<膳夫神社 かしわでじんじゃ>
国譲り後の宴が行われたとされる
「多芸志の小浜」には、櫛八玉神(くしやたまのかみ)
を祀る膳夫神社(かしわでじんじゃ)の跡地があります。
何でも、「天津神」をもてなすための
料理を任された櫛八玉神は、
まず「鵜に変身して海に潜り、
取ってきた海底の土から土器を作り、
わかめの茎で臼、昆布の茎で杵を作ったのち、
その臼と杵で火を起こした」のだとか……。
櫛八玉神が「水戸神」の子であることや、
名称に渡来系海人族を暗示する「櫛」、
出雲族の聖数である「8」が
含まれていることをなど踏まえれば、
恐らくは天津神に恭順した
出雲側の氏族を暗示した名なのでしょう。
一説に、この宴には敗者である
「大国主神」も加わり、天津神との間で
「和解」が成立したとも言われておりますが、
その後の出雲の歴史を見れば、
「国譲り」が決して「キレイごと」では
終わらなかった現実が見て取れます。
その後、斐伊川下流の形状は治水工事などで
大きく変わったものの、
川を挟んで「天津神側」と「国津神側」
の神々が向かい合っている構図は、
神話の国譲りが未だ「現在進行形」
のものとして、イズモの国に根を
張っているような光景にも思えました。