太田進研究室

太田進研究室の日々の出来事やその時に感じたことを記録していきます。また家庭での生活もつれづれに書いていきます.

留学の動機と決意するまで

2009-03-22 | 研究留学回想録
 今思い返しても留学の動機としては、あまり高尚なことは思い当たりません。「なぜ留学しようと思ったのですか」とよく聞かれますが、実はすっきり答えられないなあとよく感じています。

 私が大学生の時に語学留学した友人がいました。私はその時になぜそんなことをするのかと疑問に思ったことを覚えています。つまり若い時には、興味がないどころか行きたくないぐらいの勢いだったことが分かります。今思い起こすと就職して5年目頃に留学を意識して休職できないか、事務に聞きに行ったところ休職は処分だから留学目的では使えないと教えてもらったことを覚えています。

 私の中では、そのころから何かほかの理学療法士と違うことがしたいという思いがあり、またこのまま理学療法士を続けて行こうかとも悩んでいた時代でした。他の理学療法士と違うことの一つが留学でした。留学したい気持ちもありながら、遅々として進まない留学計画に半ばあきらめの気持ちもありました。というよりも留学に対する強い意思が欠如していたと思います。ちなみに今は理学療法士で本当に良かったと思っています。

 そんな気持ちの中で留学のモチベーションが高まった出来事が1999年にありました。横浜で行われた理学療法の世界学会(WCPT)にポスターですが参加したことです。全く英語もしゃべれず、ポスターの前に人が来ると目をそらしていました。これではいけないと思い、自分から話しかけましたが、自己満足のみで相手は苦笑いだったと今では思います。その中で海外招聘講師の講演後にある日本人が英語で質問していました。「かっこいい」と思ったことを鮮明に覚えています。どうも、英語がしゃべられるようになりたいと強くその時に思いました。いろいろ考えてみると留学の一番の動機はこの「英語をしゃべることができるようになりたい」であったと思います。

 結局留学はそれから3年もあとになります。その間は迷う気持ち、簡単にいえば踏ん切りがつかない状態でした。そのため留学できない理由を自分で延々と考えていました。(例:今自分がいないと職場や患者さんが困るから→みんなのために留学はあきらめようなど)

 そんな中、背中を押してくれてたのは研究留学の魅力と可能性を話してくれた2名の整形外科医と家内でした。家内がまずいつ留学するか決めようと強くいうので2002年4月と留学する日にちを決めました。2000年の秋のことでした。職場には1年半後に留学するので仕事を辞めることを伝えました。留学しないわけにはいけない状況を自分で作ってしまったわけでした。まったく当てもないのに。


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