上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

中頸城方面,里廻りの旅12月の旅?

2013-02-16 14:01:31 | 日記・エッセイ・コラム
 上田村から油田へ.現在,油田という地名で調べてもこの地名は見つけることは出来なかった.油田という地名はないが,森田の隣に妙油という字を見ることは出来るが,この地名にかわったのだろうか.双方とも石油の湧出に関わる地名であることは理解できるので,機会があれば,調べてみようとおもう.森田には瞽女宿「畳屋」がある.3年前に尋ねた時は92歳の元気なおばあちゃんであったが,今はどうなのだろうか.

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                  妙油の公民館

 妙油から森田へ.R405号はここから関田山脈から派生している,山麓に沿って走っている.森田から直に十二の木.十二の木には前に紹介した瞽女宿「池田」がある.ご主人は足腰を痛めて不自由の用であったが.手入れのいきいつもながら手入れの行き届いた敷地を拝見し,先を急ぐ.




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                  十二の木の瞽女宿「池田」にて
 十二の木から,山裾を回り込み,馬屋へ.裏手にのびる丘陵から海を望めば,東頸城の平野が延々と続き,寒々とした雪の固まりの中に,小さな集落が山裾にひっそりと息づいている.



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             馬屋集落方面
              
 馬屋集落の南の外れに瞽女宿「藤エ門」はあった.ご夫婦ともに健在で瞽女についてたくさんのことを聞くことが出来た.

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            馬屋,瞽女宿「藤エ門」 清水さんご夫妻(H22年12月)

馬屋から池に向かう.池は平野のど真ん中の感.360度の展望.下新町には瞽女宿は残っていない.曽根田には瞽女宿が2軒残っていた.「寺裏」と「店」である.



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              曽根田の交差点(国川方面侵入禁止の看板)

 曽根田とは隣同士の国川の地滑り被害があり,これら2軒の瞽女宿の被害が気にかかり,行ってみたが曽根田の宿は無事とわかり安心したが,いまだ曽根田から国川,福王寺への道路は,不通となっているのが気がかりである.

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               国川の地滑り工事

 


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               曽根田瞽女宿「店」古海フミコさん