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迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

自衛隊古河駐屯地の納涼大会に行ってきました

2011年07月27日 | 社会
昨晩、自衛隊古河駐屯地の納涼大会に行ってきました。
初めて行ったのでこの人出が例年よりも多いのか少ないのかわかりませんが、平日にもかかわらずこのにぎやかさは、この地域の納涼大会では一番の人出のように思います。
基地内では盆踊り、打ち上げ花火、自衛隊隊員が作る模擬店(レンジャーカレーはルーがなくなってしまったため、ライスのみを無料でいただきました)、震災復興活動を写真や映像で展示、など盛りだくさんでした。
大きなカブトムシの展示物もあるらしいと聞いていたのですが、それは見つけることができませんでした。

ちょっと前まで自衛隊や在日米軍を厄介者扱いしている人たちが幅を利かせていましたが、東日本大震災で自衛隊や在日米軍が我が国、日本国民のために汗を流してくれたことを誰もが目撃したのです。
私達は皆さんを必要としています。
昨日は自衛隊員の皆さんにお礼を言うことができなかったので、ここで改めて大きな声でお伝えします。
「どうもありがとうございました。これからもよろしくお願いします」
そして地域のために納涼大会まで開催していただき、ありがとうございました。
被曝の恐れ顧みず全員志願…米軍司令官が秘話
 在日米軍のバートン・フィールド司令官は27日、都内で在日の米経済人らを前に講演し、東日本大震災後に行った支援活動「トモダチ作戦」の内幕を語った。
「被曝(ひばく)するかもしれないが、志願者はいるか」
 フィールド司令官が東京・横田基地でパイロットらにこう問いかけたのは震災から3日後の3月14日。福島第一原発周辺の放射線量計測のための飛行を命じた際のことだ。放射能漏れの実態はまだよくわからず、大量被曝の恐れも否定できない中での任務だったが、パイロットらは全員が参加を志願したという。計測された放射線量は日本政府に伝達され、事故への初期対応策定で活用された。
 司令官は、自分たちの家族の安否も分からない中、被災地での任務を続けた自衛隊員のことを「本当に英雄的だった」と称賛。「(自衛隊を)側面支援できたことを栄誉に思う」とトモダチ作戦を振り返った。
(2011年7月27日18時24分 読売新聞)

AKB総選挙と仮面ライダーカード

2011年06月10日 | 社会
AKB総選挙を見て思うのは、40年ほど前の仮面ライダーカードブームです。
AKB総選挙では投票権を手に入れたいがために、ひとりで何枚、何十枚のCDを購入しているファンもいるようです。
そんな姿を伝え聞くと、40年ほど前の仮面ライダーカードブームを思い出します。
当時、数十円のスナック菓子(甘ったるくておいしくなかった)に1枚付いている仮面ライダーカード欲しさに、財力のある子供はそのスナック菓子を箱買い(今で言う大人買いです)し、カードだけをもらってスナック菓子はお店においたままにしたり、ドブに捨てたりということがあり、社会問題となりました。
食べ物を粗末にしている、もったいない、と。

今のAKB総選挙は仮面ライダーカードブームがAKB選挙の投票権、スナック菓子がAKBのCDに替わっただけの図式に見えますが、これを批判する報道を見かけることはありません。
メディアはAKBを批判することが出来ないんですね。

集めていた大切な仮面ライダーカードを引っ越しの時に失くしてしまった私は、AKB総選挙とCDの大人買いという報道に接する度に、そんな遠い昔のことを思い出すのです。

頼りない菅内閣を国民がサポートしています 『日本を救ったつぶやき』

2011年05月20日 | 社会
『日本を救ったつぶやき』
 今月初め、実にうれしい外電に接した。3日付の台湾紙「自由時報」と「聯合報」に、東日本大震災への支援に対する日本の感謝広告が載ったという記事である。

 「ありがとう、台湾」という日本語と、「愛情に感謝します。永遠に忘れません」という中国語のメッセージ。広告主は日本政府ではない。川崎市のフリーデザイナーらネットユーザー約6千人だという。そのことに、いたく心を動かされたのだ。

 話は4月11日にまで遡(さかのぼ)る。大震災から1カ月がたったこの日、日本政府は国際英字紙インターナショナル・ヘラルド・トリビューンと米英仏中韓露の1紙ずつの計7紙に支援感謝の広告を掲載した。支援の手を伸ばしてくれたのは、134カ国・地域もあったにもかかわらずである。

 日本政府の感謝の対象にならなかった台湾は大震災直後、早々と救援隊28人を送ってくれた。約160億円もの義援金も集めてくれた。「台湾にもお礼したい」。フリーデザイナーがその思いをツイッターでつぶやいたところ、賛同者が集まり、感謝広告を出すためのお金が約1930万円も集まった。その額は台湾2紙への広告費240万円を軽く上回った。余ったお金は日本赤十字社に寄付されたという。

 注目してほしいのは240万円という広告費である。台湾は人口約2300万人。物価レベル等も考えると、この金額は世界標準とも言える数字だろう。そうだとすれば、134カ国・地域すべてに感謝広告を出しても、予算は3億円前後ではないか。その金額を出さなかった理由を外務省は、衆院外務委員会でこう言っている。

 「復興にお金を振り向けるなかで、ぎりぎりの範囲で予算の枠を設けたため」

 いかにも情のない菅直人首相が率いる内閣らしい答弁である。さすがにまずいと思ったか、外務省はその後、感謝広告を他の国々でも順次出し、今月11日までに64カ国・地域で掲載した。それでもまだ、道半ばという遅々とした仕事ぶりも菅内閣らしい。

 ネットユーザーらが出した広告を見た台湾行政院(内閣)の楊永明・新聞局長はこうコメントしている。

 「お礼を期待していたわけではないが、みんな感激している」

 これが人情というものだろう。菅内閣の失政を見事にカバーしたネットユーザーたちは日本の信用と品位を守ってくれた。厚く感謝したい。(編集長 安本寿久)
MSN産経ニュース2011.5.20 07:36

「子供たちのたくましいパパでいて」優しく語りかける妻の手紙

2011年04月24日 | 社会
「子供たちのたくましいパパでいて」優しく語りかける妻の手紙
 震災で妻の奈保子さん(38)を亡くした佐々木健吾さん(44)は、長女の千紘(ちひろ)ちゃん(6)とこんなやりとりを何度か繰り返した。
 「ママは、天使になって天国にいるの?」
 「そう。ここにはいないけど、ちいちゃんのこと、いつも見てるよ」
 最初のころ「透明なママは嫌」と泣いた千紘ちゃん。最近は笑顔も見せるようになったが、どこまで母の死を受け止められたのか。長男の郁哉君(12)は「お母さんの分まで生きる」と気丈に話し、少しだけ泣いた。
 4月。親子3人は自宅があった宮城県南三陸町を離れ、登米市のアパートへ。18日には千紘ちゃんの小学校の入学式があった。咲き始めた桜の下、支援物資の中にあった白のブラウスを着た娘を見つめながら、健吾さんは、式を楽しみにしていた妻の声が聞こえた気がした。「今日も一日頑張って」。あの手紙の中にあった言葉だ。
 南三陸町志津川。海から約1キロ離れた丘の中腹に、特別養護老人ホーム慈恵園は建っていた。

職場で結ばれ職場で
 健吾さんは事務、奈保子さんはデイサービスセンターの介護職員として勤務。職場で出会った2人は1997(平成9)年に結婚した。
 震災当日、健吾さんは、町を破壊しながら押し寄せる波を見た。慈恵園の入所者68人はほとんどが寝たきりだ。
 「とにかくもっと上へ」。裏の高台にある志津川高校までは急坂が50メートルほど続く。十数人の職員と近くにいた高校生が集まり、お年寄りを一人一人抱え上げリレーのようにして運んだ。助けられたのは約20人。無我夢中で、施設が津波にのまれるところは見ていない。
 地震の後、慈恵園の前で毛布を手に、お年寄りの間を歩いていた奈保子さんがいないと気付いたのは日が暮れたころ。3日後、がれきの中から遺体が見つかった。
 職場の机の引き出しには、泥まみれになった健吾さんのかばんが残っていた。内ポケットから、奈保子さんの手紙が出てきた。数年前、夫婦げんかをした後にもらったものだ。かばんにしまい、そのまま忘れていた。
 「突然手紙というのも何かあったと思うかな? 何もないのよ。昔書いていた日記を見つけて読んだら、とっても大切にしてもらってたのね。反省しました」

介護士に合格してた
 仕事が大好きで責任感が強かった奈保子さんは今年、介護福祉士の試験に初めて挑戦した。4月初め、健吾さんがインターネットで確認すると、合格していた。「一緒に喜べたらよかったのに」と泣きながら、笑う。
 今も妻が戻ってこないとは信じられない。道具箱や鍵盤ハーモニカ、おはじき。奈保子さんがそろえた千紘ちゃんの学用品は全て流された。学校のこと、2人の子の世話、新しい仕事探し。「料理だってやったことないのに…」と戸惑う健吾さんに、中学生になった郁哉君は「ごはんは僕が作る」と言ってくれた。
 奈保子さんの手紙は、こう続いていた。今の健吾さんへのエールのように。
 「パパ、大好きよ。郁哉と千紘のたくましいパパでいてね。今日も一日頑張って」
 (SANKEI EX PRESS)2011.4.24 10:33

震災で変わった中国人の日本観

2011年04月23日 | 社会
大震災はつらい出来事ですが、それをきっかけにして中国人の日本観が少しでも変わってくれるのであるのなら、その小さな灯りを大きな光にしていくことが出来ればいいですね。
震災で変わった中国人の日本観
 3月11日に発生した東日本大震災以降、中国メディアでは日本の報道が急増し、多くの中国人の日本に対する印象に大きな変化をもたらしたようだ。それまでにアイドルグループやアニメなど日本の流行文化の魅力に惹かれながらも、歴史や尖(せん)閣(かく)諸島の領有権問題をめぐり日本を敵視してきた多くの若者たちは、募金活動に参加するなど日本支援に回った。インターネットなどで秩序を守る日本人を称賛する声が多く寄せられたほか、記者会見で菅直人首相(64)が厳しい質問に浴びせられたことについても「日本の言論の自由が羨(うらや)ましい」といった反応があった。

涙の中継に感動
 震災発生当日、香港系メディア鳳凰衛視(フェニックス・テレビ)のライブ放送で、東京特派員、李(り)●(=森の木が全て水)(びょう)氏は津波が町を襲う映像を紹介する際に声を詰まらせ、嗚咽(おえつ)しながらニュースを読み上げたことが中国のネットで反響を呼んだ。「なぜ日本人のために泣くのか」「歴史を忘れてはならない」といった批判的意見が一部であるものの、李氏を支持する声は圧倒的に多く、「感動した」「被災した日本を一刻も早く支援すべきだ」といった被害者を悼(いた)み、日本人にエールを送る書き込みがあふれた。
 2004年10月に新潟県中越地震が発生した際、中国ネットでは「天罰だ」「祝賀する」といった心のない書き込みがほとんどで、それを諌(いさ)める声も少なかった。被害の大きさに違いはあるとはいえ、日本の天災に対する反応は大きな変化があったといえる。近年の高度経済成長で、被災者を支援する精神的余裕が出てきたことと、08年5月の四川大地震で、日本が中国を支援したことが背景にあるとみられる。

「優しさ」が話題に
 その後、仙台市内のビルの屋上で立ち往生して約8時間後に救出された中国人女性の手記が中国のインターネットで出回り、日本人の優しさが話題を集めている。女性は日本人約80人と一緒に救出を待っていたが、貧血で倒れそうになったという。「赤ちゃん連れの主婦が粉ミルクを分けてくれたり、駆けずり回って水を探してくれた若い女性もいたり…」などと周りに助けられたという。
 「みんなの携帯電話のうち、つながるのは2台しかなかったが、外国人を優先するということで、中国人の私に真っ先に使わせてくれた。その後、日本人たちは行列をつくり1人ずつ家族に電話をしていた」と、女性の手記は救出されるまでの様子を克明に紹介し「私を支えたのは彼らの優しさだった」と日本人への感謝の気持ちを綴った。そして、ネットで大きな感動を呼んだ。さらに、中国人研修生20人を真っ先に高台に避難させ、自らは津波にさらわれて行方不明となった宮城県女川町(おながわちょう)の水産会社役員のことが新華社通信の記事で紹介され、中国のネットで英雄となった。「日本人にはこんなにたくさん優しい人がいるとは知らなかった」といった反応が多かった。

「言論の自由」羨ましい
 また、4月12日の首相会見で、産経新聞の阿比留(あびる)瑠比(るい)記者が菅首相に対し「一体何のために、その地位にしがみついているのか」と質問し、菅首相が「阿比留さんの物の考え方がそうだということと、私は客観的にそうだということは必ずしも一致しないと思っています」と丁寧な言葉で答えたことを香港のメディアが中国国内のインターネットで配信し、「権力者を批判できる日本の記者は素晴らしい」「中国だったら、その記者はすぐに投獄されるだろう」「これこそ民主主義」といった日本の制度を称賛する反応があふれた。
 中国の若者たちの日本に関する知識は、これまでは中国政府主導の愛国主義教育や、テレビで毎日のように流される抗日ドラマによるものが多かった。ただ今回は、震災報道やネット情報などを通じて、秩序を守り、他人を思いやる日本人のありのままの姿を知ることができた。そのことによって、日本をある程度客観視できるようになったと言えよう。(中国総局 矢板明夫)
MSN産経ニュース2011.4.23 12:00