蕎麦屋「雪国」
「瞽女ミュージアム高田・1968」と題して作り始めたジオラマも早、足掛け6ヶ月。完成は来月になりますがプロセスを少し載せます。
和菓子屋「田中屋」
「瞽女ミュージアム高田」1968年
ミュージアム内部
後ろから見た内部
「瞽女ミュージアム高田・1968」前景
7月初旬、展示予定です。
蕎麦屋「雪国」
「瞽女ミュージアム高田・1968」と題して作り始めたジオラマも早、足掛け6ヶ月。完成は来月になりますがプロセスを少し載せます。
和菓子屋「田中屋」
「瞽女ミュージアム高田」1968年
ミュージアム内部
後ろから見た内部
「瞽女ミュージアム高田・1968」前景
7月初旬、展示予定です。
6月の初めの時点では、会場が狭いため20人限定であった会場が大きな会場に変更になり、申込者全員が公聴できるようになりました。興味のある方は是非ご来場ください。といっても何せ奄美大島ですから、コロナもあって、知人である私も行けそうにはありませんが。参考書として著書・「裸の一村」も販売するそうです。
今月の初め、拙宅での撮影。一村が織り子をして生活を起てようと、大島紬を織ったものだが俄仕立ての織り子では
商品にならず、自分用に仕立てた大島紬。我が家には2着ある。この着物を着ての講演を考慮していたらしいがどうなるだろう。ご満悦の大野氏である。箱の中で眠っていた大島紬。皺皺ですがお許しを。
上越の町家は京都からの文化が色濃い。新潟地方の上越、中越、下越は京都を起点に付けられている。だから新潟県で南部に属する上越が、上となっている。
やはり京都。着物姿が多い。
京都ならではのお稲荷さん。
町家が密集するのは先斗町、祇園あたりか。今回は先斗町を步いた。先斗町は祇園と比べ道路も狭く飲食店が多い。
車の通行は禁止と見え、宅配便も台車での配達である。
三条大橋を渡り、六曜社に向かう。イベント会社の担当の方も学生時代はよく通ったという、六曜社。入れ替わりの激しい京都店舗事情の中、1950年から3代、71年続く。一階が喫茶、地下がバアーになっているという。
端正に仕切られた京都の地理のように、橋を渡った際の老舗菓子店の陳列も妙だ。
明治から続く、おかき、あられ専門店「和菓子屋・船はしや」
老舗和菓子屋の隣が、た、タワシ屋! 和風清掃用品店。
日用品店「内藤商店。このタワシだったら体も磨けそう!
観光客がほとんど見られない今の京都で人だかりが、と思ってみると、新撰組で名高い「池田屋」
京都駅方面、四条にむけて左に曲がると、道を訪ねた目の前が六曜社であった。
奥を見る
玄関口をみる。コーヒーの香りが。せいぜい30人ほどの小さなお店だが、50年ぶりの訪問に感動ものである。
コーヒ豆の販売は店舗だけでなく、ネット販売も始めたらしい。久しぶりにおいしいコーヒをいただいた。京都にお出かけの節はコーヒー等にはおすすめだ。