上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

菅笠考・能生谷

2015-05-22 13:07:49 | 瞽女街道を行く

 瞽女が遊芸に出る時に必ずかぶっていた笠。一般に菅笠といわれたり、饅頭笠といわれているものである。この菅笠、今も新潟の農村風景には欠かせない、アイテムである。麦わら帽子をかぶる人も多いが、見かけるのは圧倒的に菅笠が多い。特に年配の方には、愛用者がおおいようだ。

 その菅笠、かっては冬の農閑期に、草履やわら長靴、箕などを作り、地産地消、数少ない現金収入商品として、農家の生活を支えていた。その農作業用具最後のアイテムも、殆どが、今や外国産の商品にかわってしまった。

 能生谷、柵口周辺

      能生谷・柵口(ませぐち)~横道集落      残雪の権現岳

 その菅笠を今も作っている、能生谷に、笠を求めにいってみた。私が知る限りでは、現在もこの辺りで、笠を作っているのは、数軒しかのこっていない。たまたま撮影に訪れた権現岳登山口近くの最後のお宅・土田みどりさん宅で、菅笠を作っているというので、3ケ、譲っていただいた。山形の菅笠で、瞽女がかぶっていた、饅頭笠とは形状はちがうものの、地元で作られたものということで、普段使いに購入した。最上段の画像で使用している菅笠、饅頭笠は撮影のために、ネットで買い求めたもので、国産かどうかは、うかがい知れない。

 土田みどりさんに、菅笠について聞いてみる。冬の内職に100ケ、つくるという。菅は夏に沼に植生するものを刈り取っておくのだそうだ。

 

     晴れた日、雪上にて日干しする。菅を乾かし、色を整えるのだそうだ。饅頭笠も地元で作ってほしいものだ。

 

    冬は雪よけ、除雪作業によくかぶっている。他の季節は、陽よけ、雨除けと、毎日しようすると一年でぼろぼろに・・・・・。土田みどりさん談。


早川谷 高倉の春

2015-05-16 15:24:11 | 瞽女街道を行く

 

高倉集落は県道に沿って走る早川谷から逸れ,山間部にある。この集落は奥まった山間部に有りながら,ある程度の戸数を保っている。下倉から急な坂道のつづら折を上り終えると,開けた大きな谷の縁に高倉集落はある.ただ残念なことに,瞽女宿は全て消失してしまった。4月の初め,集落入り口の建家の壁に祭りの告知があった。

          下倉から高倉に向かう,棚田の背後に権現岳と鉾が岳

  高倉集落入り口から,東面に広がる高倉の棚田 桜がちらと咲き始めた 5月9日

   名前はあるが,知らないという 大滝

    熊野大神宮・春季大祭 4月19日

私は観光や,設えられたお祭りやイベントは好まない。とはいっても,脈々とかろうじて残ってきた祭りは今や,風前の灯火ではあるが,時代の必然の中で翻弄され,消えて行くのは自然の姿だと理解しているから,生活や文化形態の変化に連動し,存在していると考えている.だからこそ手を加えることも無く,存続しうる文化,祭りほど貴重であり,存在価値があるとおもっている。高倉の春のお祭りはそんな意味では貴重であるから,日を改めて訪れてみた。

 

集落はずれのこんもりとした森の中に,熊野大神宮は有った.急な坂道を上ると,地元の方が,急ごしらえの神楽堂の屋根に,防水のシートを張っていた.頭上には今にも降りそうな危うい空があった.

境内には露天の店が一張り,たこ焼きの店が一軒,本社の横に設えてあった.子供達の一番人気は露天にもうけられた,金魚掬いである.子供達は先を争って,金魚プールの前に立ちはだかるが,この子達のほとんどがお祭りで帰ってきた,外に出ていた身内の子供達だ.したがって高倉にほとんど子供はいないそうだ,としきりに話しかけて来たのは,地元のカメラ好きの50代の男性だ.「糸魚川でも,神楽を舞う地域は,2カ所しか無くなってしまった」とのこと.

心配していた,雨が本降りになるころには,春の山里の神楽の舞の終焉は近かった。

 

 

 


姫川支流 根知川

2015-05-12 22:30:00 | 瞽女街道を行く

瞽女宿が川に沿ってある谷の最後が根知川だ.この根知川には唯一瞽女宿が一軒,残っている.根古屋の又平である.又平はR148を県道に右折した集落の中程にある

 

 

    姫川の流れ.雪代がすごい.

 

 根知川もやはり雪代である.背後にある多くの山からの恵みである.

 

根古屋集落の寺.ようやく春が訪れた.

毎年訪れる長野県東小谷,ブナ特殊林.今年は新緑が2,3日早いようだ.

今年も夫婦でブナ達に会いにきた.美しいブナの新緑と木漏れ日.また来年も来れるように!

 


西頚城 海川

2015-05-11 22:05:15 | 瞽女街道を行く

海川は奥深い谷である.車で行ける最上部には無料の山峡パークというキャンプ場がある.無料では有るが施設は整っており,そのキャンプ場から眺める峡谷は素晴らしい.ここが楢山節孝のロケ地になった場所らしい.主人公が老婆を背負い奥深い山の中に捨てるシーンを,この海川の峡谷で撮った,ということである.

 海川には瞽女宿が4軒,健在である.道平に2軒,粟倉,来海沢に各一軒づつ,残っている.上の画像の家は粟倉集落の瞽女宿「天上」さんの家である.ゆうに200年は経っているというから,家のメンテナンスは如何ばかりかと,他人ごとながら心配になる.

春がついそこ迄まできているかとおもえば

 

まだ残雪のなかで開けやらぬ川原柳の芽吹きをみるのである.

 

粟倉から来海沢集落を見る.

 

来海沢集落 

 

海川渓谷への最終集落,市野野集落

海川渓谷,山峡パークへの道は6月中旬にならなければたどり着くことは出来ない.背景の山は駒ヶ岳


西頸城 春の谷

2015-05-10 23:38:43 | 瞽女街道を行く

上越市から糸魚川市にかけての地域を西頸城と呼んでいる.その西頸城を裁断して,七谷と呼ばれる川が日本海に流れ込んでいる。それら河川は東から桑取川,名立川,能生川,木浦谷,早川,海川,姫川,その姫川流れ込む根知川である。早春賦で紹介した早川の前に,木浦川があり,木浦川を紹介するのを忘れていた。木浦川流程のほとんどがコンクリート化されていて,上流部いかなければ,川としての様態がない。そんな河川状況だから,印象が薄いのかもしれない.それでも中,下流部では魚影を感じ得ないのだが,源流部には岩魚が棲むそうだ。

 

 

  西頸城七谷の中では河川としての規模は最小で流程も短いが,この河川脇に今も2軒の瞽女宿が健在だ。

 

そのうちの一軒,新戸の「九郎右エ門」

 

   その「九郎右エ門」裏手にある地蔵堂の主

    木浦川奥には温泉も

 

 私も始めて入浴したが,小さな湯船であるがのんびり入れた.通常500円のところこの日は

 割引日で300円でした。