上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

瞽女峠への道・四国をめぐる 祖谷渓谷 Part 7

2015-03-26 13:57:35 | 四国紀

 今日で四国を離れる日だ.今回の四国行の一番の目的である,これから出す写真集の打ち合わせをする.高知港が見える種崎公園の日の出が,しばらく振りの晴れを約束してくれそうだ.打ち合わせの時間迄に,近くの札所に行ってみる.札所に向かう途中,何人かの巡礼者にあう.流石,四国である.晴れてはいるが強風の中,晴れ晴れとした表情で歩く姿は,清々しい.

 

 四国34番 種間寺

 私もいつか「同行ふたり」の傘をかぶり,四国路を歩こうと考えている.二時間程の打ち合わせで.高知市から祖谷谷に向かう祖谷谷はかずら橋で有名だが,私の目的は 釣り.なんとしても一匹,アマゴの顔を見てみたいと,最後の候補地に祖谷谷を選んだ.

 高知市内,路面電車「ごめん」行き

祖谷谷への道 昨日降った雪,剣山方面

 

祖谷谷にむかって,小便小僧.

 

祖谷谷の支流で念願のアマゴをかける.三匹,挨拶しにきてくれたので,丁寧に礼を行って,清流にお帰りいただいた.

夕刻,瀬戸大橋を渡る.2015年3月11日 17:00~小山着 3月12日 3:00 おつかれさまでした

 

 

      「海神の首飾り田辺周一写真集・5月発売予定
                     1976年4月~1978年8月撮影
  
   ※ 掲載写真内容

      30歳を目前にしながら、亜熱帯の島々を漂流する
   仲良しトリオが出会った・田中一村や若者・子供たち

   西表島の子供たち・1976年4月     25ページ
   奄美の田中一村・1977年5月8月    25ページ
   与論島の若者達・1977年5月8月    56ページ  
   小笠原島・父島・1978年8月       16ページ

 

 

                                     表紙写真は小笠原・父島
   
  「田中一村へのオマージュではないけれど、森の中から突然現れた野生の山羊を、
 僕たち三人は息を押し殺し見つめている。まるで一村が描いた奄美の杜の絵のように

校正中の写真集の表紙,ほぼこの表紙カバーになります。

表紙ハードカバー・A4版  138ページ・全モノクロ

 価格 2700円(税込)

200部作成・100部は自家消費されるので,100部あまりを流通の予定です.

詳しくは,発売前に内容等,ご案内いたします.

 


瞽女峠への旅・四国をめぐる 仁淀ブルー Part 6 

2015-03-24 12:36:39 | 四国紀

 

 

 安居渓谷・飛竜の滝

 

 

安居渓谷・飛竜の滝への遊歩道にある乙女の像・雪の中 何か着せてやりたい衝動に

 

夜半には星が見えたので,翌日の天気に期待したのだが,当然のように雪になった。四国に来た目的の一つに渓流釣りがあった.これ迄に何度かそのチャンスは会ったのだが,竿(渓流釣・テンカラ)を出すことが出来なかった.釣りバカとしては何度も口惜しい思いがあり,今回,それを実現したかった.テンカラ(日本式毛鉤)で渓魚を釣るもの,四国ではあまごが主になるだろうか.降雪の中,昨日水嵩が増え,濁流と化した安居渓谷の対岸に渡り,飛竜の滝を見に行くことにした.昨日は水量が多く渡れなかった対岸に,川床に設えられた足場が,難なく私の履いた長靴でも事足りた.しかし考え深いのは,高知には竜の名のつく滝が多いが,高知が育んだ坂本竜馬からきているのだろうか? 飛竜の滝への遊歩道から竿を出したが,渓魚達は挨拶には出てこなかった.

 

 

 安居渓谷・見返りの滝

                  雪の安居渓谷

 昨日の仁淀ブラウンはあっという間に,流れきり,本来の水量に戻ったが,サポート役のお日様の協力がなければ,仁淀ブルーの演出はない.国道33に戻り,昨日よれなかった,高知県最古と云われる沈下橋にいってみる.

 辺りはこんな状況で,咲き始めた菜の花も雪の衣に身を任せている・仁淀川本流

 沈下橋・久喜橋(現役で頑張っている)昭和10年建設 仁淀川本流

 

 2015年3月10日

つづく


瞽女峠への旅・四国をめぐる 仁淀ブルー Part 5 

2015-03-23 13:13:23 | 四国紀

 

 

 新しい橋には長屋大橋と橋名があるから,旧長屋橋であろうか.

 

雨の日ならではの情緒を堪能した,中津渓谷に別れを告げ,笑美寿茶屋の奥さんのお勧めの安居渓谷に向かう.国道33を左,県道362方面に曲りしばらくすると,大きな駐車帯の脇の大橋の下に,沈下橋を発見.その背後に茶畑と民家がひっそりと存在する.この沈下橋は右岸で途切れており,今は使用されていないようだ.源流に向かうが,雨は次第に強くなり,最後の集落,宿泊施設のある,宝来荘前の駐車場に着く頃には,仁淀ブルーではなく,渓谷の表情は仁淀ブラウンに急変した.気温はマイナスになり,時折,風花が舞う,悪天候となった。

 宝来荘以降も車で行けそうなのでいってみるが,砂利の林道になり,通行止めの看板が.この先,作業車しか入れないので,車を空き地に起き,傘をさし歩いて渓谷に沿ってある林道を歩いてみた.時刻は16時過ぎ,奥で作業していたと思われる車が,次々と脇を通り抜けた.一時間ほど歩くと,雨が上がり陽が射し、目指す上流の岸壁には真っ白に輝く、滝が現れた.

 下段の滝は30m程か,上段にも5m程の滝頭が見られ,二つを合わせると落差は100mほどはあるだろう.その滝に近づくにつれ右側にも細い流れの滝が.この二つの滝が見られる辺りに,滝名板でもあるかと思ったが,無名らしい.2時間程散策し車に戻る.蓬莱荘に戻る途中に小さな看板が.注意しなければ見逃してしまうような,看板だ.時間も18時近く,歩くと15分程のようなので,薄暗くなった遊歩道を歩く.途中の案内板では,上には車でいける観瀑台があるようだが滝は,下から俯瞰してみるのが一番だ.

    左,降竜の滝                    右,昇竜の滝(60m)                

  雨ならではとは,こんな光景である。仄暗い狭間に四筋の流れが,増水した春の雨を集め,豪快でありつつ静寂を保ち,暮れゆく記憶のかけらを,滝壺に落として行く。見ごたえのある滝でsる。

 

宵口から 雪になる.明日は本格的な雪になるのか,夜半には星光があったが

 

 

         2015年 3月9日

 

 

 


瞽女峠への旅・四国をめぐる 仁淀ブルー Part 4 

2015-03-22 10:20:58 | 四国紀

 

          中津川渓谷入り口,トイレに貼られたポスター

昨日までの天気とは打って変わり,昨夜から篠つく雨。四万十川は何度も河口から源流まで遡っているが,最近富みに名高い仁淀川の流れを覗いたことがない.四国には何度も足を運んでいるが,意識的に仁淀川を見たことがない,と云った方が正しいのだろう.国道は大抵川に沿って走っているのだから,目にしていたことは間違いないのだが,本人の認識下になかっただけである.それほど四国の里川の流れは美しい.こういった川は,私の地元,栃木県では県の北東を流れ,茨城県水戸辺りで太平洋に注ぐ,那珂川がその河川に相当するのだろうか.

 仁淀川町に着いたものの,思いついただけで足を運んだだけだから,ポスターにある仁淀ブルーがどこで見れるか検討が着かない.しかも雨ふりのなかでは,さしもの仁淀ブルーも精彩を失い,ブルーにはほど遠い.渓流釣り,しかも源流釣りを好む私には,美しい流れは当然のごとく,足下を流れているので,それこそブルーな流れが,渓谷の岩石の組成と,人為な汚れの有無と,濁りの出ない土壌によって左右されるのは,分かっている,そしてその効果を著しく促すのが,陽光である.春,秋の斜光は特に効果的面であろう.地元の方に聞くと中津川渓谷が良いというので行ってみる.

 

 

  小雨の中,誰もいない遊歩道を傘をさし歩いてみる.足下には仁淀ブルーの片鱗が.

 

 30分程歩き,この石柱を見る頃には雨が強くなってきた.仁淀ブルーは見る影も無いが,こんなとき薄暗い懸崖の底で流れを増した,滝は見事である.

 

 

 

 雨竜の滝 遊歩道の回廊を右にまわり,苔むした橋を渡ると,一瞬,闇の中の狭間に現れる滝は雨の日ならではか!

長靴をはいてくれば,と思う程の雨になった.渓谷入り口で笑美寿茶屋(えびすと読むのかな)を営む夫婦に尋ねると,中津渓谷がお膝元で有るに関わらず,奥さんは安居渓谷がお勧めだという.旦那さんは地元の写真家は中津渓谷だ,と云っていると意見は二分する.どちらにせよこの天候では仁淀ブルーは拝めまい,と観光パンフに目を向けると,近くに棚田を守る集落が有るというので,尋ねることにした.

           長者集落から対岸を見る,足下には仁淀の流れが

 いつも思うのだが,新潟の山村部と同じで,棚田が設えられたような山間部では軽自動車がベストだと思う.その思いはここ四国でも,全く変わらない.少し上ったところにある,駐車帯に車を止め,傘をさし歩く.小一時間程,長者集落を見て,対岸の集落へ移動する.対岸の集落への登りは,長者集落への道路とは違い,荒れている.ガードレールもない車一台の道を,対向車が来ないことを祈りつつ,登る.この思いは新潟の山村部の取材と同じ思いだ.

          ガスに霞む,長者集落

 雨の日は消極的になりがちだが,雨の日は雨の日ならではの味わいが有るから,億劫がらず,出かけよう!

 2015年3月8~9日


瞽女峠への旅・四国をめぐる Part 3

2015-03-21 15:17:54 | 四国紀

友人の家に一晩泊まり,目的の瞽女峠に向かう。瞽女を取材始めてから気になってはいたが,遠方である故に,訪れることの無かった場所に,今日はなんとか行けるかと思うと,心が弾む。友人の家の廻りには,ため池が多く,低山であるが形の良い,山が多い.

 走りながら写したが,友人から聞いた山のが思い出せない。天気は昨日とは打って変わって,上々の晴れ.二日ばかり寒々とした天気が続くと,旅行も楽しくなくなるので,久方の青空は心地よい。

 

  瞽女峠に向かう海岸の沿道には,早咲きのサクラや,菜の花で埋め尽くされている.

 

 瞽女峠は愛媛県八幡浜市,保内地区にある,標高356mの峠である。海から急峻にのびた山道が山を削り,峠は切通しとなっている。かってこの当たりに逃げ延びた平家の残党が,この峠に感の鋭い瞽女を置き,瞽女が源氏などの往来を監視したところから,瞽女峠の名がついたらしい。そういえばこの当たりに,平家に由来する名が多いのもうなずける。

柑橘系の本場,愛媛では,明るい日差しの中に黄色い果実が眩しい。

 

 愛媛から高知に向かう道すがら,春の日差しの中,芽生え始めた川海苔の収穫が始まった。(大洲市,肱川)

高知県にはいり,33年前に訪れ,お世話になった梼原村(当時)を訪れてみる.33年前,その時の相棒が,125ccの排気量だったため,一般道だけでの,四国ツーリングであった.栃木から,一般道を走りきり,思う存分,四国の奥深いオフロードを走り,環境汚染の少ない,自然が多く残る四国の魅力に触れて,その後,何度も四国を訪れるきっかけを作ったのが33年前のバイク旅であった.そして,日本のおもてなしの源流が,巡礼者を大事にしてきた四国人気質の中にあったと思えるほどの,心地良いバイク旅でもあった。私自身,20代前半に2度程,四国を訪れる機会があったのだが,その度が限られた地域だった為,四国の魅力を垣間見ることは出来なかったが,33年前の山村をめぐるバイク旅では,思う存分四国をめぐったことで,四国の魅力を再認識することになった。特に,四万十川は印象深く.私が幼い頃遊んだ,ふるさとの川のイメージが,オーバーラップし,何度も訪れるきっかけともなった。

              お世話になった梼原町のGS,たたずまいは33年前と変わりがない気がする

 

 お世話になった {ガソリンを入れた際,銭湯の営業を尋ねると,お盆休みとのことで,その当時のGSの経営者の自宅の風呂に入れていただいたばかりか,食事とビール迄,ごちそうになってしまった。お酌してくれたのが,当時大学生の娘さんは相当の美人さんであった。当時のガイドブックには梼原には美人が多いと書いてあったが,正に・・・・・である} ガソリンスタンドは存在したが,経営者が代り,今は,車で一時間程下ったところにて営業していると,家並の外れにいた昔の美人さんに,伺うことが出来た。

 いかにも観光地然とした梼原町,車で10秒もあれば通り過ぎてしまう,町並み。今回の四国旅での印象は,無くなったものの方が,多いような気がしてならない。2015年3月8日