十一載、李林甫卒。林甫媚事上左右、迎合上意以固寵、杜絶言路、掩蔽聰明。嘗語諸御史曰、不見立仗馬乎、一鳴輒斥去。妬賢嫉能、排抑勝己。性陰險。人以爲口有蜜腹有劍。毎夜獨坐偃月堂、有所深思、明日必有誅殺、屢起大獄。自太子以下皆畏之。在相位十九年、養成天下之亂。而上不悟。然禄山畏林甫術數。故終其世未敢反。是歳國忠爲相、言禄山必反、且曰、試召、必不來。
十三載、禄山聞召即至。上由是不信國忠之言、加禄山左僕射而歸。
十一載、李林甫卒す。林甫、上の左右に媚び事(つか)え、上の意に迎合して、以って寵を固うし、言路を杜絶し、聡明を掩蔽(えんぺい)す。嘗て諸御史に語(つ)げて曰く「仗に立つの馬を見ずや、一たび鳴けば輒(すなわ)ち斥け去らる」と。賢を妬み能を嫉み、己に勝るものを排抑(はいよく)す。性陰険なり。人以って口に蜜有り腹に剣有りと為す。夜偃月堂に独坐し、深思する所有る毎に、明日必ず誅殺有り。屢々大獄(たいごく)を起す。太子より以下皆之を畏る。相位に在ること十九年、天下の乱を養成す。而して上悟らず。然れども禄山、林甫の術数を畏る。故に其の世を終うるまで未だ敢えて反せず。是の歳、國忠、相と為り、禄山必ず反せんと言い、且つ曰く「試みに召せ、必ず来らざらん」と。
十三載、禄山、召しを聞いて即ち至る。上、是に由って、國忠の言を信ぜず、禄山に左僕射を加えて帰らしむ。
御史 官吏の不正を糾弾する官。 仗 儀仗。 排抑 排除抑圧。 偃月堂 林甫の書斎。 大獄 重大な事件の処罰。 左僕射 尚書省長官、左丞相とも呼ばれる。
天宝十一載(752年)に李林甫が死んだ。林甫は玄宗の側近に諂い取り入り、玄宗の意向に迎合して寵を固めた。さらに臣下の奏上の路を断ち、帝の聡明を蔽い隠した。あるとき官吏監督の役人たちに向かって「儀仗の列に並ぶ馬を見よ、一たび鳴けば、列からはずされる」と恫喝したことがあった。賢者、才能あるものは嫉妬の対象と為り、自分に勝る者は排斥された。人はその陰険なさまを「口に蜜あり腹に剣あり」といった。深夜、偃月堂に坐して沈思した翌日は必ず摘発、誅殺される者が出た。太子といえども安穏ではいられなかった。
宰相の位にあること十九年、天下の大乱を醸成した。しかし玄宗は全く気付かなかった。ただ安禄山は林甫の術数を恐れていたので謀叛には至らなかった。
一昨日は私めの誕生日でした。お祝いにビール一缶と鯛の頭を買って帰りました。帰途中野駅北口で路上ライブをやっていた。ふたばという男性デュオでかなり好みの歌声でした。
十三載、禄山聞召即至。上由是不信國忠之言、加禄山左僕射而歸。
十一載、李林甫卒す。林甫、上の左右に媚び事(つか)え、上の意に迎合して、以って寵を固うし、言路を杜絶し、聡明を掩蔽(えんぺい)す。嘗て諸御史に語(つ)げて曰く「仗に立つの馬を見ずや、一たび鳴けば輒(すなわ)ち斥け去らる」と。賢を妬み能を嫉み、己に勝るものを排抑(はいよく)す。性陰険なり。人以って口に蜜有り腹に剣有りと為す。夜偃月堂に独坐し、深思する所有る毎に、明日必ず誅殺有り。屢々大獄(たいごく)を起す。太子より以下皆之を畏る。相位に在ること十九年、天下の乱を養成す。而して上悟らず。然れども禄山、林甫の術数を畏る。故に其の世を終うるまで未だ敢えて反せず。是の歳、國忠、相と為り、禄山必ず反せんと言い、且つ曰く「試みに召せ、必ず来らざらん」と。
十三載、禄山、召しを聞いて即ち至る。上、是に由って、國忠の言を信ぜず、禄山に左僕射を加えて帰らしむ。
御史 官吏の不正を糾弾する官。 仗 儀仗。 排抑 排除抑圧。 偃月堂 林甫の書斎。 大獄 重大な事件の処罰。 左僕射 尚書省長官、左丞相とも呼ばれる。
天宝十一載(752年)に李林甫が死んだ。林甫は玄宗の側近に諂い取り入り、玄宗の意向に迎合して寵を固めた。さらに臣下の奏上の路を断ち、帝の聡明を蔽い隠した。あるとき官吏監督の役人たちに向かって「儀仗の列に並ぶ馬を見よ、一たび鳴けば、列からはずされる」と恫喝したことがあった。賢者、才能あるものは嫉妬の対象と為り、自分に勝る者は排斥された。人はその陰険なさまを「口に蜜あり腹に剣あり」といった。深夜、偃月堂に坐して沈思した翌日は必ず摘発、誅殺される者が出た。太子といえども安穏ではいられなかった。
宰相の位にあること十九年、天下の大乱を醸成した。しかし玄宗は全く気付かなかった。ただ安禄山は林甫の術数を恐れていたので謀叛には至らなかった。
一昨日は私めの誕生日でした。お祝いにビール一缶と鯛の頭を買って帰りました。帰途中野駅北口で路上ライブをやっていた。ふたばという男性デュオでかなり好みの歌声でした。
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