常識について思うこと

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有限のエネルギーを巡って・・・

2006年09月17日 | 社会

今の世の中、快適に生きていくために不可欠なもののひとつに電力等のエネルギーがあります。現代社会は、エネルギーを抜きに成立し得ません。ところで、このエネルギーをめぐっては、さまざまな問題があります。

たとえば、一次エネルギー源の多くは、言わずとしれた石油。

この人類の快適な生活を支える石油の埋蔵量については、30年程前から30年で枯渇すると言われてきました。石油が有限であり、それが長く続かないことは、ずいぶん前から言われていることです。

石油情報センターによると、2005年末の推計で石油の埋蔵量は1兆2925億バレル。「石油があとどのくらいあるのか」という目安の一つとして、ある年の年末の確認埋蔵量を、その年の年間生産量で割った数値可採年数が用いられますが、それによると2005年末の可採年数は49年となっているそうです。エネルギー白書2006によると、可採年数はほぼ40年程度であるといいます。

新しい油田の開発や掘削技術の進歩などにより、可採年数は増えるという見解もあるようですが、いずれにせよ長くはもたないと考えるべきでしょう。しばらくは今の社会は持続できるから安心せよと言われても、そう簡単に安心できるものではありません。

逆に発展途上国のエネルギー消費の急増などを考慮すると、50年後の世界で、今と同じような生活ができるとは、とても思えません。またたとえ、石油を採り続けることができたとしても、地球環境に対する根本的な問題解決にはならないでしょう。石油を中心としたエネルギーに依存した生活を続けてしまっていては、現代の快適とされる人間社会の維持はおろか、大気汚染や温暖化、それらに起因する気象異常など、地球環境を維持することすらできません。地球環境の問題にまで発展をするということは、人類のみならず、地球に住まう他の生物に対しても、取り返しのつかない大きな被害を与えることになるのです。本当にそれでよいのでしょうか。

一方で、石油以外に原子力や天然ガスといったエネルギーもあります。近年では、エタノールなどの新しいエネルギー産業も生まれつつあります。これらについても、よく注視していかなければならないでしょう。

そもそも「オイルマネー」という言葉があるくらい、エネルギーは人類の生存に強く結びついており、そこには言うまでもなく世界規模の巨大な利権構造が存在していると想定するくらいは、してもよいのではないかと思うのです。

戦争が何故起きるのでしょうか。最近の例でいえば、イラク戦争。あの戦争の裏側で米国、あるいはブッシュ政権を動かしているのは誰でしょうか。このようなテーマについては、ちょっと情報を検索すれば、いくらでも出てきます。一部のマスコミでも、謎めいたストーリーとして、おもしろ、おかしく伝えたりしていますが、このようなことは、自ら情報を取りに行けば、いろいろと分かることが出てくるはずです。

「オイルマネー」という巨大な利権と権力を基盤として、世界を動かしている人々が存在するのか、しないのか。そんな人たちが存在せず、人間社会はクリーンで、そのような一部の人たちの意図によって動かされているわけなどないと、信じられるものなら信じたいところです。しかし、いろいろな情報をパズルのように組み合わせていくと、「オイルマネー」の存在を完全に否定することは難しく、むしろそう考えたほうが、合理的であると思えてしまうところが出てくるかもしれません。そして、もしそうならば、そのことときちんと向き合わなければならないでしょう。

最近、原油価格が上がり続けています。ハリケーンの被害、戦争による情勢不安定など、いろいろな原因が挙げられているますが、それらは事実でしょうか。実は、石油の埋蔵量に底が見え始めており、それによって原油価格が上がっているということはないのでしょうか。そんなことはないと否定されるかもしれません。しかし、本当に石油の埋蔵量が底をつき始めているとして、「オイルマネー」の人たちは、どのように情報をコントロールするのか、想像してほしいし、想像すべきだと思うのです。

例えば2005年、ハリケーンのせいで、原油価格が急騰したと、多くのマスコミが騒ぎ立てていましたが、本当にそうだったのでしょうか。ハリケーン被害の前から、既に原油は高騰を始めていなかったでしょうか。自分で調べてみれば、すぐに分かることです。

これからは、石油に頼らない新しいエネルギー産業が生まれるでしょう。それも事実です。しかし当然、そこには「オイルマネー」の人々も関わっているはずであり、また新しい勢力が、巨大な利権に群がろうとしているはずです。いずれにしても新しく開発されるだろうエネルギーも有限でしょう。有限のエネルギーを巡っては、必ず争いが起きます。その利権に群がり、独占しようとする人々により、戦争が引き起こされるでしょう。こうして、結局のところ、人類の悲劇は繰り返されてしまうのです。

大人たちは、今の世の中の問題を直視し、そこから逃げ出してはなりません。子供をもっている親ならよく分かることでしょうが、自分たちがこうした現実に向き合わず、子供たちが自分たちと同じ年齢に達する頃、その子供がまた子供をもったときに、明るい未来を語れなくなってしまっているとして、そうなることを知りながら、「何とかなるだろう」と他人まかせの人生を歩むことができるでしょうか。子供たちが大きくなって、未来に絶望したときに、今を生きている大人たちは、未来を生きなければいけない子供たちにどのように言い訳をするつもりでしょうか。「自分は、こうなることを薄々気付いていたが、何もしなかった」。よもや、こんな情けない言葉を吐くつもりはないでしょう。

今を生きる大人たちは、行動を起こさなければならないと思います。

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