まろの陽だまりブログ

顔が強面だから
せめて心だけでもやさしい
陽だまりのような人間でありたいと思います。

無言館が語るもの

2017年08月15日 | 日記

皆さんは「無言館」をご存じだろうか。
長野県上田市郊外の高台にたたずむ小さな美術館。
私がここを訪れたのは5年前の夏だった。



戦没画学生慰霊美術館と言う。
第二次世界大戦で戦死した画学生たちの慰霊のため
美術評論家の窪山誠一郎さんと画家の野見山暁治さんが全国を回って
戦没画学生たちの遺族から遺作を蒐集した美術館である。
戦中の「学徒出陣」では一般の学生とともに
多くの美術学校の生徒たちも出征し、そして二度と帰って来なかった。



館内は昼間でもひんやりとしている。
その静寂の中、モノ言わぬ「遺作」たちが私たちを迎えてくれる。
東京芸術大学を中心とした若き画学生たちの作品の数々。
享年27歳、享年23歳、享年29歳・・・
最年長でも30歳になったばかりで年齢を見ているだけで胸がつまる。
展示される絵画は何も語らず「無言」ではあるが
見る側に多くを語りかけるという意味で命名されたと聞く。



数多い自画像に混じって、女性を描いた作品が目立つ。
母親、姉や妹、恋人、そして妻・・・
誰もが万感の思いで「愛する人たち」を絵筆に描きとめた。
学生だけにまだ未熟な作品も多いのだが
そうした芸術的な価値観とは全く別次元の「真情」があふれている。
私は何度も絵の前で涙があふれそうになった。

美術館に庭に「記憶のパレット」と名付けられた
大理石造りのモニュメントがある。
戦没画学生の名前とともに授業風景の写真が刷り込まれている。
これはデッサンかなにかの授業だろうか。
学生たちがそれぞれイーゼルを立て創作に励んでいる。
実に平和で満ち足りた時間が流れている。
何よりも絵が好きで、画家で身を立てることを夢見る若者も多かった筈なのに・・・
つくづく戦争とは残酷で無慈悲なものだと思う。

館長の窪島誠一郎氏の言葉が心に残っている。
戦後72年が経ったいまも
戦火はまぎれもない地球上の現実である。
明日にでも日本にミサイルが飛んで来るかも知れないという状況の中で
愛だ平和だと、ずいぶん甘っちょろい話ではないか!
そんな意見も聞こえて来そうだが
だからこそ「一枚の絵を守る」ことの意味をあらためて考えたいと思う。

美術館の庭から見る
上田盆地・塩田平の風景はじつに牧歌的である。
向かいの山の麓あたりが別所温泉だろうか。
今日は「終戦の日」である。
72年も経つと「戦争」を思い続けることも至難ではあるが
せめて今日一日ぐらいは戦争の悲惨さを
胸に深く刻みつける日であって欲しいなどと思うのである。