<鳥屋神社 とやじんじゃ>
『古事記』の中でも最大の謎のひとつと
いわれているのが、「なぜ天孫降臨の舞台が
出雲ではなく日向だったのか」という問題です。
もし仮に、出雲で「国譲り」が行われたとすれば、
わざわざ遠い九州を「天孫降臨」の地に
選ばなくても良さそうなものですが、
古事記の編纂者たちは出雲の名を
降臨地として記すことは避けました。
もしかすると、「国譲り」が完了してからも、
出雲には「出雲族」の流れを汲む人が多数残り、
自らの神への崇敬を維持するなど、
いわゆる「反乱分子」が存在していたのでしょうか……。
あるいは、「国譲り」の真相を知る編纂者が、
あえてそれ以降の出雲を封印することで、
逆に「出雲族(の尊厳)」を守った
という可能性も考えられます。
いずれにせよ、タケミナカタの一族は、
戦乱により力を削がれた出雲の各部族に代わり、
「ワラヘビ」祭祀などにその痕跡を残しながら、
長い年月に渡り「出雲の荒神」
を守護してきたのかもしれません。