鈴木すみよしブログ

身近な県政にするために。

田子の浦港に1/100の富士山が出現

2018年02月23日 | 議会活動

 

平成30年2月23日(金)

 

 田子の浦港の入り口付近西側にある、「ふじのくに田子の浦みなと公園」に、交流拠点施設のシンボルタワーが完成し、主催者である静岡県知事、富士市長と両議会議員、国の関係者、地元住民代表などが出席し、完成式典が開催されました。

(式典会場とシンボルタワー)


 

(シンボルタワーは「ドラゴンタワー」と命名。姿は龍が天に昇るよう)


 このシンボルタワーは、元々、地元の皆さんが公園内に要望していた富士山の1/100の姿を実現することが困難なことを受けて、県が様々な検討をしてきた中で、景観を重視し、地元の要望に応えられるよう富士山の容姿の築山の上に展望台となるシンボルタワーを設置して、海抜37.76mを実現したものでした。シンボルタワーは斬新なデザインで、そのデザインを担当したのは静岡文化芸術大学の学生達でした。この課題を取り上げてきたのは、今は亡き遠藤栄元県議で、地元と県の間に入り、地元の強い要望を県議会の本会議でも取り上げ、熱心に知事に訴えていた姿は忘れられません。私も県議になってなってから、その推移を見守ってきただけに、この完成には地元の一市民として大変喜ばしいことではありますが、この完成を待たずにして、昨年1月に遠藤氏が急逝され、この姿を直接見ることができなかったことは悔やまれるところです。今日の式典には、奥様が遠藤氏の遺影を抱き出席されていましたが、知事をはじめ、多くの方々のあいさつの中に、幾度も彼の名前が出てきたことで、改めて偉業を成し得たことへの感謝とお礼の気持ちが伝わってきました。

(シンボルタワーの展望台から見た、田子の浦港と富士山)


(デザインした静岡文化芸術大学の元学生達と知事、私も入って記念撮影)


(シンボルタワーの全景)

 

 このプロジェクトの歴史は、かつて田子の浦港の浚渫土の処理において、搬出先が見つからず、この公園の下に安全対策を講じて埋設することから始まりました。高度成長期の負の遺産である未処理の工場排水は、港の周辺住民に公害という形で負担を強いてきました。駿河湾に注ぐ田子の浦港には市内各地からの工場排水が集まり、健康被害も発生するなど、当時の状況を伝える報道には大変厳しい内容が記されていました。その後、公害対策が推進され、今では多くの汚染物質が除去されるなど、大きく改善されていますが、残された最後の処理を、地元の皆さんの理解と協力により、地域内で実現できることとなり、その受け入れに対する地元貢献策として公園整備が行われることになりました。実施に当たっては、地元要望が盛り込まれ、その一つがこの1/100の富士山でした。

 

 平成17年に公害対策が開始されると同時に、「田子の浦港みなとまちづくり基本構想」が策定され、その翌年から本公園の基礎となる「富士シンボル緑地」に着手しました。基本構想は、「みなと」から市民を遠ざけてしまった反省から、多くの市民が参画し、富士市と協力して、市民とのパートナーシップのもと、富士山への眺望や工場夜景、シラス等、地域の個性ある発展をめざし、田子の浦港のウォーターフロントの魅力を最大限に活用して、「富士山が美しい海辺の交流拠点~マイタウンポート 富士田子の浦港~」を推進することになりました。

 

 市民活動を中心的に担うのは、「NPO法人みなと・まち育て田子浦」の皆さんで、今回の式典に合わせ、シンボルタワー周辺での記念植樹や、富士山を背景にした花壇づくりなどを行っていただきました。

 今後は、このNPOの皆さんがさらに多くの人達が訪れ、喜んでいただけるような活動を推進していくことに期待がかかります。

 

 なお、現在、港の東側の鈴川地区には同じような背景で、こちらはスポーツレクリェーションを目的とした公園が整備され、この春先頃から一部供用開始という情報もあり、半世紀にわたった公害の汚名を返上し、港と富士山の眺望を生かしたまちづくりが推進されます。かつては、公害の被害者だった住民の皆さんのご理解とご協力に心から感謝申し上げます。

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どんなに忙しくても 「びしゃもんさん」

2018年02月22日 | 議会活動

 

平成30年2月22日(木)

 

 今日から三日間、富士市の毘沙門天大祭が開催されています。対外的には「日本最大のだるま市」として名を馳せており、この大祭では、火の祈祷やだるま開眼祈祷などが行われ、特にお参りの後にはダルマを購入し、開眼祈祷して持ち帰ることが通例となっています。市内外の一般市民も、企業の経営者なども商売繁盛や安全祈願などで大挙して押し寄せます。

(毘沙門天大祭が行われている妙法寺境内)



(日本一のだるま市)

 

 大祭が行われる場所は香久山妙法寺といい、「聖徳太子の御作、開運の守護神像」があります。以下、寺の資料に寄れば、「今を去る千年余、山伏たちが寺裏の田子の浦海岸で水ごりを取り、海抜ゼロメートルから富士山に登った、その禊ぎの道場が当山の起こり」と説明しています。

 さらに、「三万八千坪の寺領は戦国時代に武田氏の東海道進出の砦となり、又これを受けて徳川頼宣公 (徳川家康側室お万様の御長子即ち徳川御三家紀州公)が長く駐留されたこともあいまって 『出世本懐の地』と呼ばれています。主神毘沙門天像は聖徳太子の御親作と伝わり『太子両肩上湧現の尊像』と言って聖徳太子の肩の上に立たれた像で 実に珍しい様式です。普通の像が悪鬼をふんまえているのに対し、この像は聖徳太子すなわち我々人間の上に毘沙門天王が立って常に護ってくださるという開運の『守護神像』であります。」と結んでいます。

 私が子どもの頃は、このような説明よりも大規模な縁日にだけに関心を寄せていましたが、改めて説明を聞くと毎年お参りに来ていることで、様々なご加護をいただいている背景が分かりました。

 

 私達地元の人は、通称、「びしゃもんさん」と呼び、この大祭の縁日に出かけることは子どもの頃から、何があっても優先事項でした。その頃の学校は地域行事に寛容で、特に、「びしゃもんさん」の大祭は特別日課となり、市内の多くの小学校において大祭の中日には半ドンとなり、子ども達は午後から家族と一緒に出かけていくのが当たり前の日課でした。

 

 吉原駅から毘沙門天までの約1kmの沿道両脇には露店が隙間なく建ち並び、境内の空き地には、今ではあり得ないことですが「見世物小屋」やサーカス、テント張りの臨時食堂が開設され、ヘリコプターの遊覧などもあり、子どもにとっても正月のお年玉を使うには絶好の機会となりました。しかし今では、だるまや祈祷は昔から変わっていませんが、ほかは露天が残るくらいで、しかもその規模はかなり縮小し、子ども達が喜んで行った私達の時代とは祭典の様子が大きく変わってきています。昔は、テレビゲームもなく、このような縁日が大きな楽しみでしたから、子どもの頃行った毘沙門天大祭の想い出は、かなり印象深く記憶に残っています。

 

 大人にとっては、お参りとダルマの購入および祈祷が主な目的で、帰り際に山門下の有名な飴菓子屋に立ち寄り、名物の菓子類をいくつか買い求めることができるので、昔と大きくは変わりません。

 どんなに忙しくても、大祭開催中のどこかで必ずお参りに行き、ダルマを買い求める習慣だけは今も変わりません。

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県政報告会にて

2018年02月21日 | 議会活動

平成30年2月21日(水)

 

 私達議員の使命には、県政における議会の関わりなどの報告会を通じた情報提供と県民からの意見聴取があります。

 私の場合は、県政報告という場を設け、直接県民の皆様にお集まりいただき、議員の立場で最新の県政について報告するとともに、その報告に対する質疑応答、特にジャンルを問わず質問を受け可能な限り応える機会を設けています。また、「らしんばん」という名称で、年4回開催される定例会後に発行する広報紙を作成し、それを配布して県政報告の代替えのほか、同じものを自分のホームページ上に掲載し、広報紙が届かない方も、インターネット上で見ることができます。さらに、ほぼ毎日、ブログにて議員活動をお伝えするなど、とりあえず、考えられる情報提供と意見聴取ができる体制は整えてきました。

 

 しかし、直接皆さんとフェイスto ファイスの報告会は大変貴重な機会で、いかに盛り上がっていただくか、少しでも満足していただけるか、話題の選び方などにも工夫を凝らさなければなりません。約1時間の予定で、20分間の報告と残りの30~40分に質疑応答の時間配分ですが、毎回、おおよそ20~30分くらいの時間オーバーとなります。時間オーバーの原因は、ジャンルにこだわらない質疑応答で、参加者から身近な話題を質問で受け、市や県、国などの関与にも触れながら説明すると、それぞれの機能が連携することで地域が成り立っていることが分かることも少なくありません。よく、「市政は分かるが県政の役割が見えない」などといわれることがありますが、私達がそれを丁寧に説明していないことが大きな原因であることは間違いなく、このような機会を捉えて少しでも県議会議員の存在を理解いただくことが必要です。県民の視点で問題を提起していただけるからこそ、それに基づく解説ができるからであり、このような膝を交えて議論ができるのは、報告会ならではです。

 

 今回の報告会では、ジャンルにこだわらない質問のなかに、本市が検討している「中核市への移行について」がありました。中核市になることで、どのようなメリットとデメリットがあるのか。県からの権限移譲や、それによる財政負担と財源確保、人材確保など、市と県の関係にも大きく関わるものだけに、私達のように県政の中で活動している立場から聞く内容は、市の担当とは別の視点で話が聞けそうだという期待感があったからでしょう。熱心に繰り返し質問され、膝を交えた報告会ならではの経験でした。

 

 手間はかかりますが、議員になった原点に立ち戻り、このような機会を増やしていきたいと思います。

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県議会2月定例会始まる

2018年02月20日 | 議会活動

平成30年2月20日(火)

 

 今年度最後の定例会となる、2月定例会が始まりました。この定例会では、次年度予算審議、2月補正予算審議、次期総合計画の最終案に対する審査が行われ、そのほかに代表・一般質問が予定されています。

 

 今日は開会に先立ち、全員協議会で次年度予算案に対する各部局長から概要説明が行われ、その後、本会議が開会され、知事から議案概要説明が行われました。

 

 次年度予算概要では、次年度から始まる次期総合計画の実現に向けた、新規事業が盛り込まれていて、今後10年間でどのような形になるのか、その始まりの施策として注目されます。

 

 平成30年度当初予算は、一般会計が1兆1,872億円、特別会計8,164億700万円、企業会計701億8,600万円で、合計が2兆737億9,300万円となり、前年度当初予算比3,331億3,900万円で19.1%の増となります。一般会計は前年度比186億円で1.5%の減となりますが、政令市への財源移譲により個人県民税所得割交付金が減少したことを除く実質ベースでは、64億1,000万円で0.5%の増となっています。20%以上変動した経費を見ると、義務的経費の災害復旧費が95億円余の19.1%増。今年4月からの国民健康保険事業特別会計の設置に伴い、特別会計への拠出金としたことで奨励助成金は1,194億円余17.1%減。繰り出し金は300億円余188.5%増となっています。歳入では、一般財源として県税が4,830億円0.2%増となっています。

 

 次期総合計画を実現するための組織変更では、新ビジョンをスピード感をもって実行するために政策推進と予算編成を一体的に行う組織や、県庁の働き方改革を推進する組織、次世代産業の創出や本県農業の競争力強化、東京2020オリンピック・パラリンピックおよびラグビーワールドカップ2019開催に向けた体制強化、誰もが努力すれば夢を実現し幸せを実感できる地域実現に向けた施策を戦略的に展開する体制などが整備されます。

 

 具体的な施策の展開では、危機管理体制では、東部・中部・西部・賀茂地域にそれぞれ地域局を設置し、危機事案を統括する危機管理監が配置されます。地震予知は国の見直しに合わせ、これまでと比べて不確実な地震予測に基づく情報となりますが、これまでの知見を生かし新たな防災対応を構築します。地震・津波対策では、計画が10年間のうち5年を迎えることから「地震・津波アクションプログラム2013」の進捗を確認し、遅れている取り組みには段階的、補助的な「ステップ目標」を設定し、新たにアクションを追加し避難対策の強化が図られます。

 住宅・建築物の耐震化は、木造住宅の耐震補強工事に対して、国と地方の助成により、1戸あたり最大100万円を支援する制度が創設されます。

 

 性犯罪・性暴力被害者支援では、被害者の様々な相談にワンストップで対応する支援センターを静岡市内に開設します。また、昨年の交通事故発生件数は30,244件で前年度比1,274件減少しましたが、さらに減少に向けて取り組みます。

 

 医師の確保では、「ふじのくにバーチャルメディカルカレッジ」の運営により、現在、192人の医学修学研修資金利用者が県内病院に従事していますが、引き続き、専門医研修プログラムを充実させるなどで確保に努めていきます。看護職員は、勤務環境の改善による離職防止や、県ナースセンターによる潜在看護職員の再就職支援などで育成と確保に努めるとしています。地域包括ケアシステムを機能させるためには、在宅医療の充実が不可欠で、これを支える看護師の育成にも取り組みます。助産師は、平成31年4月に東部看護専門学校内に助産師養成課程が開設されます。

 

 健康寿命の延伸を進めるために、社会健康医学を推進し、将来には大学院大学の設置をめざすとしています。

 

 地域で支え合う長寿社会づくりでは、認知症の早期発見・早期支援体制の構築の支援や、来年度から新たに認知症疾患医療センターの職員が認知症の方やその家族に出向いて相談する支援が始まります。在宅医療を支える地域の診療所に対しては、医療を行う有床診療所が、非稼働の病床を稼働するための取り組み支援が始まります。

 

障害者の共生社会の実現では、障害者スポーツの裾野を広げる取り組みや、文化芸術活動の支援する障害者文化芸術活動支援センターが開設されます。

 

 子育て支援では、子ども医療費の対象を18歳まで拡大します。少子化対策では、保育園や認定こども園の整備、保育人材支援ではキャリアアップ制度の普及をめざします。出生率の向上や出生数につなげるために、「ふじのくに少子化突破戦略の羅針盤」に基づき、市町が地域の実情に応じて実施する取り組みを支援していきます。

 そのほか、生活困窮世帯の子どもを対象に、生活習慣の改善や仲間づくり、学力を身に付け将来の夢や希望を育てる取り組みを、高校生世代まで拡大します。子ども達の居場所づくりの促進や児童養護施設や里親の元から就職や大学等に進学する子どもへの一時金支給が拡充されます。

 

 教育面では、企業で即戦力となる人材育成のための実学や専門性の充実の取り組みのほか、スポーツ科、演劇科、観光科などの新しい学科の設置も研究していきます。グローバル教育の推進、ICTを活用した教育の充実が展開されます。特別支援学校では、児童生徒数が増加していることから、施設の狭隘化対策や長時間の通学対策などが図られます。平成31年の夏までには、全ての普通教室に空調設備を設置することが盛り込まれました。いじめや不登校対策では、スクールカウンセラーやソーシャルワーカーの配置を拡充します。

 

 次世代人材の確保・育成では、多くの産業分野で人材不足が顕在化していることから、今後の人材確保や育成の方向性を示す「産業人材確保・育成プラン」が今年度中に策定されます。若者を支援する「静岡U・Iターン就職サポートセンター」の拡充が図られ、働き方改革や女性の活躍などの施策も推進します。

 

 産業成長戦略の推進では、「オープンイノベーション静岡」を中心に、地域企業を集中的に支援。マーケットニーズを捉えた売れる製品づくりや販路開拓などを協力に支援するとしています。

 新産業集積クラスターの推進では、医療健康産業、食品関連産業、光・電子技術を活用した産業において積極的な支援が図られます。

 新たな成長産業では、EV化や自動運転の技術革新支援、CNF(セルロースナノファイバー)では、静岡大学への寄付講座による研究開発と人材育成強化が。航空宇宙産業分野、海洋由来のマリンバイオテクノロジーなどによる産業創出に取り組みます。

 

 地域産業振興では、経営革新や生産性向上、経営基盤の強化を促進するとしています。IT活用に取り組む小規模企業に対する助成が拡充されます。経営者の高齢化や事業承継が困難で廃業に追い込まれることもあり、オンリーワンの技術やノウハウを次世代に引き継ぐ支援が行われます。

 

 農業では、AOI―PARCを拠点とし、オープンイノベーションによる飛躍的な生産性向上を図ります。また、GAP認証の取得による海外などへの販路拡大をめざします。また、消費者が求める農産物や商品を作るためのマーケットインの考え方を普及させるとしています。

 

 観光分野では、平成28年度の観光交流客数が1億5千万人超えたことから、自然や歴史に根ざした美しい本県の景観を生かし、東京2020オリンピック・パラリンピックなどを契機に多くの観光客が訪れる体制強化に努めるとしています。静岡空港の再整備やクルーズ船誘致、JR6社によるデスティネーションキャンペーンの展開など、観光振興のチャンスを見逃すことなく、様々な施策が展開されます。

 

 次年度、そして今後数年間は、全ての面において本県飛躍の大きな契機になることは間違いありません。議員としては、その行方をしっかりチェックし、より良い施策の実現を目指して責務を果たしていきたいと思います。

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韓国と静岡県の関わり

2018年02月19日 | 議会活動

平成30年2月19日(月)

 

 韓国平昌オリンピックが熱戦を繰り広げられていますが、後半を迎え次の日曜日には閉会式を迎えます。昨年のリオオリンピックが地球の裏側で開催されて、夜遅くや早朝などの時間帯に競技を観戦していたのに比べ、日本とほぼ同じ時間帯にある韓国は、競技が生中継で見られ、日本で見る観戦者にとって身体に優しい大会でした。

 フィギュアスケートの羽生結弦選手やスピードスケートの小平奈緒選手の金メダルをはじめ、全ての選手の活躍に心が躍らされ、オリンピック独特の高揚感を味わっています。

 

 今回のオリンピックはスポーツの祭典ではなく、北朝鮮問題も絡み政治ショーだという言い方もされていますが、確かにそのような側面は感じています。しかし、日韓関係には様々な懸案事項が横たわる中、選手達の活躍と彼らの口から発せられる国境を越えたスポーツマンシップを感じさせる言動は、誰からも高い評価を受け、特に日本の若い人選手達には競技後も感動させられました。これも国際関係が閉会後に良い方向に向かうきっかけとなれば幸いです。

 

 さて、静岡県は韓国にある忠清南道と自治体交流を締結し、様々な交流が進められています。私も、県議団の一員として忠清南道を訪問した経験がありますが、このところの国レベル、歴史認識などで大きな溝を認識し、ここしばらく距離を置いてきた感があります。昨年後半にも、議員団訪問の機会がありましたが、その気になれず、参加はしませんでした。そんな時期に開催中の平昌オリンピックは、私の気持ちを和らげる機会になったことは間違いありません。

 

 それと、私自身の認識不足で、これまでの静岡県と忠清南道のつながりにしっかりと目を向けてこなかったことに気付きました。それは、本県知事と駐日韓国大使との対談の記事のなかにありました。以下、静岡県総合情報誌の「ふじのくに」から引用します。

 忠清南道との歴史的縁と題して、「忠清南道は百済の故郷です。最後の都は扶余でした。百済は660年、唐と新羅によって滅ぼされました。百済復興のため、日本は援軍を送りました。白村江の戦い(663年)で唐・新羅連合軍に大敗しましたが、その戦いの直前、本県の庵原(現代漢字表記:現在の静岡市清水区)から、1万人の援軍が送られました。その軍勢の船が百済の人々を日本に逃がしました。百済の渡来人は律令制、都城制、国史の編纂などの国づくりの基礎を日本に伝えました。その中心人物は藤原不比等でした。(途中略)百済は滅びましたが奈良では復興したとも言えます。古代奈良の都づくりの恩人である百済の渡来人は、静岡の船で来日しました。百済の故地・忠清南道と静岡県には歴史的縁があります。」

 

 今の日韓関係には偏った面だけで議論しすぎではないかと思うくらいです。事実は事実として捉え、特に互いの誇りに思える面が事実であれば、それを基盤として付き合っていくことが大切のようにも思えてきました。

 もしかしたら、自身が聞く耳を持たなかったことに気付かせてくれたのは、今回のオリンピック開催と、若い日本の選手達の素直な言動だったかもしれません。

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