満月に聴く音楽

宮本隆の音楽活動(エレクトリックベース、時弦プロダクションなど)及び、新譜批評のサイト

笠置シヅ子  『ブギの女王』

2008-02-07 | 新規投稿
    
美空ひばり、藤圭子、ちあきなおみ。
私にとっての‘御三家’が定まってもう久しい。途中、山口百恵、或いは青江三奈、桂 銀淑、山本潤子、高橋真梨子等が私を惹きつけ、御三家ならぬ四天王となるか際どい競り合いがあったが、結局、何れも退けられている。しかしその後、このBIG3を脅かす存在は思わぬ所から現れた。エネルギーの塊のようにシャウトする60年も前の大スター、笠置シヅ子だ。

YOU TUBEなんかで音楽を見る事に露ほどにも価値を置いていない私だが、笠置シヅ子の「買い物ブギー」のオリジナルフルバージョンを発見した時には感激した。それは衝撃に等しかった。CDでは削除されていた‘つんぼ’‘めくら’という歌詞の言葉がある事でこの曲の根本的なパワーが全く違っている事に気づいたのである。曲も新たなバースがあり、実際は更に長い曲だった事が判明。しかも‘わてほんまによう言わんわ’というサビにバックコーラス(掛け声)が重なっており、この曲のヒップホップ感覚が倍増されている。なぜ、以降のCD復刻はこれが採用されなかったのか。多分、このコーラスバージョンは‘つんぼ’‘めくら’という差別用語(今で言う)のあった原曲のみのワンバージョンだったのだろう。しかしこれが有ると無いのでは印象が全く異なるのは音楽の不思議な所。10回以上連呼される‘オッサン!オッサン!’のシャウトもこれがあってこそ生きてくるのであった。オリジナル、偉大なり。この見事な構成に圧倒される。ありがとう!YOUTUBE、と言うか投稿した人。

慌てるように買った3枚組CD『ブギの女王』。それまで持っていた簡易的なベストものは用なしとなり、売った。『ブギの女王』は笠置シヅ子の戦前期作品も含む最強盤。全編に尋常でないエネルギーがみなぎる。
53曲中、47曲が服部良一作品。多彩な楽曲を誇る服部だが笠置シヅ子への楽曲提供は全てがブギナンバー。彼にとってのブギとは新時代のリズムであり、今のロック、ヒップホップより先鋭なものだろう。そりゃそうだ。戦中、戦後期の洋楽の一般への浸透などたかが知れていよう。その異端性は推して計るものがある。ブギは大衆の陽性に火をつける爆弾的なものだったに違いない。

ところでこのブギとは何なのか。私は実はよく解っていない。昔、ステイタスクオーというハードブギーのバンドがあり、あのようなスウィンギーなロックンロールを想起させるが、リズム的には8ビートのみならず4ビートやシャッフルも含むような気がする。しかも服部良一は外来のブギーを日本の祭りのグルーブに通じるタメを基底にしながらそれをハイテンポに置き換える試みを通じ、和風ブギーの創出に成功したのだと思う。‘そのままやった’のではないところに昨今の‘なんでもそのまま直輸入’型の脆弱さがない創意工夫を感じる。(昨今、日本人がヒップホップやってもいいけど、カッコまで黒人真似る事ないのだ。カッコ悪い。余談)

いずれにしても服部良一がブギに特殊な生命力、時代を突き破るようなエネルギーを見出し、それを具現化、実体化する媒体として、笠置シヅ子の中に希有の存在性を見たのだろう。だからこそ、服部良一は笠置シヅ子への提供作品に関してのみ、その多くを作詞も自身で手がけている。なぜか‘村雨まさを’という変名で。しかしその歌詞がまた凄い。

「ブギウギ時代」(1948)

とかくこの世はブギウギ
猫もしゃくちも ブギウギばやり 
ブギを歌って八百屋へ行けば 
八百屋あわてて ネギをば出した 
これじゃトウキョウ ネギネギ 
ブギウギ ネギネギ ブギウギ 

とかくこの世はブギウギ
好きと好きなら 遠慮はいらぬ
ブギが取り持つ 二人の仲に
出来た子供がブクブク育つ
好きと好きとで ブギウギ

なんのこっちゃ。
この疑いなき肯定性の極みは何なのだ。
時は1940年代後半。戦後間もない日本の灰色の空に突き刺さるように響く笠置シヅ子の嬌声。アメリカの占領下にある我が国の一般のメンタリティとは‘自信喪失’だっただろう。食料は不足し、基幹産業は壊滅、GHQの巧妙な占領政策にはまる日本人。闇市での物資購入を余儀なくされ、貧困にあえぐ日々。娯楽の余裕などあるはずもない。なのにこの歌ときたら「ブギウギ時代」だ。‘とかくこの世はブギウギ、猫もしゃくちも ブギウギ’と脳天気に吠えている大口の女。いや、もはや脳天気を超えて春爛漫を大地に振りまくショック歌謡だ。しかも歌い方のパワーが桁外れだ。「ブギウギー」の箇所でノドを詰まらせたような男の声を醸し出す、この満面が口のような天才。

服部良一は自らの実験精神、遊び心を笠置シヅ子というマジカルボックスで奔放に試したのだ。奇妙な異言語を創りだし、それを笠置シヅ子のボイスを通じ、リズムの驚異感覚、ビートへの追走を世間に問うている。明らかに彼はこの時代、日本に何らかのメッセージを発している。作曲という‘要請されるお仕事’から離れ、彼は攻撃的姿勢を躊躇することなく貫いた。もしかしたら服部良一の膨大な仕事の中で、笠置作品こそが最もやりたい形だったのかもしれない。

バンジ バンジ バンジ バンジ バンジ バンジ バドダドダド ダドダドー
「ラッパと娘」
ヘイヘイヘイヘイヘイヘイ ラップダドダド ダドダダ
「ヘイヘイブギー」
ブッパー ブバップバ ブッパー ブバップバ バッドウデイ バッドウデイ バッドウデイバッドウデイ
「黒田ブギ」
ハーイハイ ハーイハイ ブッパブ ラットウラ バップバ ラットウラ ハッチャチャ ハッチャチャ
「ハーイ・ハイ」
シャンファン ラリララ シーサンライライ ショーハイライライ ニャンニャンライライ チャイナ チャイナ チャイナ チャイナ チャイナ ホット・チャイナ
「ホット・チャイナ」

リズムを主体に作曲した笠置作品での服部良一はビートを強化する為、独自のビート言語=スキャットを生み出した。意味性を無効にし、発声によって生み出させるグルーブを至上のものとした。歌は言葉=意味であり、それは美声によって心に浸透するという一般常識を服部良一は脇へ置き、別の価値をメッセージした。今は情緒に浸る時ではない。‘自信喪失’という民族的苦難の状況下にあって、服部良一は肉体の高揚、心の躍動を統一し、深刻化する現実に対する対抗基軸としての身体性を示したのではないだろうか。いや、大げさじゃないと思う。諫言すべきは果たして<元気>だっただろう。日本人の<元気>を喚起したのが服部、笠置コンビの時代的使命、役割であったのだ。
服部良一はブギを果たして音楽ジャンルと認識していたか。彼が戦時中にそれを発見した時、そのモダンな様式に魅せられたと同時に、そこにアメリカが先導する新時代の息吹きを感じ、翻って現在、総動員態勢に向かう国内の精神状況を想い憂いながら、しかし次の次代、戦後を見越していたのではないか。しかも祖国の敗戦という苦難をも。
ブギとは、そのリズム様式をかろうじて指すが、最新モードの先鋭の表現であり、服部にとってそれは、時代精神=新思想であったわけだ。

「コンガラガッタ・コンガ」

コンガラガッタ・コンガコンガ
コンガラガッタ・コンガ
コンガラガッタ・コンガコンガ
コンガラガッタ・コンガ
私はあなたが好きなのに
あなたはあの娘が好きなのね
あの娘にゃ あの娘の彼氏があるのに
そのまた 彼氏にゃ 彼女があるのに
あの娘は何も知らずに 彼氏に夢中で
惚れたの はれたの
惚れたの はれたの
コンガラガッタ・コンガ
コンガラガッタ・コンガ

何の歌なのか。それは愚問だろう。
以下の笠置シヅ子ナンバーの曲名を見渡す時、もう意味などどうでもいい爽快さと単純な核心だけが、提示され、スコーンと竹をたてに割ったような開放感に導かれる。
「ジャブ・ジャブ・ブギ」、「ザクザク娘」、「たのんまっせ」、「おさんどん」、「ボン・ボレロ」「セコハン娘」、「雷ソング」「たよりにしてまっせ」、「ジャジャムボ」、「恋はほんまに楽しいわ」、「めんどりブルース」、「私の猛獣狩」、「ホームラン・ブギ」、「エッサッサ・マンボ」

コメディソングではない。これらは笠置シヅ子のソウルミュージックだった。
昭和9年にデビューした笠置シヅ子が服部良一に出会うのは昭和13年(1938年)である。
CD『ブギの女王』の解説に記された服部良一の回想を引用しよう
<薬びんをぶらさげ、トラホーム病みのように目をショボショボさせた小柄の女性がやってくる。裏町の子守りか出前持ちの女の子のようだ>
「笠置シヅ子です。よろしゅう頼んまっせ」
<しかし稽古が始まるや舞台の袖から飛び出した笠置は「オドッレ、踊ッレ」と掛け声を入れながら、激しく歌い踊る。その動きと派手なスイング感は別格の感じであった。>

翌、昭和13年に「ラッパと娘」を世に放つ。昭和16年に笠置シズ子とその楽団を結成。時代は中国戦線の泥沼化から三国同盟締結、そして真珠湾攻撃へと戦時一色になる正に有事の時代。しかし、その暗い世相の中、笠置シズ子は絶叫した

  「ラッパと娘」

楽しいお方も 悲しいお方も
誰でも好きな その歌は
バドジズ デジドダー
この歌 歌えば なぜかひとりでに
誰でも みんなうかれだす
バドジズ デジドダー
吹けトラムペット 調子を上げて
デジデジドダー デジドダー
バドダジドダー
バンジ バンジ バンジ バンジ 
バンジ バンジ バドダドダド ダドダドー

戦後、堰を切ったように笠置シズ子のエネルギーは爆発する。
昭和22年、民族開放賛歌「東京ブギウギ」を皮切りに「さくらブギウギ」、「ヘイヘイ・ブギ」、「博多ブギウギ」、「北海ブギウギ」、「大阪ブギウギ」、「ジャングル・ブギ」、「ブギウギ時代」、「ホームラン・ブギ」、「ジャブ・ジャブ・ブギウギ」、「名古屋ブギー」、「ブギウギ娘」、「買物ブギー」、「アロハ・ブギ」、「大島ブギ」、「黒田ブギ」、「七福神ブギ」と昭和27年までの間にブギナンバーを連発する。特に「買物ブギー」(1950年)は世界初のラップミュージックとして認識されるべき、稀代の傑作である。

YOUTUBEで「東京ブギウギ」の映像に見入る。
歌メロでは両手を胸のあたりで円を描くような動き。独特の強拍感覚がある。そしてサビ及び間奏部ではステージを横断しながら狂ったようなジャンプアクションを展開。両手を上下に激しく振りながら奇妙なステップで駆け回る。この異常な弾け具合は普通ではない。なるほどこれが戦中、当局に睨まれ「マイクから半径1メートル以外に出てはならない」とお達しを受けた笠置シヅ子の衝動的動態だったのだ。この暴発するエネルギー。全身全霊の表現力を思い知らさせる。
この「東京ブギウギ」の時、笠置シヅ子はすでに三十路の子持ちであった。その子供は交際していた相手が急死した数日後に生んだという。結婚は相手の親に反対されたらしい。波瀾万丈、喜びも悲しみも全てを能動的に全身表現で繰り出す、その姿は戦慄的と言っていいだろう。
時代が彼女を必要とした。笠置シヅ子のブギーとは新時代への推進の力だった。

やがて高度成長のレールに乗って以降の日本が豊かになるにつれ、歌は心を扱うものとして原点回帰してゆく。1950年代以降の歌謡曲が日本的情緒に根ざした、‘こぶしもの’に回帰してゆく中、笠置シズ子の突き抜けたポップ感性は主流ではなく、異端的突出としての存在感に落ち着いていった。次代のスター、美空ひばりは笠置シヅ子の物まねからスタートしている。

歌手廃業後は乞われても二度と歌わなかった笠置シズ子
「私が歌う時代は過ぎた。今、必要なものではない」という理由だったという。

誰もが漠然とでも‘役割’を意識しながら生きた嘗ての日本人。薄っぺらい個人主義が蔓延する現在では推し測れない、‘公’の精神を持つ彼女も典型的な旧日本人であったようだ。<元気>を今よりも百倍、必要とした時代、笠置シズ子はその使命に燃え、歌い、踊り、それに殉じた。

私は黒沢明に凝っていた頃、『酔いどれ天使』(48)でキャバレー歌手を演じる笠置シヅ子の神憑りなステージを観ていたではないか。曲は「ジャングル・ブギ」だった。これも凄まじいナンバーだ。ラストは‘ボンバ!ボンバ!’の奇声の執拗な繰り返しでクライマックスに至る。最後は‘ギャー!’だった。

ウワオ ワオワオ ウワオ ワオワオ オー
ボンバ! ボンバ! ボンバ! ボンバ! ボンバ! ボンバ! 
ギャー!

最高!しかも最低!
しかし最強!!

2008.2.7

 







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5 コメント

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Unknown (ポテチ)
2008-02-08 00:05:48
YOUTUBEで早速見ました。

エネルギーの塊、スタイルに捉われない自由奔放な発声による言葉の使い方。「ビョークの様だ」と言うYOUTUBE上のコメントは優劣では無く人を揺さぶるエネルギーの放射量が圧倒的と言う点において同意。

http://www.youtube.com/watch?v=N_043fnhTdk
笠置シヅ子さんの評伝本が出ましたね (タロスケ)
2010-11-30 19:49:32
宮本さん、はじめまして。
私もYouTubeの買物ブギ見てブっとびました。
「ペコちゃんとデン助」をCS日本映画専門劇場にリクエストしました。
2曲追加された3枚組「ブギの女王」も買いました。
「つんぼ」がカットされてないSP盤レコードを東京の富士レコードで見つけましたが、かけるプレイヤーもかわないといけないので断念しました。
全然関係ないのだけど、ハイファイセットはコンサートで「東京ブギウギ」や「銀座カンカン娘」潤子さんのソロで「胸の振子」を歌ってました。
ディナーショウではトシさんが淡谷のり子さんのモノマネと「買物ブギ」を歌ったそうです。
本当ですか? (宮本)
2010-12-03 09:19:52
評伝が出たことも、ハイファイセットが笠置ナンバーを歌ってたことも知りませんでした。ハイファイセットの初期の映像が見たいのですがコンサート観たことない私にとっては、それは幻なんです。youtubeにアップされてる「冷たい雨」は究極です。コメント、本当にありがとうございました
笠置版「私のトランペット」 (タロスケ)
2010-12-17 23:10:01
宮本さんにとって、なにか有益な情報があればと思い、気が付くままに列記してみます。
実はCS日本映画専門チャンネルに「果てしなき情熱」をリクエストしたら放送していただいたことがあって、そこで笠置さんは「ブギウギ娘」(振付けとしぐさが可愛い!)と、淡谷のり子さんの持ち歌「私のトラムペット」を歌うシーンがありました。
またNHKのBSで「エノケンのびっくりしゃっくり時代」というのを昔、観たのですが、3枚組CDに収録されてない「浮かれルンバ」という曲がタイトルに流れていました。
「エノケン・笠置のお染・久松」では替え歌で歌われていました。
浅草のROXではエノケン&笠置の歌謡ショーが連日、開催されてるようです。
山本潤子さんは「nanan」という新川博さんを中心としたユニットの1stアルバムで、ラテン風で中華味なしの「蘇州夜曲」を歌われています。
潤子さんのご主人の山本俊彦さんはバリバリ関西人で、笠置さんの「買物ブギ」がお好きだったようです。
宮本さんにとってなにかためになる情報がひと
笠置本 (宮本)
2010-12-19 08:05:13
タロスケさんのコメントで知った笠置本をさっそく買いました。当時の出演映画の事もいろいろ、書いてますね。当時は映画が最先端メディアということで、多くの出演があったんでしょうね。トシさんは赤い鳥のライブアルバムを聞いても、ステージでのメンバーのしゃべりで、バリバリの関西人ぶりは伺えますよね。ありがとうございました。

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