まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

浅利慶太の功罪

2018年07月20日 | 日記

演出家の浅利慶太氏が亡くなった。
劇団・四季の創始者として
日本にミュージカル文化をを根づかせた最大の功労者。
という評価が定まっいるのだが・・・

私は劇団四季のミュージカルを見て
面白いと思ったり感動したりしたことは一度もない。
人間が猫に扮したりライオンの恰好したりして
舞台を飛び回るだけのバカ騒ぎの芝居で
ずっと違和感を覚えつつ最後は欠伸すら出て来る始末だった。
もともとミュージカルが苦手ということもあるが
ああ、いい芝居を観たなあ・・・
というしみじみとしたカタルシスを味わことは一度もなかった。
ブロードウェイで成功した舞台の翻訳劇を
バカ高いロイヤリティーを払って日本に持ち込むというビジネスモデルは
日本のミュージカルを駄目にした元凶ではないかとさえ思う。
ひたすら大作主義、商業主義、ロングラン主義で
食うや食わずだった演劇人を貧乏から解放した功績は大きいが
それ以上でもそれ以下でもないと思う。
演出家と言うより偉大な「ミュージカル商人」であった。

一度だけインタビューをしたことがあった。
何の番組かは忘れてしまったが
どこかの企業がお金を出した劇団四季のPR番組だったと思う。
なにせカリスマであり天皇であり絶対君主だったから
ピリピリしたムードが稽古場には漂っていた。
印象を一言で言えば実に「尊大で怖い人」であった。
質問には丁寧に答えてくれたが
あんたそんなことも知らないのかという態度がミエミエで
インタビュー終了後も不愉快な思いばかりが残った。
途中で番組を降りることさえ考えた。

 



私の知人・友人にも劇団四季出身者が何人もいる。
ほとんどが短い間の在籍者で
劇団四季出身というのをある種のステータスには利用するが
演出家への感謝を口にする人はほとんどいない。
劇団四季では役者は舞台の歯車であり多くは使い捨てである。
意に反する者は遠慮なく斬って捨てられる。
あれだけ大勢の役者を湯水のように使い捨てにしながら
今も生き残っているのは市村正親ぐらいだろうか。
役者を見出す、育てる、という点では全く功のない人であった。
演劇人は一般的に権力とは一線を画すものだが
むしろ権力にすり寄るタイプで
それを利用して大企業をスポンサーに華やかな舞台をつくった。
金にあかせた希代の「興行師」などとと言ったら
さすがに言い過ぎだろうか。
浅利慶太の功罪と言いながら悪口ばかりになってしまった。
でも、彼の死によって日本のミュージカルは
新たな方向に向かうのではないだろうか。