上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

邂逅の恐山 1973、5年頃

2020-03-08 20:36:20 | 津軽の斎藤真一

  夏に行われる「恐山大祭」全国のイタコが集まり、口寄せで先祖の霊を呼びさます、とされる。

のぼり旗に昭和50年とあるから1975年、7月と思われる。

 下北半島再奥に位置する恐山。47年前に一度目、45年前に恐山大祭で二度目、いずれも青森の友人と、三度目は25年前に家族でキャンプで訪れている。25年前のキャンプから帰り、妻が大病を患ったので恐山で転倒したからと揶揄された。

 恐山は霊の集まる場所。無人となった冬の恐山には霊が集まり、狂騒の宴を催すのだという。私がその話に、冬の恐山に泊まってみたいものだと言ったら、春は迎えられないと叱られた。

 恐山山地にあるカルデラ湖「宇曽利湖」水深23mの酸性湖である

 

 イタコに盲人が多い

 

 イタコを介して身内と話をしたのだろうか、女性は涙をぬぐっていた。

 

 恐山全景 左には温泉施設(混浴) 右には宿坊がある  奥に地蔵殿がある 

友人と訪れた一度目は秋、1973年11月。冬の準備を始めていた。

 


津軽に斎藤真一の足跡を辿る 番外編(秋田にて)4

2019-11-23 13:00:15 | 津軽の斎藤真一

 中部日本海地震の慰霊のために建立した、「涛安の乙女」

 能代港港湾建設に従事していた35名と牡鹿半島海岸に遠足に来ていた児童13名 計48名が犠牲となった。 

 

日本海中部地震(にほんかいちゅうぶじしん)は、1983年(昭和58年)5月26日11時59分57秒、秋田県能代市西方沖80 km北緯40度21.6分、東経139度4.4分、深さ14 km)の地点で発生した逆断層型の地震である。地震の規模はM7.7(Mw7.7-7.9)。 

  二重トンネル。車道と歩道別々。山形県温海、五十川南トンネル 

日本海上を銀粉のように光り輝き、飛行していた 

 

 白鳥達の渡の季節。新潟方面に行くのかな〜。

津軽に斎藤真一の足跡を辿る津軽に斎藤真一の足跡を辿る」終わる。


津軽に斎藤真一の足跡を辿る 番外編(五能線に沿って)3

2019-11-23 08:38:07 | 津軽の斎藤真一

 50年近く前に一度行ったきりの、日本キャニオンなる奇岩を見に寄り道してみた。

アメリカのグランドキャリオンとは比べるまでもないが、どうしてこんな名称がついたのかは、と思う。

 

交通JR十二湖駅より、弘南バス奥十二湖行き乗車(約5分)、八景の池下車、徒歩約15分、(4月上旬~11月上旬のみ運行)

近くには十二湖や、八景の池などがある

        

 

 

秋田県に入って寄り道が、ブナの巨木があるという中島台レクリエーションの森

 

 

    あがりこ大王と呼ばれる、ブナの変形樹。新潟と長野の県境にも、変形樹の森がある。ブナの特殊林と呼んでいるが、山人が、冬の薪用に積雪した上部を切り取るため、雪に埋もれた下部が残り、変形するようである。

 

看板にあるようなマリモは見れなかったが、どこかにあるのだろう。


津軽に斎藤真一の足跡を辿る 番外編(五能線の駅) 2

2019-11-22 08:12:43 | 津軽の斎藤真一

 大戸瀬駅

日本海沿いを走る五能線には可愛らしい、小さな駅がある。リゾート列車白神は止まらないから、

日に5、6本の列車が止まるだけ。どんな乗客がこの駅から乗るのか、私が何箇所かの駅を訪ねた時には、降りる人も乗る人も、見ることはなかった。

 

上下線合わせて日に 11本

   新・深浦漁港

 

 小さな漁港の小さな収穫

 

 

 

驫木駅

 

 

 

 驫木駅へ