まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

おせいさん

2019年06月11日 | 日記

関西人は親しみをこめてそう呼んだ。
作家で文化勲章受章者でもある田辺聖子さんが亡くなった。
学生時代から彼女のファンだった家人は
ショックですっかりしょげてしまっている。
91歳は大往生だろう、といってみても
もっと生きていて欲しかったなどと言う。



家人にとっては誰よりも思い入れの深い作家だった。
今でも自宅の本棚には田辺さんの著作が数多く並んでいるし
小説もエッセイもほとんど読んでいると言う。
田辺フリークなどと言うと安っぽく聞こえるかもしれないが
ものの見方や考え方から人生哲学まで
圧倒的な影響を受けた作家だったと言う。
いつだったか伊丹に住んでいた友人とアジサイを持って田辺邸を訪ねたことがあったらしい。
突然の訪問にも関わらず田辺さん自身が応対に出て、せっかくだからと部屋に上げて下さり
快く話し相手になって下さったそうだ。
いかにも田辺さんらしい人柄の一面である。

私も一度だけ伊丹のご自宅を訪ねたことがある。
彼女の作品(確か芥川賞受賞作の「感傷旅行」だったか?)を
ラジオドラマで脚色することになり
その打ち合わせで田辺さんと旧知のプロデューサーが一緒だった。
なぜか妙に緊張したことを覚えている。
田辺さんは大好きなスヌーピーのぬいぐるみに囲まれながら
ソファーでニコニコと笑っておられた。
見ると中庭で草取りをしている麦わら帽子のオジサンがいて
ひっとしてと思って聞いてみると・・・

 「あの方、カモカのおっちゃんですか?」
 「そうなのよ、いやあねえステテコ姿で。ホホホ・・」

当時、週刊文春で連載中のエッセイ「カモカのおっちゃん」の主人公で
長年連れ添ったご主人の医師・川野純夫氏だった。
そのご主人が亡くなられてずいぶん気落ちされたことであろう。
最近は本屋を覗いても田辺さんの新作を見る機会が少なくなって
いささか淋しい思いがしたものだ。
同じ関西出身で仲の良かった年上の佐藤愛子さんが
まだまだ元気いっぱいだけに
もっともっと生きて欲しかったなあ・・・と思う。