研究が必要となる(実際に日本兵に対して中国共産党が行ったとされる洗脳で中帰連を中心として過剰な日本の残虐行為が喧伝された時期があった)

オウム真理教は旧ソ連で行われていた洗脳を真剣に実践したし、パナウェーブ研究所なども「共産主義者の攻撃」として電磁波による洗脳を恐れている。(ウィキペディアより抜粋)

                    *

昨日のエントリーで「県民大会」動員の異常ムードをネズミ講と揶揄したが、ネズミ講にひっかかるようなヤツは欲ボケしたカネの亡者どもだから自業自得だと言う人もいる。

ネズミ講には確かにそのような一面もある一方、「付き合いで」説明会に参加したが、プロの説得者「洗脳」され、気がついたら自分が熱心な勧誘者になっている例も多いという。

ネズミ講のような理論的には考えられないようなシステムに参加する連中はきっと知的レベルの低い連中だと思われがちが、銀行員や教師、中には大学教授などが「密かに」加入している例もある。

もっとも彼らは社会的地位があり面子があるので被害が出ても名乗り出ないのが普通だが。

知的レベルが洗脳に無関係だと言うことはオウム真理教の例を見れば自明だろう。

 

■中国共産党の洗脳手段

中国共産党は次の手段で洗脳をするという。

1.外部隔離、2.尋問、3.処罰・暴力、4.巧妙な賞罰、5.徹底教化、6.罪の意識を植え付ける行為、7.自己批判などがあり、薬物使用の例もある。

現在の沖縄の状況を考えると薬物使用は除くとしても、多かれ少なかれ上記の1~7の全てが当てはまる。

「外部隔離」にしても二つの地元紙を中心にした全てのメディアが一斉に煽り、「不都合な真実」を封殺する沖縄の現在の状況は情報の「外部隔離」と言える。

「処罰・暴力」「巧妙な賞罰」の中の暴力はともかく「賞罰」となると、県庁、各役所や学校の上司が参加を「要請」すれば、職場で不利な状況になると言う無言の「処罰」を恐れねばならない。

現在、学校で行われている「集団自決」関連授業は「徹底的強化」「尋問」「罪の意識「」自己批判」・・・といった中国共産党の洗脳プログラムに沿っていると言えなくもない。

「県民大会参加」を特別授業にしている学校などは参加しなかったら「欠席」扱いになると言うし、そのように熱心な学校の卒業生を「優遇」するような企業や組織が有るとすれば「巧妙な賞罰」に相当するだろう。

「洗脳」は理屈、理論ではなく感情に訴えて同じことの繰り返しでその効果を挙げる。

そういえば沖縄の新聞は「集団自決」関連記事には執ような繰り返しが多い。

                      *

■繰り返しが洗脳を加速■

「集団自決」関連の話題なら何でも記事になると昨日のエントリーで書いた。

高校生も大学生も大学学長も、各市町村長も、いやいや家族でも良い。

とにかく「集団自決」で徒党を組めば写真入で紙面を飾ることが出来る。

高校生は授業前10分 教科書検定問題学ぶ/南風原高

大学生は教科書問題を議論 あす学生沖縄サミット

大学学長は5私大学長 撤回要求

市町村長は県内40首長参加へ/9・29県民大会

我が浦添市長県民大会参加、市民に呼び掛け 儀間浦添市長

家族は⇒四人そろってハイ、チーズ。これって記念写真の新しい形?「孫に真実伝えたい」 与論・喜山町議、家族で参加へ

おやおや、
大手スーパーも⇒
軍命削除の問題点学ぶ コープ沖縄が学習会  

こちらの中高生も徒党を組んで「集団自決」かと思ったら、

何だ、集団飲酒か⇒中高生ら集団飲酒 那覇署補導 、でもこれで運転でもしたら本当に「集団自決」だが・・・。

 

そして皆でそろって「東京ツアー」。 

でも、200名は多すぎないかね。⇒東京行動200人規模 来月15、16日国へ要請

 

同じネタでも毎日繰り返し報道するのが新聞による洗脳の要諦。

ネタがない時は読者の「声」欄を有効に利用するのも洗脳の常道である。

今朝の琉球新報は「集団自決」「教科書検定」特集である。

やれやれ。

【追記】10月20日

投稿愛好家も洗脳のお手伝い!

和やかに投稿談議 新報社で集い130人交流 カメラ  (10/20 9:43)

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洗脳原論
苫米地 英人
春秋社

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ねずみ講

2007-09-22 07:02:08 | 教科書

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那覇日経、「集団自決」45人学ぶ 事前学習で生徒に怒り

県民大会を前に「集団自決」などについて学ぶ生徒ら=20日、那覇日経ビジネス工学院

 9月29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に特別授業の一環で1200人の生徒、教師が参加する那覇日経ビジネス工学院(島袋永伸学校長)は20日、「集団自決」などに関する事前学習を行った。事前学習には、メディカルスタッフビジネス科の生徒ら45人が参加した。
 同院情報工学科の国井正昭講師が沖縄戦の概要や新聞記事を基に「集団自決」について説明した。その後、高校歴史教科書検定の修正前と修正後を比較し「日本軍の関与があったことを削除しようとしている。『集団自決』した人々は自発的だったととらえられかねない。高校生が読んでどう思うか」と指摘した。
 生徒は「本当に隠そうとしているからむかつく」などと疑問視。大城舞子さん(19)=南城市=は「授業を受けて沖縄の真実からかけ離れていることに怒りを感じた。東京にも声を届けたい」と話した。事前学習は28日までに22クラスすべてで行われる。

(琉球新報 9/21 10:04)

                     ◇

今沖縄では「集団自決」関連なら何をやっても新聞は記事にしてくれる。
 
職業学校の授業が写真入で記事になっらり。
 
巨大葉書を作っても、記事になるし、(巨大はがきで撤回アピール/浦添市職労

ドサクサ紛れに過去の曲を発表してもも記事になる。(「白玉の塔」県民大会で歌唱 歌通し後世へ

マスコミは直前に迫った「県民大会」への参加動員にはなりふり構わず手段も選ばない様相だが、20日の琉球新報社会面トップを飾った記事で、動員人数を増やすにはネズミ講が一番だと妙な連想に走った。

「高利配当」2月停止 L&G全国に被害拡大か

出資した協力金の預かり領収書

 高利配当をうたい、沖縄を含めた全国各地で多額の出資金を募っていた健康関連商品販売会社「L&G」(波和二代表、本社・東京都)がことし2月ごろから、現金の配当を停止していたことが20日、出資者らの話で分かった。L&Gを相手に元金返還などを求める訴訟も全国各地で相次いで起こされており、那覇地裁でも同日、浦添市の女性を原告とした訴訟の判決でL&G側に300万円の支払い命令が出された。別の被害者を支援する東京の弁護士は「1500億円の出資金を募り倒産した全国八葉物流に匹敵する被害が予想される」と指摘しており、同社をめぐる問題は今後一層表面化しそうだ。
 L&Gは宜野湾市に沖縄営業所を置き、県内出資者を募っていた。沖縄営業所は琉球新報の取材に対し「本社に問い合わせてほしい」と話し、本社は「代表がいないので解答できない。代表が戻り次第、確認して折り返し連絡する」と話していたが回答はなかった。
 県内出資関係者の話によると、会員は全国に約5万人いるというが、詳しい出資金の総額や県内出資者数、出資額などは不明な点が多いという。
 L&Gは3、4年前か「協力金」名目で一口100万円が1年後には136万円(年率36%)になると説明し、不特定多数から集金していた。2007年2月以降に現金による配当は停止し、事実上、破たん状態に陥っているとみられる。
 静岡県でも女性2人が総額3千万円の元本返還を求めた提訴を起こしている。今年、東京で開催された全国大会で波代表は「66人の被害者による元本返還などの訴訟が起き(会社の)口座が差し押さえられ、配当できない状況にある」と話していたという。
 提訴した浦添市の女性は06年12月、300万円を出資した。しかし翌年2月に解約の意思を示すとL&G側は「捏造(ねつぞう)報道により当社の資金環境は非常に厳しい」として一方的に支払延期を通知し、現在も返還に応じていない。
 原告の女性は「盲目的に信じている人たちがいる。これ以上犠牲者を出さないために提訴に踏み切った」と話した。
 東京で訴訟を起こした内藤満弁護士は「明らかに出資法に抵触している。倒産しないためには永遠に新規会員が増え続けなければいけない。いずれ必ず破たんする」と指摘した。(宮城征彦)

(琉球新報 9/21 9:54)

                     ◇

今から三十数年ほど前、アメリカ生まれの大型ネズミ講が初めて日本に上陸し日本中を騒がした。

その名は「ホリデイマジック」と称して化粧品販売を「マルチ商法」で販売すると標榜していた。

当時、化粧品の販売方法には資生堂に代表される店頭販売法とポーラに代表される訪問販売があったが、ホリデイマジックは第三の商法と称する「マルチ商法」でこれを販売すると宣伝していた。

今ではマルチ商法というと詐欺まがい商法の代表と思われているが、その頃はアメリカで生まれた新しい商法という触れ込みで、勿論現在のようにこれを規制する法律もなかったので、マルチ商法という名に詐欺的意味を感じる人はほとんどいなかった。

結局は化粧品の販売というのは目くらましで、実際は「販売権」という架空の権利を売買するのが目的で、その説明会に顧客を勧誘すれば専門のアジテーターが「このシステムがいかに儲かるか」と言葉巧みに扇動し、顧客に投資させその顧客を会場に動員した会員に配当金が配られるという仕組みだった。

いわば化粧品を餌にした巨大ネズミ講だった。

このアメリカネズミ講は全国に先駆けて沖縄で異常に拡大した。

ホリデイマジック以外にも沖縄で異常増殖したマルチ商法は数多くある。

いずれも目くらましの商品の販売を宣伝するが実態はネズミ講そのものである。

では何故沖縄でネズミ講が増殖しやすいのか。

それは沖縄は「結いマール」社会といわれ「むえー(模合)」と呼ばれる無尽講が社会のいたるところで行われているという事実である。

無尽とは金融の一形態であり、複数の個人や法人等が講等の組織に加盟して、通常は一定の金額を講等に払い込み、入札や抽選によってその払い込み合計金額を受けるシステムである。

友人同士の親睦のための「模合」は別として、金融のための「模合」への勧誘は信用のある人を主催者に立てると、続々と参加者が増えるというのが一般的である。

ところが信用があると見えた人が実際は借金だらけで「模合」が崩れる話は沖縄では決して珍しくはない。

このような沖縄の社会環境では人間の楯横のつながりが重要で、そのため結婚式や葬式に集まる人数の多さは他県の人を驚かす。

上記記事の健康関連商品販売会社「L&G」も結局は「ホリディマジック」の変容したネズミ講なのだろう。

石川五右衛門は「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」と辞世の歌を歌ったが、

沖縄では時代が変ってもネズミ講の種は尽きないようだ。

ところで、昨日のエントリーで新聞社の扇動に煽られて沖縄中が「県民大会」に動員される様子を評して「ネズミ講」を連想すると書いたら、読者の「鴨川」さんから次のようなコメントを頂いた。

ネズミ講 (鴨川)
2007-09-21 16:32:30

ネズミ講とは言い得て妙、です。
ある方のブログに「『大会に参加しろ、ついでに5人集めて来い』と普段お世話になっている人から言われた」という内容の日記がありました。
単に数を集めればいいのだという意図が見え見えですね。
数日前の新報には北海道大学の先生のインタビューが掲載されており、「検定は自由と民主主義に反する」といった内容でした。やはり検定反対派は、歴史は世論で自由に修正できると思ってるんでしょうね。

「県民大会に5人勧誘したら○○円配当」といった巨大ネズミ講が県民大会への動員に行われる。・・・悪夢だ。

三十数年前の若き日、『マルチ商法を斬る アメリカ版大型ネズミ講の上陸,』(コスモス出版)という本を出して当時のベストセラーになったことを想いだした。


まるで開戦前夜!チラシ完成 30万枚配布

2007-09-21 07:16:58 | 教科書

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チラシ完成 30万枚配布

 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」のチラシ=写真=が19日、完成した。30万枚を各地域の実行委や公立の小中高校を通じて配布し、地域や各家庭に参加を呼び掛ける。

(9/20 10:44)全文 >>> 

 

■ヌーの群れの連想■

 「県民大会」まで10日を切った。

人口の3割に、も及ぶ膨大な量のアジビラも出来たも出来た。

土俵に駆け上がってビラを撒こうとした女性の抱えたビラとは規模が違う。(そんなの関係ない、・・・か)

新聞は毎日「○○が参加」とアジビラをバックアップしているが、まるで開戦前夜の様相。

どこからか「軍靴の響き」とともに、「撃ちてし止まむ」 「鬼畜検定」といった戦意高揚の標語も聞こえてきそうな勢いだ。

標語といえば、「一億一心」 「進め一億火の玉だ」の他に 「一億玉砕」 もあったようだ。

新聞の旗振りに従って「県民大会に」集まる県民の姿を想像し、唐突だが、動物ドキュメンタリーでよく見る「リーダーに追尾し雪崩をうって崖を落ちていくヌーの群れ」を連想してしまった。

  • 中山委員長が大会で意見表明 県教委、全委員参加  (9/20 10:43)
  • 県民大会成功へ 中城実行委発足  (9/20 10:42)
  • 北中城村でも参加呼び掛け  (9/20 10:42)
  • 南風原町も結成 取り組みを検討  (9/20 10:41)
  • 粟国も全議員参加  (9/20 10:40)
  • 九子連に決議要請 検定意見撤回で沖子連  (9/20 10:40)
  •  

    ■ヒトラーも「民意」の結果だった資格

    同じ日の琉球新報は上記以外にも「声」欄で渡嘉敷在住の源哲彦氏(61歳)が「検定撤回の潮流」というタイトルで投稿している。

    ≪(前略)来る9月29日に開催される「教科書検定意見撤回を求める県民大会」は、今や全国的な“潮流”(世論の流れ)となっている。 もはや、政府(文科省)の力では、とてもじゃないが止めようがない状況になってきている。 「世論」こそが、国を動かすのである。≫(タイムス「声」欄)

    ここでもう一つの連想。

    熱狂する国民の前で拳を振り上げて叫ぶチョビ髭の男の姿。

    そう、ヒトラーは国民投票の熱気の中で総統という最高権力を手にしていた。

    「教科書記述変更」は群集の熱狂で行うものではない。

    この源氏は9月1日の沖縄タイムス、と9月8日の琉球新報の「論壇」にも「集団自決」関連の投稿をしている。

    20日間で地元紙に三回も同じテーマで投稿しているのでいわば投稿のプロともいえる方だろう。

    9月1日のタイムスの「論壇」で、源氏は、

    軍命存在の唯一の“物的証拠”とされる手りゅう弾の配布の証言者富山氏の証言を、「富山氏は生前「真実は今や私だけが知っている。 その真実は墓場まで私が持っていく」といったのを直接聞いた事がある。」(沖縄タイムス)と記述している。

    源氏が富山氏の生前「その真実は墓場まで私が持っていく」という言葉を直接聞いたとすると

    富山氏が今まで話してきた証言は嘘だということになる。

    富山氏は(何らかの目的の為に)嘘を「村史」に残して、

    真実は墓場の中まで持っていったことになる。

    計らずも源氏は富山氏の生前漏らし言葉を直接聞くことにより富山氏の嘘を自ら証言する形になった。

    「真実」は墓の中まで 「虚偽」と「真実」の戦い 「集団自決」訴訟

     

    【追記】今日のエントリーは連想が多すぎた。 

    女人禁制の土俵にチン入しようとした奇妙な女からお笑い小島、そしてヌーの群れにヒトラー。 ここまではよしとしよう。

    だが連想は更に「結いマール」から「ねずみ講」まで飛びそうだったので途中でやめた。  反省。

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    南京大虐殺 沖縄タイムスの自爆

    2007-09-20 06:21:31 | 教科書

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    沖縄タイムス 2007年9月18日(火) 朝刊 1・25面  
     
    「南京」検定も国主導/職員、反証文献出版にお礼

    「官僚中心」以前から/関係者が証言

    旧日本軍の文書などを基に、日中戦争当時の南京での日本軍の行動を示す史料を集めた「南京戦史」(偕行社、一九八九年)が発刊された際、文部省(当時)の教科書課職員が「これで(南京大虐殺の被害者が)二十万人、三十万人と書いてくる教科書に指導ができる」と、編集者らにお礼に訪れていたことを、十七日までに関係者が証言した。教科書検定は、教科書課職員が最初から記述修正の方向性を決め、検定意見作成にかかわるなど、以前から官僚主導で行われていた実態が浮かび上がった。(教科書検定問題取材班)

     証言したのは「南京戦史」の編集にもかかわった研究者。南京戦史が発刊されて間もなく、同省の教科書課職員が偕行社を訪れ、編集にかかわった人々に「ありがとうございます」とお礼を述べたという。

     「南京戦史」は発刊の目的の一つに、「学校の教科書に記載されている『南京事件』の誤った記述を是正する根拠を提供すること」を挙げる。防衛庁(当時)などに残っていた戦史記録や、元日本兵の証言などを基に、中国兵捕虜のうち殺害された人を三万人前後、一般市民で殺害された人を一万五千七百六十人以下などとし、「(虐殺被害者が)二十万、三十万という数字がまったく真実性に欠けていることを証明」と記す。

     お礼に訪れた文部省職員は「これで、被害者数を二十万人、三十万人と書いてくる教科書に対し、『反証になる文献もあるので、これを併記するように』と指導できる」と話したという。

     当時の教科書検定の状況を知る同省元職員は「教科書課長など、行政管理職がお礼に行くことはありえない。教科書調査官が行ったのではないか」と話した。

     また、「当時も、検定意見のベースをつくっていたのは教科書全体を見ていた調査官。日本史の審議委員は、歴史研究についての専門家として参加してもらった。教科書に記載されたすべての事象についての専門家をそろえるのは不可能」と説明し、日本史の審議委員には歴史研究の専門家として大局的な判断をしてもらっていたという。

     さらに元職員は「数人の調査官がすべてを網羅するにも限界がある。意図せずして検定意見に『偏り』や『見落とし』が生じることはあり得る」とも話した。

     「南京戦史」が発刊された当時、同省は教科書検定で、南京大虐殺の被害者数などをめぐる記述に対し、「現在の学説、史料に基づき断定的すぎないように」との配慮を改善意見で求めていた。

         ◇     ◇     ◇   

    毎日ブログのテーマが、「集団自決」と「教科書検定」で、来訪していただいた方もウンザリだと思うが、書いている本人もウンザリ気味。

    ところが、地元紙のウェブサイトに目を通すと、これでもかとばかりに香ばしい記事のオンパレード。

    上記記事は検定問題を「南京」にまで及ぼしているが、当初は一読でスルーしようと思った。

    というのは沖縄タイムスの歴史観が「語るに落ちた」の一言で済んでしまうからだ。

    とはいってもそれでは手抜き過ぎるので多少お付き合いをしてみよう。

    >官僚主導で行われていた実態が浮かび上がった。

    実態も何も「国の教科書」の検定を行うのを政治家やサヨク学者に委ねて来たそれまでの教育行政がおかしかったわけで、それを「官僚主導」に修正したに過ぎない。

    それともタイムスの記者さんは中国様の検定を受けろとでも仰るのだろうか。

    >「これで、被害者数を二十万人、三十万人と書いてくる教科書に対し、『反証になる文献もあるので、これを併記するように』と指導できる」と話したという。

    これもごく当然のコメント。

    それまでの中国の垂れ流した「被害者三十万人」を教科書に残せとでもいうのだろうか。

    いまどき「三十万人説」唱えるものは日本のサヨク学者にもおらず、中国のプロパガンダをそのもまま垂れ流した本多勝一氏でさえ「十数万説」としているのに沖縄タイムスは未だに中国の「白髪三千畳」を信じている模様。
     
    南京にある南京大虐殺紀念館は未だに「三十万説」なので、沖縄タイムスはこれに従って教科書を書けと主張していることになる。

    >「南京戦史」は発刊の目的の一つに、「学校の教科書に記載されている『南京事件』の誤った記述を是正する根拠を提供すること」を挙げる。防衛庁(当時)などに残っていた戦史記録や、元日本兵の証言などを基に、中国兵捕虜のうち殺害された人を三万人前後、一般市民で殺害された人を一万五千七百六十人以下などとし、「(虐殺被害者が)二十万、三十万という数字がまったく真実性に欠けていることを証明」と記す。

    これもごく当たり前のことで、簡単に言えば「教科書に中国のプロパガンダをそのまま載せてはいけない」という意見に過ぎない。

    >「現在の学説、史料に基づき断定的すぎないように」との配慮を改善意見で求めていた。

    これも「集団自決」にもいえることだが、ごく当たり前の意見だが何か。

    >同省の教科書課職員が偕行社を訪れ、編集にかかわった人々に「ありがとうございます」とお礼を述べたという。

    中国のプロパガンダまみれの教科書の「三十万人」を否定するのはいわゆる悪魔の証明。 

    これを否定する検証本が出たのなら「ありがとうございます」と感謝するのが日本人だと思うが、これが気にいらない沖縄タイムスはやはり中国の代理人なのか。

    記事に一々反論するのもバカバカしいので「ごく当然」の連発に終わったが、やはり、「語るに落ちた」の一言で済んだことだった。

    このような中国の歴史認識で沖縄戦を見るからどうしても「残虐非道の日本軍」という「南京大虐殺紀念館」の歴史観を教科書に反映させないと「歴史歪曲」になるのだろう。

                          *

    「県民大会」まで10日ということで、各市町村ごとに実行委を組織という異様な事態になってきた。( 19市町村に実行委 大会まで10日  )

    道路の端には連合沖縄の「県民大会」動員の赤い看板が立てかけられ景気を煽っている。(検定県民大会で労組連絡会結成 連合沖縄、平和センター )

    そしてついには「教科書検定」を歌や踊りにするものまで現れた。

    平和への思い全身で/9・29県民大会で手話ダンス披露

    やはり異常だ。

     

    こういう記事(高知・香南市議会が意見書/検定撤回)もいい加減うんざりだが、

    次のような記事は、ウェブサイトには載らない。

    ≪「集団自決」請願不採択 千葉県佐倉市市議会委(新報19日)≫

    小さな夕刊ベタ記事でも載せただけ新報はまだましか

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    全体主義の予感 /杉村大蔵に続け!

    2007-09-19 05:53:16 | 教科書

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    先ず気になるブログを一つ。

    杉村大蔵ブログhttp://www.sugimurataizo.net/より引用。

    自民党総裁選について
    2007年09月18日 12:46

    勝ち馬に乗ることだけが勝ちだとはとても思えない。

    ましてや、派閥の親分が右だからと言って右に向くような、そんな先祖も驚きの先祖返りをするような選択しかできないようならば、はっきり言って政治家なんて誰でもできるじゃないか。

    本当にこの国の未来を託せるのはどちらの候補者なのか。

    議論が尽くされたとは到底思えないこの段階で、結論を出すことなど私にはできない。

    最後の最後まで、じっくりと両候補者の政策主張に耳を傾け、いくら歳が若いからといっても国民を代表する政治家の一人として、投票のその瞬間まで自らの政治信条に照らし、私は一票を投じたいと思います。

    杉村太蔵               

                        *

    福田支援の各メディアは「杉村大蔵の正論」を冷笑したような報道しかしないが、正論には正論で答えて見よ。

    「派閥談合」って大政翼賛会みたいなものだよね。

    これって全体主義?

     

    ダムの一穴はまだ生きている。

    出でよ、第二のタイゾー!

    杉村大蔵の正論「派閥談合反対」 ダムの一穴になるか

                          ◆

    昨年の2月、「狼魔人日記」を新しく立ち上げたとき、ブログ名を「蟷螂の斧」にしようかと迷ったことを想いだす。

    最近の沖縄メディアが連日垂れ流す怒涛のような虚報の波にもまれながら、細々と批判文を書き連ねている当日記は、まさに蟷螂の斧である。

    言うまでも無いが蟷螂(とうろう)の斧とは、〔カマキリが前脚をあげて大きな車に向かってきたという「荘子」などの故事から〕自分の弱さをかえりみず強敵に挑むこと、それが転じてはかない抵抗のたとえ。http://www.geocities.jp/shiitakeya1/tourou.html

    沖縄メディアが流す「虚報の暴風」に小さな斧で立ち向かって、・・・と格好つけては見ても多少ウンザリというのが本音ではある。

    ■「全会一致」は「全体主義の予感」■

    「軍歌の響きが」とか「何時か来た道」とかマスコミが騒ぐとき、戦前の軍部による言論弾圧に話が及ぶ。

    だが、軍部が独走し、言論を弾圧して国民を戦争に動員した、という常識的な理解は間違いである。

    新聞も、軍の検閲や弾圧によってやむなく戦争賛美記事を書いたのではなく、自ら戦地に従軍記者を送り、戦意高揚につとめたのだ。

    名前は失念したが古い落語家の体験談で、当時演目から女々しい内容の出し物がなくなり戦意高揚の勇ましい出し物に変った経緯を、軍の命令ではなく、落語協会の自主判断だったと証言していた。

    それも、結局は顧客の要望であり、民意に沿って戦意高揚の演目に変えたわけだし勇ましい演目でなければ客は満足しなかったのだ。

    戦後はそれを軍の言論弾圧のせいにしていると嘆いていた。

    自らの判断で戦意高揚の記事を書きまくった代表が朝日新聞であることはよく知られた事実。

    戦前の沖縄の新聞もごたぶんにもれずミニ朝日よろしく戦意高揚を煽る記事を書いていた。

    それが態度一変、いや、伝統保持といった方がいいのだが、最近の沖縄の新聞は県内各地で思想統制を煽るような記事を書き続けている。

    「超党派」といえば聞こえがいいが、超党派も度が過ぎると「全会一致」が通常となり全体主義の予感をさせる。(国会議員共同声明へ 「撤回が県民総意」

    県内に溢れる「全会一致」の嵐を尻目に、真実を書き続けることは決して蟷螂のようなはかない抵抗ではない。

    ガリレオの例もあるし、何より激励してくれる読者のコメントも多い。

    コメント欄に寄せられた読者の「きんじょう」さんのコメントを下記に引用する。

    ≪全会一致とは (きんじょう)
     
    2007-09-17 11:46:27
     
    「全会一致は不採用」という法則が、古代ユダヤにはあったらしいが、昨今の沖縄をみると人間というのはここ何千年進歩していないのかと思ってしまう。

    およそ議論の存在するところに全会一致があるわけが無い。まして歴史的事実を問いかけている「軍命問題」で議論の一つもなく多くの市町村が「全会一致」とは古代ユダヤ人が失笑しそうな話である。

    泥棒にも1分の理というと、「軍命あり」とする沖縄の狂乱ぶりを憂えている方々から、たとえが悪いと怒られそうだが、言わんとするところはわかって頂きたい。私はその泥棒が冤罪だと言いたいほうですから。

    おそらく9月29日は新聞に「大成功」の見出しが躍るくらい盛況になるでしょう。真剣に「軍命あり」を考えている人たちの集会なら5万人も集まることはないでしょうが、新聞はうまく誤魔化して、集団自決そのものが教科書から削除されたかのような誤解を受けた人や、戦争で沖縄が被害にあったのは間違いないからと論点を履き違えた人、あるいは現政権に不満を持っている人、お祭りが好きな人、まったく個人的な人生に不満を持っている人、いろいろ集まるでしょうから

    私は「軍命あり」を真剣?に考えている人たちをあえて否定はしません。歴史的事実とは山本七平の言うあくまで「語られた事実」にしか過ぎません。それゆえ検証し議論することが大切なのですが。それにしても沖縄はどうなるんでしょうね。

    今度の大会が盛況に終わると(盛況でなくても)、大阪の判決が原告側の勝訴になっても沖縄の教職員は教科書に書いていない「軍命なし」を生徒には軍命ありと語るのでしょうね。暗澹とします。 ≫

     

    各市町村議会で「検定意見書撤回」を全会一致で議決したと思ったら、今度は「県民大会」への全員参加を議決と来ましたね。

    これはある種の強制連行だという意見もあります。

    当然これも全会一致なんでしょう。

    ざっと拾っただけでもこの通り。

  • 全員の参加決定 東村議会  (9/14 10:30)
  • 今帰仁村議会も全議員参加決定  (9/13 16:24)
  • 国頭村議会 全議員が参加  (9/13 16:22)
  • 宜野座村議会も全議員参加決定  (9/12 16:03)
  • まだまだあるが煩雑なので省略しよう。

    いやはや、これでは個人の判断など屁みたいなもので、小林よしのり氏が「沖縄県民は同調圧力に弱い」というのもうなずける。

    大阪の判決が原告側の勝訴になっても沖縄の教職員は教科書に書いていない「軍命なし」を生徒には軍命ありと語るのでしょうね。暗澹とします

    判決に予断は禁物だとしても、裁判が推測や文学を論じる場ではなく客観的証拠を根拠に判決を下す場だとしたら被告側の敗訴は間違いない。

    被告を支援する側はそれを既に承知しているので専門家の議論・検証を避けて、「政治運動」という場外乱闘に持ち込んでいるのです。

    教科書問題は「(歴史検証という)正義の問題ではなく政治問題だ」と講演しているのが外務省のラスプーチンこと佐藤優氏。

    沖縄のメディアには「政治闘争」が足りない。正義闘争だけでは勝てない。民主主義は、結局、多数決だから正面突破だけでは、少数派は勝てない。(3)佐藤優さん・起訴休職外務事務官

    同調圧力を加速させるため「沖教組 教職員の参加促進を 」、よしとしても県内41市町村、全教育長が参加には驚いた。

    沖縄では教職員と教育長は同じアナの狢だったのだ。

    他にも同調圧力の亡者たちの狂乱振りは枚挙のいとまはない。

  • 読谷村で実行委 各地に続々結成動き カメラ  (9/13 10:04)
  • 20団体で実行委 糸満市が結成決定  (9/13 10:01)
  • 18日実行委結成 八重瀬町が決定  (9/13 10:00)
  • 実行委を結成へ 豊見城市議会  (9/13 10:00)
  • 参加呼び掛けへ 沖縄市が連絡会議  
  • 中部地区老人クラブ大会 検定撤回大会参加呼び掛ける

  • 専門学校3校も参加 日経教育グループ  (9/12 16:06)

  • 「全会一致」の決議は県内から飛び出して、四国にも及んでいる

    高知・香南市議会が決議/検定撤回 意見書可決 県外自治体で初


    高校球児を政治利用 なりふりかまわぬ「県民大会」

    2007-09-18 06:39:53 | 教科書

    沖縄では「新聞は社会の木鐸」という言葉は絵空事に過ぎない、いや、むしろ強烈なギャグと受け取ったほうが相応しい。

    社会に渦巻く矛盾、不正を木鐸を鳴らして警鐘を発するどころか,逆に新聞自らそれを助長させ、扇動の旗を振りかざしているのが、沖縄の新聞だ。

    ちなみに琉球新報のコラム「金口木舌」も「木鐸」からの転用のようだが、沖縄タイムスのコラム「大弦小弦」のいわれは寡聞にして知らない。

    これが、「大言壮語」の語呂合わせだとしたら、これも強烈なギャグのつもりなのか。

    伊集の木会も大会参加を決定 」 とは何事かと思ったら「知的障害者を政治利用」と知って我が目を疑ったことはまだ序の口だったのか。

    知的障害者をその施設長の独断で、家族ともども「政治活動」に動員すると聞けば真っ先にこれを批判するのが「社会の木鐸」の使命のはずだ。

    だが、沖縄の新聞はこれに何の批判もなく、むしろ誇らしげに報じる。

    だが、これで驚くのはまだ早かった。

    次のニュースには沖縄の良識もここまで堕落したかとしばし絶句する。

    ■「政治活動」へ球児を動員■

    秋季野球日程を変更 大会当日、球児参加に協力  

     29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について、県高校野球連盟は16日までに、現在開催中の県高校野球秋季大会の日程を変更し、生徒や学校関係者が県民大会に参加できるよう協力することを決めた。
     
    29日には3回戦の8試合が行われる予定だったが、大会開催時間までに終了できるよう2試合とする。
     県高野連の狩俣幸夫会長は「県教育長自らが学校長に呼び掛けた経緯もあり、参加したい生徒も多いはずで、中断して協力することは当然のこと」と経緯を説明。「平和教育をリードしてきた沖縄で、県民がその思いを強く言う必要があるとして盛り上がっている。そこから高校生が学ぶこともあるはずだ」と自身も大会に期待を掛けた。

    (琉球新報 9/17 9:59)

                        ◇

     >現在開催中の県高校野球秋季大会の日程を変更し、生徒や学校関係者が県民大会に参加できるよう協力することを決めた。

    現在開催中の野球大会を変更させてまで、生徒を県民大会に強制動員することに何の違和感も感じない神経の麻痺ぶりに先ず驚かされる。

    甲子園を夢見て白球を追う球児たちにとって雨天や悪天候で試合日程が変更されるのともかく、「政治集会」に動員するため試合日程が変更されることはそれこそ晴天の霹靂だろう。

    高野連は黙って見ているのだろうか。

    高野連が黙っていたらこれに批判の矢を放つのが「社会の木鐸」のはずだ。

    野球を愛する高校生を、自分たちの政治活動に動員する権利を有するとでも思っているとしたら、沖縄はいまや「全体主義自治区」に成り下がってしまったことになる。

    そう、全体主義への「何時か来た道」を辿っているのは彼ら自身ではないのか。


    沖縄県民の大誤解 教科書検定

    2007-09-17 12:01:04 | 教科書

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    沖縄タイムス 2007年9月16日(日) 朝刊 1面  
     
    出版社、訂正は「無理」 「軍強制」記述回復

    検定意見ある限り認められず「国の撤回しかない」

     文部科学省が高校歴史教科書の沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」について、日本軍の強制をめぐる記述を二○○六年度の検定で削除させた問題で、複数の教科書出版社の関係者が沖縄タイムスの取材に応じ、「軍強制」の記述を回復させるには検定意見の撤回や変更が必要との見解を示した。教科書会社が文科省に、内容を手直しする正誤訂正を申請して記述を元通りにさせることは、「手続きはできるが、検定意見がある限り、文科省は記述回復を絶対に認めないので無理だ」と口をそろえた。(教科書検定問題取材班)
     「驚きはなかった」。社会科の教科書編集に、長年携わってきた出版関係者は、「集団自決」に対する検定意見を渡されたときを振り返る。「これまでの教科書検定も、その時々の政権の歴史観に影響を受けてきた」

     別の関係者は「南京大虐殺や従軍慰安婦をめぐる記述で社会科の教科書検定が注目されるようになり、検定が神経質さを増してきた。記述の自由を制約し、慎重さを求めるのが最近の検定の傾向だ」と話す。

     検定意見を渡されると、その後、十週間の修正期間で教科書調査官と教科書会社が意見がついた記述をどのように変更するかやりとりする。教科書会社側も「簡単に引き下がったわけではない」が、結局は調査官が考える歴史解釈の幅に収まる表現に改められる。

     出版社は検定意見を渡されてから十五日以内に反論書を提出し、検定意見の見直しを求めることもできるが、「よほどはっきり『検定は間違い』といえることでなければ難しい」という。「文科省と必要以上に争いたくない」との本音もある。

     正誤訂正の申し出による記述回復については、「教科書執筆者から正式な要求があれば、出版社としては考えざるをえない」という出版関係者もいるが、「外部からの要求に、教科書出版社として応じるわけにはいかない」「検定意見への抵抗を示す意義は認めるが、記述回復という結果にはつながらない」と消極的な姿勢が目立つ。

     「文科省が検定意見を撤回するか変えるかしなければ、今後も教科書に『日本軍の強制により集団自決があった』とは書けない」のが現状だ。

     ある教科書編集者は、「検定制度がある以上、こうした問題は起こり続ける」と指摘した。

                         ◇

    政府・文部科学省の「教科書検定」に対する公式見解は「文科相 撤回に否定的/「集団自決」修正 」で述べたのが生きており、沖縄タイムスがサヨク執筆者にインタビューすれば上記のような記事になるのだろう。

    そう、世の中にはいろんな考えの人がおり、歴史の検証よりイデオロギーを重視して教科書記述する執筆者もいる。

    「歴史教育者協会」に属するようなマルクス主義史観の執筆者なら文科大臣の正論に批判的でも不思議はない。「集団自決」検定/執筆者「恣意的」と非難

     

    ■「歴史教育者協議会」とは?http://www.jca.apc.org/rekkyo/html/katudou_c.html#okinawa

    軍命削除撤回を決議 歴史教育者協議会  (琉球新報 8/4 16:03)

     

    「軍命の有無」については歴史の専門家の間ではすでに決着がついている問題だが、一部に異論があるのも事実である。

    そこを斟酌して、検定意見では「軍命の有無」についてはあえて触れていない。
       
    今、県下で大騒ぎしている「教科書検定撤回を求める県民大会」動員キャンペーンに踊る県民には「教科書検定」について二種類の大きな誤解がある。

    ①「教科書検定意見」で集団自決そのものの記述が削除された

    ②「検定意見」で「軍の命令は無かった」と断定され、その結果教科書から軍の命令を思わせる記述が削除された。

    「集団自決」の問題と「教科書検定意見」の問題は相互に絡み合い、それにマスコミが意図的に誤報を流すため、

    県人は大騒ぎはするが事の本質を理解する人は少ない。

    二つともマスコミが意図的に造り上げた虚報だが、①の誤解は単純なだけに説明すれば分かってもらえる。

    だが、②のケースはサヨク特有のすり替え論が絡んでいるので理解してもらうのが難しい。

     

    ■「教科書検定意見」への意図的誤解■

    以下はサヨクサイトの典型的すり替え論の引用。

     ≪検定結果発表当時の報道では、文部科学省は以前から(命令や強制はなかったとする)反対説との間で争いがあり、軍の命令があったと断定するのは不適切で、今回から意見を付けた(「時事通信」2007/3/30)としていました。
     
    「学問的に争いがあり、命令があったと断定するのが不適切」なら「命令がなかったと断定するのも不適切」となるはずです。しかし検定では「命令がなかった」と断定するような方向への修正がおこなわれました。
     今回の国会質問とつきあわせると、このような検定結果になった理由は、「文部科学省が訴訟を支持している立場のために、訴訟原告の主張に沿って修正させた」という、きわめて政治的なものの可能性が濃くなります。≫
    きょういくブログ(4月14日)

    >「学問的に争いがあり、命令があったと断定するのが不適切」なら「命令がなかったと断定するのも不適切」となるはずです。

    このあたりがサヨクのすり替え理論の典型である。

    検定意見が「命令がなかったと断定するのも不適切」。

    その通りである。

    「命令があった」とも「命令がなかった」とも、現時点ではどちらに断定する検定意見も不適切である。

    従って検定意見では「命令の有無」についてはあえて触れていない。

    それを「『命令がなかった』と断定するような方向への修正がおこなわれました」と虚偽の情報を流し、

    その結果「検定意見書で命令が無かったと修正された」、と誤報を流し県民を狂乱させているのが沖縄メディアの実態である。

     

    ■教科書執筆者の記述変更は「渡りに舟」■ 

    更に、その虚偽を追求されるとサヨクは次のように強弁する。

    <文部科学省の説明は、一見するともっともなように見えます。しかし文部科学省が検定意見をつけたことで、各教科書会社は逆に「命令や強制はなかった」と受け止められる記述へと変更しています。>

    つまり検定意見が「軍命令の有無」に触れなくても教科書会社は「命令や強制はなかった」と受け止められる記述へと変更していると。

    だが、この教科書会社の自主的記述変更について教科書執筆者の実情に詳しい現代史の専門家秦郁彦氏は次のように語っている。

    秦郁彦氏は産経新聞(東京版)へのコメントで「軍の命令」が独り歩きした背景を探った上で、こう述べている。「教科書執筆者も(軍命が無かったことに)既に気付いており、今回の検定はいわば“渡りに船”だったのではないか」と。痛烈な皮肉と受け取った。>(産経新聞2007/04/01 05:06)

    この在りもしない「検定意見」を撤回を要求する「県民大会」で大騒動なのが現在の沖縄の異常な状況である。

    沖縄タイムス 2007年8月28日(火) 夕刊 5面  
     
    文科相 撤回に否定的/「集団自決」修正

    直接回答は「大変危険」

     【東京】高校歴史教科書の沖縄戦「集団自決(強制集団死)」の記述から、日本軍の関与が削除された問題で、内閣改造で留任した伊吹文明文部科学相は二十七日、検定意見の撤回を求める沖縄側の要望について「ストレートにお答えするのは大変危険なこと。私が修正できるとか、こうあるべきだと言った途端にとんでもないパンドラの箱を開いた汚名を着る」と述べ、意見撤回に否定的な見解を示した。安倍内閣改造後の会見で答えた。
     伊吹文科相は、県民の気持ちには理解を示した上で、「(撤回すれば)今度は日中、日韓、その他の問題で、ある意見を持った人たちが『こうしろ』と言ったら、大臣の権限でできるという国であってはならない」と説明した。
     
                           ◇

    上記の文部科学大臣のごく当たり前の意見でどれもこれに異論を挟む者はいないだろう。

    「国旗国家推進沖縄県民会議」の恵忠久会長はこの辺の事情を次のように解説している。

    ・・・「自決命令の有無」については検定意見では触れないことにしたが、軍からの自決命令が無かったとはしていない。

    ところが、新聞報道は「集団自決そのものが書き換えられた」如く誤報して県民を惑わし、歴史学的にはまったくの素人である議会や各種団体が、学術的な検討もせず、新聞などの単なる風聞のみで、多数決で【軍の地域の隊長からの自決命令があった」と決議して、政府に書き換えよと強要している現状である。(略)

    歴史事実の記載に誤りがあれば学術的に冷静に書き直すことは可能であるが、

    群集を集め、徒党を組んで、足は大地を蹴散らし、拳は天中を突き、政治的に変更を要求するのは如何なものか。>

     

    歪曲拒否「島ぐるみ」 山口琉大准教授、韓国・平和会議で報告  

    沖縄の大学はサヨク学者の掃き溜めだと言われるが、この先生韓国に出張してまで「日本軍の残虐性」を訴えているようだ。

    この先生、出張費はどこから出ているのだろうか。

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    知的障害者を政治利用

    2007-09-15 18:00:38 | 教科書

    沖縄タイムス 2007年9月15日(土) 朝刊 30・31面  
     
    実行委、5万超へ奔走/県民大会残り2週間

     二十九日に宜野湾海浜公園で開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」まで十五日で残り二週間となった。仲里利信実行委員長は十四日、大会後の東京での要請行動では撤回決議した四十一市町村議会議長、市町村長らに参加を呼び掛けると明言した。
     仲里実行委員長は「参加目標の五万人を上回るよう努力したい」と意気込む。実行委は連日各種団体を訪ね、参加呼び掛けに奔走。これまでに二十七市町村議会が大会参加を確認している。

     実行委は十四日の役員会で、渡嘉敷島の「集団自決」体験者や高校生代表らが、式典で意見発表することや「平和の火のリレー」では大会当日の午前十時に糸満市を出発、午後三時に会場に到着することなどを確認した。


         ◇     ◇     ◇     

    「集団自決」生存者、登壇へ


     県民大会で登壇する、渡嘉敷島で起きた「集団自決(強制集団死)」体験者の吉川嘉勝さん(68)=那覇市=は「軍命がなければ一晩で三百人もの人が亡くなるわけがない。若い人にも思いが伝わるよう、内容を考えたい」と話した。

     吉川さん一家は一九四五年三月、手榴弾を使った「集団自決」を試みるが、不発。母ウシさんの「死ぬのはいつでもできる」の叫びで、死から免れた。

     戦後は、小中学校の教員として勤務、「若いころから『集団自決』を問い続け、自分なりに苦悩してきた」と振り返る。「年を取り、いつまでも証言できるわけではない。最後の機会という思いで訴えたい」と話した。


    バス運賃 片道無料/会場まで県バス協会決定


     県バス協会(会長・中山良邦沖縄バス社長)は十四日、宜野湾海浜公園で開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の参加者に限り、会場までのバス運賃を無料にすると決定、大会実行委員会に伝えた。バス運賃の片道無料化で、大会参加増加に弾みがつきそうだ。

     対象は、二十九日午前十一時から午後四時の間、宜野湾市の「真志喜」「コンベンションセンター前」「宜野湾市営球場前」バス停で下車する参加者。ただし、バスターミナルでの乗り換えなどは対象外。

     参加者は下車時、沖縄タイムスなど県内二紙が大会数日前に掲載する大会実行委の広告のバス無料券(証明書)を運転手に提示しなければならない。コピー可。対象路線は下記の通り。

     20(名護西線)23(具志川線)28、29(読谷線)31(泡瀬西線)32(コンベンションセンター線)55(牧港線)61(前原線)63(謝苅線)77(名護東線)88(宜野湾線)99(天久新都心線)112(国体道路線)120(名護西空港線)223(具志川おもろまち線)228(読谷おもろまち線)263(謝苅おもろまち線)288(宜野湾おもろまち線)

       

    ■知的障害者を政治利用■

    伊集の木会も大会参加を決定

    知的障害者授産施設の那覇学園などを運営する社会福祉法人伊集の木会(黒潮武秀理事長)は、「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に、会として参加することを14日までに決めた。 那覇学園や玉川園、デイサービス施設など各施設の利用者と職員に参加を呼びかける。 利用者の家族などを含めると400人以上の規模になるという。 理事長は「削除された部分の記述は絶対に消すわけにはいかない。 撤回させるまでがんばりたい」と話した。(琉球新報 9月14日朝刊社会面)

    ウェブサイト記事には載っていない小さなベタ記事なので見逃しがちだし、「伊集の木会」といっても何のことか分からず「青春を語る会」の類かと思ったが、知的障害者の施設と知って仰天した。

    「県民大会」参加を学校の特別授業にしたり感想文を書かす異常さを書いたが、

    今度は知的障害者までも動員するというから仰天したまま開いた口も開けっ放しの驚きだ。

    しかも子弟を人質に取られた家族の動員と、職員への動員要請は業務命令なら逆らえないだろう。

    仮に良識ある職員が知的障害を理由に反対しようと思っても、

    現在のような熱狂した職場環境で「県民大会に反対した」という烙印を押されたら再就職もままならないだろう。

    >削除された部分の記述は絶対に消すわけにはいかない。

    この理事長さん、教科書から削除されたのはどの部分なのか理解したうえでこのような暴挙を企んでいるのだろうか。

    このような暴挙を誇らしげに報じる新聞も新聞なら、これを看過して平気な沖縄県民も恥を知るべきだ。

    教科書の記述は多数決で、しかも怒りの拳を天に突き上げて決めるべきものではない。 <復活へ連帯の拳 沖縄の怒り全国に

     

    数の暴力で教科書の書き換えを迫る「県民大会」はイデオロギーにまみれた「政治集会」である。

    この「政治集会に」知的障害者、及びその家族の動員を相手の弱みに付け込むように参加要請するのは恥ずべき行為である。

    沖縄県民の「理性」が虚偽からその仮面を剥ぎ取るのを期待して、再度パール判事の言葉を掲載する。

    ◆パール判事の言葉

    ≪「時」が熱狂と偏見とを、やわらげた暁には/「理性」が虚偽から、その仮面を剥ぎとつた暁には/「正義」の女神は、その時こそ、その秤を平衡に保ちながら/過去の賞罰の多くに、その所を変へることを要求するであろう≫

     

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    田中 正明
    学館

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                      ◆

    琉球新報の言論封殺に抗議します【再掲】

    以下は【再掲です】

     

    琉球新報の言論封殺が続いて今日で89日目です。

    琉球新報の夕刊で火曜から土曜にかけての長期連載特集、

    上原正稔著「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」が

    掲載予定日の2007年6月19日より

    読者に何の断りも無く一方的に中止になりました。

    上原さんは掲載前に知人に次のように言っていました。

    ≪19日付からは第2話「慶良間で何が起きたのか」が始まります。
    「集団自決」をテーマにしたもので、作者の上原正稔氏は圧力に屈することなく執筆する≫と。

    同氏の話によると、

    ≪沖縄で現在展開されている運動に水をかけることになる内容になるためか≫

    ≪担当編集者の態度に変化があり、今回の事態に至ったらしい≫とも言っているそうです。

    どんな大きな圧力が働いたのでしょうか。

    琉球新報は読者に連載中止の理由を一言も言っておりません。

    問い合わせても「調整中」の一言で済ましています。

    読者は一方的に「知る権利」を奪われています。

    沖縄では今メディアの意見と違う考えは封殺される異常な事態になっています。

    これでは戦前の言論弾圧と変りません。

    琉球新報が連載を再開するまでこの記事を掲載し続けます。

                                  狼魔人

    ◆参考エントリー:

    「パンドラの箱」  カギを握る上原正稔氏

    沖縄のマスコミは大政翼賛会か

    琉球新報によって削除された「沖縄戦記」

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    【お知らせ】


    「河野談話」の白紙撤回運動に

    拙ブログも微力ながら署名活動を支援しています。

    下記のページから「河野談話」の白紙撤回署名にご協力をお願いします。
    画像



    カメムシ先生の「国歌裁判」 最高裁判決

    2007-03-01 18:52:27 | 教科書

    2月28日付・よみうり寸評

     星条旗見上げる我は今日市民 されど心は白地に赤く  摺木(するき)洋子  米国で市民権をとった日系歌人の作◆「私、涙が出ちゃいました、というと、年輩の人たちは深くうなずく」――ロサンゼルスを訪れて、この歌を知った田辺聖子さんは著書「残花亭日暦」にそう書いている◆話はこう続く。「日の丸や君が代にさまざまな議論はある。……ただ、私としては、日の丸に悪いイメージがあるなら、それを善いほうへ転換するようつとめたらいいのではないかと思っている。国旗国歌なんて、やたら変えるものではない」◆「その国の歴史の消長のうちに、さまざまな色に染められていくのは免れがたいが、超党派的に、それはそれとして、中心に据えておかねば、という思いがある」◆「広く国民の意見を徴して国旗をきめようという説もあるが、それはかえって混乱を招き、意見の統一など百年河清をまつに等しいだろう」――同感、まことにもっともと思う◆入学式、卒業式の混乱は不毛。最高裁が〈君が代伴奏命令〉に合憲判決。当然であり良識の判断と思った。

    (2007年2月28日14時17分  読売新聞)

                      *

    「カメムシは本当に都教委だったのかもしれん
    今度はその線で争ってはどうだろうか」

    「誰が誰を訴えるの?」

    「女教師が都教育委員を訴えるんじゃないの。 お前の正体はカメムシだって」

    「いや、都教育委員も訴え返すよ。 オレはカメムシじゃないって」

    「これって名誉毀損?」

    「裁判官の判断も分かれるナ」

    「判決文: 被告は一見人間のように見えるが、時折カメムシらしき表情も見られる・・・」

    「しかし、なんでカメムシなんだ? カナブンや天道虫じゃだめなのか・・・
    本人が、洗脳されて忌み嫌いすぎじゃないのか。 変な連中だな」

    「これって差別?」

    「ところでカメムシってどんな虫?」

    「亀田に付く虫だろ・・・」

    「カメムシはこんなヤツ」
          ↓

    http://newalpha.hp.infoseek.co.jp/kame/kamemusi.htm


                    *

     

    「法廷闘争があだになったなw
    グレーゾーンにしておけばこれからもゴネられたのにwwwwwwwwww」


    「もしかして・・この女教師は右翼の工作員じゃないだろか?」

    「いや、そんな深い考えはないだろう」

    「人がカメムシに見える病気だよ」

                        *

    「そもそも国公立学校の式典には国旗、校旗掲揚に国歌唱は付きものだと解ってて就職したはずだし、国公立学校の教師は公務員なんだし、主義思想は関係なく伴奏すればいいw
    民間企業だって、業務命令を無視すればそれなりに処分されるのが当たり前だし甘えるなとwwwwww」


    「一般の民間の仕事でにいつも味わされる理不尽さに比べたら、
    国旗国歌の強制なんか屁のようなモン。」

    「相変わらず朝日と毎日は飛んでるネ」

    意に沿った判決なら「都教委はこの判決に謙虚に耳を傾けるべきだ」

    「意に添わない判決ならお墨付きではない」

    「最高裁判決をお墨付きって言うんだよ!」

    ◆最高裁判決文:
    http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070227173039.pdf

                       ◇

    以下2ちゃんねるよりの抜粋。

    38 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 18:04:45 ID:SZdi6+QQ0
    これが当たり前の判決ですよ
    たった一個人の思想によって、何で他の人間が巻き添えを食らわなきゃならんのだ
    公務と言うことをもっと考えろよ


    44 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:05:22 ID:+pey/o0AO
    公務員が公務を遂行しろて言っただけでなんで裁判なんだよと

    すでにおかしいよね


    別な儀式をやれていっただけで天皇を信仰しろとはだれもいってないし
    やりたくないなら公務員になるなよ


    64 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:09:22 ID:1naTbVEgO
    前例を作ったお馬鹿さんw

    類似事例でもそう今回の判断で簡単には覆るまいて。まぁ敗訴すべき敗訴だったと


    78 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:11:47 ID:zHxhEnJW0
    中国共産党か朝鮮労働党に入ればいいのに何で日本国公務員教師やってんの?
    こういう勘違い認識してるのが教師とは終わってる


    80 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:12:11 ID:A2RVtqpU0
    学校の教師やめてふつうのOLになれば、大嫌いな「君が代」の伴奏することなんか
    一生ない。もともとこの女、進路間違えてる。こういう自分自身の生き方が定まってない
    奴が教育に携わっていることが一番の問題。


    83 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:13:10 ID:q1Z3tYM30
    生徒に校歌を強要するのは平気ですが、国歌を強要するのは
    「思想・良心の自由を侵害する」ってなに言ってんの?



    94 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 18:15:40 ID:rMUaYKZW0
    今までは弾いてなかったんだろうか?
    って言うか公務員になったら国や自治体の支持には従えよ。
    こんな先生が学校ダメにしてるだろ?
    うさん臭い先生ってだいたいこんなタイプだったよな~


    111 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 18:19:29 ID:Ke/b2+mN0
    んーん この教師は・・よせばいいのに最高裁の判例を引き出してしまった・
    今後、この種の裁判はサヨの敗訴は確定的だな。
    音楽教師GJとしか言いようがない・・


    116 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:20:57 ID:q1Z3tYM30
    >>111

    てかこのオバハンとその取りまきは、万に一つでも勝てると思ったのかな?

    120 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:21:27 ID:8xOjD2zP0
    思想を理由に日本の国歌「君が代」の伴奏をしないと言うなら、
    日本の公務員になんてなるなよ


    135 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 18:23:21 ID:BDQepipx0
    そんなことくらいで神経病むんならもともと教職になんか向いていない。
    ご苦労なこった。


    142 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:25:10 ID:iN3rV9Ds0
    カメムシは本当に都教委だったのかもしれん
    今度はその線で争ってはどうだろうか



    178 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:29:49 ID:YdcZZ9F30
    法廷闘争があだになったなw
    グレーゾーンにしておけばこれからもゴネられたのにwwwwwwwwww


    190 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 18:31:33 ID:GnlGyQh+0
    素晴らしいタイミングでの最高裁判決。
    全国の校長先生、馬鹿教師にトドメの職務命令発動だ。


    193 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:31:48 ID:yTTt0eJf0
    思想信条の自由が保障されてるんだから、
    堂々と、公務員をやめて、政治結社でもなんでも作って
    活動すりゃいいんだよ。

    なんで、国に使える仕事につきながら、
    その国にに逆らうかなぁ、頭がへん。


    198 名前:士[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:32:13 ID:c/3d0JZY0
    しかし、なんでカメムシなんだ? カナブンや天道虫じゃだめなのか・・・
    本人が、洗脳されて忌み嫌いすぎじゃないのか。 変な連中だな


    230 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:36:35 ID:ADCMGGPW0
    公共に対する福祉の精神が持てないなら公務員は辞めろ

    240 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:37:39 ID:oo703vqS0
    「この仕事やっといて」って言われたのに期日になって
    「やりたくありません」っつったってことでしょ。

    上司大変だな。


    250 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:39:30 ID:0Bq+chOX0
    君が代が嫌いなのは思想だが、演奏拒否は思想でも良心でもないからな。

    256 名前:名無しさん[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 18:41:23 ID:fMLm5toh0
    君が代、日の丸に対する意識が一般人と解離しすぎてるところが問題だろ。
    こいつらが、一般人からどれほど支持されるかって考えて見れば、この判決は
    当たり前すぎる。


    275 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:45:11 ID:fXkI7frr0
    思想・良心の自由で、自由に仕事を拒否できるくらいなら誰も苦労はないわけで


    283 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:47:17 ID:h6YeGcnR0
    君が代・日の丸はデリケートな問題だから
    職責といっても強制しすぎるのはどうかと思うぞ
    一方的にこの先生を非難できないね


    314 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:52:12 ID:bDPmxWfCO
    >>283

    生徒を無視した行動だろ
    伴奏拒否は
    それについてはどう思う?


    315 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:52:21 ID:wBjlUJy70
    この手の公務員教師って国家による身分収入の保証はきっちり担保しておき
    反国家運動するという甘っちょろいスタンスだから一般の人の共感は得られない。


    340 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:58:19 ID:14OhYnVq0
    そもそも国公立学校の式典には国旗、校旗掲揚に国歌斉唱は付きものだと解ってて
    就職したはずだし、国公立学校の教師は公務員なんだし、主義思想は関係なく伴奏すればいいw
    民間企業だって、業務命令を無視すればそれなりに処分されるのが当たり前だし甘えるなとwwwwww


    343 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 18:58:30 ID:/hVVF93c0
    当たり前の判決だな
    国に雇われてるんだから国(会社)の命令に従うのは当然
    そこに思想や信条なんて感情いらない
    嫌なら私立に行けばいい


    379 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 19:02:37 ID:10gCLRaQO
    歌わない権利を欲しがるわりには、伴奏拒否は逆に歌う権利を侵害してる気がするがな。

    390 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:04:10 ID:/hVVF93c0
    君が代演奏を強制と感じる方が異常


    402 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:05:10 ID:dC5V31QN0
    今回のもそうだが、「思想・信条をおしつけるな!」って言っている連中自身が
    それを押し付けていることに気づいてないんだろうかね?

    拘りが無ければ安易に歌ったり弾いたりもできるだろ?


    414 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:06:13 ID:Ccd/hP+QO
    「最高裁判決に政治的意図を感じる」
    だってさw

    この世代ってすぐに
    こんな発想するよね


    426 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:07:02 ID:IMwlgtfS0
    最高裁まで争うほど嫌なら辞める権利もあるのだが・・・。
    一般の民間の仕事でにいつも味わされる理不尽さに比べたら、
    国旗国歌の強制なんか屁のようなモン。


    449 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 19:08:52 ID:zC8QXTTu0
    当然、職務放棄した理由にはならないな
    行事が苦痛な時間と公で晒した以上、生徒及び周りや自分のためにも教師を辞めるしかないな

    こいつがいるだけで場が白けるだろうし、こいつのための式ではない
    教育委員会もしっかり免職で介錯してやれよ


    485 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:11:25 ID:gxAxk2epO
    おまえら何か勘違いしてない?

    右翼左翼は置いといて、『思想、良心の自由は侵害してない』って裁判長の判断に
    根拠が無いんだが。

    今回のニュースで問題なのは、『判決文のどこにも根拠の無い判決』を最高裁が
    出したってこと。

    こんなの司法じゃないね、司法じゃねぇよ


    505 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 19:12:57 ID:U6DJLxry0
    >>485

    根拠は社会通念上じゃね?多くの学校で行われているって話しだし。

    日本では国旗国家を公立学校で使用するのは当然だと思われてるんだよw


    567 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 19:18:19 ID:qB3k2vKl0
    >>485

    一般的に国歌斉唱のピアノ伴奏が一定の歴史観・世界観には不可分に結び付かない
    国家斉唱のピアノ伴奏をすることは外部に一定の思想を有することを表明する行為でもない
    公務員は全体の奉仕者で、法令命令等に従う義務がある、入学式で国家斉唱のピアノ伴奏をさせる命令は目的・内容において不合理でない

    等等ばっちり言ってる。
    那須先生の補足意見はもっと言ってる。

    要約すると、「何言ってんの?ハァ?」って感じか。


    ※判決文:http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20070227173039.pdf

    497 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:12:12 ID:tKNHl/ROO
    こいつらは国に給料叩き返してから言えよ

    540 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:16:08 ID:nDeMjbRD0
    そもそも国の象徴である国家と国旗を拒否するんだったら日本の教師辞めて外国に行けよ

    548 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:16:28 ID:3zVQFKOy0
    思想信条を言うのなら「ベートーベンは外国人だから授業では扱いません」
    が通るとでも思ってるのか、この教師?


    566 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:18:02 ID:JNpw+OG90
    キリスト教原理主義の教師は進化論教えないとかありになるしな。

    582 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 19:19:34 ID:D3VYCSN+0
    公私混同する馬鹿教師多すぎ

    600 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:21:40 ID:DeJ/5s8G0
    欧米では右であろうと左であろうと国旗国歌を尊重するのか常識だよ
    こんな事で思想の自由がどうのこうのと出てくる日本の左翼がいかに異常か


    629 名前:名無しさん@七周年[sage] 投稿日:2007/02/27(火) 19:24:12 ID:Ke/b2+mN0
    漏れには、最高裁に上告する馬鹿さ加減が理解できませんですね・・
    もしかして・・この女教師は右翼の工作員じゃないだろか?


    646 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:25:38 ID:cyWmmhwp0
    つーか、今の子供・・・というか20台、30台もしかしたら40台くらいの人が
    君が代聴いたり歌ったりするだけで軍国主義が云々~って気になるのかね?
    ただの国家でしょ、それ以上でもそれ以下でもない。いちいち難しい言葉を頭の
    中で翻訳して歌ってるとでも思うのだろうか?


    667 名前:名無しさん@七周年[] 投稿日:2007/02/27(火) 19:27:44 ID:AtZc4l/30
    楽して政治活動やるためだけに
    公務員がどういうものか考えずに就職したのか
    あるいは嫌がらせでわざとなったのか

    どちらにしろキチガイサヨクの一派なのは間違いないな



    カメムシ先生「君が代訴訟」で敗訴確定!

    2007-02-28 09:20:40 | 教科書

    【主張】君が代伴奏拒否 最高裁判決は当たり前だ

     公立小学校の音楽教諭が、入学式で校長から君が代伴奏の指示を受けたことが、思想・良心の自由を侵害したことになるのかどうか。最高裁第3小法廷は「憲法違反ではない」との初判断を示し、教諭側の敗訴が確定した。

     国旗掲揚、国歌斉唱をめぐっては、拒否した教職員が教育委員会から懲戒処分を受け、処分取り消しを求める訴えが全国で起きている。下級審で判断が分かれているだけに、最高裁の判断がこれら一連の訴訟に大きな影響を及ぼすことは必至だ。

     今回の最高裁判決は、1・2審の判断をほぼ踏襲した極めて常識的なもので、当然の結果であろう

     女性教諭は平成11年4月、東京都日野市の小学校入学式で校長から、君が代斉唱のピアノ伴奏を指示された。しかし、「校長の職務命令は、思想・良心の自由を侵害する」と憲法違反を主張して伴奏を拒否、結局、君が代斉唱の伴奏は録音テープで行われた。

     このため都教委は、地方公務員法違反(職務命令違反、信用失墜行為)で教諭を戒告処分にした。教諭はこれを不服として、懲戒処分取り消しを求める行政訴訟を東京地裁に起こしたのが発端である。

     教諭は、裁判で君が代斉唱でピアノ伴奏しないのは、「歴史観、世界観だ」と主張したが、この点について最高裁は、「直ちに教諭の歴史観ないし世界観それ自体を否定するものではない」とし、「校長の伴奏命令は、思想・良心の自由を定めた憲法19条に反するとはいえない」と結論付けた。

     この音楽教諭の主張は、どうみても理解しがたい。たしかに、思想・良心の自由は憲法で保障されている。教諭といえども、どのような思想を持つかは自由である。

     しかし、女性教諭は市立小学校の音楽教諭というれっきとした地方公務員であることを、全く自覚していない。入学式という学校の決められた行事で君が代を斉唱するさい、ピアノ伴奏をすることは音楽教諭に委ねられた重要な職務行為ではないか。

     校長がピアノ伴奏を命じたのは、職務上当たり前の行為である。これが「憲法違反だ」というのは、あまりにも突飛(とっぴ)で自分勝手な論理である。これでは到底国民の支持も得られまい。

    (2007/02/28 05:55)

                     ◇

    憲法19条を引き合いにいろいろ難しい理屈をこねくり回しているメディアもあるようだが、上記産経「主張」が法律の素人煮も分かりやすい。

    判決は「当たり前」であり、

    「当然の結果」でもある。

    そして、この音楽教師の主張は、

    「どうしても理解しがたい」。

    ピアノ伴奏は職務上当たり前の職務であり、

    これが『憲法違反違反』とはあまりにも突飛で自分勝手な理論。

    この音楽教師、判決を聞いて泣いていたそうだが、これをよい機会に「思想・良心の自由」を踏みにじられる職場を早々に退職すべきだ。

    そして余計な事ながら、転職の前に精神科医に相談する事を進めたい。

    だって、この女性教師って、例の「幻覚でカメ虫を見る人」でしょう?

    教員むしばむ『君が代神経症』 「東京新聞」特報(2006 別ウィンドウで表示http://www.kit.hi-ho.ne.jp/msatou/06-03/060323tokyo-kimigayo.htm

     

    ◆内心の自由を奪われた音楽教師・君が代強制http://members.at.infoseek.co.jp/kitanok/image006.html


    【社会】 「"君が代"の幻聴が…」「カメムシが都教委に見える」…教員むしばむ"君が代神経症"★7
    1 :☆ばぐた☆ ◆JSGFLSFOXQ @☆ばぐ太☆φ ★ :2006/03/27(月) 01:49:38 ID:???0
    ・公立学校の教員で病気休職、とりわけ極度のストレス障害など精神疾患が増えている。
     背景として「日の丸・君が代」強制が見過ごせない。東京都をはじめ、君が代斉唱を強制
     する教育行政が、教員らの精神をむしばんでいる側面もある
    。精神科医の野田・関西学院
     大学教授が、教員らから聞き取り調査した分析結果から見える実態とは。

     「のどから胃にかけて太い杭を打ち込まれるような痛みが断続的に襲ってくる状態」。
     美術担当の女性教員。教員になった理由を「創造的な人間の活動の力を美術教育で育てたい。
     それは社会を再生させる鍵になる」と語った。しかし、そうした教育を許さない状況が生まれてきた。
     君が代斉唱参加を義務づけた二〇〇三年十月の「10・23通達」が出た後、立つ(斉唱)か座る
     (拒否)かを考え続けた。結局、「座らない」という結論を出したが、生徒に「先生言ってることと
     やってることが違う」と言われたら教員としてはおしまいだ、と苦しんだ。

     クリスチャンとして、「君主」を讃える歌を歌うことができないと考える男性教員の場合は、不起立
     したことで減給、異動といった不利益や、「再発防止研修」を受ける立場になった。一番の心配は
     自分で自分の命を絶つのではないかとの思いで、「首をつっているイメージが浮かんでくる」という。

     音楽教員の女性は、「10・23通達」以降は「歩いていても『君が代』が聞こえてくる」ようになった。
     卒業式でピアノ伴奏をする音楽教員は、特に生徒に斉唱強制を促しかねない“加害者”の立場
     にもなりうる。女性教員は、音楽準備室に入り込んでくる虫(カメムシ)が「都教委に見え、見張りに
     来たと感じる」
    ような思いに襲われる。

     精神疾患によって病気休職を取った男性教員は、教育の集大成と考えてきた卒業生
     「答辞」が廃止されたことがきっかけで、落ち込み、睡眠も取れなくなった。
     この学校で答辞が廃止されたのは、卒業式で、代表の在日朝鮮人生徒と日本人生徒が「日の丸・
     君が代の強制には納得できない」と答辞で述べたことが原因とされた。(一部略)
     

     ◆各紙社説

    ・読売新聞2月28日付・[「君が代」判決]「『思想・良心』の侵害はなかった」 

    ・朝日新聞 国歌伴奏判決 強制の追認にならないか  

    ・日本経済新聞>> 社説2 妥当な最高裁「君が代」判決(2/28)

    ・毎日新聞社説:君が代判決 「お墨付き」にしてはいけない