まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

敬老の日に思う

2017年09月19日 | 日記

昨日のFacebook では
台風一過の空の画像が圧倒的に多かった。
それに比べて「敬老の日」にふれた写真や記事は
ほとんどなかったように思う。



まだまだ若いと思っていたが
私もそろそろ老人と呼ばれる年齢に近づいて来た。
最近は地下鉄通勤をしているせいか
以前は見向きもしなかった「優先席」に平気で座るようになった。
気持ちはともかく体力的にはもう老人かも知れない。
その優先席でバカ面をした若者が長い足を放り出して居眠りをしていると
無性に腹が立って蹴っ飛ばしたくなってしまう。
年々、気が短くなって来たのも加齢のせいかも知れない。



人間が「枯れる」のは悪いことではないと思う。
さまざまな人生経験を経て
世の中の「酸い」も「甘い」も噛分けた上で
初めて人にやさしく思いやりを持って接することが出来ると思う。
こうした人間の枯れ方を一般的に「円熟」と呼ぶ。
しかし、いまの社会は必ずしも円熟を必要としていないのではないか。
一億総活躍社会などと看板だけは立派でも
その実、年寄りはドンドンと社会の片隅に追いやられて
持て囃されるのは若者ばかりである。
非正規労働者が全労働者の4割をこえるといういびつな社会で
その大半が中高年という厳しい現実がある。
安倍首相が言う「働き方改革」などしょせん絵に描いたモチである。



これはタイザンボクの枯れ葉である。
枯れ色に独特の光沢があってどこか「いぶし銀」の趣がある。
出来ることならこんな年寄りになりたい思うのだが
どうも血の気が多くて難しい。〈笑〉
それにしても・・・
いかに多くの人々がその技術や経験や人格にふさわしい
人生を送っていないかと思う。
ただ若ければいいのか!と怒鳴りたくなる。
うーん、何か気の利いたことの一つでもと思ったのだが
結局、いつもの愚痴になってしまった。〈笑〉