晴れた。
猫も帰ったし、出かける。
ナナカマドの実。
近所の民家のもみじ。
もう赤い。
ずっと歩いて陸橋に来た。
ええ雲やー。
陸橋から線路を見る。
西。
トンネル火災その他数多い不祥事に加えて線路の不備を放置し続け「失念」したとか、
JRのおかげさまで恐ろしくて利用する気にならず。
札幌に11月のリンゴ買いに行けない。
昔住んでいた場所の近くの農業専門学校の学生達が作った摘みたてのリンゴ。
一度陸橋を下りる。
陸橋の下の廃屋。
半世紀以上昔からここにある。
いつだったかここに来た時はツタが絡まっていたけど、
誰か建物に手入れする人がいるんだろうか、ツタは綺麗に刈り取られている。
陸橋から反対側の線路を見る。
東。
列車が通過した。
ローカル線だ。
さて、行こう。
陸橋を渡ると線路沿いに鉄道関係の古い建物が並ぶ。
こんな作りの長屋が私の幼稚園時代には至る所にあった。
友達の家もこんな長屋だった。
線路の向こうには倉庫らしき建物が並ぶ。
線路沿いを歩く。
駅近くの観光客様御用達市場に立ち寄った。
市場は観光客で一杯。
皆勝手丼とか蟹とかメロンとか好きに食べている。
葉わさびの醤油漬けの瓶詰めあれば欲しかったが見当たらなかった。
今度、浜の道の駅で探そう。
岸壁に来た。
炉端の準備しているのか炭火と魚の匂いがする。
岸壁は漁船が大勢いる。
人も結構歩いている。
雲が低いな。
街灯にはオオセグロカモメが一羽ずつ留まっている。
身繕いをして、長閑だ。
雲がどんどん増えてきた。
雨が来る予報ではなかったけど。
橋の上から川を見る。
今日は雲が多いな。
橋を渡ったら腹が減った。
地元で有名な蕎麦屋があるので入ってみる。
私が生まれる前からある老舗であるが来るのは初めてだ。
・・・・・いや、2歳頃に一度来た記憶がある。
店舗はこの一本向こうの旧市街の大通りだった。
今もその廃屋はそのまま残っている。
じじの旧友がこの当時近くに住んでいて訪ねたのだった。
港祭りの花火が緑色に上がっていたのを憶えている。
盛り蕎麦。
この緑色の麺を地元では「蕎麦」と呼ぶ。
蕎麦の味はしない。
しかしこの地元にしては珍しいアルデンテな麺だ。
意外にウマい。
さて、高台に上がるに道路の反対側に出るべく地下道を利用する。
この地下歩道、階段にまだ冠水の水濡れ痕が。
先日の台風の時、ここは水没してたんだな。
確かこの一帯は海抜0mしかないと聞いた。
地盤が低くて高台に上がってもやっと普通の高さじゃなかったっけ。
高台に上がる。
出世坂と地元で呼ばれる小さい坂。
心臓破りな急傾斜であるがバブル期に階段つけて整備されたし短い坂なので一足。
いつも上がって崖から海を眺めるあの坂に比べたら1/3くらいの距離。
しかし何故か登る足が後ろへ後ろへと引っ張られるような感触がして歩き難い。
ここは市内でも有数の物の怪集合地帯。
坂を上りきった正面は病院。
病院が前の経営者だった時代にはちょうど坂の上の正面に霊安室があった。
見た感じは両側を木々に囲まれた風情ある石段の坂道であるが、
以前ここで写メ撮ってこの日記ブログに載せたら、
シャレにならない危ない物の怪が大勢写ってるからすぐ削除しろと
読者の方に指摘されて削除した事があった。
私には見えないし、撮ってもわからないのであるが見える人には見えるらしい。
まぁ、そんな訳でこの素敵な風情の坂道を撮るのは自粛する。
じじによると、この一帯は
第二次大戦中の空襲で犠牲者が大勢出た時の遺体安置場所兼仮埋葬場所だったという。
じじも一家全滅した近所の住民の遺体を戸板に乗せてこの坂を登ったと言っていた。
地元の噂であるが、工事で土を掘り起こしたら人骨が出てきたという話も聞く。
今日この高台に来たのは物の怪密集地を撮るためではない。
この高台の上にある、バブル期に建てられたすんごく立派な公共施設で開かれている、
写真展を見に行くのである。
高台の施設まで来た。
では。
長倉洋海写真展 「地を駆ける」
http://www.h-nagakura.net/exhibition.html
長倉洋海さんの写真展見てきた。
長倉さんの集大成のような写真展である。
福島の子供達。
長倉さんの目を通して、子供達の快活で生き生きした表情を見た。
子供達が生き生きしているのを見て泣きそうになった。
鏡のような「午前2時の白夜の北極海」とタクラマカン砂漠の風紋に釘付けになった。
砂漠の砂の上に息絶えた蛾の写真も。
また見に来よう。
せっかく来たので最上階の展望室から市内を見る。
南。
東。
北。
西。
川は東の湿原から来て、
西の海に行く。
港に日が差してきた。
雲が広がってドラマチコになってきた。
喉渇いた。
携帯の電池使い切ったので充電しながら凍った菓子と紅茶。
せっかく長距離歩いて陸橋上がり降りして坂まで登ったのに、
消費した熱量がチャラになってしまった。
でもウマいわ。
16:30過ぎた。
そろそろじじの様子見に行こう。
それに何だか続々と客が入って来て店内が混雑してきた。
なんだなんだ?
夕食にはまだ早いのに、そんなにこの店ウマいのか?
ああ。
お客達は皆、ここから夕日が港に落ちるのを見たいらしい。
そういう事だったのか。
でも雲多いし、日没の太陽は見られるのか?
まぁとにかく帰ろう。
バスあるかな。
物の怪が嫌であるが一番無駄の無い道順なのでさっき来た物の怪坂を下る。
ここで写メは撮らない。
物の怪坂を下りた通りも坂道。
大きくなだらかな傾斜になっていて交通量の多いバス路線である。
今度は地下道に潜らず押しボタン式の信号を渡った。
車が来ないのを見計らってボタンを押したつもりだが、
結局坂の途中で大勢の車を足止めさせてしまって気が引ける。
橋まで来るとこんなに雲が出ているのに
夕日の写真を撮りたい人々が大勢張り付いている、橋の西側。
風が冷たい。
こんなに雲が低いのに皆太陽が下りて来るのを待っているのか?
あの細っこい雲と海の隙間を沈む太陽が通過するのを黙って待つ人々。
各自携帯を構えたり、立派な望遠レンズ付きのカメラをセットして、皆ひたすら待つ。
私も何となく橋の欄干にずらりと並ぶ人々に混じって携帯を構えて見た。
寒いな。
手指が冷たい。
手袋が必要だ。
待つ事10分・・・あっ。
来た、太陽。
歓声が上がった。
昇って来た太陽は夕方になると沈む、
こんな当たり前のいつもの自然現象に毎日大勢が集まって固唾を飲んで見守り
歓声を上げて喜ぶのは全国でもこの地くらいではないだろうか。
ああ、沈んだ。
雲のおかげでドラマチコな日没になった。
街灯が点いた。
バス停寒い。
もっと早くバス停に到着するつもりだったのが死人みたいに全身冷えきってしまった。
もう外出時は冬仕様でないと。
猫も帰ったし、出かける。
ナナカマドの実。
近所の民家のもみじ。
もう赤い。
ずっと歩いて陸橋に来た。
ええ雲やー。
陸橋から線路を見る。
西。
トンネル火災その他数多い不祥事に加えて線路の不備を放置し続け「失念」したとか、
JRのおかげさまで恐ろしくて利用する気にならず。
札幌に11月のリンゴ買いに行けない。
昔住んでいた場所の近くの農業専門学校の学生達が作った摘みたてのリンゴ。
一度陸橋を下りる。
陸橋の下の廃屋。
半世紀以上昔からここにある。
いつだったかここに来た時はツタが絡まっていたけど、
誰か建物に手入れする人がいるんだろうか、ツタは綺麗に刈り取られている。
陸橋から反対側の線路を見る。
東。
列車が通過した。
ローカル線だ。
さて、行こう。
陸橋を渡ると線路沿いに鉄道関係の古い建物が並ぶ。
こんな作りの長屋が私の幼稚園時代には至る所にあった。
友達の家もこんな長屋だった。
線路の向こうには倉庫らしき建物が並ぶ。
線路沿いを歩く。
駅近くの観光客様御用達市場に立ち寄った。
市場は観光客で一杯。
皆勝手丼とか蟹とかメロンとか好きに食べている。
葉わさびの醤油漬けの瓶詰めあれば欲しかったが見当たらなかった。
今度、浜の道の駅で探そう。
岸壁に来た。
炉端の準備しているのか炭火と魚の匂いがする。
岸壁は漁船が大勢いる。
人も結構歩いている。
雲が低いな。
街灯にはオオセグロカモメが一羽ずつ留まっている。
身繕いをして、長閑だ。
雲がどんどん増えてきた。
雨が来る予報ではなかったけど。
橋の上から川を見る。
今日は雲が多いな。
橋を渡ったら腹が減った。
地元で有名な蕎麦屋があるので入ってみる。
私が生まれる前からある老舗であるが来るのは初めてだ。
・・・・・いや、2歳頃に一度来た記憶がある。
店舗はこの一本向こうの旧市街の大通りだった。
今もその廃屋はそのまま残っている。
じじの旧友がこの当時近くに住んでいて訪ねたのだった。
港祭りの花火が緑色に上がっていたのを憶えている。
盛り蕎麦。
この緑色の麺を地元では「蕎麦」と呼ぶ。
蕎麦の味はしない。
しかしこの地元にしては珍しいアルデンテな麺だ。
意外にウマい。
さて、高台に上がるに道路の反対側に出るべく地下道を利用する。
この地下歩道、階段にまだ冠水の水濡れ痕が。
先日の台風の時、ここは水没してたんだな。
確かこの一帯は海抜0mしかないと聞いた。
地盤が低くて高台に上がってもやっと普通の高さじゃなかったっけ。
高台に上がる。
出世坂と地元で呼ばれる小さい坂。
心臓破りな急傾斜であるがバブル期に階段つけて整備されたし短い坂なので一足。
いつも上がって崖から海を眺めるあの坂に比べたら1/3くらいの距離。
しかし何故か登る足が後ろへ後ろへと引っ張られるような感触がして歩き難い。
ここは市内でも有数の物の怪集合地帯。
坂を上りきった正面は病院。
病院が前の経営者だった時代にはちょうど坂の上の正面に霊安室があった。
見た感じは両側を木々に囲まれた風情ある石段の坂道であるが、
以前ここで写メ撮ってこの日記ブログに載せたら、
シャレにならない危ない物の怪が大勢写ってるからすぐ削除しろと
読者の方に指摘されて削除した事があった。
私には見えないし、撮ってもわからないのであるが見える人には見えるらしい。
まぁ、そんな訳でこの素敵な風情の坂道を撮るのは自粛する。
じじによると、この一帯は
第二次大戦中の空襲で犠牲者が大勢出た時の遺体安置場所兼仮埋葬場所だったという。
じじも一家全滅した近所の住民の遺体を戸板に乗せてこの坂を登ったと言っていた。
地元の噂であるが、工事で土を掘り起こしたら人骨が出てきたという話も聞く。
今日この高台に来たのは物の怪密集地を撮るためではない。
この高台の上にある、バブル期に建てられたすんごく立派な公共施設で開かれている、
写真展を見に行くのである。
高台の施設まで来た。
では。
長倉洋海写真展 「地を駆ける」
http://www.h-nagakura.net/exhibition.html
長倉洋海さんの写真展見てきた。
長倉さんの集大成のような写真展である。
福島の子供達。
長倉さんの目を通して、子供達の快活で生き生きした表情を見た。
子供達が生き生きしているのを見て泣きそうになった。
鏡のような「午前2時の白夜の北極海」とタクラマカン砂漠の風紋に釘付けになった。
砂漠の砂の上に息絶えた蛾の写真も。
また見に来よう。
せっかく来たので最上階の展望室から市内を見る。
南。
東。
北。
西。
川は東の湿原から来て、
西の海に行く。
港に日が差してきた。
雲が広がってドラマチコになってきた。
喉渇いた。
携帯の電池使い切ったので充電しながら凍った菓子と紅茶。
せっかく長距離歩いて陸橋上がり降りして坂まで登ったのに、
消費した熱量がチャラになってしまった。
でもウマいわ。
16:30過ぎた。
そろそろじじの様子見に行こう。
それに何だか続々と客が入って来て店内が混雑してきた。
なんだなんだ?
夕食にはまだ早いのに、そんなにこの店ウマいのか?
ああ。
お客達は皆、ここから夕日が港に落ちるのを見たいらしい。
そういう事だったのか。
でも雲多いし、日没の太陽は見られるのか?
まぁとにかく帰ろう。
バスあるかな。
物の怪が嫌であるが一番無駄の無い道順なのでさっき来た物の怪坂を下る。
ここで写メは撮らない。
物の怪坂を下りた通りも坂道。
大きくなだらかな傾斜になっていて交通量の多いバス路線である。
今度は地下道に潜らず押しボタン式の信号を渡った。
車が来ないのを見計らってボタンを押したつもりだが、
結局坂の途中で大勢の車を足止めさせてしまって気が引ける。
橋まで来るとこんなに雲が出ているのに
夕日の写真を撮りたい人々が大勢張り付いている、橋の西側。
風が冷たい。
こんなに雲が低いのに皆太陽が下りて来るのを待っているのか?
あの細っこい雲と海の隙間を沈む太陽が通過するのを黙って待つ人々。
各自携帯を構えたり、立派な望遠レンズ付きのカメラをセットして、皆ひたすら待つ。
私も何となく橋の欄干にずらりと並ぶ人々に混じって携帯を構えて見た。
寒いな。
手指が冷たい。
手袋が必要だ。
待つ事10分・・・あっ。
来た、太陽。
歓声が上がった。
昇って来た太陽は夕方になると沈む、
こんな当たり前のいつもの自然現象に毎日大勢が集まって固唾を飲んで見守り
歓声を上げて喜ぶのは全国でもこの地くらいではないだろうか。
ああ、沈んだ。
雲のおかげでドラマチコな日没になった。
街灯が点いた。
バス停寒い。
もっと早くバス停に到着するつもりだったのが死人みたいに全身冷えきってしまった。
もう外出時は冬仕様でないと。
たった今、後半部分を追記しました。
この後そのままバスに乗らず、群集に混じって日の入りを眺めたのでした。
もう体感的には完全に冬でした。)))
あんなに雲が低くては日没など見えないだろうと思いましたが
10分後にあんな光景が展開するとは。
快晴の時のも良いのですがこうして雲があると
差し込んで来た光が何か特別な意味を持っているような気までしました。
すてきな夕日の写真ありがとうございます。
この日は13000歩程度で
崖や浜まで歩いた23000歩の時ほど進みませんでした。
もうだいぶ寒くなってきていて夕方の徒歩は手袋ほしいです。
彼岸少し過ぎると川の真ん中に太陽が沈むのが見られます。
観光客の人々の方が詳しいかな。笑)