上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

「瞽女歌が聞こえる」公演と,「瞽女街道をいく」写真展

2017-02-25 14:32:00 | 東京瞽女展

 

 

 

  私の写真は全倍・11点を展示した(1Fギャラリー)

  ブローダーハウスオーナー 荒木明子氏 10周年挨拶

 

東京都・世田谷,東松原・ブローダーハウス(2月24日,2回公演,25日,1回公演)で行われた,萱森直子氏の瞽女唄と私(田辺周一)の写真展に行ってきた。

 

 祭文松坂・段物 「葛の葉子別れ」を熱唱する 萱森直子氏 。(2F,50席の公演会場)24日14時からの公演は満席だったとのこと

 祭文とは日本の伝統的な語りもの(物語)

 

 渋谷に住む長男も来てくれた。

 

 

 公演を終えて私の写真の前で,萱森さんと。

 

来年も,再来年も,息の続く限り唄い続けるそうですので,皆様のご来場をお待ちしております。

 

 


町屋が消えていく 3 糸魚川市・大火

2017-02-22 08:49:53 | 大火事

 

 

 火事現場の全容はうかがい知れないので,現場から3km程離れた美山公園の水道塔展望台(標高125)から撮影した。

 火は海縁で止まっている。右端が糸魚川新幹線駅。

 

私の70年の人生の中で,火事に会ったのは3回。新潟から栃木に引っ越したばかりの5才の時。正月,家族全員で映画を見に行ったときである。場内アナウンスで呼び出され,家に帰った。庭に運び出された家具の映像と,お金を家具の中に入れていたらしく,それを探す母の狼狽ぶりが,今でも脳裏に焼き付き,私のトラウマになっている。幸いにも,台所が燃えただけで事無きを得たのだが,いまでも,過剰な迄の火に対する対応と,火事のサイレンには神経をすり減らす。2度目は直江津町屋の我家の5年前の火事。隣家のパソコンに落ちた雷から類焼し,我家も半焼扱いだったが,なんとか家は繕った。そして昨年,これは家ではないが,車を盗まれ放火されて,全焼した。

 そんなわけで,私の人生にはなぜか火事がついてまわっている。火遊びにはとんと縁のない筈の,私なのだが。

現在,日本海を取材し始め,この糸魚川の大火の取材には腰が重かった。人の不幸,特に火事の不幸については,狂乱した母を思い出し,胸が痛むからだ。

 

この大火で150軒余が燃えたという。火は強風の為か,不規則に燃え広がったということで,火事現場を歩いてみると,火の範囲がまだら模様に移動したことが,顕著に分かる。

 

 この大火では町屋も多い地域だったと聞いているが,多くの貴重な町屋,建造物が失われたに違いない。私が住む直江津の火事の歴史を調べると,かっては,1000軒単位の大火が,2年続いたと有るから,風と雷の多いこの地方では,裸火,特に囲炉裏などの使用がなくなったものの,火事の発生にについては,多くリスクを伴っているのだろう。特に町屋街は道路も狭く,密集し,木造建築で,火災には弱い環境であるのは否めないのである。

 

  燃え残った柿の木

 

 早い復興を願いつつ,糸魚川市を離れた。2017年1月10日 撮影


町屋が消えていく 2

2017-02-20 09:31:20 | 町家

   2017年2月現在の元.杉本キクエ宅。右隣は奥まで何も無くなった。

 

昭和初期以前に建てられたと思われる、洒落た感じの町屋。雁木も踏み石も当時のままなのに。2011年2月撮影

通りに面した家は軒並み取り壊され分譲地の様。南葉山麓が見えるようになった。2017年1月撮

 ここの四辻,私は雰囲気があって好きだった。一階の屋根が異形で変わっていた。2010年1月撮影

 

  おそらくこの建物は大正時代と思われる。雰囲気のある雁木町屋が消えて行く。2011月2月撮

 一年行かなったら,50mあまり無くなっていた。2017年2月撮影

 

 上記の町屋はいずれも 東4丁目 25km続くといわれる雁木通りの一角である

 


町屋が消えていく

2017-02-18 11:30:50 | 町家杉本キクエ

 上越高田 東四丁目付近 2011年2月撮影 この先100m先が 元・杉本キクエ宅

 

2009年,上越市の町屋に住むようになり,瞽女に興味を持つようになったのと同時に,町屋文化にも触れることが多くなった。最後の高田瞽女グループの親方,杉本キクエさんら,三人が住んだ高田・東本町4丁目の元住居付近にも,この8年間何度も足を運び,定点撮影もしてきた。毎年一,ニ回は元住居近辺に出かけては,この近辺の佇まいを撮影してきた。

 私が現住所としている栃木県小山市でも,20代から特定の地点からの定点撮影をしている。平凡で無駄に思える写真撮影のように思えるが,写真の客観的で揺るぎない記録性が,重要なのだと私は思う。私事だが,もう10年前にもなるか,そんな退屈な写真が,有る雑誌で有効に利用されることになった。10年ごとに街を定点し.撮り続け記録した物であった。

 

      元,杉本キクエ宅  特別公開中 2009年10月11日撮影

 

 元,杉本キクエ宅 裏庭 間口は二間しか無いが,奥行きは二十間(35m)程はあるだろうか

 


雪靴

2017-02-17 11:08:25 | 高田散歩

 

上越高田「きものの小川店」前にて この先が「瞽女ミュージアム高田」

 

 もうすぐ春だが,わらで作った雪靴が懐かしい。農作業の合間や,農閑期の冬に作る製品の一つだ。生活の必需品として,ビニールやプラスチック製品が作られるようになる迄は,箕や菅笠,草履などは手作りだった。人間の温もりの残る,これらの品々は,部屋に飾って置くだけでも,心も生活も,豊に感じられるのは私だけだろうか。高野恒男氏所有のわら靴,草履は,ミュージアムで展示中。

 

  2月11日 撮影   去年も雪が降らなかったが,今年はもっと降らないので心配だ!

雪の高田に雪がない。雪が降らない心配は米所の新潟ならでは,でしょうか