天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

双頭の蛇

2013-01-20 12:06:07 | 小説
今年の春、桃の花が咲く頃、母は逝った。あまりにも呆気ない死だった。





今は夏。うだるような暑さが続いている。真夜中に近い今でさえ、空気は澱み、熱がこもっている。私は車を運転している。もうやめよう、もうやめようと思いながら。それなのに、目的地に向かっている。今日は土曜日。隆君に会う日だ。



隆君に再会したのは、一ヶ月ぐらい前だった。初夏。生気がみなぎる季節だ。私は母の死後、本屋で契約社員として働いている。その本屋は、駅前にあるビルのワンフロアに入っていた。毎日、私は忙しく働いていた。そんなある日、参考書のコーナーで隆君を見かけたのだった。熱心に参考書を物色している隆君の様子に、私は相変わらず真っ直ぐな子だわと思った。久しぶりだったので、思わず私は隆君に声をかけた。隆君は一瞬、びっくりした顔になったが、すぐに打ち解けた調子になった。彼は古典の成績が上がって、受験勉強もはかどっているとうれしそうに報告してくれた。私は隆君が継続して古典を勉強していたことに驚いた。人のアドバイスを素直に聞く子なんだと感心した。それと同時に、私が貴重な受験生の時間を奪っていることに気が付いた。慌てて、隆君に別れを告げようとすると、思いがけない言葉が返ってきた。
「もっとお話したいんです。また会えませんか。」
彼のきらきらした目に射抜かれて、私は固まってしまった。隆君は全身で、私と話をしたいと訴えていた。社交辞令ではないことがよくわかった。私ももう少し隆君と話したかった。私は何気なく腕時計を見た。一時間後には休憩時間に入る。私はちょっと意地悪な気分になった。どの程度、隆君は私と話したいのか、彼の気持ちを測りたくなった。
「あと一時間くらいで、休憩時間に入るんだけど、時間ある。もし隆君さえよければ、ここの一階のカフェで待っててくれる。」
急な話で、しかも彼は私を待たなければならない。それでも隆君は私と会いたいのだろうか。すぐに、彼は勢いよくうなずいた。
「わかりました。入口近くの席で待ってますね。」
隆君はくるりと向きを変え、すたすたと歩き去った。彼は本当に率直だ。私は少し罪悪感を覚えた。





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