まだ空が明るいというのに人出凄い。
人の流れに逆らってじじに面会してきた。
河川敷に向かう人々の群れが凄い。
この過疎地の何処にこんなに人がいたのかと思うほどである。
一日中どんより曇って小雨がぱらつき川面に靄が立ち上って風も全然無い。
風ほしいなぁ。
風が無いと煙が立ち込めてせっかく上がった花火が見えなくなってしまう。
大丈夫なのか。
腹へった。
川の近くの蕎麦屋。
まだ30分あるので冷たいとろろ蕎麦食べた。
冷たい蕎麦のつけだれが薄過ぎて不満。
店の雰囲気は昔懐かしい感じでいいんだけど残念。
19:00。
土手には人が大勢集まっている。
出店も並んでいる。
まだうっすら空が明るいけど始まった。
こうして一人で河川敷に花火を見に来たのは何年ぶりだろう。
この河川敷の花火大会はじじ宅の窓から見える。
じじのADLが落ちて以来、昨年までは本人を車椅子で窓辺に連れて行き、
お盆にお茶と一口角切りにしたスイカを乗せて俄仕立ての観覧席を設け、
じじは毎年花火を眺めて楽しんでいた。
風が無くて煙が立ち込めて霞んでいるのがちと残念。
毎年窓から花火に見入る後姿を見ながら、
じじがこうして花火を見るのはこれが最後になるかも知れないと思っていた。
昨年の今頃も、やはりそう思った。
そして、今年からはもう無いのだ。
じじがあの飾り窓からスイカを頬張りながら花火を眺める事は、もう無い。
感傷的に頭上を見上げていると、私の足元でいきなり人が仰向けに引っ繰り返った。
何処かの爺さんが折りたたみの椅子に座ったまま土手から道路に仰向けに倒れている。
周囲の人々が騒ぎ出した。
仰向けだ。
後頭部を打ったのではないか?
その場にいた人達で助け起こし、大丈夫ですかと聞くと
「大丈夫大丈夫!
どこもぶつけてない、ちょっと体をずらそうとして後ろにそっくり返りすぎただけだ。
すみません。」
と言っている。
ご老人はそのまま何事も無かったように花火を最後まで見終えて帰って行った。
何とも無ければいいが。
仕掛け花火が始まった。
2歳頃にこの土手で両親に連れられて花火を見に来た記憶がある。
当時まだ妹が生まれていなくて私は一人っ子だった。
頭上で大玉が炸裂した音に驚いて泣いた覚えがある。
その時も、仕掛け花火で川が光った光景がまだ記憶に残っている。
仕掛け花火が左の川下から右の川上へ走る。
花火が行き渡った。
滝のように川面に注ぐ花火。
これは実際にこの場所に来ないと、マンションの部屋の窓からは見られない。
花火大会は1時間の予定である。
元々は19:00から20:45まで2時間近く盛大に行われていたのが、
近年時間を半分に短縮されているのは、スポンサーが減ってしまったらしい。
寂れ果てた市の中心街を流れるもう一本の古い川で来月行なわれる花火大会の方に
スポンサーが集まっているという話も聞いた。
港近くの河口で巨大な三尺玉花火を打ち上げるイベントで地元に観光客を呼べるとか
地域活性化目的の事情もあってそっちの方に力を入れたいらしい。
しかし地元の一市民としてはここの河川敷の花火大会にの方に郷愁と思い入れがある。
港側の方の花火大会は曇りや霧でまともに花火を見る事が出来たのは数年に一度の割合、
気候は人の思惑通りにはなってくれない。
せっかく打ち上げた大玉が霧に隠れて音だけという事が何度もあって、
私自身は直接岸壁まで見に行った事は無い。
年に二回、両方の花火大会が見られた幸運な年は、過去に数えるほどしか無かった。
最終プログラムのアナウンスが入った。
フィナーレが一番華やかなのに、急に立ち上がって帰って行く人々が出た。
遠くから来ているのか、道路が混雑して足止めされるのを避けたいらしい。
近くで不満げな子供の声が聞こえた。
「ええー?
フィナーレが一番いいのに、見ないで帰るの?」
ほら、フィナーレだ。
まるまる一時間、携帯を構えていたら腕が痛くなった。
花火の写真、たくさん撮った。
もっとちゃんとしたカメラで腕のいい人が撮ったらもっと綺麗に撮れたかも。
ま、カメラと名の付く物はこれしか持ってないし私はド素人だし。
まずは明日、じじと珈琲店の奥さんに見せよう。
この他の花火の写真を散歩写真ブログに公開しております。
↓
ぱんくず散歩録(この日記の左、ブックマーク欄からもどうぞ。)
http://blog.goo.ne.jp/t-i801025walk
人の流れに逆らってじじに面会してきた。
河川敷に向かう人々の群れが凄い。
この過疎地の何処にこんなに人がいたのかと思うほどである。
一日中どんより曇って小雨がぱらつき川面に靄が立ち上って風も全然無い。
風ほしいなぁ。
風が無いと煙が立ち込めてせっかく上がった花火が見えなくなってしまう。
大丈夫なのか。
腹へった。
川の近くの蕎麦屋。
まだ30分あるので冷たいとろろ蕎麦食べた。
冷たい蕎麦のつけだれが薄過ぎて不満。
店の雰囲気は昔懐かしい感じでいいんだけど残念。
19:00。
土手には人が大勢集まっている。
出店も並んでいる。
まだうっすら空が明るいけど始まった。
こうして一人で河川敷に花火を見に来たのは何年ぶりだろう。
この河川敷の花火大会はじじ宅の窓から見える。
じじのADLが落ちて以来、昨年までは本人を車椅子で窓辺に連れて行き、
お盆にお茶と一口角切りにしたスイカを乗せて俄仕立ての観覧席を設け、
じじは毎年花火を眺めて楽しんでいた。
風が無くて煙が立ち込めて霞んでいるのがちと残念。
毎年窓から花火に見入る後姿を見ながら、
じじがこうして花火を見るのはこれが最後になるかも知れないと思っていた。
昨年の今頃も、やはりそう思った。
そして、今年からはもう無いのだ。
じじがあの飾り窓からスイカを頬張りながら花火を眺める事は、もう無い。
感傷的に頭上を見上げていると、私の足元でいきなり人が仰向けに引っ繰り返った。
何処かの爺さんが折りたたみの椅子に座ったまま土手から道路に仰向けに倒れている。
周囲の人々が騒ぎ出した。
仰向けだ。
後頭部を打ったのではないか?
その場にいた人達で助け起こし、大丈夫ですかと聞くと
「大丈夫大丈夫!
どこもぶつけてない、ちょっと体をずらそうとして後ろにそっくり返りすぎただけだ。
すみません。」
と言っている。
ご老人はそのまま何事も無かったように花火を最後まで見終えて帰って行った。
何とも無ければいいが。
仕掛け花火が始まった。
2歳頃にこの土手で両親に連れられて花火を見に来た記憶がある。
当時まだ妹が生まれていなくて私は一人っ子だった。
頭上で大玉が炸裂した音に驚いて泣いた覚えがある。
その時も、仕掛け花火で川が光った光景がまだ記憶に残っている。
仕掛け花火が左の川下から右の川上へ走る。
花火が行き渡った。
滝のように川面に注ぐ花火。
これは実際にこの場所に来ないと、マンションの部屋の窓からは見られない。
花火大会は1時間の予定である。
元々は19:00から20:45まで2時間近く盛大に行われていたのが、
近年時間を半分に短縮されているのは、スポンサーが減ってしまったらしい。
寂れ果てた市の中心街を流れるもう一本の古い川で来月行なわれる花火大会の方に
スポンサーが集まっているという話も聞いた。
港近くの河口で巨大な三尺玉花火を打ち上げるイベントで地元に観光客を呼べるとか
地域活性化目的の事情もあってそっちの方に力を入れたいらしい。
しかし地元の一市民としてはここの河川敷の花火大会にの方に郷愁と思い入れがある。
港側の方の花火大会は曇りや霧でまともに花火を見る事が出来たのは数年に一度の割合、
気候は人の思惑通りにはなってくれない。
せっかく打ち上げた大玉が霧に隠れて音だけという事が何度もあって、
私自身は直接岸壁まで見に行った事は無い。
年に二回、両方の花火大会が見られた幸運な年は、過去に数えるほどしか無かった。
最終プログラムのアナウンスが入った。
フィナーレが一番華やかなのに、急に立ち上がって帰って行く人々が出た。
遠くから来ているのか、道路が混雑して足止めされるのを避けたいらしい。
近くで不満げな子供の声が聞こえた。
「ええー?
フィナーレが一番いいのに、見ないで帰るの?」
ほら、フィナーレだ。
まるまる一時間、携帯を構えていたら腕が痛くなった。
花火の写真、たくさん撮った。
もっとちゃんとしたカメラで腕のいい人が撮ったらもっと綺麗に撮れたかも。
ま、カメラと名の付く物はこれしか持ってないし私はド素人だし。
まずは明日、じじと珈琲店の奥さんに見せよう。
この他の花火の写真を散歩写真ブログに公開しております。
↓
ぱんくず散歩録(この日記の左、ブックマーク欄からもどうぞ。)
http://blog.goo.ne.jp/t-i801025walk