上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

板倉区国川の地滑り

2012-03-26 07:32:20 | 瞽女街道を行く

今月の7日に発生した上越市、板倉区国川の地滑りは3月も終わろうとしているのに、まだ収まりそうもない。 国川に瞽女宿はないが,道路をはさんで東側の曽根田集落に2軒,「店」と「寺裏」という屋号の宿がある.この2軒は幸いなことに宿主はご健在で既にお話を伺ってはいたがが,両宿ともに今回の地滑りにほど近く,心配なことである.また西側には福王寺集落があり,ここにも「上江端」という瞽女宿があるが代わりし,尋ねてはみたものの,若い世代の方が住んでおり,残念ながら瞽女に関しては全く知識がなかった.

Photo

                                        板倉区・国川集落

かねてから,頸城の山々の原生林の少なさと,積雪の多さに比し,それを包括する天然林の少なさに危惧は抱いていたものの,それほどの急斜面とは思えぬ山域から,土砂が滑り出すとは思いもよらなかった.河川が少量の雨でも濁り、濁りがなかなかとれない頸城の土壌は,岩盤の上に成り立っている関東の地層とは比べ物に成らないほどもろい地盤であったということが,今回の国川の地滑りで再認識することになった.比較的斜度がない割には頸城の山間地で地滑りが多いのは危うい地盤でなりたっているということなのだろう.崩れにくい,粘土質の上に,流動性のある地質がのっているかららしい.いわば根雪の上の,新雪のようだ.そのうえ,植林された杉,檜では根も浅く,水も保有できない地盤となって,今年のように大雪となると,溶け出した水分を捌けきれず,地滑りとなってしまったということらしい.雪の多さ,水の豊富さが豊かでおいしい米を産出することと引き換えに,今回のような被害を被ることは、雪国新潟で生きることの難しさのようだ.

Photo_2

Photo_3

            国川集落になだれ込む地すべり

先日,曽根田の瞽女宿が心配になり尋ねてみたが,「店」「寺裏」の二つの宿までは地滑りが及ぶことがないことがわかり,ほっとしたものの,これ以上被害が広がらないよう,行政にはしっかり対策をしてもらいたいものである.

 


冬から春の旅へ,3月

2012-03-02 13:51:10 | 瞽女街道を行く

 2月,3月は矢代方面に出向き,いずれも長逗留の滞在だったらしい.2月に回れなかった地区を3月に回るのが恒例で,現在の上越市,中郷区や,妙高市付近を回った.戦前は高田を出た瞽女達は毛細血管のように網羅された瞽女道を歩き,その沿道にある多数の宿をたどりながら,その道程を遊芸していたのであるが,粒さに歩いてみると,近年に入ってからの多くは,ほとんどの宿はスルーし,特定の宿だけに泊まって動いていた結果が出ている.つまり,瞽女道沿いに点在した宿の一部だけしか,利用していないのである.これは一体どういう理由からであろうか!
 このような状況は多くの瞽女街道にも共通することであるから,理由は限定的と思われる.このことは後に述べることにして,まずは高田から矢代方面(現在の中郷区,妙高市)への瞽女街道をたどってみよう.

 高田の中心街を抜け南葉山麓沿いを走る,現在の県道63号線を南下する.この道は標高1000mあまりの南葉山麓の北側,雪は多い.最初の宿灰塚は高田から10kmあまり.宿の屋号は「佐藤」.この辺りは佐藤姓は多く,その上,近年は宿をやっていないので,探すのには難儀したが,なんとかたどりついたものの,70代の家主は父か祖父の代で全く分からないとのことである.このあたりを歩くと,蔵の数が多いのに驚かされる.かっては林業で栄えたのだろうか,コテ絵の扉が至ところに残っていた.

Dsc_1782

 

Dsc_1778_01

 

Dsc_3791

上馬場集落を抜け,雪森へ.中郷区雪森には瞽女宿「源七」がある.R18号,乙吉交差点からもわずかな距離である.ここには7月頃にきたとのことで良く覚えておられており、中島ご夫妻にお話をうかがった.

 

Dsc_1797_02

 

Dsc_1798_01
 中島さん宅も大きな家で,やはり蔵がありコテ絵の扉があった

 

Dsc_3747
 沿道の子供達.瞽女達もこんな元気な子供達の歓声を聞きながら宿への道を急いだのだろう.