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上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

鹿沼市粕尾・双体道祖神 2

2022-12-23 20:20:16 | 石仏

 2007年発行の「双体道祖神調査資料大成」では日本全体で8505体の道祖神が記録され、その道祖神のほとんどが関東、甲信越にあるとわかったが、それら23都府県以外の道祖神の存在が確認されなかった、24道県に建立されなかった要素とは何なのか、建立されなかったとしたら何故なのかと、ますます謎を深めて迫ってくるのである。

馬置道祖神は馬置バス停100m先にあるポケットパーキング(画像奥)右手の小さな沢沿いにあると、地元の方に教えていただいた。

ポケットパーキングには新しく作られた道祖神があり、その背後に自然に同化した状態で、馬置道祖神はあった。右手にある小さな沢が、馬置漆沢というらしい

教えていただかなかったら、見つからなかったろう。

馬置漆沢道祖神 寛政10 年(1798年)碑型(起舟型)姿態(祝言)碑高(51cm)

双体とも頭部破損 左の神は酒器のようなものを持っているようだが、苔に覆われて細かい部分が窺い知れない。

馬置道祖神の所在を尋ねた地元の方に教えていただいた、馬置の断崖にあるという男根型の金精様があるという場所も尋ねたが、空振りだった。

この斜面の頂上にあるほこらにあるというが、祠は空だった。

祠には空だった。小さな祠に小さな金精様、持ち去られたか。

 

栃原の道祖神は星宮神社裏手にあるという。思川流れの側ということである。奥に道祖神の白い案内杭が見えた。

 

栃原の道祖神 文化4年(1807年)碑型(舟型)姿態(肩組手握)碑高(67cm×碑幅35cm×像高45cm)

猪よけのフェンスが張り巡らされてよくわからず、この道祖神も地元の方に案内していただいた。

 

 

  


鹿沼市粕尾・双体道祖神

2022-12-22 22:17:31 | 石仏

鹿沼市粕尾地区を道祖神で活性化させようと、二箇所の駐車帯には新しい双体道祖神が置かれていた。

栃木県の双体道祖神の数が28体ということだが、2007年の段階ではそのうちの11体が粟野町にあるらしい。ということは栃木県の4割はこの町にあるということになる。現在鹿沼市に合併されて鹿沼市粟野になっている。いろいろ調べていくと、栃木県の双体道祖神がこの地域に特化してあるのは、実に面白く興味深いことである。

また、新たにこの地域の道祖神について調べてみると、資料集では2007年には11体とあった道祖神は、現在では9体ということがわかった。

 

鹿沼市地区で一番南にある道祖神は宮端地区にある。個人の敷地内にあるため入るわけにいかないが、石塀の隙間から見ることができた。

宮端集落 奥の赤い屋根の敷地内にある。

 碑型(舟型)  姿態(不明)  碑高(高さ53cm×幅18cm×像高36cm)

次に訪れた鬼平では、道祖神があった場所は土砂崩れがあり、行方不明になっているとのことだった。奥の白い土留部分あたり。

鬼平道祖神が不明ということは9体から一つ減り、この地域の道祖神は8体ということになる。

北に向かって進むと次に現れるのは赤石川原の道祖神である。バス停から200mあまりの駐車帯にある。

落石防止のフェンス越に岩盤の中に。

赤石川原の道祖神。製作年 (1791年)碑型(打切型)姿態(手握)  碑高(高55cm×幅35cm×像高40cm)

双体道祖神の殆どが1800年代以降の建立が多い中で、痛みが激しいが1700年代は建立は少ないと思われるので貴重である。


栃木市善応寺の道祖神

2022-12-21 18:10:37 | 石仏

 長野まで足を伸ばし道祖神探しをしたものの、新潟、そして栃木の道祖神が気になってきた。そこで栃木県の道祖神について調べてみた。道祖神は神奈川、長野、群馬が圧倒的に多く、道祖神の住まい?はほぼ関東近辺が主なようだ。その中でも長野県が圧倒的に多いらしい。日本にある双体道祖神の2割強は長野県にあるらしい。

栃木県はというと、双体道祖神調査資料集大成によるとわずか28体とある。2007年発行のこの本には全国で8505体が収録されている。

栃木市吹上にある下野二十三番札所 善応寺。←クリック 画像の双体道祖神は平成11年建立らしい。

 

江戸初期建立という観音堂

ここ伊吹山は歌枕として平安の昔から歌われてきたらしい。

 

 椿の花と如意輪観音    十九夜の供養等にも如意輪観音(文政とあるから1818年〜30年)

観音堂裏には無縫塔、卵塔が。このお寺の歴代の住職の墓であろうか。平安時代までは五輪の塔が主であったが、宗からもたらされた禅宗では卵塔が鎌倉時代から主力になり、江戸時代には宗派にかかわらず、無縫塔、卵塔になったとのことであった。

 

 


白馬村の道祖神 2

2022-12-20 18:28:47 | 石仏

 

白馬村で最初に会えた道祖神は空峠石仏群と言われる場所。塩の道を辿って見つけたもので、やった!といったところでしょうか。

空峠石仏群は五叉路にある。

 

 

 

自然石タイプ 盃と酒瓶を持っていることから祝言形式と呼ばれるようだ。

白馬村歴史民族資料館にあった道祖神。写真集「信濃路の道祖神」では青鬼という集落にあるとあったが、移設されたらしい。

最後に蕨平という場所で出会った道祖神。この道祖神は新しいものらしい。この蕨平には既存の道祖神があるらしいから、ㇼベンジということである。

この場所では晴れていれば最高のロケーションらしい。

 

 

 


白馬村の道祖神

2022-12-19 20:55:28 | 石仏

今回の目標は白馬村に道祖神を見にいく、だが資料は全くない。簡単に見つかるだろうと思うのは甘い考えだとはわかっているが、なんとか現地で聞けばと思っているが、ま〜〜〜闇雲に探してもまともには見つからなかった。そこで戦法を替え、塩の道、千国街道を走ることにした。

長谷寺説明板

長谷寺山門前に、最近の建立と思われる可愛い道祖神が。

長谷寺山門前 不動明王。大正とあるから100年ほど前のものだ。

 

石仏の背後にはスキー場のバーンが雪で埋まり始めている

長谷寺近くの道祖神碑。この大根は何

大糸線飯森駅付近踏切に石仏群が無造作にあった。

石仏郡の中でも比較的しっかりしている観音菩薩像。文政とあるから建立は1818〜1830年頃である。

さてここまで目的の道祖神は会うことができてない。