常識について思うこと

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アイディアと魔法の共通点

2009年12月24日 | 歌詞&台詞

「発想が面白いですね」とか、「そんなアイディア、どうやって思いつくんですか?」などと言われることがあります。こうした質問に対して、きちんとお答えするのは、なかなか難しいのですが、一応、私なりの感覚から言えば、アイディアというものはふと降ってくるものだと思っています。別の言い方をすると、ヒラメキということになるのでしょう。それは必ずしも考えに考え抜いて、「どうしよう」とか、「こうしてやろう」とかいう発想の延長線上に、アイディアが存在するわけではないということです。

そして、それが降ってくる原理を考えてみると、以下のように表現できるような気がします。

-愚痴を言わずに悩みを溜めると、アイディアは降ってくる-

以前の会社で、「貴方が真面目にやらないから、EC市場が政府の予測通りに立ち上がらないんだ」と叱られたことがあります。当然のことながら、私はその予測を行った当人ではありませんし、それを立ち上げる責任を負っている人間でもありません。今から、冷静に考えてみると、ずいぶんと理不尽なお叱りを受けたものだと思いますが、当時の私としては、そうしたお叱りに対して、素直に「そうですか、すみません」と返していましたし、実際、それを自分の問題として考えていました。そしてまた、今日現在も、それを自分の問題として考えています。

私にアイディアが降ってくるようになるまでには、こうしたことの積み重ねが大きく影響しているのではないかと思うのです。そして基本的に、そうした生き方を続けていくことで、アイディアというのは適宜、絶妙なタイミングで、降り続けてくるのではないかと思っています。

常日頃、そんなことを思っているなか、先日の「うみねこのなく頃に」にこんな台詞が出てきました。なかなか興味深いものだったので、少々長いですが、引用しておきます。

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右代宮家の長女としての様々な苦しみを味わってきた絵羽おばさんは、その鬱憤を妹の楼座おばさんにぶつけた。楼座おばさんは、自分の鬱憤を娘の真里亞お姉ちゃんにぶつけた。そうしなければ、その苦しみから逃れられなかったから。

だからこそ、真里亞お姉ちゃんの魔法はすごかった。

彼女は、自分の怒りや悲しみを誰にもぶつけようとしなかった。すべて魔法で癒し、溶かしたのだ。右代宮家に続いてきた悲しみと苦しみ。いったいどれほどの長きに渡って受け継がれ、押し付けられてきたか分からない。その苦しみと悲しみの連鎖を真里亞お姉ちゃんの魔法は断ち切ったのだ。
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「あれ?ここで言う魔法は、私が言うアイディアと同じだ」と思ったのです。しかも、その苦しみや悲しみが大きくなればなるほど、背負えば背負うほど、魔法がすごくなっていくというところもポイントです。

これをアイディアと表現するのか、魔法と呼ぶべきなのかは分かりません。ただ、もしかすると、この両者にはとんでもない共通点があるように思ったのでした。

皆さんも、試されてはいかがでしょう?

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