まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

オウムが葬られた日

2018年07月07日 | 日記

日本列島が記録的豪雨に見舞われたその日。
あの男の死刑が執行された。
オウム事件の首謀者・麻原彰晃〈松本知津夫〉である。
やはり遅きに失したという声が多い。

3年ほど前に小菅の東京拘置所を訪れた。
別に面会者がいた訳ではないが
オウム事件20年という節目の年でもあったので
あの男が収容されている建物を
一目見て置こうという多分に興味本位だった思う。
かつては東条英機など多くの戦犯も収容され
現在は死刑確定囚や凶悪事件の未決囚が収容される建物は
実に巨大で頑強だった。

新聞の扱いはさほど大きくはなかった。
世の中の意識はもうすっかり「過去の事件」になってしまった。
麻原彰晃という名前さえ知らない人が多いと思う。
公判を前に「これは私の人生をかけた戦いだ」と嘯いていたのに
その後、彼は一転して沈黙の人となってしまった。
詐病を装って何一つ子細
をを語らず
結局、サリン事件の真相は今日までずっと闇のままである。
そんな愚劣な宗教指導者がいるか!
だ命が惜しいだけではないか!
拘置所の建物を眺めながら激しい怒りがこみあげて来た。

地下鉄サリン事件の発生時はまだ大阪の住人だった。
テレビの衝撃的なニュースを見ながら
真っ先に「東京は怖いところだな」と思った記憶がある。

その程度の凡庸な感想だから
無差別テロ事件という認識もなかったような気がする。
もともとは小さなヨガ教室から始まったと言う。
その後、狂
信的なカルト集団として
オウムの名はたちまち世を賑わすことになるのだが
それとサリン事件とを結びつけるような鋭敏な発想もなかった。
むしろ二ヵ月前に起きた阪神淡路大震災の痛ましさに心を奪われていた。

私にはオウム事件を語る能力も資格もない。
ただ、一つ言えることがあるとすれば
「オウム事件」と「阪神淡路大震災」が
同じ年に起こったということは
決して偶然ではないように思えるのである。

1995年に発生した大災害と大事件。
もちろん二つの出来事の間には何の因果関係もはないのだが
起こるべくして起こったと思えてならない。


高度成長とバブル経済を追い風に極限まで成長した都市文明も
自然のエネルギーの前にはひとたまりもなかった。
巷間「こころの時代」と言われながらも
既成の宗教はことごとく魅力を
失い無力だった。
そこに麻原が掲げる「魂の救済」という狂気が登場した。
利発な若者たちが夢中になるのも当然かも知れない。

それはある意味、日本の戦後50年の価値観を打ち砕こうとする
麻原の歪んだ「挑戦」だったのではないのかとも思う。
オウムは葬り去られたが
その後も亡霊は生き延びるような気がしてならない。