先ず気になるブログを一つ。
杉村大蔵ブログhttp://www.sugimurataizo.net/より引用。
自民党総裁選について
2007年09月18日 12:46
勝ち馬に乗ることだけが勝ちだとはとても思えない。
ましてや、派閥の親分が右だからと言って右に向くような、そんな先祖も驚きの先祖返りをするような選択しかできないようならば、はっきり言って政治家なんて誰でもできるじゃないか。
本当にこの国の未来を託せるのはどちらの候補者なのか。
議論が尽くされたとは到底思えないこの段階で、結論を出すことなど私にはできない。
最後の最後まで、じっくりと両候補者の政策主張に耳を傾け、いくら歳が若いからといっても国民を代表する政治家の一人として、投票のその瞬間まで自らの政治信条に照らし、私は一票を投じたいと思います。
杉村太蔵
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「派閥談合」って大政翼賛会みたいなものだよね。
これって全体主義?
ダムの一穴はまだ生きている。
出でよ、第二のタイゾー!
杉村大蔵の正論「派閥談合反対」 ダムの一穴になるか |
◆
昨年の2月、「狼魔人日記」を新しく立ち上げたとき、ブログ名を「蟷螂の斧」にしようかと迷ったことを想いだす。
最近の沖縄メディアが連日垂れ流す怒涛のような虚報の波にもまれながら、細々と批判文を書き連ねている当日記は、まさに蟷螂の斧である。
言うまでも無いが蟷螂(とうろう)の斧とは、〔カマキリが前脚をあげて大きな車に向かってきたという「荘子」などの故事から〕自分の弱さをかえりみず強敵に挑むこと、それが転じてはかない抵抗のたとえ。http://www.geocities.jp/shiitakeya1/tourou.html
沖縄メディアが流す「虚報の暴風」に小さな斧で立ち向かって、・・・と格好つけては見ても多少ウンザリというのが本音ではある。
■「全会一致」は「全体主義の予感」■
「軍歌の響きが」とか「何時か来た道」とかマスコミが騒ぐとき、戦前の軍部による言論弾圧に話が及ぶ。
だが、軍部が独走し、言論を弾圧して国民を戦争に動員した、という常識的な理解は間違いである。
新聞も、軍の検閲や弾圧によってやむなく戦争賛美記事を書いたのではなく、自ら戦地に従軍記者を送り、戦意高揚につとめたのだ。
名前は失念したが古い落語家の体験談で、当時演目から女々しい内容の出し物がなくなり戦意高揚の勇ましい出し物に変った経緯を、軍の命令ではなく、落語協会の自主判断だったと証言していた。
それも、結局は顧客の要望であり、民意に沿って戦意高揚の演目に変えたわけだし勇ましい演目でなければ客は満足しなかったのだ。
戦後はそれを軍の言論弾圧のせいにしていると嘆いていた。
自らの判断で戦意高揚の記事を書きまくった代表が朝日新聞であることはよく知られた事実。
戦前の沖縄の新聞もごたぶんにもれずミニ朝日よろしく戦意高揚を煽る記事を書いていた。
それが態度一変、いや、伝統保持といった方がいいのだが、最近の沖縄の新聞は県内各地で思想統制を煽るような記事を書き続けている。
「超党派」といえば聞こえがいいが、超党派も度が過ぎると「全会一致」が通常となり全体主義の予感をさせる。(国会議員共同声明へ 「撤回が県民総意」 )
県内に溢れる「全会一致」の嵐を尻目に、真実を書き続けることは決して蟷螂のようなはかない抵抗ではない。
ガリレオの例もあるし、何より激励してくれる読者のコメントも多い。
コメント欄に寄せられた読者の「きんじょう」さんのコメントを下記に引用する。
≪全会一致とは (きんじょう)
2007-09-17 11:46:27
「全会一致は不採用」という法則が、古代ユダヤにはあったらしいが、昨今の沖縄をみると人間というのはここ何千年進歩していないのかと思ってしまう。
およそ議論の存在するところに全会一致があるわけが無い。まして歴史的事実を問いかけている「軍命問題」で議論の一つもなく多くの市町村が「全会一致」とは古代ユダヤ人が失笑しそうな話である。
泥棒にも1分の理というと、「軍命あり」とする沖縄の狂乱ぶりを憂えている方々から、たとえが悪いと怒られそうだが、言わんとするところはわかって頂きたい。私はその泥棒が冤罪だと言いたいほうですから。
おそらく9月29日は新聞に「大成功」の見出しが躍るくらい盛況になるでしょう。真剣に「軍命あり」を考えている人たちの集会なら5万人も集まることはないでしょうが、新聞はうまく誤魔化して、集団自決そのものが教科書から削除されたかのような誤解を受けた人や、戦争で沖縄が被害にあったのは間違いないからと論点を履き違えた人、あるいは現政権に不満を持っている人、お祭りが好きな人、まったく個人的な人生に不満を持っている人、いろいろ集まるでしょうから。
私は「軍命あり」を真剣?に考えている人たちをあえて否定はしません。歴史的事実とは山本七平の言うあくまで「語られた事実」にしか過ぎません。それゆえ検証し議論することが大切なのですが。それにしても沖縄はどうなるんでしょうね。
今度の大会が盛況に終わると(盛況でなくても)、大阪の判決が原告側の勝訴になっても、沖縄の教職員は教科書に書いていない「軍命なし」を生徒には軍命ありと語るのでしょうね。暗澹とします。 ≫
各市町村議会で「検定意見書撤回」を全会一致で議決したと思ったら、今度は「県民大会」への全員参加を議決と来ましたね。
これはある種の強制連行だという意見もあります。
当然これも全会一致なんでしょう。
ざっと拾っただけでもこの通り。
まだまだあるが煩雑なので省略しよう。
いやはや、これでは個人の判断など屁みたいなもので、小林よしのり氏が「沖縄県民は同調圧力に弱い」というのもうなずける。
>大阪の判決が原告側の勝訴になっても、沖縄の教職員は教科書に書いていない「軍命なし」を生徒には軍命ありと語るのでしょうね。暗澹とします。
判決に予断は禁物だとしても、裁判が推測や文学を論じる場ではなく客観的証拠を根拠に判決を下す場だとしたら被告側の敗訴は間違いない。
被告を支援する側はそれを既に承知しているので専門家の議論・検証を避けて、「政治運動」という場外乱闘に持ち込んでいるのです。
教科書問題は「(歴史検証という)正義の問題ではなく政治問題だ」と講演しているのが外務省のラスプーチンこと佐藤優氏。
≪沖縄のメディアには「政治闘争」が足りない。正義闘争だけでは勝てない。民主主義は、結局、多数決だから正面突破だけでは、少数派は勝てない。≫(3)佐藤優さん・起訴休職外務事務官
同調圧力を加速させるため「沖教組 教職員の参加促進を 」、はよしとしても 「県内41市町村、全教育長が参加」には驚いた。
沖縄では教職員と教育長は同じアナの狢だったのだ。
他にも同調圧力の亡者たちの狂乱振りは枚挙のいとまはない。

専門学校3校も参加 日経教育グループ (9/12 16:06)
「全会一致」の決議は県内から飛び出して、四国にも及んでいる。
本当に県民総意?
今日の沖縄の新聞に9月29日に開かれる「教科書検定意見撤回を求める県民大会」について書かれていた。この件は沖縄県議会でも意見書が採択され、しかも今回の県民大会では沖縄の全政党と県出身国会議員の連名で共同宣言?を提出するそうである。最近の新聞でも教科書問題の反対意見が載るようになり、少しは対比できるようになったと思っていたが、自民党県連も含めて県民大会を開くとのことである。やはり政治的圧力により教科書の記述を変えさせたいのだろうか。それが本当に正当なことだと思っているならむしろ今後がとても心配である。
あくまで客観的事実と史実に基くように要求するならいいのであるが。現在、沖縄集団自決冤罪訴訟裁判で証言や客観的証拠が争われており、軍命を否定する証言や事実も挙がっていることは無視すべきなのだろうか?自分達に都合の良い証言のみ採用させて相手の言い分や客観的証拠は採用されないようにすべきなのか。
それにしても教科書検定の審議会が政治的圧力に影響されることが教科書にとって良いことなのか。もし審議会の意見を変えさせたいのであれば客観的証拠と調査により史実の研究を進め、その調査報告書を発表して意見を述べるのが筋ではないかと思う。県が調査委員会等を設立して誰もが納得する証拠を挙げれば足りるのではないか。もし政府が都合の悪い記述を削除させ圧力をかけられるのなら今まで教科書に記載されていたのはどうしてだろうか。なぜもっと早く削除されなかったのか。それはやはり最近の史実研究や裁判での証拠、証言が影響して検定意見に反映されたと考えるのが普通であろう。
私は沖縄戦を知らない世代であるが沖縄の米軍占領下で戦争の痕を感じながら生まれ育ってきた。新聞は県民の総意であると書いてあるが、自分でいろいろ調べるうちに県民大会の要求には無理があると感じるようになった。9月9日の琉球新報の論壇にも県民大会開催反対の意見も投稿されていたように県民の総意とは言って欲しくない。県議会での決議だけでも禍根を残すかもしれないのに、今後の沖縄が孤立しかねないことを敢えて行おうとすることが果たしていいのであろうか。
コメント
沖縄が孤立?ありえない。県民大会に賛成か反対が問題ではない。それにあの裁判は戦争の一部分であって、どういう結末であろうともあれが全てはないのだから・・・日本軍に殺されたり、手榴弾や青酸カリを渡され死に追いやられた人がいた事実を忘れるべきではない。あなたの先祖や身近な人にはいないんですか?戦争で命を落とした方や戦争を語る方が。戦争の悲惨さや惨さをもっともっと学んだほうがいい。今あなたの住んでるその場所で、ばらばらの死体があちこちに転がり、恐怖で気が狂った人や生き物が逃げ回り、泣き叫ぶ人、手や足が皮一枚でぶら下がったままさまよう人がいた事は実際にあったことなのだ。恐怖の世界が沖縄にあった。
投稿 matu | 2007年9月17日 (月) 05時06分
記述削除は「戦後脱却」「国を守る!!」「美しい国」のあいつらに決まってんだろう。南京大虐殺、従軍慰安婦問題、過去にもあった教科書問題。集団自決もターゲットだったわけだ。
投稿 政治と金 | 2007年9月17日 (月) 05時23分
通りがかりにブログを覗いてみた。「本当に県民総意?」。なかなか論旨も良いし、面白いと読みすすめたら、下にコメントがある。ひどいコメントだ。反論ならそれなりの論旨を整えないと、相手に失礼だと思う。
「matu」さん
確かに陸軍のなかには赤紙1枚で沖縄防衛に送られ、地獄の日々を過ごすうち心が荒んだ人もいたかも知れない。そこが戦争の悲惨さだし、二度と起こしてはいけないと思う。ただここで述べられているのは戦争賛美、日本軍賛美ではない。あくまで史実としての教科書問題、それへの県民運動の是非を問うているとしか私には読めません。matuさんの後半の文書はいただけません。昔、学校でよく聞かされた覚えがあります。
「政治と金」さん
短いコメントなので私も短く行きます。南京、慰安婦、集団自決。真実はそのうちわかります。
投稿 反左翼 | 2007年9月18日 (火) 15時02分
事実関係を良く調べずに感情で判断するのは大人のする事ではありません。特に小さなところでも政治に携わる者にとっては禍根を残す事になります。香南市は自分のところじゃないので頼まれて飛びついたのでしょう。香南市民はこの決定に対して非難の声を上げる事を願います。
日本人がWGIPにうまく乗っかったからアメリカは同じ手が使えると思った。イラク戦争を起こしたのはこの手が使ええると思ったからかもしれません。
このような連中にまともに反論するのは疲れますね。
>ばらばらの死体があちこちに転がり、恐怖で気が狂った人や生き物が逃げ回り、泣き叫ぶ人、手や足が皮一枚でぶら下がったままさまよう人がいた事は実際にあったことなのだ。
金城重明氏の証言と同じパターンですね。
誰も金城氏が親に手をかけたことを否定するものはいません。
悲惨な体験もこのようにすり替え理論に使われると死んだ人が浮かばれません。
ミソもクソも(失礼)一緒にするなといいたいです。
問題はこの連中は本当に理解力がなくてクソ味噌を一緒にしているのか、それとも敢て間違えて言い張っているのか・・・、いずれにせよこの連中、論破は出来ても説得は容易ではないですね。
めげずに頑張るしかないですね。
◆ヒロシさん
政治家はマスコミに弱いですからね。
真実の検証より、
赤信号みんなで渡れば怖くない、といった心境なんでしょうね。
付和雷同という言葉もピッタリですね。
◆前慶良間人さん
>元紙は「自決命令問題」と「教科書検定」問題を意図的に混同して
一部の「意図的に」混同している連中(マスコミ、学者等)と「意図せずに」混同している連中を峻別して説得しなければなりませんが、
マインドコントロールにかかった連中を説得するのは簡単には行きません。
沖縄タイムスは将来「大誤報新聞」として歴史にその名を刻みますね。
日本で「マインドコントロール」でコントロールされている人達が多数います。早く「助ける法律が出来ますように日本政府に働きかけています。」昨日CIAとFBIにもメールしています。
僕も被害者です。
国際連合にメールしました。
創価学会の「南無妙法蓮華経」と唱える事です。
http://ameblo.jp/revonao