たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

出雲族の集結地

2020-09-22 09:24:43 | 古代の出雲

<出雲市武志町>

 

もし仮に、斐伊川下流の多芸志の小浜で

「国譲りの交渉」が行われていたとするなら、

荒神谷遺跡から加茂岩倉遺跡にかけての一帯は、

「出雲族」が大挙して集まり、事の成り行きを

見守っていた場所だったのかもしれません。

そして、イザというときの決戦に備えて、

二つの遺跡に「武器」や「祭祀具」などを

保管していた可能性もあるのでしょう。

となると、青銅器に刻まれた「×」印とは、

「出雲族」の人々によって刻まれた記号

ということになりますが、果たして事の真相は

どのようなものだったのでしょうか……。

 

ちなみに、荒神谷遺跡から青銅器が出土した際、

344本もの銅剣に「×」の刻印が記されていた一方で、

同時に見つかった16本の銅矛には、

「×」の刻印がまったく記されていませんでした。

もし仮に、荒神谷遺跡と加茂岩倉遺跡を

「同一部族が管理していた」のであれば、

何らかの理由で銅矛にだけ「×」印を

刻印しなかったという捉え方もできますね。