上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

6月 東頸城,梅雨の旅

2012-06-17 13:33:16 | 日記・エッセイ・コラム
 今にも降ってきそうな東頸城の山並みを見ながら,高田から稲田橋を渡る.今は立派なR18号が通り鴨島の立体交差点をくぐる.

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  立体交差点を過ぎ,しばらくいくと野尻の集落が見えて来る.今は集落に入る道が旧道だったらしく左折するのだが,その集落に入って見えてくるのはこんもりとした杉の森である.ここには瞽女,杉本キクイ達が休んだと記された八幡様がある.なるほど小さな集落の中にあって,整備された境内は赤い鳥が,杉木立に囲まれて屹立している.

 (鳥居に正八幡宮と書いていた.一町も歩けば通りすぎてしまう村だが,途中で買ってきたカンジュースを飲み干す.そんな瞬間,瞽女さん達も,やはりこの石段で食事をしたのだろうと思った.と斉藤真一は書いている.



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 野尻を出てしばらくあるくと,高津の大きな交差点.ここから柿崎方面にもいける大切は十字路である.右に曲がると東頸城の山裾が近くに見えて来る.高津の交差点からほどなく森田,妙田,森田には瞽女宿「畳屋」がある.90歳を過ぎて尚元気なおばあちゃんに話をうかがった.そこから一町ほどで十二の木の交差点にいたる.十二の木の交差点近く,瞽女宿「池田」があり,の池田は名字からとったものだと池田さんからきかされた.








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               野尻の八幡様


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               瞽女宿「畳屋」


                                 この項続く...



初夏,板倉~東頸城の旅

2012-06-05 15:37:43 | 瞽女街道を行く

 5月は12日には何が何でも高田には帰ってこなければならなかった.その理由は高田天林寺で毎年行われる瞽女の行事,妙音講に間に合わせる為であった.妙音講は5月13日,年に一度行われる瞽女の大事な集まりであり,この集まりで瞽女達の諸事の決めごとが掲示される日でもあった.そしてなによりもこの曹洞宗天林寺にまつられた瞽女達の守り本尊,弁財天を皆きれいに着飾って,奉納するのだった.

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                 妙高市を望む
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                 中頸城



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                 両善寺


3月,4月は東頸城と比べると,奥行きがなく雪解けの早い西頸城の山村部や海沿いを回っていたが,この頃から東頸城の山村部や板倉,妙高と続く最奥部への遊芸となった.
 今年(2012年)のように大雪の年は信州への道も国道以外のルートはなく,危なげな峠越えは雪が阻んだであろう.実のところ2010年には5月に開通していた細かな峠も,昨年より今年と道路の開通が遅くなっているのである.
 妙音講が終わると雪残る頸城の山村部の田にもやがて水が入り,遅い春がやって来る.それは春というよりすでに夏の様相で,嬉々として歩く瞽女達の姿があったのだろう.


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                 東頸城,清里区



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                 坊金大杉