満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

JAZZ WARRIORS 『AFROPEANS』

2008-08-19 | 新規投稿

<ポストコルトレーン>という言葉でそのポジションについてよく議論があったのは80年代までだったという気がする。90年代以降、そんな言い方さえ、されなくなったのはある意味当然と言えるかも知れない。コルトレーンを継承するサックス奏者など生まれようもないのだし、世界はその存在の巨大さをコルトレーンの死後、数多のサックス奏者を見る事でますます実感する事になったのだから。
コルトレーンの死後、しばらくの間、ポストコルトレーンと目されたアーチーシェップやファラオサンダース、70年代後半はデビッドマレイがそれを期待され、80年代は新伝承派に対抗するニューアバンギャルドとしてのM-BASS派も台頭した。更にメインストリームでのデイブリーブマンによる‘探求’やテクニカルな‘接近’としてのマイケルブレッカー、あるいは<北欧のコルトレーン>ヤンガルバレクやヨシコセファーなどヨーロッパ圏のコルトレーンフリーク達の‘精神性’等が、<ポストコルトレーン>という評価軸を形成した。しかし、多くの人がそれらの音楽的限界とコルトレーンと比較する事の空しさの方こそを実感していただろう。コルトレーンに近い音楽すら存在しないという現実を思い知る事だけが、サックスをめぐるジャズの現実だった。

コートニーパインの『modern day jazz stories』(96)の衝撃は何であったか。
ジャマイカ移民のイギリス人。クラブ系ジャズ。私の注意、期待値はコートニーパインではなく、むしろ客演者であるジェリアレン、チャーネットモフェット、カサンドラウィルソンという当時、台頭したアメリカの先鋭ミュージシャンらのプレイであった事を告白する。しかしこのアルバムは私の先入観を打ち砕いた。しかも、全く期待していなかった<ポストコルトレーン>をここに発見した事が驚きであった。他のいかなるサックスプレイヤーからも感じ取る事ができなかった程の濃厚なコルトレーン色を事もあろうにこの英国のサックス奏者は醸し出していたのだ。当時、(我慢して)聴いていたM-BASS派やロフト系、ヨーロッパフリー等が色褪せていき、私は関心の対象をコートニーパインにシフトした。
しかし、その後のコートニーは方法論を二転三転させる多様な活動へと至る。クラブ系、自身の出身ルーツであるレゲエ、そしてアメリカジャズのメインストリームへの参入を試みた正統派ジャズへの回帰。更なるワールドミュージックへの反転。しかしその多彩な音楽性が、いずれも『modern day jazz stories』の重みには至っていないのは事実だろう。思うに『modern day jazz stories』の奇跡的な音楽性はコルトレーン的テーマ(歌)とアドリブの相互の応酬という要素にあり、それが欠落した他のジャズとの距離を大いに見せつけるものだった。そしてその要素の継続的培養が意外に困難である事を図らずもコートニー自身の以後の活動によって自らが証明してきた事も皮肉な事実だと言えようか。

コルトレーン的テーマ(歌)はサックスのみならず、ジャズ全体に見られる大きな欠落である。その意味で<コルトレーン以後>という言葉を使ってその死をジャズの大きな分節点とした嘗ての批評は正しかった。それはサックスという限定された器楽パートにおける技術革新の問題点ではなく、表現の根幹、ソウルに関わる大きな問題だったのだから。
ではなぜ、コートニーパインが96年というクラブミュージック世代の英国で創造した『modern day jazz stories』がコルトレーン的なテーマ=歌を持ち得たのか。私はそれをかろうじて起こりえた奇跡であったとしか思えないのである。

『modern day jazz stories』以前のコートニーパインもコルトレーンの影響下にあった。しかしその<オーソドックス時代>におけるコートニーの端正な演奏が、モードジャズを前進させる試みよりも、むしろ過去の遺産の継承と保守というニュアンスに覆われているのを感じる時、同時に数多のアメリカジャズの保守性(コルトレーンの影響を受けたと自称する多くのプレイヤー)と同じ均質性の域を出ないものとも感じられる。それはよくある‘熱き’ジャズを超えてはいなかった。『modern day jazz stories』に於いてそのコルトレーン性が顕在化したのは、コートニーのめくるめくアドリブや<歌>であり、同時に楽曲のフォーマットの斬新性であったか。ジャズ編成にターンテーブルのスパイスが程よくミックスされるそのスタイリッシュ感覚が決して演奏の原初性、熱さを損ねる事なく、逆にグルーブの倍増に貢献していた。この作品の素晴らしさはいま聴いても決して色褪せることはない。

JAZZ WARRIORSはコートニーパインが組織したビッグバンド。新作『AFROPEANS』は奴隷売買廃止法成立200周年の記念イベントでのライブ録音である。音楽コンセプトにもアフリカがあり、その現実に密着するテーマを扱うメッセージ色も濃厚にある。そして音楽性は完璧さを誇り、各々のソロも際立つ素晴らしさを発揮している。スティールパンを多用した海洋色とパーカッション群によるアフリカ内奥の呪術性をイメージさせる音象が連続的に現される。極めてスケールの大きい表現だ。コートニーは作曲と音楽監督に重きを置き、そのサックスによるコルトレーン的なアドリブが影を潜めているのはいつもの事。いや、それを期待する事の間違いを私は悟る。あれは一時の瞬間に生じたマジックだった。そしてこのJAZZ WARRIORSで露見される<アフリカ>にコルトレーンの晩年期に於けるアフリカ志向を重ね合わせる無理も確認する。もはや両者は関係ない。むしろコートニーパインは彼だけにしかできないオリジナルを創造している。

2008.8.19
コメント
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