上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

消えゆく山里に

2014-07-17 15:48:14 | インポート

 瞽女街道をごらんの皆様に

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新・瞽女街道をいくです

 5年前に始めた瞽女の歩いた道をたどる旅.このところの急激な社会の変化は,たった5年とはいえ,山村部にとっては過酷な試練なのかもしれない.行く先々で家が倒れ,次々に集落が無くなって行く.集落,つまるところ無人の集落があちこちに増えてきた.そんな案配だから瞽女宿の消滅に限らず,瞽女の通った道,峠はどんどん失われていく.3,40年前には行っていたが,この集落でももう道普請はしていないから,ぼうぼうの薮どころか,木が生えているよ!と,地元の方も苦笑する.田んぼや畑が有れば,そこへの道程は管理されているのであるが,不便で遠いところから農地は放棄され,荒れ果てていく.

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              廃集落となった 妙高市,中樽本

 そんな分けだから,耕地のすぐ裏山にあった峠道も,そこに祀ってあった石仏や,碑の存在も忘れられて,倒れ薮の中に倒れたままになっている.

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              植林ばかりの山は貧乏山で,山菜もキノコも出てこない

 峠は大抵の場合,山と山の間,鞍部にある.その左右の尾根の薮をかき分けて上っていくと,大小のピークがある.そのピークが眺めがよければ,三角点の可能性大で,もしかするとかっての,城趾あとだったりする.

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 忘れられた峠道のブナ林の尾根をたどると,急峻な掘り割りが出てくる,その掘り割りをやっとの思いで乗り越えると,城趾あとと見られる,削平土に立った.その頂上から木の間越しに,棚田が見えた.

 

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                十日町のある峠にて

 薮を手で掻きむしり,雪の重みで倒れたままの碑や,石仏を起こし,撮影する.きっと高田瞽女も通ったに違いない峠の掘り割りの脇の高見にある,これらのモニュメントはやがてその使命を終えようとしている.


谷から谷へ 海川~根知谷 

2014-05-13 15:55:20 | インポート

 昨年は訪れることができなかった、中俣集落の唯一の住人(5月の山菜採りから秋口のキノコの時期まで在宅)和田ヨシさん89歳に会いに出かけた。ちょうどカミさんもブナ特殊林の根開けと芽吹きが見たいというので、二つの目的をもって根知谷に出かけることにした。朝のうちは上天気で青空も見えたが、根知谷に近づくにつれ、雲が多くなり時雨そうだった。
 5月3日、連休最中なので、戸土からの塩の道歩きトレッキングや、近くの白池へのトレッキングをする人が、何人かいるかと想像していたが、戸土集落の車止めには私達だけだった。

 駐車スペース近辺には雪は残っておらず、ブナ林への道は快適と思われたが、車止めからすぐ出てくる急傾斜の林道には早くも、残雪が現れた。

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 雪は日当りよいところを除けば、林道を埋め、歩きにくかった。しかしそれが苦にならないほど、初夏の景色に彩られ始めていた。時々、風花が舞ったが汗ばんで火照った体には涼しく感じられるほど、気温は高かった。Dsc_0745_2
          急傾斜の林道の背後には駒ヶ岳、鬼が面山が見える

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  最近山歩きから遠ざかっているカミさんの足では、2時間と見ていた行程も一時間強で、鳥越峠出会いについた。ここからは林道の斜面は雪に埋もれて、急斜面のトラバースなので、細心の注意が必要である。足下には残雪が広がり
気持ちのよい、空間がある。

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 のんびりとかつ用心深くあるくこと30分。ブナの森の入り口である。この森の変形ブナにご執心のカミさんにとって、根開けと芽吹きのブナ達に、特別の思いがあったから、知己を得た友のように、休みもせず、森に入っていった。

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 3年前の夏、きたときに出会ったブナ達の一部は、その変形が積雪に耐えられなかったと見え、私たちが感動を覚えた、いくつかの変形ブナが消失していた。おそらくこの状態がいつまで維持できるのか、近い将来には、変型したブナ達の姿は見れなくなるに違いないとの思いを強く持ち、私たちは森を後にした。

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             森の住人達

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五智国分寺界隈

2014-03-16 07:59:21 | インポート

 春の気配が感じられるこのごろ.上越はまだ,冬開けやらぬ.
2日ほど悪天候が続く.雪がおさまったのを見計らい,散歩にでる.

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 例年なら直江津港側の浜は,市内から持ち込まれた排雪がうずたかく積まれている光景が有る筈だが,足繁く出入りするダンプカーの姿も見られない.防砂柵に吹き付ける氷風も心無しか,暖かい.家並から落ち始めた雪瓦があちこちで見られるのも春が近いせいだ.

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         屋根から滑り落ちる雪片.私が雪瓦とかって付けました.

 前にも書いたように,上越の冬の天気はめまぐるしい.雪,雨,みぞれ,曇り,そして,晴れ.もう一つ,雷もあった.

      
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             烏帽子岳,権現岳,鉾が岳

 町屋辺りからは見えないが,国道18号の高架からは春日山の山並みの背後に,天気がよければ上記の山並みが神々しく,光っていて見事だ.

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              五智国分寺.三重塔

 時折,小雪が舞うあいにくの天気,散歩がてら国分寺にいってみる.

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  先月の23日、谷川岳一の倉沢で山仲間を失った。滑落死であった。まだ高校生を頭に

中学生の子供二人。一番逝ってははいけない奴だったが!

 通夜は故人を囲んで山仲間7人が寝袋で見守った。

                                     合掌


町屋界隈.冬

2014-02-10 13:31:02 | インポート
 

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町屋に住むようになって早,5年.5年経っても慣れないものが,半端ではない雪だ.元々,雪が好きで冬山にわざわざ出かけていくような人間であるが,そんな遊び心は初手に打ち砕かれた.
 冬の上越は厳しい冬である.特に山村部の積雪量は関東に暮らす人間には想像できないであろう.取り除いても,取り除いても白魔のように天から落ちて来る.毎日毎日,しんしんと降り続けるその雪に,私の心に重くのしかかる.まるで忘れ去られた涙の結晶であるかのようだ.霊魂の小さな沈黙の固まり,結晶に擬態した懐疑の浮遊物.

 間口2間,奥行き9間の小さな町屋の薄暗い部屋の隅で,悶々とその雪を眺める私の心に降り積もる.



 今日は3日.3と8の付く日は朝市が行われるが,こんな雪では市は開いてはいないだろうと,重い腰をあげて家をでる.
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                    我家の玄関








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                    猫の額ほどの庭




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                    玄関先




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                     大正時代の時計.まだ動いている


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                     町屋にも子供達は元気だ



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中頸城方面,里廻り、12月の旅

2013-01-21 11:32:02 | インポート

 11月~12月末の旅は中頸城方面、里廻りである。この時期,妙高山麓では既に雪のたよりが見られ,妙高山の頂きには白い物が被っている。3年前,上信越道の妙高エリアで11月3日の深夜の雪に会い,上越に行くべきか迷った記憶がある.この時は,冬タイヤでもなく,チェーンを携帯していなかったので,往生したものだ.中野辺りから雪になり,20センチほどの積雪であったが,なんとか妙高からの長い下り坂を,スリップすることなく,通過したのだった.この時はクロスカントリー車,本格的四駆であったので,問題はなかったのだが,この教訓を生かし,冬タイヤは,11月の始めには履き替えるのが習慣となった。

 瞽女達は11月末か12月にかけて,中頸城の平野部の里を歩いたらしいが,その時期の里は雪が舞い,道もぬかるんで,往生したことが想像できる.そしてその厳しさを推し量るように,12月に入ると,信越国境,関田山脈を横断する道路は,R292を除いて全て冬期通行止めになる.しかも,通常11月半ばには閉鎖されるであろうこれらの県境の道も,積雪の多い年には,下手すれば11月の鼻には,閉鎖の憂き目に会ったりする.この時期,山里は言うに及ばず,里にも根雪がやって来るのである.

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高田東本町からすぐ,関川の橋,稲田橋を渡る.瞽女達が渡った橋はこの下流にあった橋らしい

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    上越市浄水場から手前.南葉山,左奥に妙高,火打 右に権現岳,鉾ガ岳,

 高田から国道R18号線の高架橋をくぐり,県道を北上する.延々と続く東頸城の水田の中を,関田山脈を右手に見て,走る.やがて小さな集落大日.いつの間にか通り過ぎる,中村,そして田んぼのまっただ中の三田.

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                  大日

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                  三田

 このあたりの瞽女宿はもう残っていないか,戦前の宿であるようであっても代替わりで体験がないか,不明である.横曽根から,東中島へ.東中島は瞽女の親方,杉本キクエさんお出身地である.何軒か宿は残っていたが,杉本キクエさんの出身地にしては,戦前より前らしく,70歳代の方に尋ねても,知っている方はいなかった.

 東中島から百々に向かう.実に変わった名前である.頸城平野の真ん中,真っ平ら集落,そんな印象を持ちながら,車を走らせていると,先ほど迄のいかずちの音が止み,暗雲が裂けたとおもったら,見事な虹が雷雲と青空の狭間に橋をかけた.

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                   百々付近

 百々から錦.錦から島倉へ.辺りは頸城平野の真ん中.行く手に関田山脈,左手に飯綱,黒姫,妙高,火打,焼山と,頸城の山々が囲む.稲の取り入れが終わった水田には水が張られ,白鳥が羽を休めている.

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                  島倉辺り

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 島倉から井の口,井口も家は残ってはいたが,空き家であった.今保宿.「茶屋」がある.茶屋では話を聞くことが出来た.

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         新保,瞽女宿.「茶屋」 左のくず屋が瞽女が泊まっていた家とのこと

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               瞽女宿「茶屋」渡辺さん

 今保から上田村へ.地図上では上田村ではでてないから,何度きても分からなくなる.3年余,頸城平野に点在する多くの集落を訪ね歩き,水田に中を彷徨していると,全てが同じような,それでいて全く違っているような不思議な感覚に時々襲われ,方向が定まらなくなるのである.
 斉藤が書いているように,上田村の瞽女宿,宮崎家には,瞽女が消えていった象徴のような物語がある.大地主の没落,それは,瞽女を支えた時代の終焉を物語ってもいるのである.

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       上田集落付近(12月中旬、里も根雪になる)

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 杉本キクエさんに,希代の大地主と言わせた宮崎家も戦後の農地解放で今はここにない.その屋敷跡があり,この屋敷跡に,瞽女宿宮崎家の碑が建っていた.