沖縄では「新聞は社会の木鐸」という言葉は絵空事に過ぎない、いや、むしろ強烈なギャグと受け取ったほうが相応しい。
社会に渦巻く矛盾、不正を木鐸を鳴らして警鐘を発するどころか,逆に新聞自らそれを助長させ、扇動の旗を振りかざしているのが、沖縄の新聞だ。
ちなみに琉球新報のコラム「金口木舌」も「木鐸」からの転用のようだが、沖縄タイムスのコラム「大弦小弦」のいわれは寡聞にして知らない。
これが、「大言壮語」の語呂合わせだとしたら、これも強烈なギャグのつもりなのか。
「伊集の木会も大会参加を決定 」 とは何事かと思ったら「知的障害者を政治利用」と知って我が目を疑ったことはまだ序の口だったのか。
知的障害者をその施設長の独断で、家族ともども「政治活動」に動員すると聞けば真っ先にこれを批判するのが「社会の木鐸」の使命のはずだ。
だが、沖縄の新聞はこれに何の批判もなく、むしろ誇らしげに報じる。
だが、これで驚くのはまだ早かった。
次のニュースには沖縄の良識もここまで堕落したかとしばし絶句する。
■「政治活動」へ球児を動員■
29日の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について、県高校野球連盟は16日までに、現在開催中の県高校野球秋季大会の日程を変更し、生徒や学校関係者が県民大会に参加できるよう協力することを決めた。
29日には3回戦の8試合が行われる予定だったが、大会開催時間までに終了できるよう2試合とする。
県高野連の狩俣幸夫会長は「県教育長自らが学校長に呼び掛けた経緯もあり、参加したい生徒も多いはずで、中断して協力することは当然のこと」と経緯を説明。「平和教育をリードしてきた沖縄で、県民がその思いを強く言う必要があるとして盛り上がっている。そこから高校生が学ぶこともあるはずだ」と自身も大会に期待を掛けた。
(琉球新報 9/17 9:59)
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現在開催中の野球大会を変更させてまで、生徒を県民大会に強制動員することに何の違和感も感じない神経の麻痺ぶりに先ず驚かされる。
甲子園を夢見て白球を追う球児たちにとって雨天や悪天候で試合日程が変更されるのともかく、「政治集会」に動員するため試合日程が変更されることはそれこそ晴天の霹靂だろう。
高野連は黙って見ているのだろうか。
高野連が黙っていたらこれに批判の矢を放つのが「社会の木鐸」のはずだ。
野球を愛する高校生を、自分たちの政治活動に動員する権利を有するとでも思っているとしたら、沖縄はいまや「全体主義自治区」に成り下がってしまったことになる。
そう、全体主義への「何時か来た道」を辿っているのは彼ら自身ではないのか。
まぁ高校野球は朝日新聞の影響が強いからそういった発想も起きるんでしょうが、いずれにしても何か割り切れませんねぇ・・・。球児を政治に利用するなんて言語道断です!何か悪い前例が残るような気がしますが・・・。
何も分からないまま「大会会場」に強制連行されて、なんだか知らないが天に拳を突き上げて「反対!」はないですよね。
教育長や教職員の「要請」なので球児たちも従うしかないでしょうが、まさか沖・高野連まで「全会一致」で参加要請なんて言い出さないでしょうね。
だったら怖いけど。