狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「勝ち組、負け組」と「集団自決」の類似性

2007-09-25 05:51:25 | 教科書

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「勝ち組、負け組」というと、「格差社会」を連想する人が多いだろう。

六本木の高層ビルに居を構え、一夜にして巨万の金を動かす若者集団がいる一方、その日のねぐらを求めてネットカフェを渡り歩く若者集団が存在するのは事実だ。

だが、ここで言う「勝ち組、負け組」は日本の格差社会の問題ではなく、遠く離れたブラジルでの60数年前の「事件」のことである。

ブラジルというと日本人は何を連想するか。

サッカー、サンバ、最近では格闘技でブラジル柔術があるが、日本人が明治期に初めて本格的移民をした国がブラジルだということを知る人は少ない。

そして終戦後ブラジルの日系社会で起きた忌まわしい「勝ち組、負け組」のことを知る日本人が果たして何人いるか。

1945年8月15日。

天皇陛下の玉音放送はブラジルにも短波放送で伝わったが、その放送をほとんどの日系人が聞くことは出来なかった。

また、例え聞いた人の中でも、玉音放送が敗戦を告げる放送だと信じるものも少なく,日本のように「解説」してくれる人もいなかった。

それどころか逆に不確実な風評が飛び交い「日本が勝った」というデマは一夜のうちに日系人社会を駆け巡っていった。

英語のわかる一部日本人の中で、アメリカの放送も聞き、日本の戦況を良く理解する人もいたが、大多数の日系移民は「不都合な真実」を聴く耳は持たなかったようだ。

日本ではマッカーサーが日本占領開始した頃、ブラジルの各地の開拓地では、「日本が勝った、日本が勝った、」と戦勝記念日の祝賀会を開催するところまで現れた。

一方、状況判断の出切る良識派は「日本は負けたんだ」と主張し、日系社会は「勝ち組、負け組」に別れて不毛な争いを続けついには殺人事件にまで至ったという。
 
■「集団自決」と「勝ち組、負け組」の共通性■

9月9日に沖縄の宜野湾市で行われた講演会「沖縄戦『集団自決』の真実を探る」で、講演に先立って亀川正東琉球大学名誉教授の挨拶があったがその冒頭でブラジル日系人社会の「勝ち組、負け組」の話をされた。

「集団自決」と「勝ち組、負け組」とは何の関係が有るのかと思ったが、さすが日本エッセイスト協会員でもある亀川教授、現在の沖縄社会のマスコミによる「情報閉塞状態」が、当時のブラジル日系社会の「情報閉塞状態」と酷似しているとを見事に指摘してくれた。

しかも、驚くことに「勝ち組」の中でもっとも熱狂的で「不都合な情報」に耳を塞いで、勝ち組にあらずば「非国民」と騒ぎ立て、殺人まで犯したのは日系人の中でも沖縄出身者社会だったという。

現在の沖縄の新聞を見ているとブラジルの「勝ち組、負け組」を例に出して現在の沖縄の情報閉塞状態を批判した亀川教授の慧眼に改めて感心した。

亀川教授は、沖縄県民の民度の低さを嘆き「沖縄県民として恥ずかしい」とも述べた。
 
■情報閉塞が起きる理由■

勝ち組の中でも沖縄出身者は特に熱狂度が激しく、敗戦を認める「負け組」幹部らに非国民としてテロ行為を働き、数十人を暗殺し、百人余りの負傷者を出したという。

この事件はブラジルの日本移民社会においては現在でもタブーであり、半世紀以上もの間、日系社会では封印されてきた。

今では二世、三世の間でさえ知るものは少ないという。

では何故このような情報の閉塞状態が起きたのか。

その原因は主に日本語による情報入手の困難性にあった。

60数年前の、しかも日本から遠く離れたブラジルの地で、ポルトガル語が分からず日本語しか話せない日本人移民は、新聞にも雑誌にも見放された状態で戦時中をすごした。

つまり当時の日本人移民は日本語は読み書きができても移民先では一種の文盲状態にあった。

それだけではない。

自分で判断することを避け、自分の主張(日本が勝った)にそぐわない意見(日本は負けた)には耳を閉ざした。

つまりブラジルの「勝ち組」は自ら情報の門戸を閉ざしていたのだ。
 
■自ら情報の門戸を閉ざす沖縄メディア■

連日沖縄の新聞を賑わす「証言」は全て一方のグループの主張に偏った証言で、反対意見の「証言」はまるでデマの如く扱い、まともに紙面に載ることは無い。

ブラジルでは戦後かなり経過しても「戦勝○年記念祝勝日」と称して戦勝を祝っていたというから、現在のブラジル日系社会がこの話を封印したくなる気も理解できる。

現在の沖縄の狂乱振りが「県民大会」の狂乱に留まらず、教科書の書き換えにまでエスカレートしたとしたらら、沖縄県民の子孫は後の世に、これを「県民の恥」として歴史から抹消、封印せざるを得なくなるだろう。 ブラジル日系社会の忌まわしい「歴史」のように。

沖縄移民が60数年前にブラジルで犯した大愚を、情報社会と言われる21世紀で再び犯してはいけない。

【追記】

狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては常態である

一人は個、二人は対、三人以上になると集団性を帯びる

集団は時に人を変えてしまう

 (「毒吐きてっく」より孫引き)

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コメント (4)    この記事についてブログを書く
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4 コメント

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Unknown (きんじょう)
2007-09-25 07:25:37
「勝ち組、負け組」の亀川名誉教授の話は面白かったです。勝ち組に沖縄出身者が多かったというのも初めて知りました。昨今の沖縄メディアと相通ずるものがあるのかも知れません。そしてとうとうと言うか、恒例のというか、教職員は学生、生徒を自らの思想の道具に使い始めました。心ある教職員の方々もいると思いますが、彼らは自らの職業をしっかり認識する必要があります。それにしても90歳を越えているとはとても思えない教授のバイタリティーには恐れ入ります。
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納得 (ヒロシ)
2007-09-25 15:36:14
この話は集団心理の恐ろしさを非常によく表していると思いました。
他の人の意見を聞き入れて考えてみるという事を止めてしまえば世の中は自分にとって都合の良い事だらけになります。
60年経ってモノが溢れ豊かな世界になった現在でも沖縄の人たちは同じ過ちを繰り返しているようです。
亀川先生にはもっともっと健康で長生きをしていただきたいものです。
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Unknown (狼魔人)
2007-09-26 08:06:19
◆きんじょさん

>教職員は学生、生徒を自らの思想の道具に使い始めました。心ある教職員の方々もいると思いますが、彼らは自らの職業をしっかり認識する必要があります

昨日の新報の「論壇」に教師らしき人が、高校生にも署名運動をすべきだと述べていましたが、このような教師が増殖すると怖いですね。


◆ヒロシさん

>亀川先生にはもっともっと健康で長生きをしていただきたいものです。

以前は良く地元紙でも健筆を振るっておられましたが最近の地元紙に亀側教授の論を掲載する度量がありますかね。
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Unknown (知足)
2007-09-27 11:06:56
「狂気は個人にあっては稀なことである。しかし集団・民族・時代にあっては常態」で思い出すのはマサチューセッツ州セーラムでの魔女裁判を題材にしたアーサー・ミラーの劇作クルーシブル(るつぼ)である。
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