平成29年5月12日(金)
地域福祉の要となる民生委員制度は今年100周年を迎えました。そのもとになる「済世顧問制度」をつくったのは、私達地元の富士市(当時の富士郡蓼原村)で生まれた笠井信一氏です。彼は「民生児童委員の父」と呼ばれています。
笠井氏は、1864年6月19日出生後、地元の小学校から旧制静岡中学校、東京第一高等学校、東京帝国大学を経て内務省に入り、人々の生活に関わる仕事を担ったといいます。
明治41年(1908年)42歳の時に全国の知事の中でも一番若くして岩手県知事を任命され、大正2年(1913年)47歳で静岡県知事、大正3年(1914年)48歳で岡山県知事に就任しました。
岡山県知事であった大正5年、宮中で行われた地方長官会議で、大正天皇から笠井氏に質問があったそうです。その内容は、「県内で生活に困っている人がどのくらいいて、その人々が身を立てるようにするにはどうしたらよいか。」というものでした。岡山に戻り生活に困っている人々の調査をしたところ、県民の約1割がとても生活に困っていることがわかりました。また、その原因には、体が不自由なことや、働くための仕事がないことなど様々な理由があることがわかりました。
その対策として大正6年(1917年)に生まれたのが「済世顧問制度」という、行政だけでなく、それぞれの街に住み、思いやりがあり、社会奉仕の心を持った人達と協力して、生活に困っている人の手助けをする仕組みで、これが現在の民生委員制度のもとになった背景といわれています。また、昭和22年(1947年)に児童福祉法が公布され、民生委員は児童委員に充てられるようになりました。従って、現在では民生児童委員という呼び名が定着しています。
今日の100周年事業では、笠井信一氏の顕彰碑を維持管理している出生地域の方々への感謝状の贈呈が行われました。
(開会式の様子)
(記念講演の様子)
(パネルディスカッションの様子)
その後、社会福祉法人誠信会の理事長で曹洞宗玉泉寺の住職でもある、長谷川文徳氏による、「『有縁社会』~縁を結ぶネットワーキング~」と題した記念講演が行われ、さらに長谷川氏をコメンテーターとして、富士市民生児童委員協議会の会長、各地域委員の代表、地域包括支援センター所長らをパネラーに、高齢者、障がい者、児童などを対象に地域で福祉全般に関わる民生児童委員の活動と、地域福祉全般を支える地域包括支援センターの関わりなどについて、パネルディスカッションが行われました。
民生児童委員の皆様の活躍は私達もよく分かっているつもりですが、様々な課題も浮き彫りになっています。まずは、委員の高齢化対策が進んでいないことや、地域福祉の窓口となる地域包括支援センターの活用については、まだ6割台しか認識されていないなど、地域福祉の充実がさらに加速化することが求められている中、関係者のスキルアップのための支援策が早急に求められます。
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