久しぶりの虹
最近上越では久しく虹を見ない。虹は陽光が傾き始める秋から晩秋によく見られる。この頃の天候は移気で
コロコロ変わりやすく、そんな条件においてほど虹は出やすい。小山では上越とは違い、夏に虹はよく出る。
関東の夏は虹の出やすい条件を満たして言えるのだろう。それは午後、夕方に出ることが多いのであるが、
やはり陽光が傾く、斜光の時間ということである。
ロングで見るとこの日の虹がダブルであったことがわかる。この日の虹はNHK栃木版でも紹介された。
久しぶりの虹
最近上越では久しく虹を見ない。虹は陽光が傾き始める秋から晩秋によく見られる。この頃の天候は移気で
コロコロ変わりやすく、そんな条件においてほど虹は出やすい。小山では上越とは違い、夏に虹はよく出る。
関東の夏は虹の出やすい条件を満たして言えるのだろう。それは午後、夕方に出ることが多いのであるが、
やはり陽光が傾く、斜光の時間ということである。
ロングで見るとこの日の虹がダブルであったことがわかる。この日の虹はNHK栃木版でも紹介された。
上杉謙信道と呼ばれた、戦国時代の道。その路傍に建立されている双体道祖神。(十日町孟地)
季節ごとに訪れては撮影している双体道祖神がいくつかある。特に苔に覆われた道祖神には興味をそそられる。
苔がつくと、きれいに剥ぎ取って掃除をしてから撮影する方もいるようだが、私は自然の営みの中で培われた造型は
そのままが良いと思っているから、あえて苔で纏われた石仏を撮る。
内には今回載せるような彩色された双体道祖神があるから面白い。
謙信道は草に覆われ、その奥に孟地の双体道祖神はひっそりと佇む。草丈があったなら、気が付かないだろう。
十日町芋島(おのしま)の双体道祖神は裏山の棚田へ向かう薄暗い掘割の上段にある。
唇に薄紅をさしたこの双体道祖神は、艶かしく美しい。
8月に入りチタケの時期がきた。
栃木県民にとってチタケ←クリックはソウルフード。山深い崖や渓谷の斜面に顕著に出るので、例年、滑落で何人かの遭難者や、
死亡者が出るくらいだ。
通年、チタケが出るのは8月初めからお盆明けの20日頃までが最盛期だ。まれに9月に入っても遅出のものもあるが)
昨年は8月に雨がなく、8月下旬から9月にずれ込んだようだ。私の城(いつも採れる場所)では通念通り採れた城と
採れなかった城があったが、一年分の食い扶持はなんとか確保できたが、今年はどうだろう。
今年の暑さは異常で、チタケ山の里は23度〜25度だが、山の斜面を昇降していると水に入ったように
びしょ濡れである。いやいや、熱中症になったようで、キノコ探しを早々に切り上げた。
15日の段階では、今年もやはり全ての城での収穫はできなかったが、なんとか今年も一年分の食いぶちを確保できた。
、
岩手県江刺市。人首丸小学校というなんともおどろおどろしい名称に気を引かれてまもなく、人首丸墓碑なる
看板が目に飛び込んできた。9kmとあるから行ってみることにした。
人首丸(ひとかべまる)墓碑まで7・5kmとある。500mほどまっすぐ進と林道になった。分岐が出てきたが
案内板がないのでまっすぐ進むと砂利の林道となった。このまま進んで良いものか。先程の分岐まで戻り右に。
案内標識もないままガタガタの林道を5kmほど進んだところで、対向車が。軽トラックのいかにも地元の方と
見受けられる男の方に伺うがこの先に、そんなところはあったか、とのこと。あと4kmほどで舗装路には
出る聴き無駄を承知で1kmほど走ると分岐があり、標識が。
この大きさの看板なら気がつくはずだが?と思うがと思うのだが。笑うしかない。
分岐から1、2km。今までの林道より荒れた道を行くと。
説明文を読むと人首丸とは欧州にいた蝦夷軍の若き指導者で、15、6才の美少年であったらしいが
朝廷軍の坂上田村麻呂に討ち取られたのだという。