まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

壇蜜を読む

2018年01月16日 | 日記

何を隠そう私は「壇蜜」のファンである。
タレントとしてのミステリアスな魅力もさることながら
とりわけ彼女の文章の大ファンである。
凡百のタレント本と違ってギラギラしたところがなく
文章に品があるところがとてもいい。

4冊目のエッセイ集が出たので
仕事帰りの電車の中でさっそく読んでみた。
日々の出来事を綴った日記だが
それがそのまま上質なエッセイにもなっている。
仕事の風景や日常のあれこれを
淡々と綴っていて文章に少しも肩肘張ったところがない。
タレント本は個性の押し売りになりがちだし
それが本来の狙いなのだろうが
それが全くない「没個性」の魅力とでも言うのだろうか。

タイトルだけは挑戦的である。
独特の感性で常に世の中をシニカルに眺めている。
決して頭でっかちの文章ではないのに
時折、キラリと光る言葉があってオジサンは感心する。
彼女は猫を飼っているらしい。
名前は忘れたが珍しい魚も飼っているらしい。
そうした動物へのそこはかとない愛情を感じさせながら
少しもベタベタしたところがない。
男の話も出て来る。
結婚への思い、好きだった男の話、そしてセックス観。
そんな私生活を語りながら
下卑た感じが全くないのは彼女の稀有の才能だろうか。

なぜか文庫本のあとがきを自筆で書いている。
へえ、壇蜜はこんな字を書くのか!
ミーハー精神で思わず前のめりになってしまった。〈笑〉
どちらかと言えば男っぽい字ではないか。
昔から「文字は人なり」と言って
その人の書く字を見ればたちどころに人間がわかる。
らしいが全くわからない。
壇蜜はやっぱりミステリアスなのである。
と、ここまで書いて来て
私のこのブログもやはり日記であることに気づく。
うーん、強力なライバル出現である。
壇蜜ごときに負けてなるものか、私も大いに精進せねば!


はれのひ

2018年01月15日 | 日記

最初にその社名を聞いたとき
なかなかいいネーミングだなあと感心したぐらいだった。
近頃は離婚率も未婚率も高まる一方で
結婚式の方はすっかり色あせた感があるが
成人式だけはまぎれもなく一生に一度の「はれのひ」である。

ところがその成人式当日に
頼んでいた振袖が届かないという不測の事態が発生した。
単なるトラブルなどではなく
振袖の販売やレンタルをした業者が雲隠れしてしまい
各地の成人式会場は大混乱となった。
中には途方に暮れて泣き出す新成人もいたと聞く。
まことに気の毒な限りである。
臆面もなく「はれのひ」を名乗った業者は
一生に一度の晴れ舞台を台無しにしてしまったのである。
悪質な手口から計画倒産の疑いが濃厚である。

ただ、そこまで大騒ぎするようなことなのだろうか?
世の中は常に悪意に満ち満ちているし
この手の悪質な詐欺商法も掃いて捨てるほどある。
先日摘発された「てるみくらぶ」も全く同じ手口ではなかったか。
こうしたビジネスは基本的に信用取引で
もちろん一にも二にも業者の責任が問われるべきではあるが
サービスを利用する側にも自己責任が伴う。
そもそも振袖を成人式当日に届けるというシステムに
危惧を抱く利用者はいなかったのか?
途中で交通トラブルにでも巻き込まれたらどうするのか?
そうした単純なことも含めてまことに危い
いや、怪しいビジネスなのである。
たかが娘の成人式のために50万も60万も出すこと自体が
私などは結構なご身分だと思ってしまうし
そんな大金を振袖代に使うぐらいなら
もっと違ったお金の使い方を教えるのが親の務めではなかったか?
お叱りを覚悟でこんなことを言うのだが
これを機会に成人式そのものの在り方をもう一度
考え直してほしいものである。


まろの歌会始

2018年01月14日 | 日記

新春恒例の「歌会始の儀」が
12日、皇居・宮殿「松の間」で厳かに開かれた。
数多ある宮中行事の中でも
私が最も興味深く楽しみにしている行事だ。

今年のお題は「語」である。
天皇・皇后両陛下や皇族方、一般の入選者たちの歌が
伝統的な節回しで披露された。
俳句も短歌もすぐに川柳になってしまう私ではあるが
一度でいいから参加してみたいものである。
それにしても「語」とはなかなか難しいお題ではないか・・・

天皇陛下のお歌は
日課である皇后様との朝の散歩の途中
皇居東御苑で「きんらん」という花を見つけた感慨を詠まれた。

   語りつつ あしたの苑(その)を歩み行けば 林の中にきんらんの咲く

皇居東御苑と言えば
ついこの間、私が散歩したばかりの場所てはないか!
うーん、せびお会いしたかった!〈笑〉
きんらんという花にはまったく気が付かなったなあ。
この陛下のお歌に対し皇后様が詠まれたのは・・

  語るなく 重きを負(お)ひし君が肩に 早春の日差し静かにそそぐ

来年四月に平成が終わることが決まり
長年の重責からやっと解放される陛下への心からのねぎらいの言葉だろうか。
このお二人は本当にいいご夫婦だまあと最近とみに思う。

長崎県佐世保市の中学一年中島由優樹(ゆうき)さんは
歴代最年少で三人目の入賞者だと言う。

   文法の 尊敬丁寧謙譲語 僕にはみんな同じに見える

わかるわかる!
尊敬語も丁寧語も謙譲語もよく似ていて分り難いねえ。
オジサンもいまだによくわからないよ。
神奈川県の男性の歌も味わい深くて心に残った。

   語らひに 時々まじる雨の音 ランプの宿のランプが消えて

能登半島の突端にある一軒宿・ランプの宿。
私も行ったことがありますが
ランプの語らいには波の音が似合っていました。

ロウバイの花が満開である。
生前、目の見えない私の母はこの匂いが大好きだった
そんな母への忘れ得ぬ後悔を詠んでみた。

  語れども 語りつくせぬ文字あふれ 母の句集を出せばよかった 〈杉作〉

亡き母の唯一の趣味が短歌で
宮 柊二さん主宰の「コスモス」の熱心な同人でもあった。
その作品もかなりの数になるので
生きている間に句集を出してやりたいと弟と話していたのだが
その間もなく慌ただしく旅立ってしまった。
母の喜ぶ顔を見たかったが、今となっては空しい限りである。



センター試験

2018年01月13日 | 日記

凍てつく寒気の中で
スイセンの花が香しく匂い立っています。
この時期、ぜひ推薦したいです。

ダジャレを言っている場合ではありません。
東京ではただ「寒い、寒い~!」と言っているだけですが
新潟あたりでは積雪で電車が立ち往生。
大勢の乗客が何十時間も車内に閉じ込められる事態で
雪の怖さあらためて痛感しました。
東京に大雪が降ったのは何年前でしたか・・・
♫ 雪やコンコンなどとブログでも大はしゃぎしたものですが
ホント、恥ずかしい限りです。〈笑〉

この週末はセンター試験ですね。
受験生にとっては人生最初の関門でしょうか。
オジサンの世代はセンター試験も共通一次もない時代で
受験といえばすべからく「一発勝負」でした。
失敗すれば自動的に浪人決定というあと腐れのなさでしたが
では、あれが人生の関門だったかと言うと
そんなことは全くないんですねえ。
オジサンはせっかく入った大学を途中で退学してしまい
その時点ですでに人生の落後者でしたが
関門と言えばむしろその後の方がずっと多かったような気がします。
齢六十を過ぎた今だってさまざまな関門が待ち構えていて
ホント、気の休まる間がありません。

陽だまりの中で
サクラの蕾がちょっと膨らみ始めていました。
まさにフライング状態でこれからが本当は長いんですよねえ。
受験生の皆さんにはぜひ「サクラサク」の朗報が届いて欲しいものです。
かくいう我が家にも約一名の浪人生がいて
捲土重来を期してふたたびセンター試験に挑みますが
結果はともかく〈それが大事ですが・・・〉
雌伏一年の努力をなんとか実らせていただきたいものです。
雪国の受験生は大丈夫でしょうか。
この週末だけは穏やかな天候であって欲しいものです。



君たちはどう生きるか

2018年01月12日 | 日記

歴史的な名著だそうである。
発売以来わずか4ヵ月でミリオンセラーを記録した。
あの池上彰さんや宮崎駿監督も
青春時代に大きな感銘を受けた書物だそうである。

私も一応、読んだ記憶がある。
高校生だったか大学に入った年だったか
亡くなった父親に勧められて岩波文庫を手に取ったのだが
書かれている内容の説教臭さについて行けず
途中で放擲したような気がする。
そんな教条主義的な本がなぜ今になって
80年もたった今になって100万部も売れているのか?
サッパリわからず首をひねるばかりだが
まあ、漫画なら話のタネに読んでもいいかなという
ごく軽い気持ちで購入した。

確かにマンガだから読みやすい。
主人公の「コペル君」と「おじさん」の二人語りで
世の中のさまざまな真理を学んでいくというストーリー展開は
ほぼ原作のままのような気がする。
ちなみに「コペル君」は天動説を唱えたコペルニクスのことで
おじさんが甥っ子に名づけた仇名である。
ちっぽけな人間の存在は分子のようだという「人間分子論」から始まり
ニュートンの法則、経済学の重要性、ナポレオンの偉業と
真理追及の話題は多岐に渡るが
その根底には「自分の生き方を決めるのは自分自身だ」という
人間のあるべき永遠不変の真理がある。
この本はもともと旧制中学の学生向けに書かれたそうだが
当時の旧制中学は教養主義の砦のようで
生徒たちはコペル君のように勉学意欲にあふれていたと言う。

コペル君とおじさんのやりとりは
時として往復書簡の形式になっていて読みごたえがある。
中でも「貧困」と「差別」の問題にはかなりのページ数が割いてあり
現代の「格差社会」に通じるものがあって興味深かった。
おじさんのモデルは原作者の吉野源三郎氏である。
児童文学者であり雑誌「世界」の初代編集長もつとめた
なかなかの人格者だったと聞く。
治安維持法下の閉塞感にとざれた暗い時代に
反戦の立場から若者たちに「自由」と「自立「」を説いた。
このおじさんのような人生の師がいたら
私ももうちょっとマシな人間になれたのではないか?
などとないものねだりを思う。

それにしてもなぜこの本が売れているのか?
もちろん「名著がマンガで読める」という気楽さもあるが
やはり描かれた時代背景が
現代に通じるものがあるからではないだろうか。
君たちはどう生きるか?
私も明日からセンター試験に挑むわが家のピアノ小僧に
試験が終わったら聞いてみたいと思う。