上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

久しぶりのツーリング・残雪の山里を走る

2024-05-08 08:41:03 | バイク

 能生谷 左、江星山 516m   右、神道山 402m(1022段の階段で有名)

  頸城の山々をバックに(火打山、焼山)糸魚川市中河原新田。瞽女宿「善右衛門新屋」がある。

民家と火打山、焼山

 

最近老化が顕著である。そういう認識は行動を狭ませる。やらないからできない。辛いからやらない。

そんな負のスパイラルが心身に蔓延している。

そんな中、お散歩はするが遠出はさせなくなった愛車を引き摺り出した。遠出は2年ぶりか。

2年前の遠出はこいつではなくもう一台の方であったが、今回はカミさんより付き合いの長い、

相棒とのツーリングとなった。

1978年製造、1979年登録。BMWR100RS改、R100S。

今年で46年経つ。乗り手同様、立派なジジイである。

早川谷、「寒い谷」バス停 なんとも雰囲気抜群のバス停である。

 

今回の行程はといえば、連休で賑やかな日本海沿いの国道R8を走り、糸魚川の早川谷に沿って

南下、中河原新田の民家と頸城の山を見て、あえて国道には戻らず山麓の林道を走り、峠を3ケ

超える。まずは早川を渡り土塩集落、猿倉の集落を上り林道から頸城三山を眺めながら峠を越え

能生の島道に至る。舗装された林道とはいえ、この時期に通れた試しはないが、今年の雪では

可能と見込み走る。残雪、多くの倒木、土石、沢水を避け走る。山菜採りと思しき何台かの地元の軽トラと

対向することで、下までの走行の確約を得ながらも、冷や冷や物の走行であった。

早川から能生に至る林道で。ロケーション最高の林道である。この時は乗用車での走行は

勧められないが、整備されればおすすめである。

 高倉集落の裏の田んぼで頸城三山をバックに。妙高山はバイクに隠れてしまった。

バイク右に 火打山 焼山

 

能生から高倉を経て峰山〜広域農道走り名立、桂谷に出る。桂谷から名立川に剃って走り

田の上、杉野瀬から桑取谷の高住に出る予定が、最終杉野瀬集落から峠の先から高住が

道路工事で桑取に抜けられず、名立にもどり国道8号線となった。案の定、夕刻の8号は

渋滞であった。

 連休の瞽女ミュージアムは大変混雑したようだが、連休が終わり静かなミュージアムでゆっくり

 御観覧となることでしょう。

 今月は瞽女妙音講が5月12日、天林寺にて行われます。また本日から瞽女バスツアー6月9日の申し込みが

 始まります。興味のある方はぜひご参加を!

 詳しくは 瞽女ミュージアム←クリック

 


通い道 バイク旅

2020-10-11 09:20:12 | バイク

 お天気も上々、南葉山に向かう(BMW R100RT改めR100) 1979年製造 42年目

2年ぶりのバイクでの上越。1日2日であれば天気が続くのであるが、4日、5日と続くことのない今般のお天気。

なかなかバイクで出かけることには躊躇する。関東はお天気が続きそうもないが、上越は良さそうなのでバイクで

の走りとなった。

帰り道、蒲生の棚田によるが、稲刈りも終わり雑草が生茂り、身も蓋もない!

 

 

 

いつも気になりながら、寄ったことのない赤城山麓の硯石によってみた。

 


10年目の

2018-07-04 10:26:06 | バイク

 

 

今月で上越に家をもって10年。早いものである。かみさんをバイクに乗せ、家を見に来たのは2009年の八月。当時高速はどこまでいっても1000円の時代。スーと来てスーと決めて、ビンテージバイクを買おうと貯めていた金が、スーと消えた。

 後悔はしていない!

ビンテージバイクに勝るとも劣らない喜び、人生を、この町家は僕に与えてくれたからだ。古稀を超えいつまでここに通えるかはわからないが、とりあえずこの家が100年を迎えるまで頑張れればと思う。

 あと10年である。

   十日町市、室野 瞽女宿「山平」

      清州狭 十二峠付近


瞽女、お春の供養碑を訪ねて

2017-06-07 22:30:46 | バイク

しばらくぶりのバイクによるツーリング。

上越地方を4日間走った。

新潟県、出雲崎にある、画家斉藤真一が建てたという、お春瞽女の供養碑を訪ねてきました。

刈羽原発のフェンスが続く。

 

 大崎地区に顕著に見られる潮風避けの木のフェンス

途中に見られる奇岩

出雲崎集落入り口にある、尼瀬獄門跡

出雲崎切妻家屋の家並

良寛記念館にある復元された五合庵

良寛記念館側にある良寛と童の像

良寛記念館付近から出雲崎集落をみる

 

出雲崎集落から寺泊の境、二叉路傍にあるお春瞽女の碑。

昭和22年、瞽女お春は遊芸の途中、この地にて行死したという。