最近、何かと麻薬の問題が話題に上がります。麻薬は、一度その味を知ってしまうと、その感覚が脳に刻み込まれて、なかなか抜け出せなくなるというのが、怖いところだと言います。ところで、こうしたことは麻薬に限らず、いろいろなものについて当てはまることでしょう。
-おカネは麻薬だ-
こんな言葉を耳にすることがあります。おカネは便利なものですが、その力に魅せられ、それが忘れられなくなると、逆に振り回されることになるのです。その危うさを認知し、きちんとコントロールできるかは、非常に重要です(「道具の目的化の危険性」参照)。
先ほど、テレビを見ていたら、オリンピックは1984年のロサンゼルスから商業主義が始まったと言っていました。おカネの力を活かした商業主義というのは、そういう意味で、本来、慎重に始めなければならないものです。
ただし、残念ながらオリンピックについては、軽重はともかく、既に中毒症状は出ていると思います。オリンピックに限らず、何かと商業主義に走ってしまう社会、資本主義に依存しきった仕組みの中には、そうしたものが蔓延っていると言えるでしょう(「お遊びが過ぎたら」、「力技は続かない」、「仮面ライダーと商業主義」等参照)。
しかし私は、そうは言っても、人間には正しく生きようとする力、キレイになろうとする精神がきちんと宿っていると思います(「性善説と性悪説の決着」参照)。そうした意味で、私としては、オリンピックを含む諸々の動向を見守りつつ、人間が持つ自浄能力というものが、どのように働くものなのかについて、じっくり注目していきたいと思うのでした。
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