ファミリーアシスト あすなろ教室(輝く瞳と素敵な笑顔を求めて)

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まずはやってみる

2007-11-15 | 育児
 今まで培った自分なりのやり方というものは、なかなか壊せないものである。新しいことをするにはかなり意思の強さが必要となる。ところがやってみると案外スムーズにできることもある。自分の殻をやぶり新たな世界に飛び出すことで子どもたちにも新しい芽を育てられると思えば、少しは気持ちも楽になる。失敗を恐れないで何事にも挑戦してみようと子どもに話す教師自身にも挑戦が必要なことはいくらでもある。
 最近、同僚の話やこの場のメッセージから「やってみたよ。」「使ってみたよ。」という言葉をいただくことが増えた。我々教師は、理論家ではなく、実践家だ。まずはやってみる。大変申し訳ないことだが、日々子どもたちを使って自分の実践力を高めている。これがベストだと思いつつも失敗しながら毎日を過ごしている。生きている子どもが目の前にいるから失敗したからと言って挫折している暇もない。失敗したまま放っておくことはできない。すぐに次の手を考えなければならない。先生だからといっても聖人君子ではない。理想に燃え、よりよいものを追い求める努力や挑戦はしている。実践家はまず努力家と認められることだ。
<挑戦のきっかけ>
 問題にぶつかったとき。新たな役を与えられたとき。人から依頼をされたとき。
 節目がきたとき。乗り越える壁が見えたとき。
<殻をやぶるきっかけ>
 目標を新たにし、高めに決めたとき。
 目標を見直し、高い(無理だ)と感じたとき。
 手だてがなくなったとき(見えなくなったとき)。
 子どもの姿が気になってもどうしてよいのかわからなくなったとき。
 子どもからの要求に応え切れなくなったとき。
「何とかなる」「今のままでも問題はない。」と考えるか、「このままでいいだろうか。」「本当に問題はないのだろうか。」と考えるか。現実の見方の違いが挑戦するかしないかの違いとなる。
 自分を褒めてやれるとすれば、努力し続ける自分。結果は後から付いてくる。まずはやってみよう。子どもにも「まずはやってみよう。」
 「まずは、やってみよう。」・・・・こんな声がたくさん聞かれると生きるエネルギーが沸いてくる。ただ、壁を乗り越えるのは辛いし、苦しい。この気持ちをわかってくれる人が一人でもいると楽になる。
「ねえ。一緒に頑張ろうよ。」(この場がそんな場になればいいなあ。)

問題を起こした子だけが悪いわけではない

2007-11-14 | 育児
学級に起こる問題は様々。またその原因も様々である。いじめもその一つ。いじめる子を許さないという構えでいじめる子を叱り指導することは当然であるが、いじめをいじめる子だけの問題と捉えていてはいけない。同様にけんかでも暴力行為であっても、遅刻や忘れものであっても問題を起こした子だけの問題として捉えていてはいけない。個の問題を個の問題と捉えるだけでなく、全体の問題と捉える目が集団を作る上ではとても大切になる。
<問題を捉える視点>
・問題を起こしやすい環境になっていないか。
・問題が起きる原因を作りやすい学級の雰囲気はないか。
・問題を見逃しても平気でいる仲間になっていないか。
・自分の問題と捉えず、他人事にしていないか。
 問題行動を起こした子どもを個別に呼んで指導しているだけでは、学級として指導すべきことが置き去りにされてしまう。これがもぐらたたきをする原因になり、なかなか指導をしても変わらないという状況を作り出してしまう。問題が起きてからでは遅い。起きる前に手が打てると考えたい。そこで、問題が起きた時に、「私が気づけば、問題が起きなかった。」「声をかけていれば、もっと別の取り組み方があったはず。」「やめようよと声をかけていれば、やめていたかもしれない。」
「こうしたらと助けていたら、問題が起きなかったかもしれない。」「もっと親しくしていれば、困らせずにすんだ。」「気持ちを知っていれば、助けることができた。」などと、仲間としてできることをできるだけ考えさせ、次の機会に実行できることは自分にないかを見つめさせることが集団を高める指導になる。
 一つ一つの問題をみんなで考えながら解決していくことで問題が起きにくくなる学級になっていくのだと考える子どもにする。
例 落とし物が多い
・落とし物が多くても気にならない環境になっていないか
 教室が乱れていて物が整理されていない。
 仲間が物を落としても平気でいる。
 物を大切する指導がされていない。
・落とし物が多くなる原因を作りやすい雰囲気がないか
 物に名前を書かない。落とし主を捜さない。
・落とし物があっても平気でいる仲間になっていないか
 落とし物を拾わない。落とし物を届けない。
 よく落とし物をする子に注意を払わない。
・落とし物を自分のことと捉えず他人事として捉えていないか
 自分の落とし物ではないから関係ないと考える。
 落とし物をした子は困るだろうなと考えない。
<自分にできることはないか?>
 整理整頓をすること 物に名前を書くこと 物を大切に扱うこと 使ったものを元の場所に戻すこと 落とし物を見つけたら拾って届けること 「落ちたよ。」と声をかけること 落としたら拾ってあげること 落とし物をして困っていないか心配すること 等
 物をよく落とす子へ指導をするだけでなく、「これから自分にできることは何かな。」とか、「どの子もできるようになったら学級から落とし物がなくなるね。」などと子どもたちに働きかけることで子どもたちの落とし物への意識を高めることができる。
 目の前に起きた問題を集団を育てるためのチャンスととらえ、じっくりと考え、自分にできることはないかを子どもたちに見つめさせたい。

学級のまとまりを何で見るか

2007-11-13 | 育児
 教師は、「この学級はまとまっている。」「まとまっていない。」とよく言うが、中で生活している子どもたちが同じように感じているかどうかは別である。
 学級を見つめる目をもっている子どもがまとめようという気持ちがあると、まとまりがよいとか悪いとかと考える。しかし、自分の回りの人間関係しか見ていない子どもにとってみれば、学級集団のまとまりはそれほど重要な問題ではない。
 こう考えると学級集団は教師の構え次第で作られることがわかる。学級の目標に向かってみんなで頑張ろうという気持ちを強く持たせ、日頃の活動にその目をもたせ、成果が上がるようにし向けていかないとなかなかこの目は育たない。みんなで頑張った成果が目に見ると子どもも見やすい。次の2点から学級のまとまりを見たい。
○全員が揃うこと
 全員の目が話し手に集中する。
 合図一つで誰も話さず静かになる。(合図しなくても)
 全員が挙手する。
 全員が集まる。
 全員の物が揃う。
 全員が集中して作業する。など
○揃うまでの時間
 例 話し手に集中するまでの時間を指で数える。
   活動の取りかかりの早さ(始めの合図ですぐ動く)
   活動の終わり(やめの合図から終えるまで)の時間を指で数える
   提出物が全員揃う日数を調べる。
※「記録として残しやすい。」「共通の話題にしやすい。」「7~8割の子どもができそうなこと。」を考えて学級に合った取り組みを選ぶ。
 「学級が仲良くなると早く揃うようになるよ。」と声をかけながら、変化を楽しむ。叱るのではなく、子ども同士で何とかしようという構えを作り出したい。何とかしようと声をかけたり、友だちの世話をしたりする子が一人でもいれば見つけ、時間短縮に貢献したことを褒めたい。(何とかしようと行動しても時間短縮にならなければ貢献にならないことも伝える。・・・注意し合いうるさくなって時間が余計にかかる場合など)貢献する子を増やしながら、よりよい貢献の仕方を示していくと子どもも教師の願いに合わせて動くようになる。(注意は身近な人にみんながする。声を出さないで注意をする。自分ができたら、すぐに近くの友だちを見る。等)みんなの力で早く揃うようになったと喜び合うと益々力をはっきするようになる。(注意し合ったから早くなった。友だちの注意を素直に聞いたから早くなった。みんながすぐにその気になったから早くなった。早くなったから次のこともたくさんできた。等)
 あれもこれもと欲張らないで1つのことにこだわり毎日続けて、成果を上げる努力を繰り返すことの方がよい。(例えば、まず話し手の方を全員が集中して見ることだけを毎時間繰り返し、その成果をみんなで楽しむ。これでよしとなったら次に終わりの合図でみんなが早く揃うことに挑戦する。)
 欲張り過ぎると集団に縛られている気持ちが強くなり、意欲が減少し、させられている気持ちが強くなる。あくまでも個があっての集団。一人一人を生かすために集団があることを忘れない。集団のために個が犠牲になっては大変。(本人が自分が犠牲となることを貢献だと考えて行動することとは違う。)
 焦らず学級の実態に合わせてじっくりと取り組む方が学級をまとめあげる近道となる。2学期のこの時期を逃してはもう後がない。この時期に手を抜くと学級をよりよくしようとする子どもよりも、惰性で生活し続けてこれでよしとする子どもが増えてくるため集団の伸びが悪くなる。

休日の使い方

2007-11-12 | 育児
 完全学校週5日制になって10年以上の月日が流れてきた。土日の過ごし方についてもかなり受け皿が用意され充実してきたように思う。
 しかし、まだまだ、「子どもが何もせずに休日を過ごすことが多く困っている」という保護者が多い。そして、学校生活では味わえない体験や仲間作り、親子関係を充実させるための大切な時間であるにも関わらず、うまく時間を使えない子どもがいる。
 土日の過ごし方については、平日以上に保護者の影響が大きい。その保護者に対して学校週5日制の意義を伝えていくための学校教育の果たす役割は大きい。
 土日の過ごし方に配慮をしている保護者は、自分で土日の過ごし方についての情報を何らかの形で収集している。しかし配慮の少ない保護者は自ら情報を収集することは恐らくない。例えば、PTA行事、地域行事、各種団体や教育関係機関が行うイベントなど土日を充実させる活動を紹介する情報は学校を通じて家庭へ流すことができる。
 生きる力を育む場としての家庭や地域の生活を充実させないと学校への依存度が今後益々高くなってくるように思う。土日に塾へ子どもをやり、学校教育の補充に当てていれば安心している保護者もいることを考えると生きる力を育まなければならないはずなのに学力低下の問題のため影に隠されてしまいそうである。
 連携はするものの学校ですべきことは学校でし、家庭ですべきことは家庭でし、地域ですべきことは地域でするという構えは崩したくない。
 そのためにも家庭へ帰ってからの生活を充実させる家庭への働きかけを怠らないようにしたい。

話したから、わかるものではない

2007-11-11 | 育児
 よりよい方向に導くために子どもたちに話をすることがある。話をした後に「わかった?」と確認をし、うなずいたり、「はい」と返事をしたりすると安心してしまう。しかし、話したことの100%わかったと思うと大きな間違いである。この割合を低くする原因は、話し手にある。
<留意すること>
・わかろうとする気持ちにさせているか。(聞く(聞かなくては)の雰囲気を作る。)
・子どもに分かる言葉を選んでいるか。(日頃子どもが使っている言葉に置き換える。言葉の説明をする。)
・子どもの分かる早さに合っているか。(ゆっくりめに、少しずつ切って)
・話の内容が具体的であるか。(抽象的な言葉はそのイメージにずれが生じる)
・一文が長くなっていないか。(一文を短くし、間を取る。)
・一度に多くの内容を話していないか。(一度に3つ以上の内容は避ける。)
 「声が小さい。」「わかったかどうかわからない。大きな返事をしなさい。」「はいと言いなさい。」などと話した後に返事を強制することは、教師の自己満足でしかない。多くの声が返ってくると安心をし、子どもに伝わったと誤解してしまう。最悪、「ちゃんと話したでしょ。」と分からなかったあなたが悪いと子どもに責任を転嫁することにもなる。
 子どもに伝わったかどうかは、話を聞いている時に「どの子もわかってね。」とわかってほしいという願いやサインを送り続けなければならない。
 「ここまではわかったかな。」「言ったことわかる?」「聞いていないと困るよ。」「聞きたいことはない?」「聞いていない子がいるから、もう一度話すよ。」「○さん、今話したこと話してごらん。」「△さん、○さんに先生の話したこと言ってみて。」「○さんの言ったことは、先生の話したことと一緒?」等
 教師が一生懸命にわかってほしいという気持ちを伝えれば、こどももそれに応えてくれる。それが「先生の気持ちがわからないから」、「先生は私たちのために話してくれるから」、「先生の話は大事な話だから」などという思いになり、子どもが教師の話を大切に考えてくれるようになる。
 教師と子どもとの間に「わかってほしい」(教師)と「わかろう」(こども)という関係が出来上がっていれば、話せばわかる関係ができあがる。一方通行では話したから、わかるものではない。

できて当たり前にしない

2007-11-10 | 育児
 「きまりは守って当たり前。」「約束は守って当たり前。」「この程度なら、できて当たり前。」「学習したからできて当たり前。」・・・それができなければだめだと考えていると見なければならないものが見えなくなる。(試合を観戦せずに試合の結果だけをみて勝ったと喜んでいることと同じ)
 努力をせずにできるようになることは少ない。少なからずどの子もできるようになるために努力をしている。その努力の仕方にその子らしさがある。結果だけを見ているとその子の努力は見えないし、その子らしさも見えない。また、つまずいたとき、何が原因でつまずいたのかも見えない。 
 目指すゴールを示しただけで、のほほんとしていると「なぜ、できないの?」「何をしてたの?」と後からできない子を叱ることが多くなる。できるまでに必死になって「どこでつまずくだろう。」「どのようにできていくのだろう。」と子どもの努力を見ていると、感心したり、発見したりすることが多くなる。それは子どもを褒める材料探しにもなる。できない子を一人でも救う時間ともなる。見ていれば、「なぜ、できないのか。」の答えも見えるし、「何をしていたの?」と聞くこともない。担任であれば、つまずきの多い子やできるまでに時間のかかる子は事前に分かっている。のほほんとしていてる暇はないはず。
 できて当たり前にしていると次第に子どもから離れていく。そして、子どもを見なくなるし、見えなくなる。子どもに寄り添いできるまで見守るからこそ、安心して子どもは失敗ができるし、挑戦することもできる。(観客がいて初めて試合が成立する。観客がいなくても試合を続けるだけの強さを子どもに要求するのは酷。)

 マラソンでいうならば、ゴールに立って子どもを出迎えるのではなく子どもの頑張りを応援しながら伴走し、一緒にゴールを目指したい。

失敗させないか失敗させるか

2007-11-09 | 育児
 同じ対象であっても見ようとしている目が違うと見えるものも違う。当たり前のことだが、見える目をたくさんもてるようにすることが教師の指導の幅を作ることになる。
 子どもの具体的な姿のイメージが同じでも、その姿を作り出す過程まではなかなかイメージできない。この過程は教師の力量に任されていることが多い。
 うまくできるようにできるだけ、余分なものは取り除くことがある。
これはある面、効率よく指導の効果を上げるためには必要なことになる。しかし、遅くても余分なものを取り除かず、失敗しながらうまくできる方向へ導くこともある。
 余分なものを余分なものとして子ども自身が見ることができれば、余分なものがあっても気にならなくなる。時には余分なものをうまく使って新たな取り組みを生み出し、効果を上げることもある。大切なことは、子ども自身の目的意識が確かなものになっていることと教師が指導の見通しをもっていることだ。
(例1)興味関心のあるものにすぐに飛びつき、しなければならない活動が後回しになる。
 →興味関心のあるものを取り除くか興味関心がなくなるまで待つか
(例2)手順の記録をきちんと読まないでことを進めてしまう。
 →活動を止めて手順の記録を読み直しをさせてからことを進めるか、ことを進めて失敗し、手順の記録の誤りを振り返えらせるか
(例3)約束を守らないで勝手な行動をする。
 →約束を守るように指導し勝手な行動をさせないようにするか、勝手な行動をして失敗しさせ、失敗の原因を振り返らせるか。
 自立に向けて今の行動だけでなく、今後の行動がよりよくなることを期待しながら今の指導をしているのが私たち教師である。 
 子どもの発達段階や指導の見通しの中でどちらにすることがよいのか使い分けられることが教師の力量であり、一方だけの指導しかできないことは指導としては不十分だと思う。 一方だけの指導では、「先生の言うとおりにしていれば安心だ。」また、反対に「先生は私たちのやりたいようにやらさせてくれる。」などという子どもが生まれやすい。
 時には厳しく戒めることも必要だし、時には子どもの自主性を生かすことも大切になる。子どもに合わせてうまく使い分けられるようになりたい。

信じているよ

2007-11-08 | 育児
野外学習も終わり、大変充実した気分で終えることができた。
めあてに向かって一生懸命に取り組む姿を多く見つけ、充実した2泊3日を子どもと共に過ごすことができた。
 目標まで届かない姿もあるが、目標を目指そうとする意欲のある姿には、心を打たれる。
 この子たちならきっと次がある。次の機会にはきっと壁を乗り越えるだろうと予感が走る。「信じるよ。」の言葉にきっと応えてくれる子どもたちに見えてくる。
 10人が10人応えてくれなくても気にならない。全体としてそう思える雰囲気を感じる。期待に反した姿が見られてもきっと裏切られたとは思わないだろう。そんな雰囲気を作り出す子どもたちへのプレゼントの言葉が「信じるよ。」なのだ。

 明日からの子どもたちの生活が楽しみに思える野外学習になった。

子どもが好きなわけ

2007-11-07 | 育児
自然の中で子どもたちと一緒に過ごす機会を得た。自分を見つめるゆとりの時間になっている。
 教師は、子どもが好きでなければ勤められない。私が長年教師を務められたのも子どもが好きだからだ。なぜ、子どもが好きなのか問いかけてみた。
 子どもは可愛い。無性に可愛い。見ているだけで嬉しくなる。
 子どもの笑顔を見ると気持ちが明るくなる。
 子どもが悲しい顔をしていると私にできることはないかと心が動く。
 子どもが元気に動くと、元気な自分が現れる。
 子どもの真剣な姿を見ると応援したくなる。
 子どもの思いがけない言葉から新たな自分を発見することができる。
 子どもの優しい声かけが心を優しくしてくれる。
 子どもが危ない目に遭いそうだと守りたくなる。
 子どもが助けを求めてくると何とかしなくてはと心がはやる。
 子どもが悪に引かれようとすると正義感が顔を持ち上げる。
 子どもといると純粋な自分になれる。
 子どもは私の思いを未来に運んでくれる。
まだまだ、子どもへの思いがわき上がる。あと1泊2日、子どもたちと一緒に楽しいひとときを過ごし、子どもと一緒にいる楽しさを味わおう。

異なる集団に合った自分作り

2007-11-06 | 育児
 集団が大きくなると1つのことがなかなか徹底しにくくなることがある。全校の子どもたちに向かって、「静かに座りましょう。」「静かに立ちましょう。」「目をこちらに向けて聞きましょう。」などと言ってもすべての子ができているわけではない。できていてもいなくても次に進んでいく光景をよく見かける。ここで、やり直しをさせるかさせないかが大きな分かれ道となる。集団が大きくなったからその集団のルールに従おうなどとは子どもは思わない。日頃の学級での自分がそのまま出てくる。それを全校で集まったときにも通用するかのように動いている。
 それぞれの集団に合ったルールを示すことは子どもが集団生活をする上でとって大切なことだ。このことを大人の世界で考えてみるとよくわかる。それぞれの社会にはそれぞれのルールがある。職場が違えば、職場に合ったルールがある。また、映画館に入れば映画館に集まった人に合った過ごし方をする。図書館に入れば図書館に集まった人に合った過ごし方をする。
 どの社会(場)に出ても通用する力が身に付いていれば適応できるが、そうでなければ適応するのに時間がかかったり適応できなかったりする。
 場に応じた対応ができるかどうかは、その場を意識させるかどうかが分かれ道となる。意識させないとできるようにはならない。(マナーを教えるとははまさにこれだ。)
 全校で集まったときには、全校という集団のルールに合わせること。学級で集まったときには、その学級集団のルールに合わせること。小グループで集まったときには、そのグループのルールに合わせること。まずは、場に応じた自分にすること・・・・・郷にいれば郷に従えとはよく言ったものだ。(集団のルールを作るのはその後だ。まずはルールに従うこと)
 だから、全校で集まったときに静かに座れない姿を見つけて、やり直しをさせて指導することは、全校という集団に合ったルールを示し、そのルールに合った子どもを育てることに他ならない。指示するだけで指導しなければ、全校という集団に合った子どもを育てていないことになる。
 日頃からどの集団でも通用する姿に育てていればその心配はないが、育てていなければ、それぞれの集団に合わせた指導をしなければならない。集団の違いに合わせて指導ができることは、それぞれの集団の質を高められる教師だと思う。

聞く力を付けながら話す

2007-11-05 | 育児
 落ち着いた環境の中で学習することが子どもの学習の効率を上げることになる。騒がしいところでは集中力を欠き、なかなかじっくりと考えることもできない。「静かにしなさい。」と注意するのもそのためである。しかし、この静かさの程度の感じ方が教師によって異なる。「多少騒がしくても元気なクラスがいい。」と考えていても、人が話をする時には私語をせず、集中して聞ける学級にしておくことは最低必要である。人の話に反応して話し出すことはよくある。反応を楽しみながら話を進めることもよくある。しかし、反応して話し出したことでどんどん自分の世界にのめり込んだり、反応した仲間の話題に乗って話し手の話題から逸れたりすることがあると収集がつかなくなる。これでは、話したいことが子どもに伝わりにくくなる。教師の話術によってうまくコントロールできることは確かであるが、これを磨くには経験が必要となる。話術のうまさとは別に子ども自身に聞く力を付けるという構えをもって話すことは、教師だからこそできることだと思う。それをせず、話したいことを一方的に話しているうちは未熟だと考えたい。
・他事をしないでいるか。私語はないかを確認する。(音が出ない状況にして話す。静かになるまで待てないで話すかどうかで静けさが違う。)
・声や音が出る場合は、出ない状況を作る手だてを打つ。(静かにして聞く姿勢ができている子を褒める。静かになるまで待つ。「静かにしなさい。」と小声話す。静かにする合図を送る。静かにしながら仲間に注意する方法を教える。等)
・聞き手が話を聞く構えができているのかを確認しながら話す。(話をしながら聞き手の聞く構えに気を配る。話を途中で切る。途中までの話の内容を確認する。話をしながら注意を促す。聞き方のよい子を褒める。合図を送りながら話す。等)
・話し終わったときに評価をする。(話しやすかったと話す。言い直しをさせる。挙手で確認をとる。返事をさせる。質問する。等)
 話術を磨くよりもまず、これだけのことができる教師になりたい。

人権感覚を磨く(聞く)

2007-11-04 | 育児
 自ら考えた子どもが、自らよりよい判断するための材料を集めるのも学びである。自分の考えに不安があるとき助けを求めるために聞く。自分の考えがよいかどうか問うために話す。仲間の考えを聞き自分の考えを改めたりよりよいものにするなど個々の学びがある。(授業の展開部)ここでは、自分勝手に学びを進めることはできない。互いの考えを聞きながらよりよい考えを自分の中に作り出す作業がある。その活動を支える教師の役目は大きい。
 自分に自信があり、正しいと考えている子の中には、仲間の考えを聞こうとしない子がいる。(「わかっているのになぜ話し合いをしないといけないのか?」と考える子)逆に、自信がなくてみんなに付いていけないと諦めている子も仲間から学ぼうとはしない。そして、自分の世界にいることが多い(「どうせ私にはできない。」「やってもできない。」と考える子)。いろいろな子どもがいる中で、どの子にも仲間と一緒に学習を進めることのよさに気づかせなければならない。
<仲間と一緒に学習すると>
・仲間と関わることで自分の判断が確かになる。(自信がもてる。)
・自分の判断が仲間の役に立つ。
・判断していく過程は様々であり、1つではないことが分かる。
・判断する材料が少ないと誤った判断をすることがあることも分かる。
・判断できないでいる自分なら、何が足りないのかが見えてくる。
・判断するための見方や考え方が見えてくる。
・判断するまでの跡をたどれば自分でも判断でき、見通しがもてる。
 教師自身が子ども一人一人の考えを尊重し、判断する材料を一つ一つ提供してくれているととらえ、ねうちを語ることが大事になる。
・子どもの発言の後に「いいです。」と一斉に言わせるのは間違い。いいかどうかをみんなでどう判断するか決めることが学習だと伝えたい。(すでに子ども自身が判断していて、話し合う必要がない。「あの子と一緒だ。私の考えでいいのかもしれない。」「他の子はどう考えたのだろう。」と考えさせたい。)
・「人の話を聞きなさい。」ではなく、「どの子の発言も聞くだけのねうちのある発言。だから、聞き逃してしまってはもったいない。」と伝えたい。(もったいないと思わせるだけのねうちを仲間の発言について語れる教師でないと発言に魅力を感じない。)
○話を聞かないことは、自分を大切にしていない姿だと伝えたい。
(仲間を理解しようとすることが、仲間の判断の仕方を学ぶことになり自分を太らせる機会となる。「せっかくいろいろな考え方を学ぶチャンスなのにそれを自分でなくしている。自分をもっと大事にしなさい。」と伝えたい。)
○立ち止まってどの判断が自分に役立つのかを考えさせたい。
(「仲間の歩みと自分の歩みを比べたり、参考にしたりするとよりよい考えが出来上がるよ。」と伝えたい。)
○誰のどの考えが誰に役立つかは分からないことを伝えたい。
(「あなたの考えたことが仲間の役に立っている。素晴らしいことだ。」と伝えたい。)
 まして、教師が子どもの判断を聞かず、教師の判断だけを子どもに伝えていては子どもの学びは成立しない。
●「○さんの考えでいいです。」「その通りです。」ではなく、「このように考える子が多いね。」「こう考えていいのかな。」となる。
●「他には」でなく、「○さんは、こう考えたけど、他の子はどう考えているの?」となる。
●「教科書に書いてあるから」でなく、「みんなの考えをまとめると教科書のように考えていいかな。」となる。
 子どもの学びには判断ミスもある。その判断ミスも子どもにとって大きな学びの一つだ。道草をしながら、道に迷いながらゴールすることはいくらでもある。ゆとりを欠くと子どもに考えさせずに一番近道を教える教師になる。何気なく授業の中で使っている言葉の中に子どもの判断の邪魔をしている言葉がありそうだ。(ここは仲間と練り合って考えさせるところであって教えるところではないと意識しないとなかなか言葉は変わらない。)聞ける教師になりたい。

人権感覚を磨く(書く)

2007-11-03 | 育児
 自ら考え判断し、行動する子どもは自立に向かっている。一人一人を大切にするということは、その子の自立の歩みを大事にすることに他ならない。まずは、自分の考えがどの子ももてるようにすることがその一歩となる。書くことは、考え作りの大事な手だてとなる。この表現力を高めることで自分の考えに自信をもたせることもできる。子どもの表現力は大人ほど洗練されていないため未熟なことが多い。自分の考えを100%出し切れていないと考えて対応したい。そこで次の点に留意して指導に当たりたい。
・書く時間を十分確保しているか。(学級全体の9割の子ども書ける時間は確保したい。残りの1割は個別指導をするつもりで当たる。机間指導をしながら、書き具合を探りながら時間を調整する。書かせる内容や量もこれで決まる。)
・書く内容を作り出すための助けとなる情報を与えているか。(子どもにとって分かりやすい資料、解決の手だて、目の付けどころなど考え作りの助けになるものを用意すると安心して考えを作ることができる。)
・書く内容が的確に表現できるための方法を伝えているか。(ノート作りは根気よく毎日の積み上げによるところが大きい。学習過程に合わせたノートの記述の仕方、色や線の使い分け、定規の利用、矢印や枠などの利用などは教えないとなかなかできるようにはならない。)
・丁寧に書くことの大切さを指導しているか。(自分さえわかればよいという考えで書いていてはよくない。書いたことを自信をもって見せられる自分にしようと努力させることが自分を大事にすることになる。字のうまさではなく見てわかってもらおうとする丁寧さがあればその思いは伝わる。)
・書いた内容を大切に扱っているか。(書かせ放しにしていないで、必ず評価(授業中に朱を入れる。集めて評価するなど書いたことに評価を加える等)する。また仲間との交流の場を設けることで子どもは互いに認め合い、刺激を受けたり、自信をもったりする。十分書けない子に個別に対応することも子どもに「見捨てていないよ。ちゃんとあなたの事も考えているよ。」とアピールすることになる。)
・見本を示しているか。(具体的に作り上げるノートが分からないとできない子どももいる。見本を示すことで分かる。まず、教師自身ができるのは板書の表現は重要。日頃の授業の積み上げが子どものノートの見本となる。仲間のノートを紹介することも有効である。紹介された子の自信にもなる。)

 書く時間はじっくりと自分を見つめる時間になる。
「じっくり考えるあなたが素晴らしい。」「逃げずに何とかしたいと思っているその思いが素晴らしい。」「自信がなくてもできるところまで頑張ろうとするその気持ちが素晴らしい。」と、子どもたちに伝えたい。そんな子どもを大切にしたい。

人権感覚を磨く(挙手)

2007-11-02 | 育児
 子ども一人一人を大切にした授業をしようと努力することは、教師自身の人権感覚を磨くことに他ならない。集団を対象に一つの教育活動を行うときにどれだけ個を意識して事を進めていけるかが勝負である。授業でよく使われる挙手について考えてみる。
<全員挙手を目指す>
 全員が挙手しなくても、数名が挙手していれば挙手している子を指名して授業を進めることはできる。しかし、これでは挙手しない子どもを置き去りにしている。挙手しない子の中に挙手できない子もいる。これは、分からない子どもがいても平気で進めることができる授業になる。
 どの子も挙手できる状況を挙手の前にどれだけ配慮したかがその人の人権感覚となる。次のような働きかけをしたい。
○挙手についての意識を高める働きかけ
 「考えをもった(作った)証拠になるよ。」
 「考えを作るまでの自分の努力の成果だよ。」
 「授業に向かうやる気をしめすことになるよ。」
 「聞き手の願いに答えようとする思いやりのある姿だよ。」
○挙手する内容を作るはたらきかけ
 「困っていることがあったら教えて、助けにいくから。」
 「前の学習を思い出してみるといいよ。」
 「これに似たことはなかったかな。」
 「この資料(道具)を使ってみたら?これから考えてみたら?」
 「お隣さんの考えを参考にしてみたら?」
○挙手への意欲を高める働きかけ
 「あなたらしい考えだよ。自信をもっていいよ。心配しなくていいよ。」
 「考えをもったことに間違いはないんだ。」
 「あなたが何を考えたか知りたいんだ。」
 「あなたが考えたこと(内容)を発表しないと誰も知らないよ。」
 「考えたこと(内容)のねうちは発表しないと分からないよ。」
 「勝手に自分でねうちを決めてはだめだよ。」
 「聞いているから話してご覧。いいぞ。うまく話せるね。それなら安心だね。」
○挙手を促す働きかけ
 「どの子の考えも大事にしたいから、あなたを放っておけないよ。」
 「もう少し待つから頑張って。」
 「挙手する子がどんどん増えていくね。1、2、3・・・すごい。」
 「よく頑張ったね。挙手できたね。まずは挙手できることが大事。」

 全員挙手を目指していると必ず手を挙げていない仲間を心配する子どもが生まれてくる。「どうしたの?」「何か困っているの?」「これ使ったら?」などと挙手しない仲間に働きかけをしたり、「先生、○さんがまだ挙手していないから、もう少し時間をください。」「先生、まって。まだ○さん考え中だよ。」と教師に要求をしたりする子どもがいる。こんな子どもの声が聞こえるとみんなで一緒に分かろうという雰囲気で学級が動き出す。ここまで子どもの意識を高めないと学習する集団にはならない。自分が分かればいいという考えをもっている子どもでは、こんな働きかけはできない。
 教師の一人一人を大切にしたいという思いが子どもに伝わったから生まれた姿だと思う。