上越の町家は京都からの文化が色濃い。新潟地方の上越、中越、下越は京都を起点に付けられている。だから新潟県で南部に属する上越が、上となっている。
やはり京都。着物姿が多い。
京都ならではのお稲荷さん。
上越の町家は京都からの文化が色濃い。新潟地方の上越、中越、下越は京都を起点に付けられている。だから新潟県で南部に属する上越が、上となっている。
やはり京都。着物姿が多い。
京都ならではのお稲荷さん。
町家が密集するのは先斗町、祇園あたりか。今回は先斗町を步いた。先斗町は祇園と比べ道路も狭く飲食店が多い。
車の通行は禁止と見え、宅配便も台車での配達である。
三条大橋を渡り、六曜社に向かう。イベント会社の担当の方も学生時代はよく通ったという、六曜社。入れ替わりの激しい京都店舗事情の中、1950年から3代、71年続く。一階が喫茶、地下がバアーになっているという。
端正に仕切られた京都の地理のように、橋を渡った際の老舗菓子店の陳列も妙だ。
明治から続く、おかき、あられ専門店「和菓子屋・船はしや」
老舗和菓子屋の隣が、た、タワシ屋! 和風清掃用品店。
日用品店「内藤商店。このタワシだったら体も磨けそう!
観光客がほとんど見られない今の京都で人だかりが、と思ってみると、新撰組で名高い「池田屋」
京都駅方面、四条にむけて左に曲がると、道を訪ねた目の前が六曜社であった。
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玄関口をみる。コーヒーの香りが。せいぜい30人ほどの小さなお店だが、50年ぶりの訪問に感動ものである。
コーヒ豆の販売は店舗だけでなく、ネット販売も始めたらしい。久しぶりにおいしいコーヒをいただいた。京都にお出かけの節はコーヒー等にはおすすめだ。
地上にあった出町柳駅は、地下鉄となっていた。
50年前、東京の大学に籍を置きながら学校には行かず、働いていた。3年の時は成田空港のJALの社宅の建設現場の飯場に寝泊まりしていたし、4年になってからは京都の出町柳駅の近くにあるマンションんを借り、作家活動崩れの半端者の集団で、大手の設備会社から10人ほどのメンバーで仕事を請け負っていた。リーダー格のIは3部屋あるマンションの一部屋に、女と同居していたから、常時6、7人の残りのメンバーは蛸部屋状態の部屋で悶々としていたのだった。楽しみはと言えば、仕事終わりによるコーヒーショップ、六曜社で飲む美味しいコーヒーと、鴨川ベリにある3、4条橋の下に住むホームレスの優雅な生活ぶりだった。火鉢を囲み、魚を焼き、ペットの犬と戯れながら飲む酒は、実に美味しそうだった。私たちメンバーのほとんどは20代で、彼らの自由な生活が羨ましい上に、夕刻の鴨川べりには、カップルが群れ集うのだった。そんな風景を尻目に、盆地で蒸し暑い京都にあって、鴨川の川風は実に涼しかった。
出町柳駅は高野川と賀茂川の出会いにあり、駅のあたりで合流し、鴨川と名前を変えて京都中心部へと流れ込んでいた。
50年前の風景が今も残るべくもなく、古いタバコやで訪ねてみる。
この動物病院を先頭に後ろに当時の「洛水ハイツ」の3階建てあったらしい。私と友人はハズレの俗に「ミゼットハウス」と呼ばれる古屋に住んでいた。
この空き地あたりにあったかも。
亀石の飛び石。昔はなかったな!
鴨川河川敷でよく見る納涼床