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迷走していた「たんなさん」のつぶやき

※個人の感想です・・・

巷では「斉藤明美」と騒がしいけれど

2012年01月11日 | 社会
巷では「斉藤明美」と騒がしいけれど、私がここで取り上げたいのは「高峰秀子の捨てられない荷物」という著作のある斎藤明美さんのこと。
私が斎藤明美(以下、敬称略)の存在に気付いたのは、かつて毎週購入していた週刊文春の「家の履歴書」のコーナーの聞き手として。
このコーナーは複数のライターさんが受け持たれていましたが、斎藤明美の書く回は面白さが格段に違うものでした。
特に興が乗ってきたときの文章は秀逸で、それが巷で「斉藤節」といわれているのを知って大きく同意したものです。
その彼女が「家の履歴書」のコーナーの聞き手として登場することが少なくなり、いつしか高峰秀子の養子になったということをなにかで知りました。
そして今、斎藤明美の書いた「高峰秀子の捨てられない荷物」という著作をこれから読もうとしているのです。

もうひとりの斎藤明美さんのお話でした。

小沢秘書有罪判決 どこがおかしいのか

2011年09月27日 | 社会
政治資金規正法には
(基本理念)
第二条  この法律は、政治資金が民主政治の健全な発達を希求して拠出される国民の浄財であることにかんがみ、その収支の状況を明らかにすることを旨とし、これに対する判断は国民にゆだね、いやしくも政治資金の拠出に関する国民の自発的意思を抑制することのないように、適切に運用されなければならない。
2  政治団体は、その責任を自覚し、その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に基づいて公明正大に行わなければならない。

と書かれている。
「その政治資金の収受に当たつては、いやしくも国民の疑惑を招くことのないように」というこの部分に重大な疑念が生じているというわけで、その疑念について明快な説明ができなかったということです。
総額21億円以上の収支報告が正しく記載されておらず、土地取引に際して融資を受けた4億円の敬意について、合理的な説明ができていない時点で、政治資金規正法に鑑みればアウトと判定されても仕方がないことだと思うのですが。

この有罪判決に疑問を持っている方たちは、この裁判が小沢一郎の秘書ではなくて、小泉純一郎や麻生太郎の秘書であった場合でも、同様に有罪判決は疑問だと主張するのでしょうか。

そもそも、やましいことがないのなら、小沢やその秘書たちが疑念を持たれていることに対してとことん説明すればいいだけなのに、それをしないから疑惑の目で見られていることがわかっていても説明ができないのだから、どうしようもないことですよね。
ちなみにとことん説明しても納得しないだろうというご意見もあろうかと思いますが、ほとんど説明をしないのと、とことん説明をしたけれど納得してもらえないとでは、心証が大きく違うと思います。

普天間の基地移設もできないくせに 細野大臣「汚染物の最終処分場は福島県外で」

2011年09月05日 | 社会
沖縄の米軍基地移設の時もそうだったけど、民主党はできそうもないことを軽々しく言って、地元を期待させながら実現できず、結局地元を失望させるって過ちを犯したばかりです。
それなのに細野環境大臣は会見で「放射能汚染物の最終処分場は福島県外で」「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮だ」と発言し、福島県以外に設けたいという考えを示していますが、普通に考えればそんなことは無理に決まっています。
沖縄の米軍基地移設の時と同じで、「放射能汚染物の最終処分場」を受け入れてくれる都道府県や自治体があるはずもなく、現実的に考えるともっとも放射能に汚染されている福島第一発電所の周辺に最終処分場を作るしかないはずです。
そうすることで、福島第一発電所やその関連施設で働いていた人たちの雇用を作ることにもなるはずです。
理想論やきれいごとばかり言ってると、鳩山、菅の歴代バカ内閣とやってることはさほど変わりはないのかもしれません。
過剰な期待をしないほうがいいですよ。
細野大臣「汚染物の最終処分場は福島県外で」「痛みを日本全土で分かち合うことが国としての配慮」
NHK福島県のニュース 福島放送局細野大臣 最終処分場は県外で
原発事故で放射性物質に汚染されたがれきや土壌の最終処分場について細野環境大臣は4日の会見で「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮だ」と述べ、福島県以外に設けたいという考えを示しました。
これは4日行われた就任会見で、細野環境大臣が明らかにしました。原発事故で放射性物質に汚染されたがれきや放射性物質を取り除く除染作業で出た土壌などの処分をめぐっては、先月、菅前総理大臣が福島県の佐藤知事に対し、一時的に管理する中間貯蔵施設を県内に整備する方向で検討していることやその施設を最終処分場にすることは考えていないという意向を伝えています。
4日の会見で細野大臣は、中間貯蔵施設について「具体的な場所や保管しておく期間については地元の理解がなくては進めることができない」と述べ、施設を設ける場所などについては今後、地元と十分話し合ったうえで決めたいという考えを示しました。
また、最終処分場については中間貯蔵施設とは別だという認識を示した上で、「福島の痛みを日本全体で分かち合うことが国としての配慮ではないかと思っている。福島を最終処分場にはしないということは方針としてできる限り貫きたい」と述べ、福島県以外に設けたいという考えを示しました。
NHKオンライン09月04日 16時42分

玉音放送(現代語訳)

2011年08月15日 | 社会
玉音放送(現代語訳)
世界の情勢と日本の現状をよくよく検討した結果、ありえないと思われる方法をあえてとることにより、この状況を収拾したい。常に私に忠実であるあなたがた日本臣民の皆さんに、今から私の決断を伝えよう。
私は日本政府担当者に米国、英国、中国、ソビエト連邦の4カ国に対して、日本が(ポツダム)共同宣言を受け入れると伝えることを指示した。
そもそも私たち日本国民が穏やかで安心な暮らしができ、世界全体と繁栄の喜びを共有することは、歴代の天皇が代々受け継いで守ってきた教えであり、私自身もその教えを非常に大事なことと考えてきた。
最初に米英2カ国に宣戦布告した理由も日本の自立とアジアの安定を願う気持ちからであり、ほかの国の主権を侵したり、その領土を侵したりすることが、私の目指すところであったわけではない。
けれども戦争はすでに4年も続いており、我らが陸海軍人たちの勇敢な戦いぶりや行政府の役人らの一心不乱の働きぶり、そして1億人の庶民の奉公、それぞれが最善を尽くしたにも関わらず、戦況は必ずしも好転せず、世界情勢を見るに、日本に有利とはとても言えない状況である。
その上、敵は残虐な新型爆弾を使用して多くの罪のない者たちを殺傷し、その被害の及ぶ範囲は、測ることもできないほどに広がっている。もしもこれ以上戦争を続ければ、最後には我が日本民族の滅亡にもつながりかねない状況であり、 ひいては人類の文明すべてを破壊してしまいかねない。
そのようなことになれば、私はどのようにして1億人の民を守り、歴代天皇の霊に顔向けすることができようか。これが私が政府担当者に対し、共同宣言に応じよと指示した理由である。
私は、アジアを(西欧列強から)開放するために日本に協力してくれた友好国にたいして大変申し訳なく思う。また、日本国民であって戦地で命を失った者、 職場で命を落とし、悔しくも天命をまっとうできなかった者、そしてその遺族のことを考えると、 心も体も引き裂かれんばかりの思いがする。戦争で傷つき、戦災被害にあって家や仕事を失った者たちの暮らしについても、非常に心配に思っている。
この後、日本が受けるであろう苦難は言うまでもなく尋常なものではないであろう。みなさん臣民の悔しい思いも、私はよくよくそれを分かっている。けれども私は時代の運命の導きにそって、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、これからもずっと続いていく未来のために、平和への扉を開きたい。
私はこのようにして日本の国の形を守ることができたのだから、忠誠心が高く善良な臣民の真心を信頼し、常にあなたがた臣民とともにある。
感情の激するがままに事件を起こしたり、もしくは仲間同士が争って世の中を乱したり、そのために道を誤って世界からの信頼を失うようなことは、最も戒めたいことである。
何とか国全体がひとつとなり、子孫にまでその思いを伝え、神国日本の不滅を信じ、任務はとても重く、行く道は非常に遠いことを覚悟して、将来の建設に向けて総力を結集し、道義を守り志と規律を強く持って、 日本の力を最大に発揮することを誓い、世界の先進国に遅れをとらずに進むのだという決意を持とうではないか。
私の臣民たちよ、ぜひともこの私の意思をよくよく理解してもらいたい。


大川小の行方不明者捜索自衛官に勇気を与えた小学生の手紙

2011年08月04日 | 社会
大川小の行方不明者捜索自衛官に勇気を与えた小学生の手紙
 東日本台震災では10万人もの自衛官が派遣された。救った人名は2万人にも上る。だが、彼らの奮闘はこうした数字だけでは推し量れないものも数多く存在する。そこでSAPIOは多くの自衛官にインタビューし、その埋もれたエピソードを発掘した。今回は宮城県石巻市立大川小学校で行方不明者の捜索に携わった自衛官たちに話を聞いた。

 * * *
 石巻を襲った津波による最大の悲劇の一つが大川小学校の壊滅だった。石巻市立大川小学校は、児童108人のうち74人が死亡または行方不明となった。学校周辺や校舎内では、自衛隊による必死の不明者捜索が行なわれ、瓦礫や汚泥が取り除かれた。そして震災から約1か月後。
「すいません!」
 4月6日、大川小学校近くの追波川河川運動公園に設けられた宿営地内を歩いていた第14戦車中隊(岡山)の石井宣広3曹は、突如、背後から声を掛けられた。
 その可愛らしい声の主は、ワンピースを着た小さな女の子だった。少女は、振り向いた石井3曹にこう言った。
「これ、読んでください……」
 石井3曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去っていった。少女は、母親と思しき女性の運転する車でやってきて、偶然近くを歩いていた石井3曹に手紙を渡したのである。
 そこには、覚えたてのたどたどしい文字でこう綴られていた。

〈じえいたいさんへ。
 げん気ですか。
 つなみのせいで、大川小学校のわたしの、おともだちがみんな、しんでしまいました。でも、じえいたいさんががんばってくれているので、わたしもがんばります。
 日本をたすけてください。
 いつもおうえんしています。
 じえいたいさんありがとう。
  うみより〉

 石井3曹は込み上げるものを必死で堪えた。
「胸がいっぱいになりました……。あの頃は、発災から1か月が経とうとしており、疲れもたまっていたのですが、あの手紙で、『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、とあらためて認識しました」
 その後、この手紙は第14旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。
 井上旅団長は言う。
「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流するほどの思いでした。『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」
 少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに全員が奮い立った。
 中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員もいた。同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第1高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。
 東日本大震災から49日目にあたる4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。祭壇には74の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。その中には、いまだ行方不明の6人の児童の写真もあった。
 その間も、第14旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、行方不明の児童を捜し続けていたのである。
※SAPIO2011年8月17日・24日号