満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

DEE DEE BRIDGEWATER 『RED EARTH』

2008-02-18 | 新規投稿
      
1曲目の「afro blue」の斬新なアレンジにジャズボーカルの全く新しい地平を感じるも束の間、2曲目以降は全てアフリカ志向に統一され、既にジャズを超越したディー・ディー・ブリッジウォーターの境地を悟り知る。
ルーツを捜す旅に向かった彼女が辿り着いた故郷とは果たしてマリであった。彼女の確信は音楽で表現される。現地ミュージシャンとのコラボレーションという外来者的スタンスから更に踏み込み、共通の霊感を感受しながらの共同体的意識の元に歌う。いわば車座の状態で奏でられるシャーマニズム音楽の宴を彼女は繰り広げた。

カッワーリーとの類似性はアフリカへのイスラムの浸透という文脈で理解して良いのだろうか。ディー・ディー・ブリッジウォーターの驚異的な歌唱力、表現力故に可能となった器用なカバーリングと見るべきか、いや、この呪術的歌唱は彼女の覚醒による瞬発的マジックだろう。まるで、あのヌスラットファテアリファーンのような震えの持続を体現する彼女の歌唱の凄まじさ。アフリカ=アラブ文化圏の表現母体の連続性、広汎性を想起する。マリのミュージシャンの感性にあるのは‘強迫の反復に神を見る’リズムのミニマリズムというアフロビートのステレオタイプではなく、囀りのようなボイスや自然音の複合を空間的に表すもので、むしろメロディックなものを感じる。バンブーフルートの優しい音色や決して突出せず、しかし確かな鼓動が感じられるパーカッション群の響きの中に、幽玄の世界を感じる。リズムのグルーブも迫力よりも緻密、繊細というイメージだ。

ピアノのタッチに微かな‘ジャズ’が残存する。
しかしエラフィッツジェラルドへのトリビュート『Dear ELLA』(96)から随分、遠くへ来たものだ。エラを‘引き継ぐ者’としての自覚は、しかし彼女自身の抑えきれない探求心による路線変更に至った。ジャズボーカルの大御所を彼女はもはや捨て、未踏のオンリーブラックミュージックを創造したかに見える。ディーディーとカサンドラウィルソンを現代ジャズボーカル二強と認識していた私の愚かな事よ。両人ともジャズを逸脱しながら、現在進行形の大衆音楽を歌っている。いや、それこそが本来の‘ジャズ精神’だろう。

ディー・ディー・ブリッジウォーターの歌唱からジャズやソウルの保守性も想起される。それらは感情を歌いすぎている。内面過多なのだ。それが音に顕れる。ディー・ディーが実現したのは、そんな人間中心主義と自然観や宇宙へのベクトルが共存する歌世界だろう。
ジャンル化された‘ワールドミュージック’の辺境的保守性からも、アメリカンジャズ、ソウルの定住感覚からも、超越しながらより根源的な新種のブラックミュージックがここにある。

2008.2.17
コメント
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