上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

春の野辺に・道祖神を探す

2024-04-15 18:00:59 | 石仏

まだまだ山里は冬。でも植物が繁茂していない今が石仏探査には最適なのだ

踊るようなカタクリの花。カタクリはまさに春の使者だ、と私は思う!

 

 年を跨いで何度も足繁く通って、ようやく目的の道祖神を見つけた時の喜びは一塩であるが、

所在が分かり、その集落を尋ねてもその土地に住む人達にさえ認識されなくなった道祖神の

なんと、多いことか。地元の方でさえ場所の特定ができないとなると、その集落の付近を

熊さんのように、森や藪の中を彷徨することになる。大抵目の前、数メートルの場所に

あったにもかかわらず、見つからない場合が多い。

その場合は点ポイントの目標物が必要だ。例えば古木、大木、社、石仏だ。そのポイントから上下

あるいは方角と目安の距離であるが、見つからない時には最終的には郷土の詳細な資料や、

知識のある方に協力を仰ぐしかないのである。

新潟県柏崎市広田の道祖神。雪で倒れていた石仏を起こし、撮影した。

 

この竹藪の脇を何度通っていたのだろう。小道の土手脇3mほどの場所に道祖神とともに、庚申塔

青面金剛など、石の加工物が並んでいたのだが、大薮でわからなかった。この近所の方に聞いても

誰も認識している方はいなかった。そもそも道祖神は民間信仰が作り出した純粋な祈りのシンボルである。

現在の日本は、自然に対する畏怖と優しさ、そして信仰心を失ってしまったのだろうか。

日本という島国で育ってきた素晴らしい自然観は消えいくのだろうか。そうだとしたら誠に寂しい限りである。

こごみとツクシ、やがて藪の中に埋もれてしまう。

   カタクリとモミジ の古木に囲まれた特等席に鎮座する、水野の双体道祖神。

 

4度目の正直。やっと会えた上越市水野の道祖神。目と鼻の先にあったのに辿り着けませんでした。

もちろん水野の集落のどなたも場所を特定できる方はおりませんでした。

 

 

 


上越市柿崎区 黒岩道祖神

2023-12-15 16:32:42 | 石仏

足掛け五年にもなる道祖神詣も、なかなか腕が上がらない。地区名が分かって勇んで出かけるが、大抵の場合肩透かしを喰らう。農作業に勤しむ地元の方を見つけては、尋ねるのだが、路傍の石仏には気がついているのだが、道祖神には意識が薄いらしく、場所を特定できる場合は少ない。

柏崎博物館で新潟石仏会による道祖神写真展があるというので、行ってみて分かったのは、資料によって上越市には4体と信じていた道祖神が、もう2体あることがわかったのだ。何冊かの新潟県の道祖神資料によって、類推していたのだが、勘違いであることがわかった。

 上越市の道祖神は柿崎区芋島 楞厳寺(りょうごんじ)と安塚区須川の道祖神、柿崎区小萱と平沢の4体だと思っていたからだ。あと2体は柿崎区黒岩と水野にあるというのだ。このことは信仰の山、米山を巡って山里に道祖神が設えてあるということだ。

 砂利道の斜面奥に石碑のようなものが見えた。

日を改め柿崎区黒岩に行き、情報集めをしたが、どれもただの石仏に関する情報だけだった。かっての古道を見つけ辿ってみると、ありました。おそらくどなたかが守っているようで、道祖神の周りは藪が刈られ、花瓶などがあった。
 
 
石碑の横に道祖神が。苦労が報われた瞬間である。
 
 
 
        
 
    穏やかでふくよやかな表情の黒岩道祖神が待っていた。
 
 
 
さて残る柿崎区水野の道祖神であるが、水野集落のほぼ全ての家に、と言っても7、8軒であるが、
 
聞き込みをしたのであるが、道祖神には行きつかなかった。今日、明日あたりから甲信越は雪。
 
道祖神も雪の中で眠りにつくだろうから、道祖神とのお目見えは来年の融雪を待ってと、なった。

双体道祖神あれこれ

2023-08-13 15:29:15 | 石仏

群馬県赤城町彩色双体道祖神。赤城インター近くにある。

この双体道祖神はアベック地蔵尊とでも言った方がいいにかもしれない。赤い白毫相に、眉に墨。目にはアイライン。唇には紅を差し、朱の衣を纏う。四十五年前の写真と資料をもとに訪ねたのだが、彩色はその当時よりしっかりと着色されていたから、定期的にメンテナンスしているのだろう。この様な彩色双体道祖神は長野県では多く見られるが、群馬県では珍しい。

新潟県十日町 三体道祖神。建立不明

双体道祖神に興味を持ってから、初の三体道祖神。端正な顔の頭上に、狐の冠を被った美しい仏石である。

新潟県十日町松代 孟地

上杉謙信が通ったという古道にある。双体道祖神を覆った苔は、緑衣の様。

新潟県十日町松代 芋島 建立年 天保4年5月(1833年)

切り通しの斜面にあり、足場悪く正対できないため、仰ぎ見ての撮影になった。

能面刻みの面は苔に身を委ね、やや大振りの端正な唇には薄紅を差す。

撮影中、この愛のカップルは妙に艶かしく、今にも言葉を発しそうだった。

 

 

 


上越市安塚区 須川の双体道祖神

2023-08-02 08:32:51 | 石仏

上越市安塚区双体道祖神 須川集落北側

須川は信越トレールの最北側にある。菱岳を要し、その山域を利用してキューピットバレースキー場 ←クリックがある。道祖神の背後に残雪の菱岳。

須川の双体道祖神が上越にある四体目の道祖神。建立年は不明だが珍しい唐様のデザイン。須川集落の三叉路に鎮座しているが、劣化が進んでいるから屋根がけなどが必要かもしれない。


米山回廊 双体道祖神巡礼 小萱

2023-08-01 08:01:21 | 石仏

右、米山への道標である。ここから平沢をへて米山の最後の登山口、水野に至る。

平沢の道祖神が見つかったことに気を良くし、先ほど困惑した三叉路に戻り左側の道を走ってみた。2kmほどの下りを注意深く降りていくと、視界が開け、水田が広がった。降り終えたあたりに目立つ道標があった。右は米山、左は栃窪とあった。栃窪は買っては温泉宿があったらしいく行ってみたが、廃墟となっていた。

小萱集落から林道を進むこと1kmほど。切通の土手の上に双代道祖神。大抵の石仏は移動されていることが多いが、ここの道祖神は建立時期からのようだ。

緑なす檜林のなかの林道に

ナビに従い国道に再び戻り、双体道祖神が崖際にあるとされる小萱に。春先に来た時にはその存在を確かめることはできなかったが、今回は多くの時間を割いても、その存在を確かめようと気合が入っている。春先は雪があり、集落の方に出会うことがなかったが、今回は幸いなことに、集落の詳しい方に出会うことができ、出会うことができた。小萱の双体道祖神は集落の奥、今は無き大平集落へと続く林道の途中にあった。

また資料にある崖とは、霧通しの土手のことであった。

双体道祖神の手前にあった供養塔。

こちらの道標(記名に弘化元とあるから1843年)も道祖神の手間への2叉路にあった。左、やまえとあるから米山であろうか。右、かしハさきと読めるがどうだろう

小萱集落方面を見る

ふくよやかな顔の双神 建立年月日は記名はないが、道標には弘化元(1843年)とあるから同じころにできたものと想像されるがどうだろう。石の素材が違うのだが。

さて米山道を巡って粛々と建てられた上越市内の双体道祖神3体はここまでで、この先柏崎市には大平、蕨野、小杉と双体道祖神が建てられていたのだが、大平、蕨野は廃集落となり、道祖神は柏崎の博物館に収納されている。