常識について思うこと

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宇宙人としての自覚

2007年12月02日 | 異次元

あなたは、なに人ですか?この問いに、あなたはどう答えるでしょうか。
私には、いくつかの答え方があります。

「私は日本人です」
「私は地球人です」
「私は宇宙人です」

ちょっと違和感がある部分もあるかもしれませんが、これらはどれも本当のことです。とくに宇宙人と言うと、「地球外生命体」というイメージを持つ方も多いと思いますが、けっしてそんなことはありません。この宇宙に住んでいるという意味で、私は宇宙人だし、あなたも宇宙人です。

こんな話をすると、とても不思議がられるかもしれません。しかし、ひとつの世界が限界を迎え、人々の世界観や視野が広がってくると、人は自分をより大きな次元で定義するようになるのであり、こういうことは過去にも繰り返されてきました。

例えば、明治維新以前の江戸時代では、日本人は日本という国に属していながらも、各藩への帰属意識が非常に強く、人々は日本人としてよりも、むしろ各藩人として自らを定義していたようです。つまり長州藩であれば「長州人」、薩摩藩であれば「薩摩人」、会津藩であれば「会津人」といった具合です。そして、狭いとはいえ、その閉じられた世界がきちんと機能していれば、これらの藩への帰属意識から藩同士が憎しみ合い、争うということも起こるわけです。逆の言い方をすれば、お互いに争うだけの余裕があったということもできるでしょう。

しかし黒船来航以降、各藩が独自で国を治める体制には限界があると気付いた人々がいて、彼らはより大きな世界観を持つに至りました。そして、「日本」をひとつの国として捉え、これを中心に国家をまとめていかなければならないという意識から、以降、私たちは「自分は日本人」という概念を生み、自らをそのように定義するようになったのです。

さらに日本人としての意識が確立すると、日本という国をどのようにしていかなければならないかを考えるようになります。福澤諭吉が唱えた「脱亜入欧」というのは、賛否両論はありながらも、まさに自らを日本人として強く認識したときに生まれた当時の最先端ビジョンのひとつだったと言えるでしょう。そのビジョンは、世界の中で日本をどうするべきかという、日本人としての視点からの展望であり、その意味で彼には、その時代にして既に国際感覚を持ち合わせ、日本人から、国際人あるいは地球人としての意識が芽生えて始めていたと言うことができると思います。

こうしたことを考えたとき、現在、地球規模で非常に重大な問題が生じて始めている状況にあって、自分たちが地球人としてどう生きるべきかという意識が生じるのは、むしろ当たり前ではないでしょうか。「日本人」であるとか、「アメリカ人」であるとかいう国家を軸にした自己意識は、かつての日本人が、自らを「長州人」、「会津人」と考えていたのと同じです。今や国家に依拠した自己意識を乗り越え、「国際人」、「地球人」としての感覚は、世界中の人々に持たれて当たり前の時代に入っていると言えるでしょう。

そしてこのことは、福澤諭吉が日本人としての意識から、日本のあり方を考え「脱亜入欧」を唱えたように、私たちが地球人として、次の地球のあり方を宇宙レベルでどのように捉えるかについて、真剣に考えるべき時代に入ってきたことを意味していると思うのです。つまり私たち人類は、「地球人」からさらにその上の「宇宙人」としての自覚を持ってよいのであり、実際に宇宙に生きる存在として、「私は宇宙人です」と言ってよいはずなのです。グローバル化とか、ボーダレス化といった言葉が、当たり前のように使われており、その意味で「地球人」という意識があって、何の不思議もない現代にあって、さらに次の時代においては、「宇宙人」としての自覚が生まれるだろうというのは、至極自然な指摘であると思います。

「地球外生命体にも遭遇していないのに、何で宇宙のことを考えるのだ?」
「他の宇宙人も確認せずして、何故宇宙人としての自覚など芽生えるのか?」

こんな質問が聞こえてきそうです。そういう意見にも、一理あると思います。

しかし、今の私たちは、そもそも宇宙とは何かを知りません。現在、科学の最先端は、宇宙の成り立ちや正体を必死になって探しています(「「創造主」の正体」、「アイディアの重要性」参照。現代科学の現況について、専門的なバックグラウンドなしに要点の理解を促すものとして、前田恵一/リサ・ランドール(2007)「次元とは何か?~宇宙は何次元?~」『Newton』2008年1月号などもある)。この大きな謎について答えを出すことが、人類が宇宙人としての自覚をもつことに大きく近づくのではないかと思えてなりません。つまり、宇宙とは何かを知ったとき、また宇宙の成り立ちを知ったとき、自分たちが「その宇宙に生きる存在なのだ」ということは、自ずと強く意識できるようになるだろうし、そのときは自らを自然と「宇宙人」と呼ぶことができるだろうと思うのです。

逆説的には、私たちが宇宙人としての自覚を持つくらいでなければ、地球規模の問題は解決し得ないとも言えるでしょう。つまり、人類に宇宙人としての意識が芽生えることで、「私たちは宇宙人。私たちが宇宙の一部である地球のことを真剣に考えるくらいは当たり前」と思うことができるのであり、地球人全員がそのレベルに自らの意識を高めることで、真に地球規模の問題を解決することができるようになると思えるのです。

「宇宙人としての自覚を持つ」。まだピンとこないかもしれませんが、これからの時代を生きる人類にとって、自ずと生じてくる意識ではないでしょうか。

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2 コメント

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Unknown (タケル)
2011-02-04 17:01:12
私たちは、自分が暮らしている地球という星の範囲内でしか物事を考えられていないと思う。この地球を支配したとしても、宇宙から見てみれば、この星は小さな小国家に過ぎない。だから地球人同士がいがみあっても、意味がないと思う。自分たちは宇宙から見れば、ちっぽけな存在でしかない事を、自覚しないといけないと思う。
科学の進歩と共に (竹内一斉)
2011-02-04 20:59:33
タケルさん、コメントありがとうございます。
そうですね、おっしゃるとおりだと思います。科学の進歩により、昔に比べたら、宇宙を身近に考えられるようにもなってきました。私なりには、一人一人が、きちんと宇宙規模の視点を持つようになれる日も、きっと来るのだろうと思っています。

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